第13話 後輩は小さな女王様。疲れたので足を揉んでください

 今日は以前、凛々花と特訓した目的であるスポーツテストの日。

 特訓という特訓をした訳ではないけど去年よりも成績が良くなっていることには自然と嬉しくなる。体を動かす楽しさに目覚めそうだ。


 ただ、まあ。普段から体を動かしている悟と比べたら俺なんてそこらの雑草と変わらない。風が吹けば揺られる道端の雑草みたいな気分になりながら、音楽に合わせて走り続ける悟を応援していた。心の中で。


 順調にスポーツテストも進み、残るのは最後の一種目、ボール投げとなった。

 今のところ、出席番号順で俺よりも前の人に良い成績者はいない。この学校に野球部はなく、素直に腕力だけで勝負が行える。

 順番となり、ボールを片手に定位置へと向かう。


 昔から、ボールを投げることだけは得意だった。決められた範囲から出ないように気をつけ、ボールを投げる。思いの外、遠くに飛んでクラスの中では一番の成績を残せた。


 このまま、誰にも記録を抜かれなければ凛々花の助けになれるかも。そう思い、手を組んで祈っていたが最後の方になり、俺の戦績は儚く散った。

 やはり、運動部がいる状況で一位になるのは難しいと思い知らされた。



「あー……肩がダル」


 今日は普段の体育と違い、真面目に取り組んだからだろうか。いつもより、体が重く、腕を突っ伏したらそのまま眠ってしまいそうだ。

 そんな暇はないだろ、と首を振り気合いを入れる。


「こんな日に限って日直なんだからタイミング悪いよな……」


 日直といっても大層な仕事があるわけではない。休み時間に黒板を綺麗にしたり、日誌を書いて提出したり。その程度だ。

 一応、凛々花には昼休みに言ってある。


 ――今日日直だから、放課後は遅くなる。帰るなら、先に帰ってていいから。

 ――あー、はい……。


 スポーツテストを頑張ったからなのか、凛々花は疲れたようにぐったりとしていて、ちゃんと聞いていたのか曖昧だった。

 結果もどうだったのか聞けてないから話したいんだけど……もう、帰ってるよな。


 頭の中にはいつまでも甲斐甲斐しく校門の所で待っている光景がないわけではない。でも、流石に疲れているにも関わらず、それはしないだろう。


「――って、考えつつ急いでペンを走らせてるんだからな。ほんとに……意識しすぎだ」


 乾いた笑みが漏れる。

 教室に誰もいなくて助かった。こんなの誰にも聞かれたくないし。


 ふう、と一日の感想までしっかりと書き終え、抜けてる部分がないことを確認して背もたれに体重を預けた。

 その時だった。


「あの~せんぱい?」


 聞き慣れた声が聞こえ、開いていたドアの方を見ると凛々花がいた。なぜか、ドアに姿を隠しながら顔だけを覗かせている。


「まだいたのか」


 なんの意味もない言葉に凛々花はむっと頬を膨らませ、ずかずかといつも通りに教室へと足を踏み入れた。


「なんですか、その言い方」

「意味はないよ。てっきり、もう帰ったと思ってたから驚いたんだ」

「折角、せんぱいと一緒に帰れるのに一人で帰るなんてつまらないじゃないですか」

「悪かったって。ほんとに意味はない言葉だったんだよ」


 そう言うとまだ疑うような目を向けられたがすぐに標的は俺から変わり、開かれた日誌に向けられる。


「タイミング、良かったみたいですね」

「うん、もう終わった。あとは提出するだけ。帰る?」

「もうちょっと二人で教室を堪能しましょうよ」

「あんまりしたくない内容だな」


 本来の俺はこういう日直やどうしても外せない用事がない限りは即帰宅したい人間だ。今は凛々花のせいで毎日帰るのが遅くなったが去年まではそれはそれは模範的な生徒だった。寄り道もせず、真っ直ぐ家に帰る。表彰状を提供されても良いくらいに。


 凛々花は昼休みと同じように隣の席の椅子を拝借した。


「えへへ。せんぱいと同じクラスだったらこんな感じなんですかね?」

「同じクラスだったらか……」


 あんまり、考えたくないことだ。

 きっと、授業中も毎日のように絡まれて、クラスの男子に目の敵にされていたことだろう。凛々花が後輩だから、今のところそんなことはないし、一学年下の男子からはどれだけ嫌われても関わることがないのだからどうでもいい。


「み、三葉くん……なんて呼んだりしてたんですかね?」

「……照れるのにわざわざ自分から放り込んでくるとか……ほんと、Mだよなぁ」


 普段は強気になって、マウントでも取ろうとして自滅しているくせに今日は単純に自滅している。

 俺もドキッとして照れてしまったがここなら夕日が誤魔化してくれるだろう。働け、夕日。


「て、照れてないですよ。せんぱいと放課後の教室で二人きりというこのシチュエーションにドキドキしているんです!」

「何を今更……今まで、二人でいるのなんて何回もあっただろ」


 むしろ、ありすぎている。ただの……とは言えない先輩と後輩というだけなのにこんなにも一緒にいるのは自分でもおかしなことだと思う。嫌じゃないし考えないようにしているけど周りから見れば、やっぱりどこか変な二人に見えることだろう。

 けど、俺達にはこれが当たり前のことになってしまった。他人や周りは関係ない。これが、今の俺達の関係なのだ。


「せんぱい、どうしたんですか?」

「何が?」

「いつもなら、ここでせんぱいも恥ずかしがって二人でギクシャクする展開じゃないですか」

「疲れてるんだよ。今日はその展開を迎えて傷を負うのは嫌だ」


 午後の授業中、何度眠りそうになったか分からない。寝そうになっては首を振り、寝そうになっては頬を叩いた。

 成績が優秀だと否応にも先生からは目をつけられる。良い意味で。理想を押し付けられても困るだけだというのに変に期待され、問題を解くように指名されたり。


 だから、授業中はどれだけ眠たくなっても居眠りできず、ノートを必死に取りながら真面目アピールをしなければならない。

 折角の一番後ろの席だというのに悲しい。


「せんぱい」


 大きなあくびを漏らしながら凛々花の方を見ると。


「――は?」


 間抜けな声が自然と漏れた。

 凛々花は上靴を脱いでタイツで隠している足をこちらに伸ばしてきていた。

 何やってんの、この子?


「いっぱい走って疲れているので……足、揉んでマッサージしてください」

「どこの世界の女王様だ!」


 思わず、そう言わざるを得なかった。


「放課後の教室に二人きりでもドキドキしないんですよね?」


 まるで、自分だけドキドキしているのは不公平だとでも言いたいような凛々花はニヤッと口角を上げる。


「だったら、余裕ですよね?」

「その結論に至る意味が分からない……」

「因みに、マッサージしてくれないならせんぱいにおんぶして帰ってもらいます」

「自分がわがままで無茶言ってるって気付いてる?」


 凛々花を見ると早くしてくださいとでも言うように目線で訴えてきている。

 どうせ、ここでやらなかったら本当におんぶをさせられるんだろう。

 どっちの方が自分のためになるかを考え、凛々花の足に触れた。そっと触れただけでびくんと反応され、こちらもびくっとしてしまう。


「止めるなら今の内だぞ」

「……別に、大丈夫ですけど?」


 強がっているのは分かっている。

 けども、大丈夫というのならとっとと済ませてしまおう。誰か来ても困るし。


 手を動かしてふくらはぎに潜り込ませる。

 タイツ越しでも感じる柔らかい肌を痛め付けないように気を付けながら揉んでいく。むにっとした感触が手のひらに伝わり気持ちがいい。

 揉む度に凛々花は体を跳ねさせるが決して変な気分にはならない。なってはならない。これは、ただのマッサージなのだから。


「そう言えば」

「な、なんですか?」

「テストはどうだったんだ?」

「どれもこれも、見事にやられました。運動部、強すぎです」

「運動部はチートだよな」


 乾いた笑いが凛々花から漏れる。


「あ、でも。シャトルランではこの前笑われた子よりも多く走れたんですよ!」

「良かったじゃん」

「やっぱり、抱えてるものが違うからですかね」

「それ、俺が反応していいやつ?」

「どういう意味ですか?」

「胸の大きさが違うからって話だろ?」


 そりゃ、胸に抱えているものが重ければ重いほど、シャトルランのように動き続けなければならないのは苦しいことだろう。

 凛々花の場合、動きやすそうだからなとつけ加えると足を動かして顔を蹴ろうとしてきやがった。あぶなっ!


「なにするんだ!」

「セクハラされたから!」

「はあ?」

「私は意気込みが違うって言ったんです。なのに、胸の話をして……欲求不満なんですか? 触らせませんよ!」


 今、ふくらはぎ触らされてるんだけど。生身じゃないなら良いのか? それは、それでどうなんだ?


「はいはい、申し訳ございませんでした。もういいか、マッサージ止めても。歩けないならおんぶしてやるから」


 これは、最終勧告だ。もし、まだ続けろと言うのならその慎ましい膨らみを存分に背中で堪能してやる。


「しょうがないですね。歩いて帰れそうですしもう止めていいですよ。ご苦労様でした」


 凛々花はさっさと上靴に足を入れると席を立ってカバンを手にする。


「日誌を出して帰りましょう」


 担任の先生に日誌を提出してから二人で校舎を出た。運動部は疲れているはずなのに部活動に励んでいて活気の良い声が聞こえてくる。運動部の体力は化け物だと思い知らされる。


 俺はどう足掻いてもああはなれないな。


「せんぱい、疲れてませんか?」


 そう言えば――凛々花の足を揉んでいる間から疲れのことなんて少しも気にならなかった。体も少しばかり楽になった気がする。


「まさか、俺のために――いや、なんでもない」


 これは、良いように考えすぎだろう。俺が元気じゃないと嫌だからわざわざ恥ずかしい思いをしてくれたってのは……都合良く、解釈しすぎだ。

 凛々花はただ同じようにドキドキしてほしかった。させたかった。

 なぜなら、征服するつもりなのだから。


 じっとこっちを見ていた凛々花に俺は頷くだけ頷いた。


「また、どっかで特訓でもするか?」


 校門を抜けてからそんなことを口にした。

 学校を征服するためにはもっと鍛えなければならない。敵は山ほどいる。今の俺達では到底敵いやしない。


「特訓よりもせんぱいに付き合ってほしいことがあって……」

「お、何?」

「次の休みに買い物に付き合ってほしくて……いいですか?」

「ん、分かった。明日も明後日も予定はないからどっちがいいか教えてくれ」


 こういう時は部活に入ってなくて良かったなと常々思う。


「わ、私も両方空いているのでどっちでも大丈夫ですよ!」

「なんで、赤くなってんだよ……」

「だって……せんぱいがすぐに良いよって答えてくれたから」

「まあ、暇だし。それに――」


 休みの日に誘うことを凛々花はまだ少し怖いのだろう。いつもは滅茶苦茶なことを言って、無理にでも付き合わせるのに遠慮がちだったのはその証拠だ。


「頑張った子にはご褒美をあげないといけないしな」


 凛々花が望んでいた一位になることは出来なかった。けど、一人でも、二人でもやった特訓が無駄だった訳ではない。

 彼女は言ったのだ。笑われた子よりは多く走れたと。それは、凛々花が征服したと立派に言えることだ。


「で、どっちがいい?」

「帰ってから連絡します」

「了解。今日は? どっか行くのか?」

「いいえ、帰りましょう」

「初めてだな。なんも征服せずに帰るのは」


 入学式以来のことだ。これまで続いていたことが急に終わったのは少し寂しいと感じてしまう。

 最初は戸惑って意味の分からないことだったのにな。


「今日はもう征服済みですよ?」

「え?」


 知らなかった。いつの間に済ませたんだろう。あ、そうか。俺を待っている間にぱぱっと終わらせてきたのか。


「何を驚いているんですか? 一緒に征服したのに」

「ごめん、内容聞いてもいい? 検討つかない」


 俺の頭には何も征服したことは思い浮かばない。ボール投げだって、無様に散った。役に立てなかった。


「せんぱいと過ごした二人きりの放課後の教室です」


 満点の笑顔でそう告げた凛々花はこうつけ加えた。


「学校ですので写真は撮れなかったですけどね」

「……今日は、そのネタ引っ張るな」

「だって、事実ですから」


 たぶん、放課後の教室で二人きりというのはカップルでもない俺達にはそんなに重要なことでもないし、なんなら下らないと思う人もいるだろう。俺だって、そう思うのに……何故だか、笑いそうになって仕方なかった。


「今日もお疲れ」

「せんぱいこそ」


 どうやら、今日は勝ちの方が多かったみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る