第26話
アンネローズは、ほとんど単独で、サイローグダンジョンを奥へと進んでいる。
最初はアンネローズが危険な状況に陥ったらすぐに助けるつもりでいたクレアだが、一向にその機会が訪れない。時間とともに安定感が増しているほどだ。
「……呆れましたね」
クレアは、
クレアの視線の先では、アンネローズがハウンドドッグとジャイアントバットの複合群れを余裕をもって蹴散らしていた。
その戦いぶりは、探索者ギルドの基準で(厳密には地区により基準は違うが)
しかも、アンネローズは今のところ切り札である
クレアはてっきり、アンネローズは自分の
最初に本人が言っていたとおり、
「現状でも、そうそうお嬢様を害せるものはいないと思いますが……」
いるとしたら、強力な
この二名にしても、一対一の状況で
もし二人が結託してかかってきたとしても(両家の仲の悪さを思えばありえないだろうが)、
それぞれ百の戦力を二人がもつとすれば、二人が同時に敵意を向けてきた場合、アンネローズに上乗せされる戦力は合計二百。アンネローズ自身のもともとの強さも合わせれば、二百よりも大きいということになる。
二人で百ずつの戦力と、一人で二百以上の戦力――どちらが強いかは状況にもよるが、一対二の戦いでも、瞬間的に一対一となるタイミングは必ずある。その瞬間にはアンネローズは二人のうちのどちらかに二倍以上の戦力をぶつけられる計算だ。
しかも、アンネローズの側には、アイザックに魔法を、シモンに
むしろ、二人に結託してかかってこられるより、一人ずつかかって連戦での消耗を狙われるほうが、アンネローズにとっては面倒かもしれない。
一人ずつでかかる場合であっても、上乗せ分の百とはべつに、アンネローズ自身のもともとの強さも考慮する必要がある。
同じ
生まれ持った力の差というよりは、戦争や治安維持においては男性が矢面に立つべきという社会通念がこの世界にもあるからだ。
結果、男性の
アイザックやシモンのような実力行使を期待される貴族家の嫡男となればなおさらだ。
クレアも彼らの実力を正確に知っているわけではないが、
「彼らを百として、
クレアの見るところでは、女性の貴族としては既に国内でもトップクラスの戦闘力があるだろう。
アイザックやシモンを一対一で相手取るとしても、
しかし、アンネローズはそれでは不満らしい。
「いったいお嬢様は何と戦われるおつもりなのでしょうか」
聡明なアンネローズが、ただの酔狂や、思春期にありがちな自己顕示欲でこんなことをしているとはおもえない。
だが、ダンジョンに潜るという危険に見合うだけの「成果」など、そうそうあるものではない。
逆に言えば、リスクを承知の上でなお、力を得なければならないとアンネローズは考えたということだ。
アルバ王国有数の戦力であるアイザックやシモンといった高位貴族の嫡男と直接対決しても、まず負けない。
そのことは、アンネローズにも当然わかっているはずだ。
だとすれば、アンネローズはもっと危険な相手との戦いを想定していることになる。
それが具体的にどんなものかクレアには想像もつかなかったが、
「……これは、私も覚悟を決めねばなりませんね」
格下の
サイローグに数名しかいない
もちろん、自主的な訓練は欠かしていないが、実戦における勘は、やはり実戦の中でしか磨けないものだ。死線をかいくぐることでしか身につかない感覚というものが、たしかにある。
アンネローズがこれほどまでに力を求めているということは、クレアですらカバーしきれない危険がこの先に待っている可能性が高いということ。
アンネローズがそれに対抗する力を得ようとしているのに、その侍女であるクレアが拱手傍観しているわけにはいかないだろう。
それに、
「……お嬢様の戦いぶりを見ていると、私も気が昂ぶってまいりました」
半ば休眠していた闘争本能が、身体の奥でうずいている。
頭の芯が熱くなり、胸が高鳴り、丹田が鈍いしびれのような重さをもつ。
アンネローズと戦ったとして、自分はどのようにして勝つか? いつのまにかそんなシミュレーションを始めていた自分に苦笑する。
「ふう。今の戦いはどうだったかしら?」
「申し分のない戦いようでございます、お嬢様。ただ、反応速度と体さばきが良すぎるがゆえに、不要なリスクを負われる傾向がございますね」
「どういうこと?」
「敵の攻撃をギリギリでかわし、カウンターを狙うという方法は、たしかに効率がいいでしょう。しかし、かわしそこねた場合に総崩れとなるリスクがございます」
「なるほど。わざわざ引きつけてカウンターを狙わなくても、初手で圧殺したほうが手っ取り早くて安全よね。逆に、どっしり構えて安全を確保しながら封殺するという発想もいいわ。戦い方が安定するし、何より常に気を張っている必要がなくなりそう」
「そういうことでございます。長丁場でいつまでも高い集中力が保てるわけではございませんので」
「安全を確保した上で楽な戦い方を選ぶ、か。参考になるわ」
感じ入った顔でうなずくアンネローズに、
(まあ、そんな戦い方ができるのは
と、クレアは内心で付け加える。
自分より明確に弱い相手にしかそんな戦い方はできないのだ。
既に強者としての戦い方を身に着けつつあるアンネローズに、感心するというよりも呆れてしまう。
「……どうも
ぼそり、とつぶやいたアンネローズの言葉は、クレアには聞こえない。
アンネローズの言葉の意味は、「
実際には、際どいといっても反射速度や体さばきにはまだまだ余裕があり、そのことはクレアもわかっている。現状ケチのつけようのないアンネローズの戦いぶりに、クレアがなんとかひねり出した、「しいていえば」のアドバイスだった。
「ところで、こんなのを拾ったんだけど」
と、アンネローズが手にしたものをクレアに見せる。
全長30センチほどの熊をかわいらしくアレンジしたぬいぐるみだ。
熊型の
もっとも、ダンジョンでドロップするアイテムに「製作者」などというものがいればの話だが。
「アイテムでございます」
と、当たり前の答えを返すクレア。
「それはわかってるけど……やっぱり、用途はないのかしら?」
「ええ。残念ながら
「でも、不思議と大事なもののような気がするわ」
「たしかに、アイテムを拾うとそのような錯覚を抱きます。しかし、ダンジョンを出て冷静になってみれば、用途がないのはあきらかです。中には、このアイテムは重要なはずだ!と信じ込み、商人に無理な買取を迫るモグラもおりますが、重大なマナー違反であることをご理解ください」
「なるほどね。だけど、不思議な話よね」
アンネローズが言った。
不敬ながら、正直、「またか」とクレアは思った。
ダンジョンに入ってからというもの、アンネローズはことあるごとに「不思議」を連発している。
たしかに、ダンジョンの出入りに伴う地図の矛盾も、
だが、それはそういうものなのだ。
アンネローズに指摘されれば、なるほど不思議だとは思うものの、クレアにはどうしても、その疑問を掘り下げてみる
そんな内面が顔に出てしまったのか、
「ごめんなさい、クレア。たいして重要なことじゃない。そのとおりだと思うわ」
と言って、アンネローズが引き下がる。
だが、アンネローズに納得した様子はない。ただ、クレアをこれ以上苛立たせないよう気を使っただけだろう。
主人にそんな気を使わせるなど侍女失格だ――クレアは首を振って表情を取り繕う。
(しかし、私はなぜ、害などないはずのお嬢様のご指摘に、こんなにも苛立ってしまうのでしょうか?)
その点だけは奇妙だと、クレアも認めざるをえなかった。
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