第49話

 宿の外から、いくつもの悲鳴が聞こえてきた。


「な、何事!?」

「お嬢様、窓から離れてください!」


 アンネローズたちのいる部屋は二階で、窓のすぐ下が通りになっている。

 悲鳴は、窓のすぐ下から聞こえてきた。


 クレアは革のグローブをはめた指を構えながら、慎重に窓辺に近づいた。

 が、クレアが窓から様子をうかがう前に、


「――し、死神だぁぁっ!」

「死神が街中に出たぞぉぉぉっ!」

「逃げろ、殺される!」

「いやああああ!」


 外からの声で、状況が少し察せられた。


「死神ですって!?」


 アンネローズが驚くあいだに、クレアが窓から顔の半分だけを出して下を確かめる。


「本当です! 死神が……三体、いえ、四体!?」

「ど、どうして街中に死神が!?」

「わ、わかりません! 死神はダンジョンの外には出られないというのが探索者の常識です!」

「被害は出ているのですか? 戦っている者は?」

「みな、逃げていくようです。立ち向かう者はおりません。死神のほうでも人を襲う気配はありません」

「奇妙ね」

「そのせいで、気配に気づくことができませんでした。今の死神には昨日のような殺気がありません」

「どういうこと……? 死神の目的はなんなの? この宿の前にいるのは偶然じゃないわよね?」


 昨日死神と散々やりあったアンネローズたちの宿の前に集まっているのだ。

 アンネローズと無関係だと考えるのは無理がある。


 突如街中に現れた死神の群れ――

 最初は悲鳴を上げ、逃げ惑っていた住人たちだが、事態が知れ渡るにつれて、周囲には人気がなくなっていた。

 遠巻きに様子を見ている住人もいるが、今は声や気配を押し殺しているようだ。

 さっきまでとは打って変わって、宿の前には痛いほどの沈黙が降りていた。


「死神が、増えました! まだ集まってくるようです」


 こらえきれず、アンネローズも窓辺に近づき、外の様子をうかがった。

 アンネローズたちの泊まる宿の前には、黒い襤褸をまとい、巨大な金色の鎌をかついだ死神たちが、七、八体も蝟集していた。


 その死神たちが、一斉に顔を上げた。


『アん、ネ……』

『あンネ……』

『……んネ、ろぉ……』

『ローず……』

『アン、ネ……ろ、』

『ア、ア、ア……ろーズズズ』


「ひぃっ!?」


 おもわず、悲鳴を漏らしてしまう。

 そのせいか、それまでは漠然とこちらのほうに顔を向けていただけだった死神たちが、はっきりと、アンネローズのほうへと目を向けた。


『アンねロぉズ!』

『アンネろーズ!』

『あンネろーず!』


『『『アンネローズ!』』』


「な、なんなのですか、これは!?」

「わ、わかりませんよ!」


『『『アンネローズ! アンネローズ! アンネローズ!』』』


「ひいいいっ、もうやめてください!」


 頭を抱え、たまらず叫ぶアンネローズ。


「これは……出ていかないことにはどうにもならないでしょうね」

「逃げて逃げ切れるものでもありませんしね」

「昨日の報復に来た、というわけではなさそうだけれど……」

「殺気はありませんね。なんでしょう、あれは……お嬢様を、こう、神のように崇拝しているような?」

「や、やめてちょうだい! 死神に神と仰がれても困るわよ!」


 こうしていても始まらない……というより、このまま放っておくと「死神がアンネローズという名前を連呼して街中をうろついていた」などという噂が立ちかねない。

 アンネローズがマルベルト公爵の令嬢であることは、この街ではクレアとティエナしか知らないことだ。

 だが、ダンジョンの外に死神が出現するなど前代未聞。

 そのニュースが他の街へと伝われば、死神が連呼していた「アンネローズ」とは何者か? と、追及が始まるのは時間の問題だ。

 アンネローズという名前は珍しい。

 今のアルバ王国であれば、アンネローズと聞いて貴族たちの頭に真っ先に思い浮かぶのは、マルベルト公爵令嬢の自分だろう。

 死神が何を思ってアンネローズの名を連呼しているのかはわからないが、そんなことは貴族たちには関係がない。

 国内随一の貴族家であるマルベルト公爵家には、当然ながら敵も多い。

 それこそ、「死神に通じた魔女を殺せ」などと言って、アンネローズが告発されるような事態にすらなりかねない。

 そうなれば、三年後の「断罪」を待つまでもなく、アンネローズの身に破滅が降りかかるおそれもある。


「ともあれ、話してみるべきね。死神に話が通じるかしら?」

「わかりません。死神が言葉を発したことすら驚きです」


 逃げようにも、相手は三回行動、空間跳躍をもつ死神だ。

 今回は敵意を向けられていないこともあり、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズも使えない。


「攻撃されるより、ただついてこられるほうがよほど厄介ね」

「死神相手にそんな感想を抱けるのはお嬢様だけですよ……」


 宿からは人の気配がなくなっている。

 宿泊客も従業員も既に逃げ出したようだ。

 逃げ出した人たちを死神が襲わなかったのは不幸中の幸いか。

 もし死神が、無差別に人を襲いながら熱狂的な口調で自分の名前を連呼していたら……

 想像するだけでもゾッとする。


 プラチナの宝剣を片手にアンネローズが宿から通りに出ると、死神たちの視線がアンネローズに集まった。

 というより、死神たちはアンネローズの気配を捉えていたのか、外に出る前からアンネローズのほうを向いていたようだ。

 ダンジョン内では探索者の前に壁すら飛び越えて現れるのだから、今さら驚くようなことでもないだろう。


(ますます逃げ道がなくなったわね)


 壁越しにでも気配を捉えて追ってくる相手から、逃げられるとは思えない。


 アンネローズたちが外に出るまでのあいだに死神はさらに数を増やしていた。

 数えてみると、全部で十三体もいる。

 黒い襤褸、されこうべの眼窩の奥から赤い光を向けてくる死神たち。


「わたくしに何か御用かしら?」


 他に言葉が見つからず、単刀直入にそう聞いた。


『アンネロ、ーズ』

「はい、いかにも。わたくしがアンネローズですが」


 この街では「アンネ」と名乗っているが、今は人の耳がないのでいいだろう。

 遠巻きに様子を見ている人たちも、死神を恐れて近づいてくる様子はない。あの距離からではこちらの話は聞こえないはずだ。


『アんネローズ』

「ええ」

『アンネろぉズ』

「そうですが、ご用件は?」

『アんんんネ、ローズ』

「名前に溜めを入れられても困りますわ」


 死神は、どうもそれ以外の言葉がしゃべれないようだ。


「わたくしの言うことは理解できているのですか?」

『アんネ、アンネ』

「そんな、『うん、うん』みたいに活用されても困るのですが」


 なんとなくだが、通じているという感触はあった。

 犬や猫、馬のような動物と似ているようにも思うが、アンネローズの言葉の「意味」もある程度は伝わっている……と思う。

 というか、そういうことにしておかないと、話がまるで進みそうにない。


「昨日の報復にいらっしゃったのですか?」

『あーンね、アーンネ』

「…………たぶん『違う』とおっしゃっているのね?」

『アんネ』

「他の御用というと……なにかしら?」


 相手はしゃべれないのだから、「はい」か「いいえ」で答えられるように聞く必要があるだろう。

 だが、そんなうまい質問を思いつけるのであれば、既に半分答えに達しているようなものである。


「お嬢様。死神たちは、どうもひざまずいているようではありませんか?」

「ひざまずいて?」


 クレアに言われて、アンネローズは気づく。

 黒い襤褸に覆われてわかりにくいが、死神の頭の位置が昨日よりも低い。

 クレアは「ひざまずく」と言ったが、襤褸の下に「膝」があるかどうかは怪しいものだ。

 昨日戦いの最中に見た限りでは、襤褸の中は頭蓋骨以外にも上半身の骨があることはわかってる。ただ、腰から下の骨はなさそうだ。

 死神が物理攻撃の効かない幽霊のような存在なのだとすれば、全身の骨が揃っていなくてもおかしくはない。というより、骨に見えている部分にも物理的な実体はないのだろう。実際、剣で斬っても魔法を撃っても骨には傷一つつかなかった。


 ……それはともかくとして。

 言われてみれば、なんとなくひざまずいているように見えなくもない。

 アンネローズを中心に、十三体の死神が、半円を描くような位置でひざまずいている――


 アンネローズは激烈に嫌な予感がした。

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