第16話
「ダンジョンを探索なさりたい、ですか?」
アンネローズの侍女であるクレアが、やや驚いた顔でそう言った。
常に冷静沈着なクレアが「やや」驚いたというのは、本当はかなり驚いている、ということだ。
「ええ、そうなの」
「なぜ? 貴族学院に入れば実習があるではないですか」
「その前に力をつけておきたいのよ」
「予習ということですか? お嬢様の勤勉さには頭が下がりますが、あまりお勧めはいたしかねます」
「あら、どうして?」
「危険だからです。ダンジョンでは、なにが起きるかわかりません。貴族学院の、学生向けに管理されたダンジョンでないならなおさらです」
貴族学院には附属のダンジョンがあるが、当然ながら在校生にしか入坑は許されない。
また、貴族学院のダンジョンは、万一にも貴族の子女に事故がないよう、管理も徹底されている。
その「管理」の過程で事故が起こることはあっても、学生が実習するときに事故が起こることはめったにない。
「『附属』以外のダンジョンは、ありていに言って、無法状態そのものです。王の目も王の法も届かない無明の闇。ダンジョンが巨大な棺と呼ばれるのも誇張ではないのです」
クレアが真剣な目でアンネローズに忠告する。
クレアは、アンネローズの侍女になる前に、ダンジョンの探索を専門とする民間の探索者――俗にいう「モグラ」をやっていた。
彼女がアンネローズの侍女になるまでにはそれなりに数奇な物語が存在するのだが、今のところは関係がない。
元
ダンジョンはあまりに危険なので、
強力な
それらすべての危険を考えれば、一攫千金のチャンスなどなんの足しにもならないと、クレアは思う。
それでもダンジョンに潜るものがあとを絶たないのは、単に、他に生計を立てるすべのないものたちが社会に一定数存在するからだ。
そんな破滅と隣り合わせの生活から拾い上げてくれた
「クレアの懸念は重々承知しています。わたくしは決して、学院の予習感覚でダンジョンに潜ろうというのではありません」
「わかりません。なぜ、公爵令嬢であるお嬢様が、多大な危険を冒してダンジョンに潜らねばならないのです?」
「自衛のためです」
「自衛?
「そんなことはないわ。もし、相手が複数だったら? もし、相手が法や権力を使ってわたくしを害そうとしたら? もし……相手に
アンネローズの言葉に、クレアはわずかに目を見張る。
ついさっき、ダンジョンの危険についてクレアが考えていたことと、アンネローズの危惧はよく似ていた。
……たしかに、他者の悪意にさらされるのはダンジョンの中だけとは限りませんか。
無法地帯であるダンジョンと、貴族の社交界。
対極にあるようにも思えるが、同時に、あい似通った部分もある。
ともに、力や金、権力を求める欲に取り憑かれた魍魎たちの跋扈する世界なのだ。
「
「でも、貴族学院の中では、数は当てにはできないわ。権力だって、相手が王族では意味がない」
真剣な面持ちで言うアンネローズに、クレアの顔色が青くなる。
「……ま、まさか、お嬢様は将来王家とことを構える可能性がある、と?」
「……詳しくは言えないけれど、ね」
あえて、お茶を濁すような言い方をするアンネローズ。
「クレアはとても優秀な探索者だったと聞いているわ。そして、わたくしには
「そう、ですね……」
クレアは目をつむり、しばし考えているようだった。
「……わかりました。まずは上層だけ、様子を見てみましょう」
「ありがとう、クレア!」
「くれぐれも慎重にお願いしますよ? それから、ダンジョン内では必ずわたしの言うことを聞いてください」
「もちろんよ」
「あと、当然ですが、旦那様のご許可を得てくださいね?」
「う……その問題があるんだったわね」
王子との婚約を断った一件以来、父との関係が多少よくなったような気がしている。
べつに、以前も仲が悪かったわけではないが、公爵家の当主とその娘として、腹を割り切れないところがあったのも事実である。
あの一件がきっかけとなって、父は公爵として、宰相としての仕事についても、差し支えない範囲でアンネローズに話してくれるようになった。
さらには、父からの口添えで、マルベルト公爵家の家宰からも領政や家政についての教育を受けている。
――お父様からすれば、一人娘が自分の仕事に興味を持ってくれてうれしいのでしょうね。
そんなこともあってか、最近の父は娘に甘い。
その娘が危険なダンジョンに潜りたいと言い出したらどんなことになるか……
頼んでみる前から胃が痛くなるアンネローズだった。
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