第9話 後輩は呼べない。特別扱い出来ますから

 GWも終わり、学校が始まった。

 いつもと同じ、変わらない日常の始まりである。


 今日も今日とて、昼休みになってやって来た森下。加えて、胡桃もやって来て悟との四人のランチタイム。

 初めて、森下と胡桃が顔を会わせた日以降は流石に同じ椅子に座ったりしていない。胡桃が別の椅子を借りて座っているからだ。


「三葉とりりちゃんはGW何かしたの?」

「「りりちゃん?」」

「そう。りりちゃん」


 同じタイミングで首を傾げる俺達を見て、胡桃は「息ぴったり」と感心している。


「急に距離縮めないでください」

「え~、良いじゃん。可愛いでしょ?」

「お子様扱いされているようで不快です」


 そういうところがお子様だと気づくんだ、りりちゃん。


「お子様でしょ」

「一つしか変わりません」

「一つの差は案外大きいんだよ~。それに、ある面に関しては私の方が随分と大人のレディーです」


 ぴんと人差し指を立て、胸を張る胡桃。

 あれ、おかしいな。そんなに大差ないとは思うんだが。


「三葉くーん。処されたい?」


 胡桃からあられもない殺気を感じたので無言で首を振っておいた。


 何も言ってないのにこわっ!


 森下は悔しそうに唸っている。

 悟は苦笑いだ。


「でも、実際可愛いでしょ。りりちゃん」

「なぜ、俺にふる……」

「三葉が可愛いって言えば万事解決しそうだから」

「どういう理屈だよ。まあ、確かに。可愛いのは可愛いな、りりちゃん」


 呼びやすそうだし、子犬の愛称みたいで。


「でしょ? 発案は私だけど三葉も使っていいよ」

「いや、遠慮しとく」

「なんでよー!」

「胡桃と同じレベルだと思われたくない」

「どういう意味!?」

「そういう意味」

「うわーん。酷いよー、悟ー」

「あははは。よしよし」


 嘘泣きをして、所構わず悟に甘える胡桃。

 優しく受け入れる悟を見ながら、相変わらず良好なようである。


「せんぱいって誰にでもそういう態度なんですか?」

「いやいや、そんなことない。てか、そういう態度ってどういう態度だよ」

「優しいような優しくないような。でも、優しい。そういう態度です」

「なんだよ、それ。俺は普通にしてるだけだよ。普通に」


 むしろ、ここまで普通に接することが出来るような関係を築いてくれて感謝してるくらいなんだ。恥ずかしくて、伝えたりはしないけど。


「ところでですが。せんぱいは――」


 後輩が何か言いたそうにしていた時だ。


「笹木くん」


 名前を呼ばれて振り返った。

 そこには、一人のクラスメイトが立っていた。


「さっきは分からない所を教えてくれてありがとう。これ、お礼に」


 そう言って、彼女はジュースを差し出してきた。

 校内にある自販機で買ってきたものだと窺えるそれを手にしながら。


「別にいいのに。あれくらい」

「助かったから。じゃ、ありがとね」


 それだけを言い残すと彼女はさっさと友達の所へ戻っていってしまった。

 折角なので、貰ったばかりのジュースにストローを差す。チューチュー飲んでいると後輩がじっと見てきていたのに気が付いた。


「欲しいのか?」


 ん、とジュースを向けると後輩は首を横に振った。


「そ、そうではなくてですね……彼女はせんぱいの何ですか?」

「何ってただのクラスメイトだけど」

「嘘です。じゃないと、せんぱいが女の子とお話するなんてあり得ません」

「おまえの中でどういう存在なんだよ、俺って……。本当だよ。ただのクラスメイト。さっき、分からない所があるって相談されたから教えただけ。やましいことはない」

「変です。どうして、せんぱいに相談に来るんですか」


 ずずい、っと顔を近づけてくる森下。

 可愛い小顔に心臓が一回跳ねたのを感じ、手で遠ざけるように肩を押し戻した。


「三葉が賢いからだよ」


 どう答えようかと迷っていると胡桃からの助け船が出た。


「え、そ、そうなんですか?」


 信じられないような目を向けてくる後輩に頷きながら息を吐く。

 自慢になりそうだから、言いたくないんだよな。


「まあ、勉強はそれなりに出来る部類だ」

「謙遜しないでよ、三葉。それなりじゃないじゃん。去年、たっくさん助けてくれたでしょ?」

「胡桃はもう少し頑張った方がいいよ」

「悟、それ本気? ねぇ、馬鹿は嫌い?」

「ううん、ポンコツな胡桃は可愛くて好きだよ。でも、赤点ギリギリなのはね。ヒヤヒヤしちゃうんだよ」


 悟の言う通り。胡桃は中々に残念な頭をしている。だから、去年は結構な回数、手助けをした。


「さっきの子とも去年、同じクラスだったんだよ。で、成績が良いって知ってるから聞きに来たって、感じだ。分かったか?」

「てっきり、ただならぬ関係なのかと」

「恋愛的な意味で言ってるならないよ」


 確か、あの子も他のクラスに彼氏がいたはずだし。


「まあ、でも三葉ってモテるけどね」

「おい、胡桃。冗談はやめろ」

「冗談じゃないよ。ね?」

「うん。三葉は優しいからね。ただ、気づかないから実らないだけで」

「悟まで……いいよ、そういう優しさは。だいたい、俺は優しくなんてしてない」

「そういうところが原因なんだよね」


 別に、モテることが嫌だとは思わない。男なら、女の子から好意を抱かれているなら基本的には嬉しいはずだ。

 俺だって嫌われていないと知れてほっとしている。


「ふふ、りりちゃん。どう?」

「ど、どうって何がですか?」

「三葉を狙ってる子、多いかもよ」

「だ、だからって私がどうするんですか?」

「一緒にいられなくなるんだよ? 悲しくないの?」


 俯いた森下を見て、胡桃はにやにや笑っている。

 これは、いじめなんかじゃない。

 けど、後輩が先輩に意地悪をされているように見えて、俺は胡桃の頭を小突いた。


「イッターい」

「こいつのこと、あんまりからかうなよ」

「そうだよ、胡桃。凛々花ちゃんが可哀想だよ」

「うう、ごめんね、りりちゃん」


 悟にまで言われたら素直に謝るしかないようだ。綺麗に腰を曲げている。

 森下は顔を上げ、ぎこちない笑顔を浮かべながら手を振っていた。



 放課後になり、いつもの場所で後輩は待っていた。

 ただ、いつもと違うのは下向き加減で元気がない。


 どうしたんだろう。調子でも悪いのかな。


「教室で何か嫌なことでもあったか?」

「どうしてですか?」

「元気がないように見えたから」


 この前みたいに誰かに嫌なことでも言われたのならストレス発散のためにサンドバッグになろう。


「……私、よく考えたら図々しいなって。もし、せんぱいを好きな人がいれば、私って邪魔者でしかなくて。せんぱいの時間を奪ってる可能性しかないなって」

「おまえが心配することでもねーよ。だいたい、胡桃達が言ってたのが本当かどうかも分からないんだし」


 俺自身、今までに誰かからの好意を感じたことがない。鈍感なだけかもしれないし、気づいてないだけかもしれない。それでも、俺は今までにそういったものを感じてない。


「それに、もしそうだったとしても俺が誰とどうしようが俺の勝手だ。おまえといるのが楽しいからおまえといる。以上」


 口が早くなってしまったけど、これが正直な気持ちだった。


「せんぱいってドMですね」

「そう返されるとは思ってなかったよ」

「だって、私といるのが楽しいなんて」

「おまえは自分のことをどんな風に思ってるんだか……」


 嬉しそうに口角を上げて、優しい笑みを向けられる。

 そんな表情かおも出来たんだな、とついつい見惚れてしまう。


 楽しい……だけで、こんなにも一緒にいたいって思ったりしねーよ。


「で、今日は何をするんですかね?」

「今日はですね、図書館に行きましょう」

「図書室じゃなくて?」

「図書館の方がたくさんですからね。ちょっと、調べものしなくちゃいけないことがあって」

「なるほどな。じゃあ、行くとするか」


 すっかり元気を取り戻した後輩と肩を並べながら学校から歩いて行ける範囲にある図書館を目指す。図書館は今までに利用したことがないのでちょっと楽しみだ。


「あ、そう言えば昼休み何か言おうとしてなかったか?」


 雑談の中で思い出したので聞いておく。

 どうでもいいような内容ならどうでもいいけど何か大事なことならちゃんと知っておいた方がいいからな。


「そ、そうですね……」


 森下は困ったような顔になり、答えにくそうにしている。

 これは、失敗したかもしれない。


「言いたいことじゃないならいい。気になっただけだから」

「えーっとですね……せんぱいはどうして私のことりりちゃんって呼ばないのかなと思いまして……」


 やっぱり、聞いたのは失敗だった。


「呼びたくないからだよ」

「そ、そうですか。まあ、呼ばれたくないので良いんですけどね」


 何食わぬ顔で歩き始める森下。

 でも、隣から見れば少しも気にしてないことはなく、目を伏せていた。

 それが、間違った選択だったとすぐに気づけた俺はずっと口にしていなかった言葉を口にした。


「り、凛々花」


 立ち止まって呼んだ彼女はぴたりと体を固まらせ、俺よりもほんの先で同じように立ち止まった。

 そんな彼女を俺はもう一度呼んだ。彼女の名で。


「凛々花」


 はっきりと告げたそれは今までに一度も俺が口にしなかった言葉だ。

 すると、後輩は静かに振り返ってゆっくりと俺の目を捉えるように顔を上げた。


「な、なんですか、急に……今まで、一度も呼んでなかったくせして……」

「呼びたくない理由だよ……呼ぶなら、ちゃんと名前がいいって思ってた」


 恥ずかしくなってきて、顔が熱いのが分かってしまう。手には変な汗も滲んでいて情けなくなってしまう。


「だ、だったら、最初からそう呼んでくださいよ。いっつもおまえって呼ばれて……せんぱいは名前、覚えてくれてないんだってショックだったんですからね!?」


 照れてるから早口になっているのか。それとも、怒っているからなのか。どっちなのかは分からない。

 でも、頬を赤くさせながら噛みついてくるように近づいてくるのはあの日を思い出させる。


「忘れたことなんてねーよ。なんなら、フルネーム漢字で書くことだって出来る!」

「なっ……そ、それは、ちょっと……」

「引くな。相性占いに使おうとか考えてもないから引くな」

「あ、当たり前です。何を言ってるんですか」

「だ、だよな。悪い。口が滑っ――」

「もし、相性が悪かったらどうするんですか!」

「そっちかよ!」


 夕日が照らす通学路から外れた道の上。

 数人の通行人の視線を集めながら、俺達は何を馬鹿なやり取りをしているんだろう。

 学校に苦情の電話を入れられないようにと願いながらお互いに息を整える。


「……どうして、教えた日から呼んでくれなかったんですか?」

「分からなかったんだ。最初から、下の名前で呼んでいいのか」


 俺自身、そこまで仲良くもない人から下の名でいきなり呼ばれると警戒して身構えてしまう。


「……あと、恥ずかしかったんだよ」

「ヘタレですか」


 うるせー。どうせ、俺は彼女いない歴イコール年齢の残念なやつだよ!


「つーか、おまえだって」

「また、おまえ呼び!」


 まだ、そう何度も呼べそうにないのに。

 俺は喉を鳴らして、調子を整えてから戦いに挑むような気持ちで後輩――凛々花を呼んだ。


「り、凛々花だって俺のこと名前で呼ばないだろ。悟と胡桃のことは名前で呼ぶのに」


 いかにも、俺が悪い、みたいになっているが声を大にして抗議したい。凛々花だって、出会ってから一度たりとも俺のことを笹木先輩とか三葉先輩って呼んだことがないんだ。

 別に? どう呼ばれようがどうでもいいから? 気にしてなんか? いないけどっ!

 それでも、俺だけというのは不公平だ!


 じーっと不服そうにしながら凛々花を見ると視線が徐々に泳ぎ始め、逃れようとする。


「さあ、図書館に行きましょうか」


 何事もなかったように進もうとする後輩の腕を俺は逃がさないように掴んだ。


「せんぱい、離した方が身のためですよ? 悲鳴まで、三秒前です」

「はは、脅せると思うなよ。誰か来ても呼び方を決めてるって言えば微笑んでスルーしてくれるさ」


 少しでも力を込めれば痛がらせてしまいそうで注意を払いつつ、ゆっくりと近づいていく。目線を落とせば、ちょうど二つの影が重なっていた。


「で、何かよっぽどな言い訳があるなら聞くけど?」


 嫌味ったらしく、反撃のつもりで口にすると凛々花は睨んだまま口を動かさない。

 そんな彼女を挑発するように鼻で笑った。


「ああ、そうそう。俺をヘタレ呼ばわりしたんだ。それ以上の理由を頼むぞ?」

「ああ、もう。せんぱいは酷いです。私もヘタレたんですよ! 同じレベルなら文句ないですよね!」


 むきになって、腕をするりと抜けさせて組む凛々花。

 どうして、そうも偉そうなんだ。


「鏡の前で練習しても中々呼べなかったんで笑いたきゃ笑えば良いですよ!」

「……いや、いい」

「……あの、照れられると私だけが痛いやつみたいなので笑ってください」

「照れてない」

「赤くなってます」

「可愛いおま――凛々花が悪い」


 鏡の前で練習ってなんだよ。想像しただけでも可愛いくて笑いそうになるわ。

 必死に堪えながら、思い出す。


「そう言えば、この前。みつみつ呟いてたのって……」

「そ、そうですよ。胡桃先輩のことは名前で呼んでるし私も呼んでほしいって思って頑張ったんですよ」

「じゃあ、直接言ってくれよ。胡桃だって名前で呼んでって言われたから今みたいになったんだし」

「……言ったら、呼んでくれるんですか?」

「呼ぶよ。凛々花」


 まだ気恥ずかしさがない訳じゃない。なにしろ、下の名前で呼ぶ女の子なんて胡桃しかいなかったんだ。俺に懐いてくれている子を呼ぶのは熱くなる。

 それでも、いつかは呼びたいと思ってた。悟がすぐに呼び出して、流石リア充は違うなと思った。

 俺はそうはなれない。だから、遅れをとった分、今からは何度でも呼びたい。


「凛々花は俺のこと――」

「呼んだりしませんよ。だって、私がせんぱいをせんぱいって呼ぶのにはヘタレた他にも理由がありますから」


 その理由がなんなのかを聞こうとする前に凛々花は顔を隠すように背中を向けた。

 これは、聞けそうにないな。

 しかし、そう思った束の間、彼女はそのままでぽつりと漏らした。


「せんぱいだけ名前をつけずに呼べば特別扱い出来ますから」


 どうせなら、名前で呼んでほしいっていう気持ちがある。けど、特別扱いされているならいっか。


「……せんぱいを名前で呼ぶのは関係が変わってからです」

「……それって」

「そ、卒業したらせんぱいじゃなくなりますからね!」

「だ、だよな!」


 分かっている。卒業すれば、俺は彼女が呼んでいる意味での先輩ではなくなると。

 その時を迎え、その後を迎えるためにも今はしっかりリードを握っていないと……!


 この日以降、俺は後輩のことを凛々花と呼ぶようになった。悟や胡桃は意外そうな顔をしていたが無視だ無視。

 凛々花と呼ぶと彼女は綻んでくれるのだ。

 俺は自分と凛々花のために呼んでいる。

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