第4話 後輩は泣く。せんぱいがいなくなるのを想像しただけで

「うわぁ……!」


 森下は屋上へと続くドアを抜けた瞬間、そんな声を出した。目を見ればキラキラとしていて、よく晴れた青空の色と混じっている。

 子供っぽい、という感想は飲み込んでクスリと笑うと恥ずかしくなってきたのかもじもじと体を動かし始めた。


「お気に召した?」

「ま、まあまあですね。家から見る景色の方がもっと圧巻です」

「意地っ張りか」


 そうツッコミつつ、明らかに機嫌を良くしている森下と座れる場所を見つけて腰を下ろした。


「最近だと屋上ってほとんど封鎖されてるものだと思ってました」

「ここはちゃんと設備されてるからな」


 間違っても飛び降りなんて出来ないように作られたフェンスがあるからこそ、自由に出入りが可能なのだろう。といっても、昼休みだけの限定だから自由というほどの自由でもない。すぐそこに見回りの先生もいるし。


「さてと食べるか」

「そうですね」

「当たり前のように俺の弁当を取り上げるんじゃない」


 奪われた弁当を取り返し、蓋を開ける。

 すると、すぐ隣から子供が宝箱を開けたような声が聞こえてくる。

 仕方ないな、まったく。


「ほら、好きなの食べていいぞ」

「わーい」


 冷凍のハンバーグを遠慮なくとっていきやがった。


「んまー」

「お前、食いしん坊だよな」

「せんぱいのお弁当がおいしいのが悪いんですよ~。お母様、天才ですね」


 身内を褒められるとこそばゆい。だからと言って、おかずをいくらでもあげるつもりはない。

 そう思って身構えていたら森下は持ってきていたコンビニ袋から自らのご飯であろうおにぎりとサンドイッチを一つずつ取り出し、食べ始めた。


「それだけで足りるのか?」

「私、少食ですからね」

「どの口が言ってるんだか」

「足りなければせんぱいから奪っちゃえばいいだけですし」

「俺が不足するわ!」


 スポーツをしているわけではないといっても俺も一人の男子高校生。午後の授業を乗り越えるためにもちゃんとした栄養補充は必要なのだ。

 そんなやり取りを繰り返していると森下はさっさと食事を終え、俺の弁当の中身を目を光らせながら覗き込んでいる。それは、小さな肉食獣のようで微笑ましい。


「やっぱ、全然足りてないんじゃないか」

「せんぱいの味を覚えちゃったんです。だから、責任とってください」

「……これ食べて、ちょっと黙ってろ」


 一つまみしたポテトサラダを森下の前へと差し出し、口を強制的に塞ぐ。嬉しそうに咀嚼する姿を見ていると思わず食べたいだけ食べさせてあげたくなってしまう。

 祭りで屋台のおじさんが可愛い子にはおまけする気持ちが分かった気がする。喜ばれるとついついあげたくなってしまうんだ。


 結局、その後もちょくちょくおかずをあげてしまい、俺はほとんど白米しか食べることが出来なかった。

 なのに、不思議と箸が進んだのはなんでだろう。



 爽やかな春風が吹き抜けていくなか、食後の休みだとぼんやりと空を眺めていると耳に楽しそうな女の子達の笑い声が届いてきた。

 目を向けるとみんな笑顔でお弁当の交換やらスマホを見せ合いながら楽しくお喋りしている。

 それだけじゃない。よくよく注意して見れば、周りはいくつものグループやカップルでいっぱいだった。


 俺達はどう見えているんだろうか?


 隣を見れば、可愛らしくあくびをしている後輩の姿。お日様を浴びながらお腹いっぱいになったから眠たくなったのだろう。子供みたいだ。


「なあ、いつもは昼休みどうしてるんだ?」

「どうもこうもないですよ。一人でご飯を食べて、せんぱいの所へレッツゴーです」


 予想はしてたけど、やっぱり、ご飯も一人だったか。

 去年の今頃、まだ悟と仲良くなっていない頃のこと。俺はまだ誰とも仲良くなれてなくて彼女のように一人でご飯を食べていた。席に座ってポツンと周囲から浮いていたのはそんなに気になることじゃなかった。

 高を括っていたんだ。自分だけじゃない。自分のように一人でいるのは他にもいて、焦る必要はないんだと。

 それに、俺は周囲と必ず仲良くなりたい、とは思っていなかった。無理に合わせず、自分と気の合う人がいれば友達になろうと思っていたから。


 その後、一泊二日の林間学校にて悟と少し会話するようになり、仲良くなっていった。


 俺は一人の時間があっても平気な人間だ。けど、世の中にはそうでもない人もいて、森下はそっち側の人間だということは入学式の日に見せられ、心に染み付いた笑顔を思い出せば分かる。


「やっぱり、友達は作った方が良いと思う」

「え~、せんぱいがいるからいいですよ~。それに、クラスを征服する時、情に訴えかけられても困ります」

「なんだよ、その理由……。無理にとは言わないけどさ。ああいうの見たら楽しそうだなとは思うだろ?」


 さっきの女子グループをじっと見ると森下も黙って注目した。

 俺が心配するのもおかしな話だってことも理解してるし森下には森下なりの考えがあることも頭にある。しつこくて迷惑だと思われるかもしれないことも。

 それでも、俺は森下のことになるとまるで自分のことのように心配になって、目が離せなくなる。

 過保護だなと苦笑した。


「私にはせんぱいとこうしてる方が楽しいので現状維持で大丈夫です。問題ありません」


 そう言ってくれて喜んでいる自分がいるのも確かで困っている自分がいるのも確かでどうしたものかと考える。

 頬をぽりぽりとかきながらぎこちない笑みを浮かべてしまう。


「……せんぱいがそんなに言うなら友達作り頑張ってみますよ?」


 少しばかり震えた声が聞こえ、隣に視線を戻すと森下は不安そうにしながらこちらを見つめていた。

 それは、嫌われたと思わせてしまったとすぐに後悔させ、気づいた時には弁明らしきものをつらつらと並べさせていた。


「が、頑張るとかじゃなくて。ほら、俺もいつまで現状維持を出来るか分からないから」

「どうしてですか?」

「急に親の転勤が決まるかもしれないし、もしかしたら登校拒否する何かが起こるかもしれない。それに――」


 どうしても俺の方が先に卒業することになる。

 これは、ほとんど確定事項だ。何か、よっぽどなことをしでかさない限り、成績だって問題ないし日常生活にも目をつけられることはない。

 つまり、まだまだ先の話だとしてもいつかはこうやって昼休みを一緒に過ごせなくなる時が来る。

 その時に、誰か一緒に過ごす友達がいれば寂しくないだろうと思って言ってたけど、誤解させて不安にさせてダメダメだな。先輩失格だ。


「だから、おまえのことを――」


 嫌ってない。そう言う前に言葉を詰まらせた。

 森下がぽろぽろと泣いていた。

 澄みきった綺麗な涙が両目からすーっと流れて頬を伝って落ちていく。


「ど、どどどどどうした?」


 彼女が泣くのを見るのを二度目なのに一度目よりも焦ってしまう。それは、あの日よりも理由が分からないからだ。どうして、泣かせてしまったんだろう。って、考えてる暇があるなら謝れ。


「ご、ごめん」


 膝に手をついて深々と頭を下げた。

 後輩の女の子を泣かせてしまうなんて最低だ。逆に嫌われたらどうするんだ!

 ゆっくり顔を上げると森下は指で涙をぬぐっている所だった。それが、なんだか見てはいけないようなものに見えて再び伏せる。


「せんぱいが悪い訳ではないですよ」

「でも、泣いてるし……」


 理由もなく、泣かせてしまったのは明らかに俺が悪い。


「想像したんです。せんぱいがいなくなるのを……そしたら」

「い、いなくならないから。転校もしないし登校拒否もしない」

「本当ですか?」

「うんうんうん」


 信じてもらうために首が痛くなるほどの速度で何度も縦に振った。

 それから、あの日と同じように森下の頭に手をそっと乗せた。

 本来、女の子の頭に勝手に触れるのはご法度だ。けど、誰とも交際経験のない俺は泣いている女の子にどう接したらいいのか分からず、気づいたらこうしていた。怒られるかもと体を震わせたが意外と彼女は気に入ったらしく、今と同じように安心しきった表情を浮かべてくれたのだ。


 その笑顔がものすごく可愛く見えて、俺はその笑顔を見たくてたまに頭を撫でさせてもらっている。

 もちろん、そのことを伝えてはいない。調子に乗られたり警戒されると困るから。


「登校拒否とかしないでくださいね。じゃないとせんぱいの家に毎日おしかけて引きずり出しますから」

「分かった分かった。明日も一緒に登校しような」

「約束ですからね」

「ん、約束してるからな。守るよ」


 心配して言っただけなのにこうなって……逆に心配事が増えた。ちゃんと見守っておかないと。


「……明日からは昼も一緒に食べるか」

「良いんですか?」


 森下は少し遠慮がちに見上げてきた。

 それが、俺には喜びたいけど喜べないように見えて首を傾げた。


「言ってたじゃないですか。みんなの迷惑だって」


 あー……言った。確かに、言った。変に目立ちたくなくてはっきりと言っちゃってた。


「……重ね重ねごめん。おまえって気にするやつだったもんな」


 気にしてないように見えてもちゃんと気にしてて。

 何も考えずに無茶を言ってるようでもちゃんと周りを見て、限度をわきまえて。

 目が離せないくらい危なっかしくて心配になるけど本当はしっかりしてる部分の方が多くて。


「ま、せんぱいになんて言われようとやめたりなんてしないんですけどね」


 すぐにケロッと吐くのも彼女らしい。

 ちゃんと見てないと気づけない優しさ、だよな……。


 反撃のつもりなのか、ペロッと舌を出している森下にいつもと変わらないまま接する。


「おまえってそういうやつでもあったよな」

「せんぱいが優しくしたり酷くしたりして疲れたので仕返しです」

「基本的には優しくしてると思ってるんだけど」

「そうですね。でも、もっと優しくしてくれても良いんですよ?」

「それはしない。誰かさんが調子に乗るの目に見えてるから」


 はっきりと言い切ると森下はふてくされたように頬を膨らませた。


「まあ、でも。もし、誰かに迷惑だなんて言われたら守るくらいはするから気にするな」


 ふふふ、どうだ。この、自分で言った言葉を自分の言葉で良くする手段は。これなら、上手く誤魔化せるであろう。

 内心で高笑いしていると制服の袖をきゅっとつままれた。


「約束、ですからね。私のこと、守ってくださいよ?」


 上目遣いで言われたらすんなりと答えるしかないじゃないか。


「……はい」

「じゃあ、明日からは昼休みになったらすぐに向かいますね」

「たまには教室じゃない場所でも食べよう」

「そうですね。征服しなきゃいけない場所、まだまだたくさんあるのでぜひそうしましょう」

「ほどほどにな」

「それは、出来ない相談です。私はいずれ世界を征服するんですから」


 適当に相づちをしながら返事をすると森下は「本当なんですから」と言いながら頬を膨らませる。

 それに、はいはいと返事をしながら相手をする。


 こういう昼休みを送るためにも絶対に守ろうと思った。

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