第3話 後輩は困る。急に撫でられると困ります

 教室の開かれたドアの影からこそっと顔を覗かせ、目的の人物を探す。彼女は窓際一番後ろの席という俺の座席と全く同じ場所で机に腕を枕にして突っ伏していた。

 寝てるのか。起こしたら悪い気がするけどどうだろうか。朝、そんなに眠たそうにはしてなかったけどな。

 そんなことを考えながら森下を眺めているとあの日の光景みたいで笑えてきた。


 見ず知らずの後輩にヤバい人だと思われないように声に出すのを堪えていると一人の女の子が教室から出てきた。

 その子を驚かせないように気を付けながら声をかけた。


「あの、ちょっといいかな」


 優しい声音を作ってみたがびくっとされ警戒するような目を向けられた。ちょっと、傷つくけど致し方ないと笑顔を浮かべる。


「あいつ……えーっと、森下凛々花を呼んでもらってもいいかな?」


 彼女は一瞬、森下を見たかと思えば気まずそうな表情に浮かべ、返事に困っているようだった。

 これは、断りたいけど相手が誰か分からないから断れない、って感じかな。優しいな。


「入ってもいいかな?」

「は、はい」

「ありがとう。ごめんね」

「失礼します」


 ようやく無害だと思ってくれたのか最後には笑顔を浮かべて去っていったのを見送り、教室に足を踏み入れた。

 入学したての一年生の教室に知らない人が入ってくるのはそれなりに警戒心を与えるものである。少なくとも、去年の俺は自分に用がないと分かってはいても体を強張らせていた。

 その経験を活かし、用事はさっさと済ませてしまおう。


 いくつかの視線を感じながら森下の肩を優しく叩く。

 すると、彼女は見慣れた俺でさえ驚くほど鋭い目つきで睨んできた。

 寝起き悪っ! 怖っ!

 しかし、それもほんの一瞬ですぐに目が丸くなり、どうして俺がいるのかと聞きたそうにしていた。


「せ、せんぱい!?」

「よ。今、大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですけど……ちょっと、こっちへ」

「あ、おい」


 森下に腕を引かれ、教室から連れ出される。その際に何故だか黄色い声が聞こえたが勘違いするな。そういうのではない。


 そのまま、廊下を駆け抜け誰もいない空き教室へと押し込まれた。


「な、なんなんだよ。いきなり」


 肩で息をしながら同じく肩で息をする森下に鋭い視線を返す。さっきのお返しだ。


「そ、それは、こっちのセリフです。せんぱいこそいきなりどうしたんですか?」

「いや……今日は悟が部活のミーティングで昼休み一人だから一緒にどうかと思って」


 気恥ずかしくなって頬をかく。

 上手に森下の目を見れない。

 仲が良いからといってこれは急すぎただろうか。森下にも一緒に食べてる相手がいるだろうし迷惑だっただろうか。

 そんなことを考えながらチラッと視線を動かすと森下と目が合った。


「せんぱい。ぼっち飯がそんなに恥ずかしいんですか?」

「そういう訳じゃねーよ。ただ、どうせ今日も来るんだろうしそれなら最初からでも良いかと思ったんだよ」

「忘れたんですか? 私が居ると静かにご飯も食べられないんですよね?」

「うっ……」


 返事に詰まる。そう言われたら何も言い返せない。

 くそ。こうなるなら何もしなければ良かった。最悪だ。


「帰る」

「冗談です。だから、拗ねないでください」

「拗ねてない」

「むすっとして何を言ってるんですか」


 顔に手を当てて確認してみる。

 むすっとなんてしてない。してないに決まってる。

 そんな俺の様子が間抜けだったのか森下は楽しそうにクスクス笑っている。


「せんぱい、私屋上行ってみたいです」

「まだ、行ったことないのか?」

「はい。だから、そこでお昼を過ごしましょう」

「今更なんだけど一緒に過ごしてる友達がいれば断ってくれよ」

「いないので大丈夫ですよ?」

「……え、友達いないの?」

「はい。だから、さっきだって寝たふりして過ごしてました。なのに、せんぱいがいきなり現れるんだもん。驚きましたよ」


 気にした様子もなく、けろりと言う森下。

 こっちは聞いたらダメだったんじゃないかと焦りながら思うところもあった。

 毎日、俺と帰ってることからちょっと考えれば分かったじゃないか。一緒に帰る友達がいれば俺とは帰らないはずなのに。


「い、いじめられたりしてないか?」

「落ち着いてください。至って、平和です」

「じゃあ、友達は作った方がいいと思うぞ」


 俺だって友達と呼べる相手は悟とその彼女くらいしかいないけど、それでも友達がいると何かと助けてもらえることがある。


「せんぱいがいますし友達に魅力を感じないんですよね。それに、私人見知りですし」

「嘘つけ!」


 咄嗟に声を荒げてしまった。

 しかし、怒っているのではない。


「人見知りってどの口が言ってるんだ」


 コミュ力お化けモンスターだろ? 堂々と二年生の教室に入ってきてるだろ? 俺には初対面であれだけわんわん言って噛みついてきただろ?


「本当ですよ~。私、結構モテるんです」

「急に自惚れが始まった……」


 まあ、可愛いしそれは本当なんだろうとは思うから否定したりはしない。


「それでですね、こんなことがあったんですよ。まだ仲良くもなってない数名の男子からライン教えてって言われたんです」

「ほう、詳しく聞こう」

「急に食いつきましたね……」

「どうしたのか早く言いなさい」

「もちろん、断りましたよ。私には男子と呑気にラインのやり取りなんてしている暇がないですし単純に嫌でしたから」


 残念だったな、その男子達よ。俺だってまだ交換する機会がなくて知らないままなんだからそう落ち込むことはない。


「あれ、せんぱい。もしかして、安心してますか?」

「寝言は寝て言え。で、どうしたんだ?」

「はい、見事に浮いちゃいました。男子には避けられて女子には嫌われました」

「……災難だな」


 女子はおそらく嫉妬ゆえだろう。

 モテるのに一蹴したのだから腹が立つ。

 そんな感じだろうか。まったくもって、ふざけた話だ。


「そう思うなら私を甘やかしてくれて良いんですよ?」


 そうだな。俺くらいしか相手してやれるのがいないなら適度に甘やかしてやらないと。何気ない風に見えても内心は寂しく思ってるのかもしれないし。


「せ、せんぱい!?」

「ん、どうした?」

「きゅ、急に撫でられると困ります!」


 森下の頭に置いた手を彼女が焦ったように目をおろおろさせながら退かそうと手を重ねてくる。この前よりも僅かに熱いのはまだ走った時に上がった体温が下がっていないからなのか。


「でも、好きだろ?」

「そ、そんなことありませんよ……」


 嬉しそうにしながら否定されても信憑性ないんだよな。これは、俺がそう見えているだけなのかしれないけど。


「……教室、居づらいならいつでも来て良いからな」

「今日のせんぱいは優しくし過ぎで不気味です。何か企んでるんですか?」

「そうだなぁ……なんで、教室から連れ出されたのか知りたい」

「あれだけ男嫌いを出した私がせんぱいと仲良く会話してるのを見て、自分もいけるんじゃないかと思われるのが嫌だからですよ」

「それこそ、自惚れのような気がするな」

「せんぱいと仲が良いと思ってますよ?」

「そっちじゃねーよ」


 ここで、ある考えが浮かぶ。

 しかし、それをすぐに首を横に振り消す。


 そんな様子の俺がおかしく見えたのか森下はじっと見つめてきた。


「どうしたんですか?」

「いや、俺ともラインの交換してくれないのかなって思ったけど、交換したらわざわざ昼休みに来ないようになるからやめておこうと思って」

「いえ、せんぱいとは交換します。早く、スマホを出してください」

「えっ」

「はーやーくー」


 戸惑っている間に森下は自分のQRコードを表示して見せてくる。


「言っておきますけど、下らない内容で暇潰しみたいに送ってはこないでくださいよ。私、暇じゃありませんので」

「じゃあ、別に交換しなくても……」

「せんぱいに教室に来られると困るから仕方なくです。仕方なく。はい、登録出来ましたか?」

「あ、ああ。登録出来たよ」


 森下凛々花という名前のアカウントが追加されるのを見るとなんとも言えない気分になる。

 一応、これで緊急事態のやり取りが出来るようになった。ただ、しょうもない内容だと怒られるようなので普段から使いはしないだろう。


「これからも昼休みは教室に行きますから」

「分かったから何度も言わないでいい」

「ちゃんとせんぱいが寂しくならないようにしてあげますからね」


 俺が相手してる立場なんだけどなぁ……。

 まあ、いいか。スマホで口を隠しながら目を細めるというあざとい仕草が見れただけ満足だし。


「ところで、悟先輩って何部なんですか?」

「机の横に置いてるの見てなかったのか?」

「基本、せんぱいしか見ていないので」

「……テニス部だよ」

「へー」

「興味、ないんだな」

「まあ、せんぱいの友達だから挨拶して仲良くなっただけなので。嫌いとかは思っていないですけど」

「彼女いるから好きになるなよ?」


 森下はおかしそうに笑いながら首をコクコクと振っている。

 そんなに笑われるようなこと言ったかな?

 逆に悩まされながらしばらく談笑した後、教室に戻った。

 どうやら、森下は部活に入る気はないらしい。現在、行われている体験入部にも少しも興味がないようだった。そんなんで学校を征服したり出来るんだろうか。


 そんなことを考えながら授業を受けているとマナーモードにしていたスマホがポケットの中で震えた。

 先生にバレないように確認すると画面に森下凛々花という名前が表示される。


『せんぱい。今、何していますか?』

『勉強だよ、勉強。暇じゃないから終了な』

『もっと、お話ししましょう』

『ちゃんと授業を受けなさい』

『授業中のせんぱいを征服してる最中ですので授業なんて受けられません』


 それが、真剣に言ってることなんだろうなということが簡単に想像できる。今頃、返信をまだかまだかと待っているんじゃなかろうか。舌を出しながらご飯を待つ犬みたいに。


『ちゃんと受けないとテストで大変だぞ』

『テストなんて知りません』

『現実から目を背けるなー』


 死んだ目をした犬が遠くを見ているスタンプが送られてきた。あくまでも現実逃避を続けるらしい。


『昼休み、楽しみですね!』


 今度は目を輝かせてた犬のスタンプが送られてきた。

 どうやら、俺との昼休みは――。


『屋上を征服するのが!』


 ごほんごほん。訂正だ訂正。


『あれ、せんぱい? 返事がないんですけど~? もしかして、せんぱいと過ごすのが楽しみだと勘違いしちゃいました?』


 返事をすることなく、スマホをポケットにしまった。

 森下とのラインの交換は失敗だったかもしれない、と俺は良いお手本になった。

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