第22話 後輩は思ってる。せんぱいは……カッコいい、です

 昨日、凛々花と約束した一緒にお勉強を遂行するため、放課後になると俺達は図書室まで足を運んでいた。


「図書室は俺達と同じように勉強するために利用したり、静かに読書をするために利用する場所だからな。中では騒がずに静かにしてるんだぞ」

「分かってますよ。私をなんだと思ってるんですか?」


 心外です、と頬を膨らませてぷいっと凛々花はそっぽを向いた。

 自分が子犬みたいにうるさいって自覚はないのか。


「とりあえず、お口は極力チャックな」


 そうして、図書室のドアを開けた。

 中には同じようにテスト勉強をしている生徒や読書をしている生徒が見受けられた。数は思ってたよりは少なく、凛々花と一緒にすんなりと座ることが出来た。


 凛々花は図書室に初めて来たみたいに首をキョロキョロとさせて目を輝かせた。なんでも新鮮に見えて輝かしいんだろう。可笑しな話だ。学校案内で一度は来てるはずなのに。

 それに。


「なあ」

「ひゃっ!」


 迷惑をかけないように耳元で囁こうとしたら可愛い声が漏れた。左耳を手で隠しながら訝しげな目を向けられる。

 耳が弱いとこうなってしまうのか。また、二人きりの時じゃないって怒られる。

 そう覚悟しても図書室という場所が凛々花に大声を出させないようにしてくれたのか、ぷるぷる震えるにとどめてくれていた。


 一応、謝っておこう。ちゃんと耳に息がかからない場所から。


「悪かった。ここまだでと思わなかった」

「せんぱいは私を辱しめたいんですか?」

「違う。気になったんだよ。凛々花が隣に座ってるから」


 そう。元を辿れば俺の正面の席だって空席なのに凛々花がさぞかし当たり前のように隣に座ったのが疑問に思ったからなのだ。


「だって、小声で話すんだからこの距離じゃないと聞こえないじゃないですか。せんぱいの耳は特に近くで話さないといけないみたいですし」


 聴力検査で異常なしって出てるんだけど、なんか拗ねてるみたいだし言わない方が良さそうだ。

 凛々花は手を俺のふとももにつきながら、迫るようにして体を乗り出して距離を縮めてくる。

 昨日も嗅いだ良い匂いが鼻を通り抜ける。


「ね、こうすれば大切なことを聞き逃したりすることもないですよ?」


 そうして、小さな声で囁いた。

 そんなに大切なことを図書室で言う必要はないだろうと思いつつ、にっこりと笑う凛々花を見れば頬を赤らめている。

 恥ずかしいくせに意地らしいというかなんというか……とにかく、何か言いたい時のためだろうと首を縦に振った。


「じゃあ、勉強するから凛々花は自由にしててくれ。騒がないようにな」


 最後にもう一度注意しておくと凛々花は親指を立てて俺から離れた。


 さて、学生の本分は勉強だと誰かが言ったので学生らしくまっとうしようとノートを広げて授業の復習をしていく。

 テストなんてのは復習をしっかりしてさえいればあらかた乗り越えられるように作られている。

 そこから、上位を目指すには応用問題を解いたりしてレベルアップを志すだけで良い。


 テスト、となると難しい印象を受けるが学校内でのテストなんて案外そんなものだ。入試でもないのだからそんなに気構える必要はない。


 ふう。半分は済んだかな。凛々花の様子はどうかな。静かしにしているようだけど。


 隣を見れば、凛々花と目が合った。


「何か言いたいことでもあった?」


 気を遣って待ってくれていたんだろうか。

 しかし、凛々花は首を横に降った。


「勉強してる時のせんぱいってキリッとしていて……カッコいい、なぁって」


 カアッっと顔が熱くなるのが分かった。

 いや、顔だけじゃない。体が熱い。病気で寝込んでいる時と同じくらい熱い。


 カッコいい、なんて初めて言われた。


「……あの、何か言ってくださいよ」

「その、なんていうか……俺に似合わない言葉だなって」


 自分の見た目がモデルのようなイケメンでないことは分かっている。だからって、不快感を与えるようなものでもないと自負してはいるけど凛々花のように整った顔つきはしていない。


「そんなことないですよ。せんぱいは……カッコいい、です」

「お世辞でも嬉しいよ。ありがとな」

「お世辞じゃないです」


 凛々花はさっきと同じように近づいて、適当にあしらった俺の目を捉える。その目は僅かに潤んでいて、頬は赤く色づいている。


「いつも、なんだかんだ私の無茶を聞いてくれたり私のことを考えたりしてくれる。そんなせんぱいのことを私は素敵だと思っています」

「なんで……なんで、そんなこと今言うんだよ」


 そんなの言われたから覚えた内容全部忘れたじゃないか。これから覚える内容覚えられないじゃないか。


「せんぱいに覚えていてほしくて。人は見た目じゃないってことを」

「今ので感動が半分失われたわ」

「でも、私がせんぱいをカッコいいって思ってるのは本当ですから。今のところは」


 今のところは!? 今後はどうなるか分からないってこと!?


「ところで、せんぱいはメガネかけたりしないんですか?」


 露骨に話題を変更してきた。

 ありがたく乗っからせてもらおう。


「お生憎と視力も特段問題はないんだよ。それに、メガネをかけたら成績が上がるなんて甘いことはないからな?」

「なんのことか分かりませんね」

「めっちゃ泳いでるぞ、目」


 嘘を見抜かれたくないのか両手の指で一つずつ輪っかを作るとメガネのようにして目にもっていく。


「メガネをかけたらせんぱいもイケメンになるんじゃないですか?」

「メガネにはそんな魔法もないんだよ。凛々花には似合うだろうけど」


 美少女にはなんでも似合うからズルい。

 凛々花の場合、変な被り物を頭に乗せても絶対に可愛いだろうな。


「せんぱいって私に監視カメラ仕掛けたりしていませんよね?」


 さっと自分の体を腕で抱きながら距離を取る凛々花。ここが図書室でなければ大声を出していた所だ。


「私、家ではメガネなんです。それを監視してるからそんなことが言いきれるんですね」

「あのさ、一人で誤解して一人で解決しないでくれる? 単純に可愛いから似合うだろうなって思っただけだ」

「もう、せんぱいの創造力には呆れてしまいます。私のこと、好きすぎじゃないですか」


 その場のノリみたいな軽口だと分かっていても咄嗟に返事が出来なかった。

 早く肯定か否定しないと気まずくなるって分かっているのになんて答えるのが正解なのか分からない。


「あ、あの~、早く何か言ってくれないませんか? 私が恥ずかしいんですけど……」


 そんなのは空気から察している。でも、どっちを答えても結局気まずいだけにしかならないって気づいたんだよ。


「あの、私本棚見てきますね!」

「あ、ああ。ゆっくり、見てればいい」


 耐えきれなくなったのか、逃げるように凛々花は席を立って本棚の方に向かっていった。


 額に手を当てて、ふうと溜め込んでいた息を吐く。

 どう、思われただろうか。

 肯定も否定もしなかった。すれば、気まずくなってたし、軽いつもりで言ったのに本気になって可愛いですね、と有耶無耶にされていたはず。

 でも、何も言わないのはそれはそれで印象が悪いんじゃないか? 俺が良く思ってないって誤解を与えたんじゃないか? だから、逃げ出したんじゃないか?


 あり得る。十分にあり得る。こうしてはいられない。


 机に勉強道具を広げたまま、俺も席を立って凛々花の跡を追った。


 図書室は広く、本棚はいくつも列をなして設置されている。

 その一列を確認しながら凛々花を探した。


「いた」


 凛々花は気になった本があったのか踏み台に足を乗せながら、それでも届かないのか苦しそうな表情をして腕を伸ばしていた。


「凛々花」

「え、せんぱい? どうしたんですか?」

「さっきのこと……その前に、俺が取るからそこ変われ」

「大丈夫です。もう少しで届きますから」

「落ちたら嫌だろ。頼れよ」


 しかし、頑固な凛々花が頼る気配はなく、顔を赤くしながら奮闘していた。


 はあ、無理なら無理って言えばいいのに。本が取れなかったからって図書室を征服出来なかったことにはならないんだしさ。負けた気分にはなるんだろうけど。

 それでも、落ちて痛い思いはさせるよりはましだよな。


「暴れるなよ」

「えっ――きゃっ。な、何をするんですか」

「無理やり下ろす」

「だ、だからってどこを触ってるんですか」

「横腹」

「言わなくていいです!」


 凛々花の細い体を持ち上げるために腕に力を込める。夏服で生地が薄くなったからか、柔らかい感触がより一層伝わってくる。

 けど、これは余分な肉がついてるからって感じじゃないよな。なんていうか、素の柔らかさっていうか……やば、意識したら手が震えてきた。


「あ、暴れるなって」

「あ、暴れてなんていません。せんぱいの腕力の問題です。震えているじゃないですか」

「凛々花の足だって動いてることに気付け」


 わちゃわちゃと責任を押し付けあって、暴れていると足場が頼りないこともあって。


「「あ」」


 凛々花がバランスを崩し、後ろに倒れてくる。まるで、スローモーションのようにゆっくりと感じたのは支えようとして俺までバランスを崩して天井が見えていたからだろう。

 とにかく、凛々花のことだけは守らないとダメだ、と手探りで腕を動かして、背中に受ける衝撃に目を閉じた。


「いっつ……」


 大きな音と共に背中に衝撃が走った。

 見上げれば天井が見えていて、腹部には凛々花の重みを感じる。

 どうやら、守ることだけは守れたようだ。


「……こんな時になんだけど、さっきの凛々花のことが好きすぎるって話」


 顔を見て伝えるべきだってことは分かってる。でも、気まずさとかを気にしている俺にはそこまでハードルが高いことは今はまだ出来ない。

 情けないけど、まだ征服出来たっていう確信が持てないから。


 だから、肯定もしなければ否定もしない。

 時間がかかっても肯定を伝えるようにしていきたいから。


「俺が凛々花のことをどんな風に思ってるかってのは――」


 緊張して自然と腕に力が入る。

 それと、同時に腕の下で凛々花の腹部を感じた。

 そして、左手には特別柔らかい何か。


「あっ……ちょっ……」


 手のひらにすっぽりと収まる程度の大きさでふにふにと確認する度にその柔らかさを一段と感じる。

 なんだ、これ……全然、わかんねぇ。


「せ、せんぱい……や、やめて……」


 逃げるようにして、ずり落ちた凛々花は腕で胸を隠すようにして涙目になっていた。頬は真っ赤になっていて体は小刻みに震えている。

 それで、俺が何を触っていたのかはすぐに検討がついた。


「ご、ごめん。本当にごめん」


 床に手をついて土下座した。


「大丈夫ですか?」


 倒れた音を聞いて駆けつけてくれた図書委員の目にはなんとも言えない光景だったということが「うわぁ……」という言葉で察することが出来た。

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