第27話 後輩の水着。ガッカリしてます?
「せんぱいって泳げますか?」
「授業で差し支えない程度には」
「じゃあ、明日プール行きましょうよ」
「……まだ、六月半ばだぞ?」
「知ってました? ある程度は泳げないと水泳の授業にも補講があるようなんです」
「あー……そう言えばあったな。……って、え、泳げないの?」
「私は運動全般苦手です!」
「威張ることじゃないだろ」
「市民プールならもう解放されているらしいので練習に付き合ってください」
そんなやり取りが昨日あり、学校が休みの土曜日正午過ぎ。俺は凛々花を待っていた。午前中に自転車を走らせ、少し早い時期のため、中々に見つけることが困難だった買ったばかりの新品の水着を着て。
まさか、凛々花の方から誘われるとは。夏休みになったら、俺から誘おうって思ってたのに。
凛々花が相手となると順調に予定が進まないことは多々あることだ。そのことに慣れてきているとは言え、俺の中ではそんな予定がなかったから、どうしてももやもやとしてしまう。
でもな、と。俺はチラッとプール全体を見渡してみる。時期が時期ということもあってか人はそんなに見受けられない。夏本番になると飴に群がるアリのようにごった返すのに今は電柱に集まる蛾ほどの数だ。
今日は天気も良く、泳ぎの練習をするのにはもってこいの環境にもやもや気分も晴れていく。
「お待たせです、せんぱい」
凛々花の声が聞こえて、心臓が大きく跳ねた。
振り返ったら、そこに凛々花がいるんだよな。水着姿の凛々花が。……どんな、水着を着てるんだろう。
思い付く限りの水着を着た凛々花をついつい想像してしまう。
だって、しょうがないじゃないか。女の子と個人的な用事で二人きりでプールになんて来たことないんだし。それが、例え練習だったとしてもちょっとくらい期待しちゃうのが男ってものでしょう。
そんな、悶々とし続ける俺の背中に凛々花の声がかけられる。
「せんぱい、どうしたんですか?」
「ちょっとな」
決して、不純な感情を表に出さないように心がけて振り返り、目をこれでもかと自分史上最高に大きく開けた。
「……スク、水?」
凛々花は学校指定のスク水を着ていた。
スク水って学校以外でも着ていいものなの? て言うか、度胸すごっ!
「せんぱい、ガッカリしてます?」
「し、してねぇよ」
「えー、ほんとかなぁ?」
クスクス笑いながら凛々花は腕を後ろで組んで上目遣いをするように見上げてくる。
さらりと肩まで伸びている髪が揺れ、どうにも目を見つめ返せない。
スク水って本来、売ってる水着とかと比べると布面席多いから肌の露出もそんなに多くはないのになんでだろう……なんか、見てはいけないような気がする。
「あはーん。せんぱい、照れてますね」
「照れてない。ちょっと、真っ直ぐ見るのが難しいだけだ」
「良いんですか、もっとよく見ないで。せんぱいが見れるスク水姿なんて私しかいないんですよ?」
決めつけられることには憤りを感じるけども凛々花の言うことは正しい。今、凛々花で堪能しておかなければもう一生と言っていいほどないことだろう。
という訳で別に甘い誘惑に負けた訳じゃないけど折角の休日に連れ出されて面倒を見るんだからちょっとくらいなら良いじゃない、という感じでいこう。
「あは。やっと、こっち見てくれましたね」
「人と話す時は目を見てだからな」
「と言いつつ、視線が胸元に注がれていて、私としては非常に不愉快です」
「だって、しょうがないだろ」
俺の視界に堂々と介入してくるのは『3年3組 森下』と書かれた白いわっぺんだ。それが、控え目な凛々花の胸元でこれでもかと主張していて、ついつい惹き付けられてしまうのだ。
多分、中学生の時に使ってたの、だよな。3年3組って書いてあるし。それって、つまり中学の頃からサイズが変わってないってことだよな。でも、この前、胸が大きくなってたって喜んでたのに……。
「その、色々と大丈夫か? 痛いとか苦しいとか」
そういうことは詳しくは分からない。今まで理解しようとか考えようとか思ったことすらないし機会すらなかった。年齢イコール彼女なしなんだから、無知であるのと俺は変わらない。
「それが、驚くほどに苦しくありません。昨日の夜、試しに着てみたらなんだかショックでした」
自分の控え目な胸の上から手のひらを滑らせていく凛々花。見ているだけでもぴったりで昨日の夜は鏡の前で落ち込んでたんだろうなと予想が出来る。
スク水の構造なんて調べたこともないし、俺には到底共感できることじゃない。凛々花に何もないのならそれでいい、ということにしておこう。
「だったら、なんで中学の水着を出してきたんだよ」
「おバカさんですね~。季節は梅雨なんですよ。雨が降って高校用が干せなかったらそれこそお笑い者になるじゃないですか」
「天気予報では暫く晴れだったんだけどな。そもそも、どうしてスク水なんて……」
「せんぱいのためですよ。せんぱいが見たいって言ってたから着てあげたんですよ」
言った。確かに、言った。凛々花とは、こうやってどっちかが誘って出掛けないと水着なんて見られないし、興味が本当にあるから言った。別に、水着は下着とは違うんだし。
「どうですか? せんぱいのためにスク水を着てあげる私ってすっごーくいい子だと思いませんか?」
どれだけ褒められたいんだ、と呆れてしまうほど首を傾げたりして促してくる。意地らしくて可愛くて、ついつい頭に手を乗せた。
「はいはい、こんないい子が唯一の後輩で嬉しいよ」
「いい子の私はせんぱいがスク水だーい好きでも嫌な顔せずにこれまで通りでいてあげますからね」
「俺は凛々花のスク水姿を見たかった訳じゃなくてだな……その、女の子らしい可愛い水着姿の凛々花を見たかったんだよ」
何でも可愛く着こなせて似合うであろう凛々花なら、さぞかし水着だって自分に似合うやつを把握して選ぶはず。俺はそんな凛々花と遊びたかった。
「やっぱり、ガッカリしてるんですね……」
さっきまで気持ち良さそうに細めていた目がしゅんと落ち込んだように伏せられる。俺は慌てて訂正して、頭を撫でるからぽんぽんと叩くことにした。
「し、してないって。驚いたのは驚いたよ。でも、俺のためとか嬉しいし……今日は遊びじゃなくて、練習だからあってると思うし」
流れるプールもウォータースライダーも飛び込みもここにはない。ただの、学校と似ているプールがあるだけ。
場違いみたいに見えるけど、もし凛々花が華やかな水着なんて着ていたら遊びたい欲の方が出て真面目に練習に付き合ってあげられなかっただろう。
それに。
「あ、じゃあ。夏休みになったら――」
「ストップ」
紡がれるであろう言葉を予想して、凛々花の小さな口に人差し指をそっと当てて閉じさせた。
ぷにっとした柔らかい唇に思わず、心臓の動きが加速する。
そんな俺を凛々花は不安そうに見上げながら、目でどうしたんですか、と訴えてきた。
「それは、俺が誘いたいから」
いつも、どこに行くのも凛々花が誘ってきてそれに付き合って、ってのが俺達のお決まりのパターンだ。けど、いつまでもそんなんじゃ凛々花を征服することなんて出来ない。
情けないから、少しでも情けなくないようにしていきたい。
「だから、今はその話はしないでいいか?」
「……普通は続行して、約束を取り付ける流れだと思うんですけど」
「バカだな。それ、ただの死亡フラグになるだろ。遊びたい相手が赤点候補、水泳でさえも心配なんだから」
「……ご迷惑おかけしています」
「ま、頼れば良いって言ってるし、なんだかんだで楽しいから迷惑じゃない」
「頼もしいですよ、せんぱい」
「どうにも、凛々花から言われても心配になるんだよな」
本心で言ってくれてるんだろうけど、明確な成果ってのを目にしてる訳じゃないから不安になる。これ以上不機嫌にはさせたくないしもう言わないでおくけど。
むっと頬を膨らませている凛々花に手を伸ばした。
「ほら、練習するんだろ?」
「言っておきますけど、学年で一番泳げるようになれとか言われても無理ですからね」
「言わねぇよ。テストさえ乗りきってくれればそれでいい」
凛々花の小さな手が重ねられたのでそのまま足が届く場所に入っていく。最近は梅雨で常にじめじめしていたこともあり、寒いと感じることはなく、気持ちがいい。
「ちゃんと足、届いてるか?」
一応、凛々花の身長を考えて深い場所には行っていない。手を握っているので溺れることはないけど、ずっとつま先立ちも負担がかかるだろうから。
「この程度、余裕です」
「キツかったら言えよ。場所変えるから」
「溺れそうになればせんぱいの背中に引っ付きます」
「セミみたいに?」
「噛まれたいんですか?」
おんぶした凛々花が大人しいはずがなく、わんわんぎゃんぎゃん鳴き続けるのは短い一生の間にうるさいくらい鳴くセミと変わらない。
そう言えば拗ねること間違いないので黙っておいた。
「テストって確かクロールで二十五メートル泳げればいいんだっけ?」
「女子の場合、最低十五メートルで合格らしいです」
男女差別だ。泳ぐことは普通にこなせるから文句はないけど。
「で、凛々花の現状は?」
「十五メートル付近で息が限界です」
「息継ぎしたらいいだろ」
「私、息継ぎすれば足が止まるんです」
「……ほんと、不器用だなぁ」
「言ってるじゃないですか」
「威張るところじゃないぞ」
じゃあ、凛々花には何を教えたらいいんだろう。
「泳げるのは泳げるんだよな?」
「思い出してください。私は苦手とだけ言いました」
それは、泳げるという意味の肯定だ。
昨日、ネットで調べた泳ぎ方の教え方は必要なさそうだな。
「じゃあ、とりあえず息継ぎしても足が止まらないように同時進行しながら泳ぐか」
教える出番がなさそうな俺は凛々花が泳いでいるところを見ていようと手を放そうとした。
しかし、引こうとしてもがっちりと握られて放そうに放せない。ちゃぷちゃぷと水に浮くことが出来ていて、溺れる心配もないってのに。
「このままじゃ泳げないだろ」
「ウォーミングアップのためにばた足をしようと思うんですよ」
「いいんじゃないか?」
よく考えたら準備運動をしてなかった。このままだと、足をつったりして危ないしウォーミングアップをしてからってのは身のためだ。
「じゃ、せんぱいはこのまま私の手を握ったまま引っ張ってください」
「俺は運び屋かよ……」
「一度、してほしかったんですよ。お願いしまっす」
「はいはい。じゃ、いくぞ」
「わーい」
背後を確認して、凛々花が足を伸ばしたのを見届けると俺はゆっくりと後ろ向きに歩き始めた。
水しぶきが跳ねないように控え目に足をバタバタさせているので勢いはなく、凛々花の笑顔にばかり視線が吸い寄せられる。
浮かんでいるのは子供のような無邪気であどけない笑顔。この、引っ張られるだけの時間がどれだけ彼女は満足なんだろうと思うとついつい笑みが溢れてしまう。
「どうしたんですか?」
「いや、可愛いなって」
「褒めても何も出ませんよ?」
「謙遜しないんだ……」
「そりゃ、あれだけ言われると」
以前、凛々花は自分で結構可愛い部類に入ると言われたと口にしていた。
だから、いちいち否定するのも面倒だし敵を作ると思っているんだろう。
実際にその通りなんだし間違ってない判断だ。
「自分でだと、分からないんですけどね」
「自信持て。その通りだから。太鼓判押す」
「……ありがとうございます。ぶくぶく」
「水に顔つけてたら話せないぞ?」
しかし、凛々花は鼻から下を水に潜らせたまま恨みがましそうに見てくるだけだった。
「ん~、今日はいっぱい動きました~」
「どうにか形にはなって良かったよ」
これで、水泳の授業に関しては一先ず安心だ。あとは、期末テストを無事に乗り切ってもらうようしっかりと勉強を見るだけである。
腕をぐーっと上に伸ばし、気の抜けた声を漏らす凛々花。背伸びのお陰で隣を歩く俺との身長差が少し埋まる。
「あ、ここまだ濡れてる。しっかり拭かないと風邪引くぞ」
凛々花の肩にかけてあったタオルを使い、水で重たくなっていた黒髪についている水滴を拭き取った。
「……なんか、せんぱいってお兄ちゃんみたいです」
「俺も思った。いないからいたらこんな感じなのかなって」
見上げてくる凛々花の頬は夕日に照らされていて赤く色づいている。しっとりと濡れた髪が肌に張り付いていることもあり、いつもはない蠱惑的な魅力が醸し出されて思わず生唾を飲んでしまう。
「……もし、私達が本当の兄妹だったとしても今と同じように仲良くしていたと思いますか?」
目を少し潤ませた凛々花に問われ、真剣に考える。
俺は一人っ子だ。今までに兄妹が欲しいと思ったことはある。けど、それが叶うことはなかったし一人っ子の方が楽なこともあって今ではどうとも思ってない。
でも、もし凛々花が妹だったなら。色々なものが叶わなくなるけど、きっとめちゃくちゃ楽しかっただろう。
「間違いなく、仲良いだろうな。凛々花ってブラコンそうだし」
「なっ……じゃあ、せんぱいはシスコンで間違いないです」
「うわー……めっちゃ、想像できるから否定出来ないな」
「甘々の甘ちゃんですね」
「仕方ないだろ。妹は可愛くてしょうがない存在なんだと思うし」
こつっと凛々花の頭が胸板に当てられる。
そのまま、じっと動かない凛々花に心臓が徐々に徐々に動きを速めていく。
「……何か、あったのか?」
「どうしてですか?」
「近いから」
髪で顔が見えず、何を考えているか予想もつかない。ただ、どうしてか寂しそうにしているのを感じてしまう。
だから、ゆっくりと頭を撫でてしまった。
すると、凛々花は顔を上げてにんまりと笑った。
それは、いつも俺をからかってくる時にするのと同じで俺はやられたと表情を歪めた。
「本当の兄妹なら、こんなことでここまでドクドクさせたりしないと思いますよ」
「本当の兄妹なら、そもそもこんなことしねぇよ。バーーーカ」
「あ、酷いですー」
「うるさい。バーーーカ」
凛々花の頭をタオルで乱暴にわしゃわしゃと拭く。そして、顔を見られないように小顔にタオルをかぶせた。
兄妹じゃないから、そうなるんだろうが。
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