第38話
「その説明がまだだったわね。でも、ここまで話せば想像はつくんじゃないかしら?」
「『
「お嬢様が、悪役!?」
気色ばむクレアに、
「まあ、待って。そういうゲームだったのではないかと推測しているだけだから」
「アンネローズさんの推測は当たってるわ。さすがね」
ティエナが唇を尖らせて言った。
唇を尖らせたのは不満だからではなく、口笛を吹こうとしたからのようだ。
「女性向けの、男性との恋愛を楽しむゲームで、公爵令嬢であるわたくしが、身分の不明なティエナさんの敵となるのです。おおかた、権力をかさにきて恋人を奪い取ろうとする、といった役回りなのでしょう」
「前回」では、アンネローズの婚約者であるクライス王子をティエナが奪ったわけだが、今回はアンネローズと王子の婚約自体がなくなっている。
アンネローズの口にした「推測」はそのことを踏まえてのものだ。
「うーん、惜しいかな。ここに来るときに、扉にクライスが描かれているのを見たでしょ?」
「見ましたね。……あの、仮にも王子なのですから、『殿下』を付けたほうがいいですよ?」
「外では気をつけてるわよ」
「習慣にしておきませんとうっかり口にしてしまうこともあります」
あの王子に敬意を抱くのは難しいからなおさらだ。
「……忠告として聞いておくわ」
「それで、あの扉にクライス殿下が描かれていた理由をご存知なのですか?」
「メイン攻略対象の好感度を上げるには、もうひとつだけ方法があってね。それが、このカジノってわけ。まあ、もうひとつの方法っていうより、ダンジョン探索のボーナスステージみたいなものなんだけど」
「……カジノと好感度に何の関係が?」
「カジノの景品に、強力なプレゼントアイテムがあるのよ。好感度の上げすぎによるヤンデレ化を防止するアイテムもあるわ」
「では、扉に殿下の絵が描かれていたのは……」
「攻略対象ごとにカジノはべつになっていてね。クライス……殿下、の場合はここってわけ」
「ティエナさんは、クライス殿下の好感度を稼ぎたいのですか?」
「それは……ううん、なかなか込み入った話になるのよね。その前に、さっきの質問に答えておくわ。ゲームにおける悪役令嬢アンネローズ・マルベルトの役回りについて、ね」
悪役令嬢アンネローズ、と言われ、クレアが何か言おうとするが、アンネローズはそれを目線で止めた。
「あんたの推測した通り、ゲーム中の『アンネローズ』は主人公であるティエナの恋敵の役回りよ。『アンネローズ』は、メイン攻略対象五人の中でも中心的な人物であるクライス王子の婚約者。しかも、アルバ王国の貴族筆頭マルベルト公爵家のご令嬢。ティエナがクライスと結ばれる上では大きな障害となる相手なのね」
「大きな障害というよりも、普通に考えて無理だと思うのですが……」
「ふふっ、そうね。現実には、公爵令嬢の婚約者を押しのけて王子と結婚するなんて不可能でしょう。だけど、それだけにドラマとしては盛り上がるということね」
「身分の差で結ばれることができない恋人たち、というのは古典的なテーマではありますね」
物語としては根強い人気を誇るが、貴族制のアルバ王国では、やりすぎると発禁・上演禁止などの処分を受けかねない。
「対立する家同士の娘と息子が駆け落ちしようとして非業の死を遂げるという演劇もありました」
「……それって『ロミオとジュリエット』っていったりしない?」
「その通りですが……またシェイクスピアという劇作家ですか?」
「うん。ラブラビのシナリオライターが好きだったのかしらね」
「なるほど……。わたくしがティエナさんの恋敵であるということはわかりました。……もちろん、本来の筋書きの上では、ということですが」
「あら? ちがうの? たしか、『アンネローズ』はクライス王子にぞっこんだったはずなんだけど」
「だ、誰がですか! やめてください!」
顔を青くし、手で腕を抱いて、アンネローズが身を震わせる。
「ええ!? その反応は予想外だったわ……」
「そもそも、クライス殿下との婚約については、先日お断りさせていただきました」
「な、なんですって!? どうして!?」
「…………なんとなく、性格が合いそうにないな、と思いまして」
まさか、「断罪」イベントで愛想が尽きたと言うわけにもいかない。
(わたくしが過去に時間遡行したことは、彼女に話していいものかしらね?)
ティエナは思った以上に腹を割ってくれた印象だ。
敵対しないというのなら、こちらの事情を話すという選択もなしではない。
「公式にはなっていないことですので、どうかご内密にお願いします」
「まあ、しゃべったりはしないけど……」
「ですので、わたくしはもう、ティエナさんの恋敵とは言えないと思うのです」
「……婚約がなくなったのなら、そうかもしれないわね」
ティエナがじっと考え込む。
「どういうこと……? まるで、アンネローズさんにだけ、世界の強制力が利いていないように見えるわ。王子との婚約を断ったことといい、このカジノに入ってこられたことといい……」
(それは……やはり、時間遡行のせいでしょうね)
と、内心でつぶやくアンネローズ。
が、そこを掘り下げられるとボロが出そうだ。
「その、『
さりげなく、話題の転換を図る。
「ああ、話してなかったわね。貴族学院の卒業記念パーティの席上で、クライスはアンネローズとの婚約を破棄することを宣言、その場でティエナにプロポーズするの」
「…………婚約を破棄した直後に、その元婚約者の前で、別の女性に求婚するのですか?」
「うん、どう考えてもおかしいわよね。フラれた側のことも考えろって話よ」
「そもそも、婚約は国王陛下とわたくしの父であるマルベルト公爵のあいだで結ばれたものです。クライス殿下の一存で破棄できるものではないのですが」
「前時代的な話ではあるけど、この世界ならそうよね。たぶん、シナリオライターは、意中の男性が恋敵を袖にしてヒロインを選ぶ場面を劇的に演出したかったんでしょう。乙女ゲーム……というより、乙女ゲームを題材にしたネット小説ではありがちな場面だし」
「これも強制力の結果ですか?」
「かもしれないわ。一応、王子は『アンネローズ』が学院内で『ティエナ』をいじめていたとされる証言を集めていて、それを理由に婚約を破棄するんだけど……」
「まず、いくら恋敵とはいえ、わたくしがそのような卑劣なふるまいをするはずがありません。次に、仮にわたくしがなんらかの理由で――それこそ強制力によって『ティエナ』をいじめていたのだとしても、一方的な婚約破棄を正当化できるほどの理由にはなりえません」
べつに、いじめなんて大した罪ではないと言っているわけではない。
ただ、国の将来すらも左右するこの政略結婚が、そう簡単に破棄できるはずがないということだ。
それこそ、アンネローズが不貞を働いた、といった事実でもない限りは。
(実際は不貞を働いたのは殿下なのですが……)
男性の不貞は許され、女性の不貞は許されない。
不条理な話だとは思うが、この世界ではごく普通のことである。
クライスは将来の国王なのだから、その王妃の身ごもった子がクライス以外の男との子だと疑われるような余地があってはならない、という理由があるにはあるが、女性であるアンナローズから見ると取ってつけたような印象を受けなくもない。
「アンネローズさんの言い分はもっともだと思う。ただ、結局のところ、そのあたりのリアリティはこのゲームでは求められていないのよ。王子と『アンネローズ』が婚約解消のために長々と裁判をやる、なんていう、生々しいわりに退屈な場面を見たいプレイヤーなんていないわけだし」
「……わたくしの立場としては納得がいきませんが、創作物として考えればわからなくはないですね」
アンネローズは冷静に言うと、これまで手を付けていなかったノンアルコールカクテルに口をつける。
思った以上に美味しかった。
この世界には、ノンアルコールのカクテルなど小さな子ども用のものしか存在しない。
果物の甘みと酸味に、炭酸やトニックの苦味が絶妙に組み合わされ、味に深みが持たされている。
「あっちの世界では、そういうのをご都合主義って言うわ。でもまあ、物語にメリハリは必要だし、プレイヤーが求めてるのはリアリティよりもカタルシス。現実の離婚裁判だったら証拠能力に問題があるような『断罪』でも、憎い恋敵を勢いでやっつけちゃえば、案外プレイヤーは満足してしまうものだから。プレイヤーが本当に求めてるのは、結ばれたあとの満足感や甘々な生活なわけでね」
「このカクテルのようなものですか。甘さを主眼に置きながらも、それだけでは味に締まりがなくなるので、ちょっとした苦味を加えて奥行きをもたせる……」
「そうね。まあ、乙女ゲームの場合、基本的には糖分マシマシで、苦味は本当にひとさじで十分だと思うけど」
ティエナがそう言って肩をすくめた。
「ちなみに、『断罪』された『アンネローズ』はどうなるのです?」
「…………ええと」
言いよどむティエナ。
「教えて下さい。気になるじゃないですか」
「そうよね……。わかったわ」
ティエナはカクテルで唇を湿らせると、
「『アンネローズ』はメインシナリオ第一部のラスボスよ。いわば、階層ボスのような存在ね。貴族学院は、ダンジョン探索を通して貴族の子女が
ティエナは、ちら、とアンネローズの顔色を伺ってから、
「だから、バトルパートも当然あるってわけ。王子や他の攻略対象から『断罪』された『アンネローズ』は、武力でもってティエナの前に立ちはだかるの」
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