第39話

「武力で、とは穏やかではありませんね」


 アンネローズは静かに言った。


「全然穏やかじゃないわ」

「ですが、わたくしには――いえ、その『アンネローズ』にも、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズがあります」

「そう。敵対者の能力をまるっとそのまま自分に上乗せするっていうチート能力がね。まさにラスボスにふさわしいってわけ」

「……勝てるのですか? いえ、筋書き的には『アンネローズ』が敗れるに決まっているのでしょうけれど」


 アンネローズの質問に、ティエナは一瞬ためらった。


(彼女は、どこまで話してくれるのかしら?)


 ティエナが「聖なる祈り」でアンネローズの敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズ」を無効化した――

 この情報をアンネローズに与えることは、ティエナの持つ優位性を手放すことだ。


「くどいかもしれないけどさ……こっちから敵対しない限り、あんたもわたしに敵対しないって約束は信じていいのね?」

「重要なことなのですね」

「うん、これを話すのは普通に考えると得策じゃない」

「その言いようですと、話してもよいと思ってくださっている?」

「さっきあったばかりでおかしいけど、あんたはまともな人に見えるわ。わたしを騙そうとしてるようにも思えない。それとも、そう思うのはさっきのプレゼントの影響かしら……」


 ティエナが言うのは、さきほどアンネローズが渡したプレゼントアイテム「クマーヌのぬいぐるみ」のことだろう。

 アンネローズはしばし考える。


「そうですね……。ここでわたくしが『信じる』というのは簡単です。この場の雰囲気で、なんとなく話を聞き出せそうな感じもします」

「うん、話してもいいかなってほうに傾いてるわね」

「もし時間を置けば、あなたは話さないほうがよかったと後悔して、わたくしにその話を二度としてくださらない、ということもありえるでしょうね」

「……かもね」

「その意味では貴重な機会だといえますが……わたくしは、ティエナさんがここまで打ち明けてくださったことだけでも、相当に有り難く思っているのです。わたくしでは決して知り得ない情報でした」

「……えっ、じゃあ、聞かないって言うの?」

「プレゼントの効果がいかほどのものかわかりませんし。一時の感情の揺れにつけ込んで聞き出すのは今後のためにならないとわたくしは思います。ですので、ティエナさんが話すのをためらわれている部分については、無理に聞こうとは思いません」

「アンネローズさん……」


 ティエナがアンネローズをまじまじと見る。


「まあ、さきほどまでの話でも、わかることは多いです。わたくしが物語のトリを務める悪役ならば。わたくしは、勝てないのではないかと思われるほどに強く、かつ、最後にはなんらかの手段によって敗れなければなりません。その『なんらかの手段』は……恋愛を主題にしたゲームなのですから、ヒロインか、攻略対象の男性たちのいずれか、あるいは両方に関わる未知の要素なのでしょう。おそらくは、神の奇跡、愛の奇跡と呼べるような未知の何かです」

「そ、そこまでわかるの!? あんた、やっぱり転生者なんじゃないでしょうね?」

「違うと言っても証明はできませんね。ただ、ティエナさんがその『なんらかの手段』を秘匿される代わりに、わたくしも『ある秘密』を隠させてもらいます」

「秘密……?」

「ええ。ティエナさんほどではないにせよ、なかなかの秘密です。これも、おいそれと話せるものではありません」

「……いくつか、予想はしてるけどね」


 ぽつりとティエナがつぶやくが、返事を期待した言葉ではないだろう。


「ティエナさんがシラフに戻って、わたくしのことを信用してもいいと思えるのでしたら、そのときには互いの手札を見せることに致しましょう。ここはカジノです。いたずらに手札を見せれば、賭け金をごっそり持っていかれてしまいますわ」

「そう、ね」


 ティエナが小さく笑った。


「でも、ひとつだけいいですか?」

「なに?」

「ティエナさんがここに来られた目的です」

「ああ……」

「さきほどのお話では、このカジノは好感度を上げるための強力なプレゼントアイテムを手に入れるための施設だとのこと。とすれば、ティエナさんは、クライス殿下の好感度を稼ぎたい、ということでしょう?」

「そう、ね」

「ですが、クライス殿下に恋い焦がれているというわけでもないご様子。なにかご事情があるのでは? それこそ、ゲームの筋書きに関わるような……」

「……あんたには敵わないわね」


 ティエナが苦笑した。


「ちょっと、身の上話になるけど、いい?」

「……ええ」

「前世の話よ。わたしは大学――まあ、あっちの世界のそこそこの学校を出た後、会社に務めたの。会社っていうのは、この世界で言えば商会のようなものだけど」

「商人だったのですか?」

「うーん、あっちの世界は産業が発達してたから。ほとんどの人がどこかの会社に務めてた感じね。仕事の実態としては、この世界で言うなら、商人というよりも役所務めに似た雰囲気でしょうけど。規模が大きくなって洗練された分、官僚的にもなったというところかしら」


 具体的な想像はつかなかったが、言わんとしていることはわからなくもない。


「大きな組織というものは、間接部門が肥大化して、組織を維持し、運営するための仕事が増えると聞いています」

「そう、まさにそれ。わたしは総合職――まあ、普通の社員として採用されて、総務とかの間接部門にいたわけ。歴史のあるそこそこ大きな会社でさ。女性活躍のためにってことで働き方や待遇は男性と同じ」

「良い話のように聞こえますが」

「社会全体がそういう流れだったから、会社としてもそれに乗り遅れまいってことね。ただ、働き方で男女の差別をしないって建前ではあるんだけど、受け入れ側の体制やら意識やらはまだそうじゃなくってさ。女性は結婚したら辞めるから大きな仕事は任せられない、なんて平然と言うような管理職がいたりするわけ」

「は、はあ……」

「この世界の場合、貴族限定ではあるけど、祝力ギフトに応じて女性にも大きな仕事が回ってくることもあるじゃない。でも、あっちは祝力ギフトなんてものはないから、その都度実績を作って、頭の固い上司を説得してって作業が必要になるの。しかも、女だからっていう偏見を跳ね返しながら」

祝力ギフトがない世界ですか……」

「それは逆で、そんなのがあるほうがおかしいんだって。いや、それはともかく。仕事量だけは男性と同じなのに、昇進ではあきらかに男性のほうが早いのよ。大事な仕事は男に回すんだから当然そうなるわよね。それでもいつかは変わるだろうって我慢して務めて……」

「……大変ですね」

「周りからは早く結婚しろとか言われるしね。セクハラよ。自覚がないんだから余計たちが悪いわ。男たちの汚い部分見せつけられて結婚したいなんて思うはずもないでしょ」

「親経由で縁談が持ち込まれたりはしないのですか?」

「そういうの、あっちの世界じゃもうなくなってるの。結婚は個人が恋愛の結果としてするものだから」

「そう、なのですか」


 ティエナの言葉に、アンネローズは少なからずショックを受けた。

 アンネローズにとって結婚は家と家の事情でするものだ。

 もちろん当人同士の相性がいいに越したことはないが、それはあくまでおまけである。


「仕事で忙殺されて気力も体力もなくて肌もボロボロみたいなときに、男を探しに行く気になんてなれないわよ。学生時代から付き合ってる男でもいればよかったんでしょうけど、わたしは中学から大学まで女子校だし」

「学院は男女別なのですね」

「いや、共学もあるんだけど、女子校のほうが偏差値が高いし気楽だしで……」

「ああ、学校がたくさんあるということですか」

「数え切れないほどあるね。わたしは大卒だけど、同じ世代の半数は大卒以上。だから、貴族学院ほど箔はつかないのよ。ま、あっちの学校制度について知りたいならまたの機会があれば話してあげるわ」

「ぜひお願いします。それで、ティエナさんの……前世のことですが」

「うん。そんなこんなで灰色のビルの中に閉じ込められて早七年。趣味といえばマンガを読むか乙女ゲームするか。どっちも職場では隠してたけど」

「隠すのですか?」

「あんまり、外聞のいい趣味じゃないのよ。そんなだから婚期が遅れるんだ、みたいな昭和のセクハラくらうのも嫌だったし」

「……なかなかしんどうそうな生活ですね。先が見えません」


 女性活躍が建前でしかない職場でのキャリアはガラスの天井に遮られ。

 魅力的な異性と出会う機会もなく。

 趣味はひた隠しにして一人でこっそり楽しむしかない。


「まあ、もともとそこまで社交的なタイプでもないからね。独身なりの気楽さはあったんだけど、このまま五年、十年経ったらどうなるんだろうって思うよね」

「そうでしょうね」

「でも、わたしは運がよかったのかも。ちょっとしたきっかけで知り合った男の人と意気投合してさ。最初は、恋愛対象とは思えなかったんだけど、話してるうちにだんだん、ね」

「へえ……」


 照れたようにはにかむティエナは、大人っぽいようでもあり少女のようでもあった。

 遅めの恋にはにかむ女性の笑顔と思えば大人っぽいとも言えるし、恋愛にすれていない雰囲気は見た目通り(アンネローズと同じ十五歳)とも言える。

 そんなティエナの様子に、アンネローズはむずがゆいような気分になった。

 頬を引き締めていないとにまにましてしまいそうだ。


「わたしはべつに、結婚を焦ってたわけでもないんだよね。今の時代、まだ独身でもいいかなと思ってた。彼の勧めで別の仕事に転職する準備もしててさ。そっちの仕事はまだしも夢が持てる感じだったから」

「いい殿方だったのですね」

「うん、ほんと、わたしなんかにはもったいないくらい。そりゃ、クライスなんかとくらべれば、イケメンとは言えないけどさ。ずっとこういう関係でいられればいいなって、そう思ってた」


 ティエナは視線を落としてカクテルを飲む。


「わたしが三十歳の誕生日を迎えるちょっと前にね、彼がプロポーズしてくれたの。レストランで夜景を見ながら、指輪を出してさ……そんなことイベント、わたしには一生縁のないものだと思ってた。正直、馬鹿にもしてた。そんなありがちなシチュエーションにときめくようなミーハーじゃないわよ、って。でも、実際にやられると……」


 ティエナは、泣き笑いのような笑みを浮かべた。


「ぐすっ……嬉しいよね。シチュがありがちとか、そんなのどうでもいいんだよ。自分のことを想って、精一杯いい雰囲気作って、勇気を出してプロポーズしてくれたのが嬉しいんだ。わたし一人だけのために。絶対嬉しいって、そんなの」

「……よかったですね」


 じんわりと胸に迫るものを感じながら、アンネローズは相槌を打った。


 が、同時に気づいてしまった。


(だとしたら、なぜ、ティエナさんはここにいるの?)


 遅く出会った彼から精一杯のプロポーズを受け、幸せ絶頂だったはずの彼女が、なぜ、この世界にティエナとして転生しているのか?

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