第39話 後輩を招く。せんぱいのこともっと知りたいです

 昼食を完食した後、洗い物ぐらいはさせてくださいと譲らなかった凛々花と一緒に食器を洗っていた。

 キッチンで二人横並びで凛々花が食器を洗って俺がそれを拭いていく。


「はい、せんぱい」

「もうちょいゆっくり。早い」

「せんぱいがペース合わせてくださいよ~」

「やたらと洗い物だけは上手だな」

「ふふん。これくらい、お手伝いしていれば身につきますよ……って、洗い物だけってなんですか!」

「あ、気付いたか。悪い」

「ふーんだ。せんぱいはもう少しお手伝いした方がいいと思います」


 べー、っと舌を出しながら不服を示してくる凛々花。母さんに見えないように足も弱めに蹴ってきやがった。


 仕返しだ、と同じくらいの強さで蹴るというよりはほとんど当てるだけの強さで凛々花の足と蹴り合いを繰り返していれば。


「……同棲中のカップルみたい」


 ボソッと母さんがそんなことを呟いた。


 母さんからすれば、仲むつまじく洗い物をしているように見えたんだろう。下では争いを繰り返しているのだが。


 と、まあ、そんなことはどうでもよく。水を出しているにも関わらず、母さんの独り言をちゃんと聞き取ったらしい凛々花の足がぴたりと止まった。

 顔を覗き込めば徐々に徐々に白い頬に赤色を浮かばせていく。


 そして、つるっと泡で滑りやすくなっていたコップを手から落とした。


「あぶねっ」


 プラスチック製で割れることはなくても落とせば落ちる前に拾おうとするもの。ガシャンと音が鳴る前に手を伸ばしてどうにかキャッチした。


「す、すいません」

「……ほんと、見てないと危なっかしいな」


 コップだったから良かったものの、これが包丁とかだったらかなり危険だった。


 真っ赤な惨劇を見ずに済んでふうと息を吐く。


「手伝ってるけど……気、つけろよ」

「は、はい。ということで、コップを洗いましょう」

「俺の手を一緒に洗う必要はないな」


 コップについた泡を流そうとして俺の手も何故か凛々花に洗われた。柔らかい手に包まれてにぎにぎされてもう意味が分からない。


 そんな、俺達を見ていた母さんがまたボソッと呟いた。


「やっぱり、同棲中のカップルみたい……」


 その考えが既に頭の中にあった俺は後で母さんにキツく言っておこうと決めた。



「せんぱいのお部屋……ドキドキです」

「入りたくないなら今すぐリターンしていいんだぞ。いや、むしろ、してください。ほんと、お願いします!」


 俺の部屋の前で目を輝かせている凛々花。まるで、未知の領域に足を踏み入れる前みたいにワクワクしているようで俺の叫びは聞こえていないようだ。


 はあ。ほんとに母さん……恨むぞ。


 洗い物が終われば母さんは凛々花を部屋に案内してあげなさいよ、と本当に要らぬことを口にした。

 自分の息子が部屋に何を置いているのかよく知っているくせにまったく酷い仕打ちである。


 断ろうとしてもすっかりその気になった凛々花に手をぐいぐいとされて、はやくはやくとせがまれれば逃げ道など存在しない。

 重い足取りで階段を登り、今ここにいるという訳である。


 ため息をつき、ドアノブに手をかける。


「……最終確認。ほんとにいいんだな?」

「部屋に入れる態度じゃないですね。私はせんぱいがどんなものを隠し持っていようと気に――」

「……ん、どうした?」

「いえ、せんぱいがどんなものを持っていても気にしないって思ったんですけど……悶々として結局気にしちゃうなって」

「別に、そんなやらしいものは置いてない」


 ただ、見られたらどんな反応されるか分からないから怖いんだ。絶対、気持ち悪いって思われるだろうから……。


「やらしいものはなくてもスタイル抜群のお姉さんの写真集とかあったら私に勝ち目はないですし……」


 首から下の自分を見て落ち込んだ凛々花。

 ついつい、後を追うようにして見てしまうと正直なところスタイルはまあ良くないな、と抱いてしまう。

 よく聞くボン・キュッ・ボンみたいじゃないし。引っ込んでる所は引っ込み、出てほしい所は僅かしか主張されていない。理想になるにはこれから急成長しなければならないだろう。


 でも、だからといって何なんだって話だ。


「凛々花は自分の見た目をもうちょい過信しろ。向かうところ敵なしだぞ」

「それは、せんぱいがロリコンだからです。世間でいえば、私なんてそこらの雑草です」

「卑下しすぎ。俺が可愛いって思ってるんだからそれで手を打て」

「ば、ば、ば、バカじゃないんですか!?」

「なんでだよ……俺だけじゃ足りないってんなら母さんに聞いてこい。べた褒めするぞ。てか、なんで俺が凛々花を連れてきたくなかったか分かってるか?」

「へっ?」


 そんなこと考えてもいなかった、と言いたそうな様子でアゴに手を当てる凛々花。

 ほんと、写真でも撮って自分がいちいち可愛いことしてるんだって教えてやろうかな。


「母さんが大の可愛いもの好きなんだよ。さっきの申し訳ない行動には頭を下げるけどあれも全部半分は凛々花が悪いんだからな」


 一般的に、可愛いってのは顔だけを見て判断されるものだ。見た目で判断するのが一番手っ取り早く、一目見て可愛いか否かを判断するのは男女共通認識としてされている。

 だが、何も可愛いってのは顔だけの話じゃない。見た目や仕草、言動だって含まれる。

 それに、人の趣向によっても区別される。


 結婚する相手や付き合う相手を顔だけで判断していれば生涯を添い遂げられるカップルはそういないだろう。きっかけが一目惚れだったとしても、内面を知ってそれでも可愛いと思えるなら本物だし、違うと思ったのならそれは偽物だ。


 凛々花は確かに可愛い。モテるような愛くるしい顔だ。でも、それだけじゃない。子犬のように俺に懐いてくれるのも、子供っぽい仕草も全部俺の好みで可愛いと感じる。


 つまり、俺の好みが凛々花だった。

 要はそんな簡単な話なのだ。


「聞いてる?」

「き、聞いてます……けど、ちょっと、耐えられなくて……」

「なら、もう帰るか? 送っていくし」


 どうにかして、最後の試みをしてみるも顔を真っ赤にさせた凛々花はふるふると首を横に振った。


「せんぱいの部屋を見ないと帰れません」

「そうですか……」


 どうやら、もう入れるしかないらしい。

 ええい、グダグダと悩んでいるよりとっとと入れてしまおう。やけくそだ、この際。


 覚悟を決めてガチャリとドアノブを捻る。

 思い切りドアを開ければ下から「三葉、うるさいよ~」と母さんの呑気な声が聞こえてきた。


 誰のせいだと思ってるんだ!


「どうぞ、お入りください」


 やや緊張した顔つきでゆっくりとパーソナルスペースに足を踏み入れる凛々花は中を見渡してきょとんと目を丸くした。


 まあ、そんな反応だよな。

 俺は自分の部屋に置かれている大量のぬいぐるみを見て、脱力したように力が抜けた。


 母さんの可愛いもの好きは今に始まったことではない。昔から、ずっとそうだった。

 俺が幼い頃、本当は女の子が欲しかった母さんは男である俺のことをこれでもかと可愛がった。

 幸いなのか、俺の顔つきは母さんに似て、子供の頃は女の子と間違えられることもあるほどだったらしい。


 小さい頃は何をされているのか分からず、構ってくれることがただ嬉しかった。けど、自我が目覚めたら流石にやめてほしくなる。


 母さんもそれは分かってた。小さい頃だけの期間限定のお楽しみだと言い聞かせていたらしく、すぐにやめてくれた。


 ただ、やっぱり、俺が女の子ならもっと一緒に可愛いものについて話したり、一緒にオシャレしたり出来たんだな、って考えていることが言われたことはないけど感じられた。


 だから、俺は出来るだけ母さんに話題を合わせた。オシャレは無理だから、母さんが気に入ってる可愛いものを教えてもらって付き合うようになった。


 俺と可愛いものについて話してる母さんはすごく嬉しそうで俺まで嬉しくなって、もっと色々と知ろうとした。


 その結果、俺まで可愛いものを好きになってしまった。


「キモかったらキモいって言っていいんだぞ……」


 普段から、この部屋に家族以外を入れることなんてない。もう、数年間は家族しか入っていない。


 だから、何も気にせず買ったぬいぐるみやクレーンゲームで取ったぬいぐるみを置いて眺めて楽しんでいる。


 俺が好きだから、自由にしている。

 誰にも文句は言ってほしくない。


 けど、そんな訳にもいかない。

 男子高校生が部屋にぬいぐるみを大量に置いてあるのは良い目では見られないのが現実だ。

 それを、俺は知っている。


 だから、誰も……特に、凛々花だけは部屋に入れたくなかった。母さんは凛々花なら大丈夫と思ったんだろうけど何を思うかは分からない。


 あはは、キッモ……とか言われたら、立ち直るまでに時間がかかるのは間違いない。


「せんぱい」

「な、なに?」


 こういうドキドキは嫌だ。怖い。


「可愛いものが好きなんですか?」

「……へ?」


 興奮した様子で聞いてきた凛々花に俺は拍子抜けした。別に、凛々花のことを酷いやつだとは思ってない。でも、ちょっとからかわれることくらいは覚悟してた。


 けど、両手を握りしめながら見上げてくる凛々花が意外すぎて気付けば頷いていた。

 すると、一段と凛々花の表情が明るくなる。


「私とお揃いですねっ!」


 あー、そうか。そう言えば、凛々花も可愛いものがいいって言ってたな。水筒とか傘の話でしか聞いたことがなかったからベクトルが違うものとして考えてた。


「お揃い、か……」

「どうしたんですか?」

「いや、てっきり引かれると思ってたから」

「引きませんよ。せんぱいだって、私がアニメ好きでも引かなかったじゃないですか」

「そうなんだけどさ……」


 どうにも歯切れが悪くなる。


「どうかしたんですか?」

「ううん、なんでもない」


 これは、凛々花にとっては関係のない話だから話す必要はない。


 気にさせないように笑顔を作れば、凛々花はいつになく真剣な目付きになって俺の手をとった。


「せんぱいは言いました。私のことをもっと知りたいから教えてくれって。だから、せんぱいも何かあるなら話してください」

「俺のは、本当にくだらない話なんだよ」

「それでも、私だってせんぱいのこともっと知りたいです」


 あの時、俺が凛々花を逃がさないようにしたみたいに凛々花も決して逃がしてくれそうな気配はない。


「分かった。でも、ほんとにくだらないから期待はするなよ。あと、立ち話もなんだしどっか座ってくれ」


 諦めると凛々花は部屋を見渡し、ベッドにちょこんと座った。

 ……警戒してないのか。まあ、いいや。どこに座ろうと自由だし。


 俺は椅子に座ると凛々花と向き合った。

 そして、ちょっとだけ昔話をした。

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