第19話 後輩と出会った日。すべての始まり
後輩が言っている意味が分からなかった。
ペタンコな胸をそらしながらふふんと鼻を鳴らしている彼女は決まったとでも意気がっているのかどや顔気味だ。
大変可愛らしく見えるが俺はぽかんと口を開けた。
「よし、ジュースでいいな? 何がいい?」
「飲み物なんていりません。先輩には私の
「さようなら」
逃げるが勝ちだ、と逃走を試みた。
しかし、ガシッと腕を捕まれて、無理をして振りほどけばどこかにぶつけて怪我でもするんじゃないかと足を動かせなかった。
小柄ってズルい!
「逃がしませんよ」
「言ってる意味が分からねーんだよ。変なことに巻き込むな」
「丁寧に教えているじゃないですか。世界征服ですよ、世界征服」
「だから、それが分かんねーんだよ!」
おまえの頭では当たり前でも俺にとっては馬鹿げた笑い話なんだよ。
「大声だしていいんですか?」
「は?」
「体育倉庫に後輩の女の子と二人して汚れているこの光景……見られて何もないことってあるんですかね?」
「こいつ……!」
うふふふ、と可愛らしく笑う後輩が憎たらしくてしょうがない。さっきまでは可愛い上に優しくて超良い子だと思ってたのに。ガッカリだよ!
「さて、静かになったところで続けましょうか。先輩には拒否権がありません」
「待て。そもそも、俺を先輩だと言うが実は俺は先輩ではない」
「そんな見え透いた嘘をついて自分が間抜けだと悲しくならないんですか?」
――実は、ドMなんですか?
そう付け加えた後輩の顔が引きつっていくが俺も同じようにして頬を引くつかせた。
こいつ、さてはアホだな。
その言葉が自分にブーメランだということに気付かない後輩はマウントをとれたと勘違いしたのかさらににんまりと口角を上げる。
頬をつねりまくってやろうかと思ったけど冷静になってアホな後輩に説明してやることにした。
「いや、俺はおまえの先輩じゃない。人生の先輩って意味だと確かにそうだけど……そういう意味じゃないだろ?」
「この期に及んでしつこいですね」
「いや、本当だ。嘘なんてついてない」
間抜けを晒し続けている訳じゃない。これにははっきりとした理由があってその上で俺はこの子の先輩ではないと言っている。
「この学校って明日が始業式なんだよ。つまり、俺はまだ一年生で明日から二年生になるってわけ。お分かり?」
俺はこの子の先輩でこの子は俺の後輩。その関係性に間違いはない。ただし、それは明日からだ。今日はまだ違う。その証拠に、俺は一度も彼女を後輩だと呼んでいない。
論破成功、と嫌味ったらしく笑うと彼女は頬をぷくっと膨らませた。
「という訳でさようなら。世界征服はお一人で楽しんでくれ」
無事に逃亡成功だと安心しきっていると背中に衝撃が走った。後ろを振り向くとバスケットボールが転がっている。
投げたのか!? なんて、後輩だ!
「鬼畜鬼畜鬼畜。私のパンツ見たくせに!」
「そこに、話を戻すな。てか、あれは事故だ事故。風で捲れただけだろ。それに、クマさん可愛かったぞ。子供っぽくて!」
「変態変態変態。最低最低最低!」
「ちょ、投げるな。ボールを投げるな!」
ああ、もう。なんなんだよ、こいつは。めんどくせえ!
投げられるボールをかわしたり、キャッチしたりしながら後輩に近づいていく。
「落ち着けって」
投げようとしていたボールを取り上げると彼女は涙目になりながら見上げるようにして睨んできた。頬は赤くなっている。
「……なんですか。襲う気ですか」
「そんなことしないって」
「どうだか。このロリコン」
どうやら、随分と誤解されているようだ。
俺は可愛いが好きで別に幼女を特に愛している訳ではない。まあ、嫌いではないけど。
「自分がロリっ子だって認識あるんだな」
「今のが遺言でいいですね」
「めちゃくちゃだなぁ……」
ぶすっと膨れて拗ねる後輩に苦笑を浮かべる。
どうすれば良いんだろう。正直、世界征服の手伝いなんてしたくないんだよ。そもそも意味が分からないし。
「……あのさ、本当にジュースじゃ嫌か?」
本当なら汚れることもなかったのに厚意で手伝ってくれたから何かしらのお礼はすると決めている。
でも、俺達の関係なんてこの先はない。
今日のことで顔見知り程度にはなった。けど、それで何かが変わることもない。明日からは本当に先輩後輩になるけど、それまで止まり。
縁を続ける気もないし、お礼だけしてそれで終わりだ。
「なんなら、自販機のジュース全部でも良いけど……」
後輩は何も言わないままじっとしている。
さっき見せた悲しそうな……寂しそうな表情を浮かべて。
俺が彼女にしてあげる恩はここまでない。
けど、どうにもこのまま騙されたふりをして気付かないでいるのは後ろ髪を引かれるみたいで嫌だった。
「分かったよ。その世界征服? ってのがよくは分からないけど手伝うよ」
「ほ、ほんとですかっ!?」
頭をかきながら言うとぱあっと後輩の曇っていた表情が晴れやかなものに変わっていく。
「ほんとほんと。ほんとだよー」
もう、どうにでもなれと半分ヤケを起こしつつ返事すると声にならない声が後輩から出た。
目を細めて胸の前で手を握る彼女は今日一番で可愛く見えた。
「よろしく、お願いしますね。えーっと」
「三葉。笹の木に三葉のクローバーで笹木三葉。よろしくな」
「私は凛々花です。森の下に凛々しく咲く花で森下凛々花です」
この可愛い存在と暫くの間は行動を共にするのか……うん、最高だな。精々、沢山可愛い姿を見せてもらおう。
そう自分に言い聞かせ、俺は世界征服の手伝いをすることに決めた。
どうせ、本気じゃないんだろうし適当に話を合わせておけば大丈夫だろう。
「――で、世界征服ってそもそも何をするんだ?」
二人で体育館を出て、校門を目指している最中に質問した。
問題はこれである。まさか、銃や爆弾を手にして世界を征服する訳でもあるまいし。
しかし、森下は答えることなく立ち止まりある一点をじっと見つめていた。
その視線を追うと入学式とでかでかと書かれてあった看板が係の先生達によって片付けられている最中だった。
辺りにはあれだけいた人が今はすっかり見えない。当然だ。もう入学式からは随分と時間が経っている。
「あ、すいません。ボーッとしてました。なんですか?」
「いや、なんでもない。それより急ぐぞ」
「え……ちょ、ちょっと……」
森下の腕をとって走り出す。
転けないようにだけ気を付けて急いで片付けている先生の元へと向かう。
「ちょっと、待ってください」
「なんだ、どうかしたか?」
「いえ、少しお願いがありまして。写真、撮ってもらってもいいですか?」
スマホを差し出せば嫌な顔をされた。
先生のくせに。教育委員会の議題にしてもらうぞ。何しろ、こっちには世界を征服しようと試みているおっそろしい子犬がいるんだからな。
「片付けている最中なんだ。諦めなさい」
「そこをなんとか」
「どうしても撮りたければ自分達で片付けるんだな?」
くそ、もう一回片付けるのが面倒だからってこの教師。
「へ、変なこと言ってないで帰りましょうよ」
後ろで森下が不安そうに声を出す。
けど、そうはいかない。森下はそもそも望んでいないのかもしれない。だけど、折角の入学式。親が来てくれなくて寂しそうにしていたのを見ると何か一つくらい良い思い出を残してあげたい。
「分かりました。自分で片付けるので――」
「まあまあ、良いじゃないですか、先生。折角の入学式なんですし記念なんですから」
もう一人やって来た先生が優しい声音で言ってくれて、最初は断っていた先生も渋々了承してくれた。
校舎をバックに置かれた看板の隣に並ぶ。
「じゃあ、撮るよ。はい、笑って笑って」
パシャリとシャッターが切れる音を聞いてから気付いた。
なんで、俺まで一緒に撮られてるんだ。俺は一年前に済ませただろ。しかも、俺のスマホでだし。
「ほら、おまえのスマホ貸して。撮るから」
「一緒に写ってくれないんですか?」
「俺の入学式はとっくに終わってるんだよ」
「一緒に写ってくれないと嫌です」
まあ、一人で写っても余計寂しくなるだけか。
「わーったよ。じゃあ、渡してきな」
「はい」
笑顔を残して、子犬みたいに小さな歩幅で駆けていく後ろ姿を眺めていると胸がきゅっと締め付けられる。
色々とおかしな子だけどやっぱり可愛い。それに、写真を撮って良かった。喜んでくれてそうで。
小走りで戻ってきた森下は隣に立つ。
身長差が目立つ並びのまま、二枚目の写真を撮ってもらった。
「うん、中々上手に撮られてるな」
生徒手帳に貼ってあるような目を瞑っている写真よりはまともに見える。それは、きっと隣の女の子がとびきりの笑顔をしているからだろう。
人生で初めて女子とツーショット写真撮っちゃった……悪くない。
「さてと……せんぱいはどっち方面にお帰りですか?」
「だから、俺はまだ先輩じゃないって言ってるだろ?」
「細かいことはどうでもよくないですか? どうせ、明日からはせんぱいになるんですし」
「大雑把だなぁ。俺は電車通学だから駅まで行く。おまえは?」
「一緒です。帰り道、同じですね」
この学校に通っている生徒のほとんどが利用している駅は一つしか思い浮かばない。
二人で同じ駅を目指して歩き出す。
今日は昼過ぎには家に帰れていたはずなのにもうすっかりと夕方になってしまった。貴重な春休み最終日が……とほほほほ。
「せんぱいって面白い人ですね」
「どこが?」
「内緒です」
「はあ?」
楽しそうに笑う森下に俺は首を傾げた。
なんだか、今になってどっと疲れてきた気がする。よく考えれば体いっぱい動かしてるし精神的にも色々と悩まされたから当然か。
世界征服。
改めて考えてみたら余計に頭が痛くなる。
戻れならミスを犯した修了式の日に戻ってやり直したい。
けど――
「せんぱいせんぱい。夕日が綺麗ですね!」
可愛い後輩から笑顔で先輩と呼ばれるのはそこまで悪くない。
疲れた脳は俺にそう思わせたのだった。
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