第47話

 ダンジョンからの生還を果たした翌朝。


「ふぁぁぁ……む……」


 令嬢らしからぬ声を漏らしながら、アンネローズが目を覚ます。


 ダンジョンから帰還したあと。

 アンネローズたちはティエナと分かれ、宿へと帰った。

 行方不明となっていたティエナは宿に戻る前に所属ギルドに報告に行くと言っていた。なお、ティエナの宿はアンネローズたちの宿とは別らしい。


 食事を摂る余力もなく、アンネローズはベッドに倒れ込むように眠っていた。

 クレアにも自分の世話はいいから寝るように、などと言った覚えがある。

 ……が、あのままの格好で眠ったはずなのに、アンネローズはちゃんと寝間着に着替えている。身体がべたついていないことからして、クレアがアンネローズの身体を拭き、寝間着を着せてくれたのだろう。汗と埃にまみれていた長い髪も、ある程度は綺麗に整えられていた。


「お目覚めですか、お嬢様」


 ちょうど部屋に入ってきたクレアがそう言った。

 クレアは水の張られた大きなたらいを抱えている。


「クレア」

「お髪を綺麗に、と思いまして」

「もう、世話を焼かずに寝るように言ったじゃない」

「わたしはお嬢様の侍女ですから。それに、この街で夜番を置かないわけにもいきません」

「え、まさか、寝てないの?」

「いえ、仮眠は取らせていただきました。眠っていても人の気配には気づきますので」

「それなら言ってくれればよかったのに。今わたくしがここにいるのは、探索者としての実力を高めるため。あなたに教えてもらう立場なのですから、夜番も平等に……いえ、わたくしのほうが多く務めるべきです」

「お嬢様。そのお心がけは立派ですが、事実誤認がございます」

「あら、何?」

「探索者の場合、師弟であっても、夜番は平等、あるいは、余裕のある側が行ないます。つまり、師匠側がやることが多いわけです」

「へえ……」

「弟子のほうは、慣れないことの連続で緊張しっぱなしの状態です。そのようなものに夜番を任せては、反動で居眠りしないとも限りません。また、慣れたもののほうが危険の兆候を見逃さずに済むでございましょう」

「合理的なのね。たしかに、まだ探索に慣れていない弟子に見張りをさせても、疲れさせるばかりで役には立たないかもしれないわね」

「お嬢様が役に立たないと申しているのではありませんよ? 余力のあるほうが負担するべきというだけの話です」


 言いながら、クレアは湯浴みの準備を整えている。

 湯浴みといっても、たらいの水に宿の厨房で沸かしてもらった湯を少し入れ、ぬるくした程度のものである。


「クレアは?」

「お嬢様が眠っていらっしゃるあいだに済ませました」

「わたくしの身体も拭ってくれたみたいね」

「簡単に、ではありますが。お髪のほうは満足のいく手入れはできていません」

「わたくしが眠ったままではそこまでは無理よ」


 アンネローズは寝間着を脱ぎ、まずは顔を洗い、タオルに湯を浸して身体を拭く。

 ところどころ、湯が沁みた。


「ああ、お嬢様のお綺麗な肌が……。治癒師に見せなければいけません」

「治癒魔法も自弁で覚えてしまいたいわね」


 ティエナは、治癒魔法や防御魔法といった、いわゆる「白魔法」を得意としているようだった。

 時間遡行前のアンネローズは、ある程度の黒魔法とそれなりの剣術が使えた。

 それに比べると、「今回」のティエナはあきらかに意識して実力を高めているようだ。

 「前回」のティエナと比べてすら、「今回」のティエナのほうが、実力面でははるかに上だ。

 「前回」のティエナと来たら、パーティを組んだ「攻略対象」たちに自分をかばわせるばかりで、探索や実力の向上に感心があるようには見えなかった。

 要するに、アンネローズもティエナも、三年後であるはずの「前回」より、「今回」の今のほうが強いのだ。


「確かめないといけないわね……」


 ティエナは、別の世界からの転生者だと言った。

 この世界はティエナが元いた世界に存在した乙女ゲーム『ラブ戦争ウォー迷宮ラビリンス』にそっくりだという。

 突拍子もない話ではあるが、カジノの存在やプレゼントアイテムの効果を知っていたことなど、ティエナの話を裏付ける証拠は、昨日だけに限ってもたくさんある。


「確かめる、ですか? ティエナ様の、あの荒唐無稽なお話のことでしょうか」

「その話自体は、信じてもいいと思うの。今のところ事実に反することはないし」

「事実に反していないからといって、事実そのままとは限りません。事実に即した形でそれらしい話をこしらえあげることは可能です」

「たしかにそうだけど……。ねえ、クレア。ティエナさんの話は、そんなにも『それらしい』話だったかしら?」

「そ、それは……」

「それらしい話をでっちあげるなら、異世界だの転生だのといった受け入れがたい話を持ち出す必要はないわ。その上、ただの異世界ではなく、異世界にあった女性向けゲームの世界だ、などと、話を複雑にする必要もないでしょう」

「……おっしゃるとおりです」

「もちろん、軽々に信じられるような話ではないけれど……『今回』のティエナさんの言動を見ている限りでは、彼女がそんな天才的な詐欺師のようには思えないのよ」


 「前回」のティエナなら、そうした嘘をつくこともできたかもしれない。

 ただ、「前回」のティエナには、ここまで複雑怪奇な作話はできなかっただろう。この世界で最高の脚本家を連れてきたとしても、こんな話は作れないはずだ。

 それこそ、本当に異世界からやってきたのでない限り、これほどに入り組んだ――悪く言えばひねくれた――話を思いつくことは不可能だ。


「ティエナさんの話の一部が嘘だったとしても、ティエナさんが異世界からの転生者であるという部分は、かなり信じられると思うの。そうでなければ、そんな嘘をつくことすら難しいはずでしょう」

「そう、ですね。正直、想像を絶する話です。この世界の人間が一朝一夕に思いつくものではありません」

「この世界の文学にも、さまざまな空想があるわ。その中には奇怪な妄想も含まれている。それでも、それらはこの世界の文明を土台として生み出されたものにすぎない。ティエナさんの話は、この世界とは異なる文明を前提にしなければ思いつきえないもののように思える」

「それを、確かめる、とおっしゃるのですか?」

「いえ、それは確かめようのない話ね。だから、ひとまず信じることにする。話を、というより、昨日一緒に死神と戦ったティエナさんを」

「たしかに、あまり嘘が得意そうには見受けられませんでしたね」

「そうよね」


 アンネローズはくすりと笑った。


「プレゼントアイテムを手に入れるためにやってきたはずなのに、結局はそれを遣い潰してしまうし。死神を前に、出し渋るどころか、自分から『使いなさい』とおっしゃったわ」

「……まあ、そのような怪しげなアイテムで男性を誑かそうというのは感心できませんが」

「そこが妙にミスマッチなのよね。でも、本来の彼女と『ラブラビ』のティエナの性格に乖離があるのだとしたら、それなりに納得はいくわ」

「元の世界に恋人がいらっしゃったのでしたね」

「……お辛いでしょうね」


 どうもティエナは元の世界に戻るためにこの「ゲーム」を「攻略」する必要があると考えているらしい。


「わたくしが確かめたいと思ったのは、それとは別のことなの。ただ、このことはクレアにもまだ話していなかったから。まずはクレアに話させてもらうわ」

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