第34話

「何から話したものかしらね」


 ティエナがカクテルに口をつけながら考え込む。


「あなたのご事情、ということでしたが」

「その事情ってやつが厄介なのよ」


 そう言ってうなるティエナを見て、


(ティエナさんの出自はよくわかっていなかったわね。何か複雑な家庭の事情があるのかしら)


 と、アンネローズは推測する。


 アンネローズには知る由もないことだが、このアンネローズの推測はティエナのためらいの理由としては外れている。

 事実として、この世界に生まれたティエナの家庭の事情は複雑だったが、それだけなら話すのをためらうほどではない。

 たとえば、この世界では貴族の男女が配偶者とは別に愛人を持っているのは決して珍しいことではない。そうした不義密通の結果が、子どもという形を取って生まれてくることも。

 いくらこの世界に遺伝子鑑定がないとはいっても、子どもが育ったときに自分に似ていないと思えば、配偶者に疑惑の目が向けられることもある。親がいくら隠そうとしても、子どもはそうした雰囲気を敏感に感じ取るものだ。

 ティエナはそういった複雑な環境で育ったのではないか、というのがアンネローズの最初に思ったことだった。

 だが、


「ああ、ちがうちがう。わたしの育ての親が実の父親じゃないとか、そういうことはどうでもいいのよ。事実としてそう・・なんだけど、わたしにとってはどっちでもいいことでね」

「そ、それは……?」

「そりゃ、家庭環境がいいに越したことはないけどね。前世で三十近くまで生きてた人間なんだから、親がちょっとぎくしゃくしてるくらい、知らんぷりしてればいいだけよ」

「………………えっ?」


 さらりと告げられたことに、アンネローズの思考が停止する。

 隣ではクレアも目を見開いていた。


「……今、前世とおっしゃいました?」

「そうよ。わたし、転生者なの」

「転、生?」

「生まれ変わりって言ったらわかるかしら」

「言葉の意味はわかりますが……」

「……その反応なら、あんたも転生者ってことはなさそうね」


 いつのまにか、ティエナは視線をカクテルからアンネローズへと移していた。


「こうなったからには全部話すけど……その前に、ひとつ約束してくれない?」

「約束、ですか?」

「ええ。休戦協定というか、中立条約というか。わたしからあんたたちに敵対しない限り、あんたたちもわたしに敵対しないっていう保証がほしいのよ」


 意外な申し出に、アンネローズは驚いた。


「それは……なぜです? 普通に考えて、わたくしとあなたが敵対する可能性はほとんどないように思いますが」

「ふぅん? 普通に考えて、ね。あんたも、わたしが敵対するんじゃないかと思ってるってこと?」

「……いえ、常識的に言って、接点がなさそうですので」

「…………まあ、いいわ。それで、お返事は?」

「あなたがわたくしに敵対しないのであれば、わたくしがあなたに敵対する理由はありませんね」

「あなたの家は、いざとなればわたしなんかとの約束は反故にすることもできるわよね? その点まで含めて、敵対しないと言えるの?」

「……なぜ、そこまで?」

「わたしだって、生身で敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズとやり合いたくなんてないわよ。イベント戦以外で勝ちようがないじゃない」

「っ!」


 ティエナの言葉に、アンネローズが音を立ててスツールを立った。

 それを見て、ティエナがにやりと笑う。


「なぜ知ってるのかって顔ね?」

「……ええ」


 マルベルト公爵家は、祝力ギフトの効果はもちろん、その名前すらも隠している。

 公爵家以外の人間で敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズのことを知っているのは、婚約者であるクライス王子だけ――いや、


(「今回」、殿下とは婚約していないわ。敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズについても殿下には話していない)


 アルバ王国の建国譚にも登場する祝力ギフトなので、歴史の研究者ならばその名前と効果を知っていてもおかしくはない。

 だが、アンネローズがその祝力ギフトを持っていることは一般には知られていない事実である。


「知っている理由も説明するけど、ほんと、こんがらがるような話でね。信じてもらえるように話すのが難しいの。もともと、わたしって話の要領が悪いみたいでね」


 プレゼンとかは得意なんだけど、とティエナがつぶやく。


「でも、説得力はあるでしょ? 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズのチートっぷりを知ってるからこそ、わたしはあんたを恐れてるわけ」

「……そう、ですね」


 アンネローズはスツールに座り直す。

 たしかに敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズは強力極まりない祝力ギフトだ。

 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズの持ち主に敵意を向けた途端、その者の力がアンネローズに上乗せされる。その時点で、敵意を向けた者は、アンネローズに対してほとんど「詰んだ」のと同じ状態になる。

 仮にティエナがアンネローズに敵意を向けたとしよう。その瞬間、アンネローズにはティエナの全能力と同じだけの能力が加算される。

 つまり、この時点で、


 アンネローズの能力=アンネローズの元々の能力+ティエナの全能力


 となるのであり、これは


 アンネローズの能力=アンネローズの元々の能力+ティエナの全能力>ティエナの全能力


 ということだから、


 アンネローズの能力>ティエナの全能力


 が「必ず」成り立つ。

 アンネローズに敵対する者は、戦力的には「絶対に」不利な立場に置かれるということだ。

 ティエナが敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズの効果を知っているのなら、アンネローズを恐れるのは当然である。

 さっきスロット台の前で出くわしてから今に至るまで、ティエナはアンネローズに敵意を向けていない。

 警戒心は抱いているし、駆け引きや揺さぶりをかけてきてもいるが、はっきりとした敵意は、今のところ向けられていないのだ。

 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズのことを知った上で敵意を向けるのを避けているのだとしたら、ティエナの中途半端な態度にも納得がいく。


(でも……敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズが怖い?)


 よりによってティエナにそれを言われると、どうにも釈然としない思いがする。


(「聖なる祈り」を持つティエナさんは、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズが通じない唯一の例外なのだけれど)


 だが、その感想を表に出せば、なぜティエナが聖なる祈りを持っていることを知っているのか、という話になってしまう。

 それに、「前回」の断罪騒動では、「聖なる祈り」の発動にはそれなりに時間がかかっていた。

 アンネローズの攻撃を凌げるだけの戦力がない今、ティエナがアンネローズを恐れるのは妥当だろう。


「で、どうなの? 相互に敵対しないと約束できる?」

「そう、ですね……」

「あんたは、敵意を向けられれば能力の向上という形でそれを認識することができるわよね? それなら、わたしにだまし討ちされるリスクは他の人よりかなり少ないといえるんじゃないの?」


 ティエナの言い分が正しいことは、アンネローズも認めざるをえなかった。

 しばし抜けがないかと考えてみるが、この程度の口約束によって、のちのち罠にかけられるような事態は考えられない。

 ただ、


「あなたが何か法や人道に反するようなことをしようとしていて、わたくしがそれを止めうる立場にいる場合はどうなのです?」

「そんなの、約束を反故にして止めればいいでしょ。あんたの良心と相談して決めればいいわ」

「その程度の意味合いならば、いいでしょう」


 アンネローズがうなずくと、


「よし、じゃあ話すわね」


 と言って、ティエナはカクテルを飲み干した。

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