第2話 後輩は叫ぶ。今日も世界を征服しましょう!

『これから、凛々花ちゃんの相手?』

『当然のように言わないでくれ』

『でも、相手してあげるんでしょ?』

『悟と違って暇だからな。それに、無視したらうるさいだろうし』

『うるさいねぇ……』

『散歩くらいは付き合ってやらないと』

『散歩って……三葉にとって凛々花ちゃんってどう見えてるの?』

『子犬』

『うわぁ……すっごくぴったり』

『だろ……っと、そろそろ行かないと』

『じゃあね』


 悟とやり取りを終え、下校するために校門へと向かう。

 他にも下校する生徒に混じりながら歩いていると待っていた森下に見つかった。

 嬉しそうに目を輝かせ、大きく手を振ってくる。


「せんぱ~い!」


 ざわざわと二年生か三年生と思われる数人の男子生徒が自分かと口々にしたが違う。

 そんな間抜けな連中の中から抜け出して森下の下へと向かった。


「もう少し声を抑えろ」

「遅いですよー」

「聞けよ!」


 自分の声が一番大きかったかもしれない。

 いくつかの視線が背中に突き刺さるのを感じながら唇を尖らせている森下をぎろりと睨む。

 しかし、にらめっことでも勘違いしたのか森下は変顔をしてじっと見つめてきた。


 ああ、くそ。可愛いな、ほんとに。


 どうやら、勝てそうもないので小さくため息をついて諦める。


「せんぱい、三分の遅刻ですからね」

「いつも遅刻常習犯が何を言ってるんだか。それに、三分くらいで文句を言うな」

「三分は重要です。カップラーメンが作れます」


 無駄に真剣な表情で言われるとそう思ってくる。うん、三分は重要だな。


「でも、待つ羽目になったのはおまえが走ってたからだろ?」

「み、見てたんですか?」

「うん」


 頬がうっすらと夕日に隠されながら桃色に染まっていくのを見逃さないまま思い出す。

 さっき、悟と話していた時に窓から見えたのは森下がててててて、と小さな身長を活かして校門まで誰ともぶつからずにダッシュしているところだ。


「随分と嬉しそうに笑って……そんなに俺と会えるのが楽しみだったか?」


 なんて、冗談を言ってみる。

 そんな訳はないだろうと分かりつつ森下を見ると彼女は真っ赤になっていて、急いで顔を俯かせた。


「……え、マジなの?」


 それが、本心からではないと自白したことだと気づくのに数秒かかり、彼女はからかわれただけなのだと先に気づいて鋭い目で睨んできた。


「嘘だったんっですか!?」

「いや、考えてみろよ。教室からだと背中しか見えないだろ?」


 視力が悪いわけではない。けど、後ろ向きの彼女がどんな表情をしているかを察することが出来るほど俺の目は良くない。


「……そ、それって、せんぱいは後ろ姿だけで私だって気づいたってことで……」


 誰でも気づきそうなことに気づかないほど焦っていたんだろうか。だとしたら、やっぱり、それは本当のことで……なんか、こっちまで恥ずかしくなってきた。


「べ、別にせんぱいに会えるから嬉しいなんてこれっぽっちも思ってませんから」


 あれだけ笑顔で大きく手を振ってきたの忘れたのか?

 拗ねたように頬を膨らませた森下は嘘が下手なんだということが分かる。


「ふーん。じゃ、帰る。また明日な」

「このまま帰すとでも思ってるんですか?」


 手を振って別れようとすると手を掴まれ、阻まれる。

 小さくて柔らかい女の子の手。

 少し、力を加えて乱暴に振りほどこうとすれば腕がとんでいってしまうのではないか。


「今日は積極的だな」

「三分も待たせておいて、はいさようなら、とはいきませんからね。ちゃんと今日も相手してもらいますから」


 逃がさない、という風に掴んでいる手に力が込められる。それでも、やっぱり、簡単に振りほどくことが出来そうで俺はゆっくりと腕を下げた。

 それが、帰らない合図と伝わったのか掴んでいた手が遠退いた。


「分かったよ。で、今日は何をするんだ?」


 すると、森下はニヤリと笑って鼻を鳴らした。


「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました」

「そういう茶番はいいから早く言え。本当に帰っちゃうぞ」

「つまらない男ですね、せんぱい。少しは付き合ってくれてもいいじゃないですか」

「結局、付き合わされるんだからいいだろ」


 森下と出会ったあの日以降、放課後は毎日一緒に行動している。世界を征服する、という彼女の大それた目的に付き合わされているのだ。


「今日はですね、移動販売のアイスクリームがこの近くに来ているようですのでそこへ行きます」

「アイスクリーム……時期、早くないか?」


 四月も下旬に入り、少しづつ暖かさも出てきたとはいえアイスクリームを食べるのはまだまだ先の時期だろう。

 店員も何を考えているのか。冬にコタツに入って食べるアイスがおいしいのと同じ感覚なのだろうか。


「私もそう思います。ですが、移動販売は数日間しか来ないんです。世界を征服するために共に体を冷やしましょう」


 俺はなんておかしな提案をされているんだろう。

 思わず、クラっときた頭を手で支えた。


「一人でいけよ。胃を壊したくない」

「嫌です。せんぱいも一緒じゃないと」

「なんでだよ……」

「それに、せんぱいも一緒じゃないと――」


 小さな身長を一生懸命背伸びで大きくし、俺の耳元へと口を近づける森下。突然のことで後退りそうになりつつも今距離ができると倒れるんじゃないかと踏ん張った。

 鼻腔をくすぐるいい香りが鼻を突き抜けていくのを感じながら、ふわっとした世界で俺以外の誰にも聞こえないような囁き声を耳にした。


「――あのこと、言い触らしちゃいますよ。変態さん」


 囁き終えた森下は背伸びをやめ、下から勝ち誇ったような憎たらしい笑みを見せつけてくる。


「俺は囁かれて喜ぶような性格じゃないぞ」

「あれー!?」


 悟もこいつも俺のことをなんだと思ってるんだよ。

 予想通りの反応が見れなかったからか驚いている森下に苦笑を浮かべた。


「おかしいです。情報だとこうすれば男は堕ちるって書いてあったのに!」

「何を見たのか知らないけど残念だったな」

「絶対に帰しませんからね!」


 両手で腕を掴まれどれだけ本気なのかをアピールされる。意地でもその場を動かないような必死さを感じつつ俺は森下の頭に軽く手を乗せた。


「分かった分かった。帰らないからとっとと行こう」


 今なら、冷たいアイスもおいしく頂けるだろうな。さっきより、暑くなったし。


 そんな簡単な言葉にも森下は表情を明るくさせる。

 そして、俺の手を一緒に空へと突き出し元気よく叫んだ。


「さあ、せんぱい。今日も世界を征服しましょう!」


 そこまで付き合う気はないので合わせはしない。俺は世界を征服したいとは一度たりとも抱いたことがないのだから。


 森下に手を掴まれていたといってもそのまま仲良く手を繋いで歩いたりはしない。地図アプリで確認しながら先を歩く森下の少し後ろをついていく。

 この状況、リードで繋いだ犬と散歩してるみたいだな。懐かしい……。


 自分の家で犬を飼ったことはない。

 けど、散歩をした思い出はある。


「――ぱい。せんぱい」

「ん……うわ!」


 咄嗟に出た声に森下は小さく体を震わせた。申し訳ないことをした。


「び、びっくりさせないでくださいよ」

「わ、悪い……」


 び、びっくりした。可愛い小顔がすぐそこまで迫ってきていた。

 森下と出会い、長い時間を共に過ごしたとはお世辞にも言えない。その中でいくつか彼女について知ったことがある。

 それは、やたらと距離が近いことだ。本人は無意識なのかわざとなのかは知らないが必要以上に距離が近い。昨日の昼間の件だって彼女はこれっぽっちも気にしていなかった。


 それが、本当に気にしていないのか気づいていないのか、俺に対してだけなら言うこともないし嬉しい。けど、誰に対してもこうなら少し心配になってしまう。


「せんぱい、大丈夫ですか?」

「大丈夫って、何が?」

「ぼーっとしてましたから……あの、本気で嫌なら言ってくださいね」


 不安そうに目を伏せられると嫌でも嫌だと言えないじゃないか。

 そんな、端から言う気もなかった言葉はぐっと飲み込んでおく。


「嫌ならどうにかして逃げようとしてる」

「つまり、せんぱいも私と一緒に居たいということですね」

「せんぱいもって……」


 急に何を言ってくるんだ。

 そう言いたくてもきょとんとしている彼女には通じないことだろう。それどころか、これ以上アイスをおいしくさせてしまうかもしれない。


「急に暑くなってきたからアイスでも食べてすっきりしたいだけだよ」

「なら、行きましょう。売り切れはごめんですから」

「道、迷うなよ?」

「安心してください。文明の利器がありますから!」

「逆に不安だな。あと、威張る場面じゃないと思う」


 そんなやり取りを交わしつつ、数分歩いて移動販売車を見つけることが出来た。町中の広いスペースに机がいくつか置かれていて、その場で食べることも可能らしい。


「……確かに、これは一人じゃ来づらいな」


 周りを見るとカップルや女友達のグループが多く目に入る。一人で来ている客はそう多くない。

 集団の中に一人でいるのって無性に恥ずかしいからな。俺は一人映画を余裕で乗り越えられる猛者だけど、ここに一人で行けと言われたら少しは足踏みしてしまいそうだ。

 道理で絶対に帰さないようにしていたことが分かり、納得がいった。ちゃんと隣に居てあげなければと気合いが入る。


「せんぱいはどの味にしますか?」

「色々あって悩むな」


 お約束の味からあまり見かけないような味まであって眺めているだけでも楽しい。


「因みにさ、これ全種類食べてようやく征服したことになるの?」


 どういう基準で征服したことになるのか分からないので確認しておく。


「本来ならそうなんですけど、流石にこの量だと難しいので一種類だけで征服したことにします」


 と言うことは食べきれるくらいの種類だったら毎日通うことになっていたのか。

 その事実はあまりにも恐ろしく、冷たいものを口にしていないにも関わらず身震いしてしまった。


「じゃあ、先に決めていいぞ。俺はそれ以外を選ぶ。そしたら、二種類楽しめるだろ?」

「天才的なアイデア。採用です」

「大袈裟だな」


 前から思ってたけど案外おバカなのかもしれない。いや、世界征服とか言ってるし明らかにバカだろう。


 その後、別々のアイスを頼み、空いていた席に座った。素早く森下からカメラモードを起動されたスマホを手渡される。


「またか」

「ピース」


 写真は女子高生の嗜みなのだろうか。

 これまでにも何度も撮らされたので慣れた手付きで可愛くピースをしている森下を写真に納めた。アイスが容器に入れられていて良かったと心から思った。

 その後、返したスマホでアイスだけを撮っている森下を横目に白い凍った塊をスプーンですくい口へ含む。無難なバニラ、最高。


「女子高生って写真好きだよな」

「映えが生き甲斐みたいなところがありますからね。私は違いますけど」

「でも、撮ってるじゃん」

「私は映えを気にして何度も取り直してアイスを無駄にしたりしません。少しだけ撮影出来たらいいんです」

「ふーん」


 本当に森下は数回パシャパシャと音を鳴らした後、アイスを口に含んだ。木苺味にしたらしい。


「酸っぱいけどおいしいです」

「来て良かったな」

「はい。せんぱいは面白くないですね。あれだけ種類があったのに冒険しないなんて」

「いいんだよ、これで」

「バニラは普段から食べているので一人で食べてくれて構いませんよ」


 とか何とか言っていた森下だが――。


「せ、せんぱいバニラ。バニラください。酸っぱいです。酸っぱいです~」

「え~どうしようかな~。一人で食べていいって言われてるしな~」

「ご、ごめんなさいごめんなさい。ずっと、食べ続けてると酸っぱくて舌がバニラを求めてるんです。だから、許してください~!」


 泣きながら言ってくる森下が面白くてしばらく楽しんでから仕方なく残っていたものを全部差し出した。


「シンプル、オイシイ……」


 片言になりながらバニラのありがたみを理解しているようだ。


「せんぱい、ナイスアイデアが浮かびましたよ」

「自分で言うとスッゲーバカっぽいぞ」

「混ぜましょう。混ぜたらまろやかになるはずです」


 俺のことなんて無視して森下は一つの容器にアイスを入れてかき混ぜていく。白と赤が混じり合い、もはやアイスの原型でさえとどめていないそれを口に含むのを見つめる。


「す、すっごくおいしいです」


 どうやら、お気に召したらしい。


「せんぱいも食べてみてください」

「え~……」

「ほらほら」


 おそるおそる、スプーンでそれをすくい口へと含む。それは、不思議な味でよく分からなかった。ただ、不思議と嫌な味ではなかった。


「一緒になると良くなるって私とせんぱいみたいですね」


 それは、さっきと同じで口から出たなんの意味も込められていない言葉なのだろう。

 そうだと分かっていても、再び暑くなった体を冷やすために俺は目的だったものからは随分と変わってしまったものを一緒に食べ続けた。

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