第21話

 サイクスがサイローグの地図をテーブルに広げる。

 その地図のいくつかの地点を指差してから、


「ダンジョンの探索は、好きにやってもらってかまわない。もちろん、入っていいのは、F ギルの管轄してる通用口と、どこの所属でも使える正規入口だけだがな」


「わかった」


「通用口と正規入口のちがいは知ってるか?」


「ええ。クレア姉さんに聞いたわ」


「説明してみろ」


「正規入口というのは、このダンジョンに最初からあったとされる入口のこと。通用口というのは、階層開放後に最上層を崩したことで露出した、下層へと続く直通の入口のこと」


「まあ、いいだろう。正確には、階層解放後にも最上層の外縁はまだ生きてるから、そっちへの直通穴も通用口に含まれるがな」


 サイクスがあえてアンネローズに説明させたのは、新人への一種のテストなのだろう。クレアもアンネローズの答えを確かめるように聞いていた。


「階層開放については聞いてるか?」


「次の階層への通路を塞ぐ強力な禍獣カースドを倒すと、その階層はダンジョンとしての機能を停止する」


「ダンジョンの機能の停止ってのはどういうことだ?」


「主に二つね。ひとつは、湧きポップの枯渇。禍獣カースドが新たに湧かなくなるわ。もうひとつは、ダンジョンの迷宮機能の停止」


「ダンジョンの迷宮機能とは?」


「ダンジョンは、人が入るたびにその構造を変化させる。だから、ダンジョンのマッピングは、ダンジョンに入り直すたびにやり直す必要がある。階層が開放されると、その迷宮機能が効力を失う」


「完っ璧だな、おい」


 サイクスが目を丸くした。

 ダンジョンについての知識は、クレアから聞いたものではない。「前回」貴族学院で学んだことだ。

 そのせいか、アンネローズの回答は、学院の論述試験の模範解答じみたものになっていた。


「じゃあ、サイローグがこんな穴ぼこの中にある理由もわかってるか?」


「ええ。階層開放によって迷宮機能を失った階層は、壁や天井を壊せるようになるわ」


 逆に言えば、ダンジョンが「生きている」あいだは壁や天井は壊せない。

 一部の禍獣カースドには壁を壊すものがいるが、人間には不可能だとされている。


「そうして最上層を開放してはそのダンジョン遺構を取り壊してスペースを確保する。そのスペースに、取り壊しで得られたダンジョンの壁だった瓦礫を使って建物をつくる」


「そのとおり。知識は十分だな。クレアの薫陶が行き届いてんな」


「アンネ本人の努力よ」


 クレアがそう言って肩をすくめる。


「新しい通用口が見つかったり、奥の状況が変わったりはしてないのかしら?」


「ああ。罠や禍獣の種類にも変化はねえ。ボスを見つけたって話も聞かねえな。階層開放はまだ先だろう」


「むやみに開放しても、現在の居住区が地盤ごと崩れる危険もあるものね」


「このクソ街はダンジョンの真上にありやがるかな。現在の最上層が攻略されて迷宮機能が止まったら……クソいい加減に積み上げただけのウワモノが総崩れだ」


 アンネローズはここに来るまでに見た建物のことを思い出す。

 公爵令嬢として建築には一定の知識がある。最近は公爵家の家宰からの教えも受け、建築や土木工事の仕事の流れや注意点なども把握した。

 そのアンネローズの目からすると、この街の建物は、


 ――本当に瓦礫を積み上げただけ、といった感じだったわね。


 迷宮機能の止まった階層を取り崩して出た瓦礫は、元ダンジョンの壁だけあって、丈夫な上に、まったく同じ大きさの直方体になっている。

 そのため、素人でも積み上げやすく、この街では建材として再利用されている。というより、この街の周辺には他に建材にできるような木材や石材の産地がない。


 だが、こんな街に本職の大工が寄り付くはずもない。

 基礎工事などという概念はなく、ブロック同士の接合もいい加減。

 それでも接合してあるならいいほうで、ほとんどの建物はなんの接合材も挟まずにブロックをただ積み上げただけというありさまだ。

 これでは、子どもの積み木と大差がない。


 階層開放によってどの程度地盤が弱くなるのか、アンネローズには予測がつかなかったが、この街の建物が崩れやすそうなのは見ればわかる。


「それでも、階層開放を夢見る連中はいる。より深い階層に潜れば、あっと驚くようなアイテムが手に入るんじゃないか……。そうなれば、このクソったれのサイローグソでクソにまみれてモグラなんぞ続ける必要はねえってな」


 サイクスの言葉に、クレアがうなずく。


「A ギルやDギルにはそんな連中が多かったわね。さいわい、彼らの押さえてる通用口からでは今の最上層のボスは発見できなかったみたいだけど。まだ諦めてなかったの?」


「いや、諦める流れにはなってたんだ。だが、そこであの女が現れてよ。もっと下層に行きたいっつって、男たちを焚き付けて……結果、自分が遭難だ」


「たまにいるわね、そういう手合いは」


「このクソ迷宮が正真正銘クソだってことがわかってねえんだよな。このクソは徹頭徹尾クソなんだよ。クソの奥に希望なんてありゃしねえんだ」


「ま、現実が受け入れられない人たちのことなんてどうでもいいわ。それより、どうせ探索するのだから、クエストがあれば受けるけど?」


「おっ、そうだな。じゃあ、これなんてどうだ?」


「そうね。まあ、いいかしら。報酬は物足りないけど」


「これと同時に片付けてくれるなら色を付けてやるよ」


「いいわ。それから……」


 クレアとサイクスが実務的な話に没頭する。

 クレアから必要なことは聞いているとはいえ、よそ者のアンネローズでは二人の話についていけない。

 手持ち無沙汰になったアンネローズは、サイクスがテーブルの上に広げた資料に目を落とす。

 なにげなく見たクエストの依頼書の下に、人相書きのようなものが隠れていた。

 顔を斜めに隠され、鼻から下と片耳が見えるだけの人相書きに、アンネローズの目が惹きつけられる。

 気づけば、アンネローズは勢いよく手を伸ばし、その人相書きを引っ張り出していた。

 手にした人相書きを食い入るように見て、アンネローズは硬直した。


「……アンネ?」


「なんだよ、おい。びっくりするじゃねえか」


 クレアとサイクスが言って、アンネローズのただならぬ様子に目を丸くする。


 人相書きに描かれていたのは、ゆるふわのウェーブヘアーをした、目が大きくて鼻が小さい、かわいらしい少女の顔だった。

 もちろん――アンネローズのよく知る顔だ。


「……ティエナ!」

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