第11話 後輩は遅れない。いつも私が遅刻してるみたいです

 珍しいこともあるもんだ、と感心しながら踏み切りの向こうに歩いてくる凛々花を発見して思った。

 俺と凛々花の家は踏み切りによって分断されている。


 入学して随分と時間が経った。

 しかし、遠くから見ても分かる程度にはぴかぴかの制服を着ている凛々花はふんだんに新入生だと自然とアピールしている。


 本当に高校生には見えない。実はまだ中学生で先生をどうにかして飛び級したんじゃないだろうか。


 そんなことを考えながら彼女を見ていると何かを感じたのか睨むような目付きでこちらを見てきた。

 だが、それも束の間。

 すぐに俺だと分かるとこっちが恥ずかしくなるくらい笑顔になって駆けてきた。


「おはようございますっ、せんぱい!」

「おまえさぁ……ほんと、そういうとこ」


 首をきょとんと傾げる彼女には何を言ってもきっと無駄になるだけだろう。それなら、何も言わないでこの幸せに浸りたい。


 めちゃくちゃに頭を撫で回したい。今のなんて完全に飼い主を見つけて走ってきた子犬じゃないか。目の錯覚か、犬と尻尾まで見えてきたし。


「おはようさん。今日は早くて偉い偉い」

「その言い方だといつも私が遅刻してるみたいじゃないですかー!」

「実際してるだろうが!」


 俺と凛々花が出会ったのは入学式だ。

 その翌日が始業式。その日、学校に着くと校門の所で彼女は立っていて、俺を見つけると颯爽と面前に現れた。

 そして、どういう訳か今日も一緒に帰りましょうと誘われた。


 頭の中に疑問だけが浮かび、どうせ嘘だろうと適当に返事をしたのが始まりだった。

 その日から、彼女は本当に俺を待つようになった。

 そして、その延長で一緒に登校しましょうと約束を取りつけられてしまったのだ。


 待ち合わせの時間を決めて、俺は遅れたら悪いと思って毎朝きっちりと守っているにも関わらず、凛々花は初日から遅刻した。

 前日、もしかしたら遅刻するかも、と言われていたが悪びれる様子もなかったのには流石にちょっと腹が立った。

 しかし、それも毎日となると慣れてくるもので今では朝は俺が待つのが当然だということになっている。


「毎朝、こうだと嬉しいんだけどな」

「毎朝は無理ですね。てか、せんぱいが遅い時間に来れば良いじゃないですか?」

「馬鹿か。もし、凛々花の方が先に着いてたら待つことになるだろ」

「……も、もう。本当にせんぱいは……」


 凛々花は俯いて、ごにょごにょと何か呟いている。耳を赤くしながら、チラチラと伺うように見上げられる。


「どうかした?」


 ふるふると無言のまま首を横に振りまた目線を下げた。かと思うと弱々しく、袖を握ってくる。


「ホーム、行きましょ」


 いつまでも階段付近で話していても邪魔になるだけだと凛々花が袖を離し一歩遠退いてから移動した。


 ホームに着く間に何回か深呼吸をしていた凛々花はいつの間にか調子が戻っていて、いつものように元気で憎たらしいくらいに可愛い状態に戻っていた。


「良い機会だし毎日遅刻してくる理由を聞いてやろう」

「なんですか、その言い方。私は無罪です」

「有罪だ。カツ丼は出せないけど――」

「カツ丼!?」


 はっとして慌てて口を隠す凛々花。

 己の欲求に素直というか単純だというか。


「食べ物で釣るなんて酷いです」

「食いしん坊を主張する前にもっと主張すべきことがあるだろ」

「どこを見てるんですか!」

「待て。今は目しか見てないだろ。自虐ネタを使えば見逃してもらえるとか思うんじゃない」

「ちっ!」

「舌打ち!? 舌打ちしたのか、今!」


 朝っぱらから凛々花と一緒だとうるさくてしょうがない。去年の今頃は眠気眼であくびを殺しながらボーッと電車を待っていただけなのに。


「あ、せんぱい。電車ですよ、電車」

「そうだな~。いつも、俺が見逃してる電車だな~」

「うぐっ」

「毎朝、乗れる電車なのに乗らない変な高校生として見られる気分、分からないだろうなぁ~」

「うぐぐぐ」

「続きは車内で……いいな?」


 悔しそうにしていた凛々花だが、ここで一人乗らないという選択肢は取らないようだ。それをしても、俺も乗らずに一緒にいることが分かっているのだろう。

 苦虫を潰したような顔をしている凛々花の腕を逃げないように掴み、電車へと引っ張った。

 その際、この前よりも力を必要としなかったような気がした。


「私、囚人じゃないんですけど~」


 ぶつぶつ文句を垂れる凛々花の腕を解放し正面から向き合う。


「で、毎朝何してるんだよ?」

「もう、せんぱいったら~。いくら、私のことが好きだからってそんなに逐一私のことを知っておきたいんですか~?」


 ニヤニヤ笑ってやがる。そう言えば、俺が恥ずかしがって見逃してもらえると思ってるんだな。まったく、舐められたものだ。


「違う。しょうもない理由だったら待つのを止めようかと」

「好感度を上げて下げていくスタイル。推奨しませんよ……って、何をニヤニヤしてるんですか?」

「俺って好感度上がってたんだなと思って」


 さっきのことを思えばそんなのは分かりきっていたけどいざ実際に言われると感じるものがある。


「中の中の中の中の上ですから!」

「どれくらいか分かんねー……。つか、本題を進めよ。いい加減に」

「せんぱいから恥ずかしいこと言い出したくせに」

「そのままお返しするわ」


 凛々花はうっすらと朱色に染まった頬を手で扇ぎながらこほんと咳払いをひとつした。そして、少しだけ体を揺らしたかと思えば恥ずかしそうに口を開いた。


「お、お化粧ですよ」

「化粧」


 女の子なら、誰でもやっているようなことなのにどうして恥ずかしがるんだろう。

 もじもじしている凛々花を見ながら首を傾げた。


「する意味ある?」

「なっ……わ、私はお化粧も似合わないほどお子ちゃまだって言いたいんですか!」

「違うって」


 噛みつこうとしてきたので手で制止ながらじっくりと凛々花の顔を見る。

 相変わらず、一つ一つのパーツが小さくて可愛いなぁ。肌もすべすべもちもちそうで触れてみたい。


 いつまでも見ていたら欲求が強くなり手が勝手に伸びそうなので泳いでいる目を見る。


「凛々花の場合、元が良いからする意味あるのかなって思っただけだよ。それに、あんまり化粧そのものに興味ないんじゃないかと思って」


 母さんがそうなのだ。出掛ける時はそれなりにちゃんとするけど普段は適当にちょちょいとやって済ましている。

 母さん曰く、毎日するのはめんどくさいらしい。


「元々白い頬っぺたに色加えたり、ぷるぷるそうな唇に薄色のリップを塗ったりくらいだと思うんだけど……あってる?」


 可愛いという判断は出来ても化粧そのものには詳しくはない。全て、推測でこれくらいだろうと思っただけ。


 改めて考えるとどれだけ凛々花のことばっかり見てるんだよ。恥ずかし。


「あ、あってます……」

「良かった。でさ、化粧って毎日するのは大変なんだろ?」

「ま、まあ……時間はかかりますね。私の場合、短い方だと思いますけど」

「俺にしか見せないんだし、じゃあ別にしなくても良いんじゃないかと思ったんだ。これが、さっきの意味の答え」


 凛々花は顔を上げ、信じられないような目を向けてきた。真ん丸の目を大きく見開いている姿に頭を悩ませる。


「せんぱい……それは、流石にキモいです」


 何が、と言いかけて思い返す。

 確かに、あれは酷い。


「い、いや、でも、実際そうだろ? 俺以外に見せる相手はいないんだし……」

「そ、そうですけど口に出す必要がありましたか?」

「……なかったと思います」

「それに、そんなにせんぱいがちゃんと見てるなんて知らなくて……キモいです!」


 それは、照れ隠しからなのだろうか。それとも、本心からそう思われたのだろうか。もし、後者ならちゃんと伝えて誤解を解かないと。


「見てるよ。凛々花のこと……三日目から遅れてきたことにも答えが出てるくらいにはちゃんと見守ってる」

「……それ、絶対口に出したりしたらいけませんよ。私、寝込む自信がありますから」


 三日目……つまり、朝一緒に行こうと約束をし始めた日から凛々花は遅れてきた。その前日は学校で俺を待っていた。それは、家を早く出たからだろう。

 じゃあ、どうして三日目から遅れるようになったのか。


 俺の都合良く働いている頭の中には答えがある。


 きっと、初めての化粧で時間がどれくらいかかるのか分からなかった。なら、どうして化粧をしようと思ったのか。それは、凛々花が告げている。


「で、これからも待っていてくれますか?」

「ずっと、待ってるよ。約束してるんだし」

「律儀なせんぱい、良いと思いま――」

「うおっ」


 電車が大きく揺れ、凛々花が前のめりに倒れてくる。他の客に迷惑にならないよう近くで話していたからか、受け止めようとして不格好な抱擁みたいな結果を招いてしまった。

 すっぽりと埋まるような形になった凛々花を支える俺は珍しいことにも突き飛ばされたりされることなく耐えることが出来ていた。


 自分で言うのも情けなくて悲しい話だけど俺の体はお世辞にも良いとは言えない。至って普通だろうし手足だって胡桃から羨ましがられるほどには細い。

 なのに、電車という不安定な足場で揺らぐことなく立っていられるのは謎だった。

 まさか、超能力に目覚めた訳でもあるまいし。


「どっかケガとかしてないか?」


 目線を下げるとわたわたと動き、突き飛ばすようにして凛々花は離れた。その際も俺はグラッとしたけど足が動くことはなかった。


 そこから、導き出される答えは一つしか思い浮かばなかった。


「あ、ありがとうございます」

「ん、無事ならそれでいい。駅に着いたらコンビニ寄ってもいいか?」

「はい」


 まったく、困った後輩だ。

 本当にちゃんと見ていないと心配になる。

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