第29話 後輩の部屋。女の子の理想なんて抱かれても困ります

 凛々花に連れられたエントランスも豪華でどうにも住む世界が違うように思った。

 大きなエレベーターに二人で乗り、かなり上の方にまで登っていく。


 初めて屋上でご飯を食べた日、凛々花は言っていた。家から見る景色の方がもっと圧巻だと。

 今日は生憎の天気で見ることは叶わないがエレベーターのガラス窓から見える景色ですら屋上よりも圧巻なんだろうということが分かる。


 毎日見てたらそう思うわな。


 到着したのは最上階よりも少し下の階で廊下を案内されながら歩いていく。見る限り汚れもなく、濡れた地面を踏んできた土足で歩いていいのかなと不安になった。


「さ、どうぞ」

「お、お邪魔しまーす……」


 中に家族がいるんじゃないかと声を出したけどあんまり大きく出なかった。それどころか、明らかに緊張したようになっていてめちゃくちゃ恥ずかしい。


 大きな玄関で待っていても中から返事もなければ、誰も出てくる気配もない。しーんと静まっていて、広い家が無機質なもののように思えて、肌寒い感触を覚えた。


「誰もいないのでかしこまらなくて大丈夫ですよ」

「……そんな状況で男を簡単に入れるなよ」

「どうしてですか?」

「どうしてって……もし、襲われたらとかさぁ……そういうの気にしろってこと」

「私、襲われるんですか?」

「襲わないけど……頭には入れといた方がいいよって」


 力勝負では絶対に負けないんだから。


「せんぱいは信用してるのでそういう警戒とかしないです」


 それは、喜んでいいのやらダメなのか。男として見られていないのか、それとも、信用されまくっているのか。どっちにしろ、信用を裏切らないように気をつけないと。


「それに、いつ誰が帰ってくるかも分からないのに襲ったり出来ないでしょ?」

「……よく、お分かりで」


 本当、気を付けよう……。


 濡れた靴下を玄関で脱いで、渡された凛々花曰くのふわっふわのタオルで足を拭く。そのまま、艶々と輝いている廊下を通り抜けてリビングへと案内された。

 大きなテレビとその前にこれまた大きなソファがあり、あとは机と椅子だけが置かれている。


 あまり、物を置かない家族なんだろうか。なんにせよ、俺の家とは広さも物の高級さも全然違うな。


 ソファに座っているように言われ、持ってきてくれたドライヤーで濡れた髪を乾かす。凛々花は部屋を片付けてきます、と走っていったので制服を脱いで温かい風を当てていると。


「せんぱー――何を脱いでるんですか!?」


 ドアの方に目を向けると凛々花の背中があった。顔には手を当てているようで、俺の背中を見たからだということが分かった。


 人の家で服を脱いで上半身を晒す行為が行儀が物凄く悪いことは理解している。もし、凛々花の家族が帰ってきたら通報されてもおかしくないことも。

 でも、濡れたままの制服で家の中を濡らす訳にもいかなかったのだ。


 それに、玄関が開いたら気配で分かるし急いで着替えれば問題ないからな。


「乾かしてるんだよ」

「だからって、脱ぐなんて……何を考えているんですか!」

「いや、この方がよく乾かせるから」


 凛々花はずっと後ろを向いたままでリビングに入ってこようとさえしない。手もずっと顔に当てているようで見えないようにしているのが分かる。


 照れてるのか? 男の肌なんて見ても、別にどうともないだろうに。


 制服が乾いたのを確認すると袖を通した。ドライヤーの温かい風が残っていて、冷えた体を優しく包み込んでくれる。


「着替えたからもう振り向いて大丈夫だぞ」


 おどおどと覚束ない動作でゆっくりと振り返って凛々花は手を退けると、制服を着た俺を見てほっとしていた。


「この前、プールで見てるだろ?」

「そ、それとこれとは別です……変な汗出ちゃいました!」


 パタパタと手を団扇のようにして扇ぎながら冷蔵庫の方へと歩いていく。凛々花は制服のままでちょっと残念な気持ちになった。


 部屋着がどんなものか見たかったな。よれよれのジャージとか可愛い系のもこもこタイプとか……想像が膨らむ。


「せんぱーい、飲み物はどうします?」

「いや、俺は帰るよ。制服も乾いたし」


 ソファから立ち上がってカバンを手にすると凛々花はコップを机に置いてずかずかと歩いてきた。

 あんなにずんずん歩いて下に足音は響かないんだろうか。


「私の部屋は!?」


 いや、そう言われましても……なんて返せばいいんだ?


「私の部屋は!?」

「二回も言わなくても聞こえてるよ」

「じゃあ、私の部屋は!?」

「ロボットか!」

「なんのために綺麗にしてきたと思ってるんですか!」

「……俺を招くため?」

「その通りです!」


 自分の部屋は最も大事なプライベートな場所だ。そこへ、俺を招いてくれるというのなら喜ばしいことだけど。


「そのさ……入っていいの?」

「もちろんです。せんぱいは私の部屋なんて興味ありませんか?」

「め、めちゃくちゃある」


 そんなのありまくってるに決まってる。凛々花の部屋着でさえ、めちゃくちゃ気にしてるんだ。


 すると、凛々花はにっこりと笑って腕を引っ張るように掴んだ。


「じゃ、いきましょ」


 そうやって、連れてこられた凛々花の部屋は黒一色で統一されていた。絨毯もカーテンもベッドでさえも黒。テレビが置かれていることも黒を強調させている。


「病んでたりしないよな?」

「女の子の部屋を見ての第一声がそれ!?」

「悪い。つい、心配になって。女の子の部屋ってもっと可愛いものでいっぱいできゃぴきゃぴしてるもんだと思ってたから」


 可愛いぬいぐるみをベッドに置いて、寝る時はそれを抱きしめて寝たりするのが女の子なんだと思ってた。

 けど、凛々花の部屋には本棚と丸テーブルにテレビとそれを置く台と……あまり女の子っぽさがない。


 この部屋で一人世界征服を企んでいるとしたら秘密基地って感じがする。


「そういう女の子の理想なんて抱かれても困ります」

「黒魔術の練習とかしてないよな?」

「もおー」


 頬を膨らませる凛々花に俺は笑って何気ない様子を装ってはいるが内心はどうしようかと焦っていた。


 どこに座ればいいんだ? ずっと、突っ立てるのも変な話だし……分かんねぇ。


 結局、悩んだ挙げ句に丸テーブルの側に座った。凛々花も形式的な隣に腰を下ろした。


「自分の部屋にテレビがあるとか羨ましい」

「ないんですか?」

「そんなリッチ生活中々出来ないから。いつも、チャンネルの取り合いしてるよ」


 めんどくさそうに言えば凛々花は小さく笑った。

 そして、寂しそうにぽつりと呟いた。


「……私はその方が楽しそうで羨ましいですけどね」


 それに、俺はなんて言ったらいいのか分からずに口を閉じてしまった。訪れる沈黙。降り続ける雨の音がこれまで以上に大きく聞こえる。


 しかし、そんな時間を霧散させるかのように凛々花はわざとらしく明るい声を出した。


「せんぱいせんぱい、何して遊びます?」

「そんな、小さな子供じゃないんだからそう言われても……」

「えー。じゃあ、何するんですか?」


 女の子の部屋にきて何をするかなんて俺の頭にはない。腕を組んで暫く考え、浮かんだ変な考えは捨てておく。


「折角だし、勉強でもするか」

「そんなのつまんなー……もしかして、エッチなお勉強ですか?」


 どうして、すぐそんな考えに……恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。


 うっすらと頬を赤くした凛々花の頭を押し返して元の位置に戻させる。


「普通の勉強だよ。終わったら、凛々花がしたいことに付き合うから」

「約束ですからね」

「はいはい」


 机の上に筆記用具やノートを出し、勉強を始めた凛々花を俺は見守ることにした。パーソナルスペースで凛々花を笑顔でいさせ続けるにはどうしたらいいんだろうかと考えながら。

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