第10話 後輩は耳が弱い。私の耳を触り――んっ!

 俺と凛々花はどういう歯車の噛み合わせかは知らないが利用する駅が同じだ。どこに住んでいるのかは知りもしない情報だけど案外近くに住んでいたりするんじゃないかと思っている。

 世界は意外と狭い、ってことだろう。

 利用する駅が同じなのだから、当然乗る電車も同じになる。片道十五分の時間を隣り合わせで座りながら過ごしていた。


 ただし、一言も喋らずに。


 チラッと隣を見ると凛々花はスマホを真剣に見つめながら指を素早く動かしていた。


 ラインしてる時も思ったけど流石は女の子だよな。俺の比にならない指の動きだ。道理で返信もめっちゃ早いはず。送ったら一分も経たずに送り返されるもん。


「何、してるんだ?」


 何もすることがなく、暇になったので声をかけると凛々花は顔を上げ、どういう表情だと聞きたくなるような笑みを浮かべた。


「ごめんなさい、せんぱい。相手してあげられなくて。寂しくなっちゃったんですよね」

「しょうもないことを口にするいけない子はおまえか」

「やーん。痛いですよー」


 弱々しく凛々花の頭に手を落とすと可愛らしく悲鳴が上がる。この時間、乗客は多くないので迷惑にはなっていないだろう。


「で、何してんの?」

「ふっふっふ。じゃーん」


 嬉々として見せられたのはSNSの画面だった。どうやら、さっき付き合って行ってきた通学路から離れた場所を探検しながら見つけたコロッケ屋のコロッケ写真を投稿しようとしているようだ。


「SNSやってたんだ」

「詳しく知りたいですか?」

「興味あるかも」


 といっても、大方予想はつく。どうせ、おいしかったとか一言添えて投稿しているんだろう。女子特有の華やか青春アピール。

 彼女のアカウントを発見するためにインストールだけしているSNSをタップして、教えてもらったアカウントを見つける。


 アカウント名、リリス。

 アイコンは真っ暗い状態でどことなく闇を感じさせる。フォローもフォロワーもゼロという悲しいアカウントだ。


 そんな、残念な画面をスクロールしていくといくつか見慣れた写真を見つけた。

 それは、俺と過ごした時に撮影していたものだ。


「この為に写真、撮ってたのか?」

「はい、私の目標は全人類のフォロワーを獲ることですので」

「それも、征服するため?」

「もっちのろんろんです!」


 やっぱり、どこかずれてるんだよな。

 利用され始めた日を見れば、二ヶ月前からと出ている。二ヶ月前と言えば、中学を卒業しているかしていないかの微妙な狭間。

 そんな時期から世界を征服しようと考えていたんだと思うと彼女のことが凄く心配になった。


「てか、なんだよ。この――下部と――ってやつ」


 最初の方は自分で満足したような写真や画像に征服してやった、と一言を添えて投稿されている。

 しかし、途中からは俺と過ごした写真になり、それには今日も下部とどこかへ行って何をした、みたいな文章を添えて投稿されていた。

 こんなのただのカップルの共通アカみたいじゃないか。恥ずかしい。


「せんぱいは私の下部ですからね。一緒に行動したら逐一報告しないといけないじゃないですか」

「誰にも見られてないのにする必要ある?」


 凛々花が投稿したツイートには一つもいいねが押されていない。つまり、誰にも見られてないか見ても興味を示すようなものではないと判断されたかのどっちかだ。


「ありますよ、活動することが大事なんですから」


 なのに、彼女は前向きに行動している。

 それが、俺には誰かに見てほしいと叫んでいるように思えてしょうがなかった。


 そう思うのは入学式の日に凛々花が浮かべた笑顔が俺の心を締め付けているからだ。


「せんぱい? 難しい顔してどうしたんですか?」


 でも、それこそただの思い上がりに過ぎないし俺の気のせいだということもある。それなら、俺といる間くらいは何も考えずに自分の目的に突き進めるようにしてあげたい。


「いや、なんでリリスって名前なのか気になって。リリスって確か悪魔だろ?」

「そこに目を付けるとは花丸をあげます」

「学校の先生かよ」

「名前を考えるのが億劫だったので自分の名前から連想してつけたんです。セクシー悪魔リリスの名を!」

「セクシー……?」

「セクシー!」


 幻聴が聞こえたり、聞き間違えじゃなかったみたいだ。

 あれ、おかしいな。だとしたら、どこにセクシーがいるんだろう?


 自分のことをセクシーだと信じきっている凛々花のある部分に視線を持っていく。そして、ついついぽつりと漏らしてしまった。


「詐欺だろ」


 それに、ぴくんと耳を立てて反応を示した自称セクシー(笑)な後輩は頬を膨らませた。


「詐欺とか酷いです!」

「いや、これは完全に詐欺だろ」


 セクシーとは、と検索をかけて調べる。

 性的な魅力のある様を指すらしい。


 今一度、凛々花のことをちゃんと見る。頭の先から爪先までを。横向きだからはっきりとは認識できなくてもやっぱりセクシーからはほど遠いと思った。


 確かに、凛々花に女性的な魅力がないかと言われれば首を横に振らざるを得ない。可愛い顔して、やたらと距離感が近くて、香りが良くて、ドキドキさせられることはいっぱいある。懐いてくれているんだろうってこともめちゃくちゃ嬉しい。

 けど、だからこそ。それは、性的な魅力とは一緒にしたくないし、そういう目だけで見たくない。誰にも見せたくない。


「絶対、顔とか全体は載せたりするなよ」


 今のところ、身バレする可能性があるような写真は投稿されていない。良かった。


「そ、そんなにですか? 制服を着ているから分からないだけであって、私だって脱いだらすんごいんですから……たぶん」


 制服にそこまで抑える能力は備わってないだろ。


「そうじゃなくて。ネットって怖いんだよ。誰が見てるか分からないんだし変なのに絡まれても嫌だろ」


 アイドルのSNSを開き、とあるツイートをタップする。それは、なんてことのない日常の呟き。にも関わらず、気分が良くなる反応だけでなく、気持ち悪くなる反応も多数存在していた。


「こういうのがあるから少しでも自分が特定されるようなものは載せないこと。友達だけとのアカウントなら良いけど……これは、違うだろ?」


 リリスのアカウントには説明の所に世界を征服するために作られたと書かれている。所謂、裏アカというやつだろう。


「せんぱいは私の親ですか?」

「心配なんだよ。あと、下部とか書くのも控えた方がいい。凛々花を知ってないと印象が悪くなるから」


 こういう可愛い子が下部とか言っても微笑ましくて誰も気分を害さない。でも、ネットは相手の顔が見えない。その状態で下部と呟けば嫌悪感を抱き、関係もないのにごちゃごちゃ必要以上に絡んでくる人も少なからずは存在するはずだ。


「良いじゃないですか。こーーーんな、可愛い子の下部になれるなんて幸せなことなんですから」

「とりあえず、こーーーんな可愛いって言うのは止めような」


 どこで誰が聞いて、凛々花に気付くか分からないんだから。

 キョロキョロと周囲を見渡しておく。


 よし、誰もこっちを見てないな。


「なんでですか。私、そこそこ可愛いらしいんですよ!」

「は、そこそこ?」

「そこそこ。なんだか、そんな感じのことを話してるの耳にしました。すっごく可愛い子がいるらしいです」

「へー」


 凛々花以上に可愛い子がいるならそっちに興味がいきそうでちょっと安心した。代わりに凛々花が一番じゃないことにちょっと不満を感じた。

 こんなに可愛いのに見る目がないやつばっかりだ。


「……あの、せんぱい。興味、もたないでくださいね」


 正面を向いたまま、制服をきゅっと掴まれる。


「これっぽっちもどうでもいい」


 その子がどれだけ可愛くても俺はきっと気付きすらしないだろう。


「せんぱいって色々人生損してそうですね」

「そんなことねーよ。平和な毎日を過ごせて文句のつけどころがない」


 今のところ、世界を征服するといっても物騒なことは何一つ行われていない。俺が世界の暗躍機構から狙われたりすることも今後もないだろう。


「てか、俺の人生を勝手に決めるな」


 怒ったりしてないが文句を言う変わりに凛々花の耳を指でつまむ。


「な、何をするんですかー」

「うるさい。ちょっとばかしのお仕置きだ」


 小さな耳たぶの感触は驚くぐらい柔らかくて触り心地がよろしい。ついつい、揉んでみたくなってしまい、指先に力を加えてしまった。


「そんなこと言って、私の耳を触り――んっ!」

「うわっ!」


 艶かしい声を出して、びくんと体を震わせる凛々花。びっくりして俺も飛び退いてしまった。


 え、何? こんな可愛い見た目をして、到底出ないような色っぽい声が出せるの?


「ご、ごめん」


 謝りながら気が付いた。

 凛々花は顔を真っ赤にさせ、涙目になっていた。手で口を隠して俯き、ふるふると体を小刻みに震わせている。

 そんな小動物みたいな動きがさらに罪悪感を抱かせる。


 それと同時に、彼女がセクシーであることはあながち間違っていなかったと思い知らされた。


「ふんっ!」

「がはっ!」


 そんな考えが打ち消されるみたいに凛々花の肘がお腹に打ち込まれた。



「悪かったから許してくれよ」


 二人して地元の最寄り駅で降りた。

 さっきから謝り続けているのに凛々花はむすっとしながら腕を組んで少しも口を利いてくれない。


 悪いのは分かってるから文句なんて言えないんだけど。


「そんなに怒ってると可愛い顔が台無しになるぞ」

「誰のせいで台無しになってるか分かってるんですか?」

「そうだよな。責任は俺にあるんだし」

「そうです。えっち。変態。最低です」


 グサグサと何本もの言葉のナイフで心臓を傷つけられる。

 こういう時、悟ならどうやっ……いや、あの二人ならこうはならないか。悟が胡桃の耳を触っても、喜んで良い雰囲気になるだけだろうし。


 そう思うと二人の関係が少し羨ましい。

 だからって、今どうこうしたとしても世界を征服するので忙しいって断られるだけだろうな。そもそも、俺にも勇気なんてまだないし。


「……せんぱい? 聞いてますか?」

「えっ、あ、悪い。聞いてなかった」


 いつの間にか怒ったような表情ではなく、心配したようにして俺を見ていた凛々花。


「あの、そこまで落ち込まないでください。本気で怒ったりはしていませんから」


 そんなに落ち込んだようにしていたのか。

 たんに考え事してただけなんだけど……。


「……前々から思ってたけど、凛々花って結構Mっ気あるよな」

「なっ……!」


 凛々花は驚いたように口を開け、頬を赤く染めていく。


「え、Mじゃないもん!」

「いや、でも、怒ってないって」

「それは、せんぱいが私に触れてくれたからだもん! 怒ってるのは怒ってるもん!」


 口調が変わってることにさえ気付かないほどの焦りよう……これは、黒だな。


「それ、矛盾してると思うんだけど」

「してないもん。せんぱいが二人きりの時じゃないのに急に触ったりしたからだもん。せんぱいが悪いもん!」


 目をぎゅっと瞑って、言いたいことだけを一方的に言われる。その中に何やら聞き逃せないことが含まれていた。


 二人きりの時じゃないのにって言い換えれば二人きりの時だったら良いってことで……何言ってるんだよ。


 その事に気付いてない凛々花は肩で息をしながら涙目で睨んできていた。


「ご、ごめん。今度は二人きりの時にするから! 急にはしないから!」


 言い終わってからはっとした。

 なんて、馬鹿げたことを言ってるんだと。嫌気がさす。


 そんな、陳腐な返答なのに凛々花はこくんと首を縦に振り、その姿が飼い犬がご主人様に服従しているように思えて――。


「か、帰るか」


 俺は情けなく、そう言うことしか出来なかった。

 明日の朝、どんな顔して会えば良いんだよ……。



「うーん、これで良いか……いや、それともここをこうして……」


 その日の晩、自室にて俺はスマホと睨め合いながらあーだのこーだの呟いては違うと首を振ったりしていた。


「良し。これでいってみよう」


 作ったばかりのSNSの裏アカでリリスのアカウントをフォローする。名前はリリス様の忠実なる下部としておいた。こうしておけば、もしかしたら気付いてくれるかもしれないと期待して。


 一番初めに投稿されたツイートまで遡り、今日投稿されたツイートまで一つも見逃すことなくいいねを押していく。

 そして、コロッケがおいしかったと顔を綻ばせていたことを思い出させたツイートにメッセージを送った。


 いつも見ています。世界征服、頑張ってください、と。


 その直後だった。

 スマホが震動し、凛々花からの着信を捉えた。


 流石に分かりやすかったか。余計なお世話ですとでも言われたら裏アカもっと作ってやろう。


「もしも――」

『せ、せんぱい。助けてください!』


 画面の向こうから焦った声が届く。

 俺はベッドから飛び起き、思わず声を大きくしていた。


「ど、どうした? 何かあったのか?」

『今、SNSで変なアカウントに絡まれたんです。いつも見ていますって……怖いです!』


 あーそうだった。あいつはこういう奴でもあった。そりゃ、気付くはずもないか。鈍感なんだし。


 凛々花に危険が迫ってないと知り、安心してベッドに座り直す。


「とりあえず、無視してブロックしろ」

『そうします』


 後で作ったばかりの裏アカは削除しよう。

 はあ……俺の悩んでた時間はいったいなんだったんだ。


「これで、分かったろ? 絶対に顔写真は載せちゃいけないって」

『はい。絶対、身バレするような写真は載せないように気を付けます』

「よろしい」

『ネットって怖いですね』


 まあ、良いか。今回のことで凛々花の顔写真がネットに晒されることは少なくなっただろうし。


「……変な奴に奪われたりしたくないしな」


 誰にも凛々花が可愛いんだってことを知られたくないしこれで良い。


『何か言いました?』

「何も。用はそれだけ?」

『そうですけど……折角だから、お話しましょうよ。誰かさんのせいで帰りはあまり話せませんでしたし』

「根にもつなよ……付き合うからさ」

『ふん、このお詫びはいつかしてもらいますからね!』

「分かった分かった」


 めんどくさそうに答えると凛々花は拗ねたように文句を口にした。

 それをまた適当に返事する。

 何度もそれを繰り返しながら、夜は進んでいった。

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