第16話 後輩がいない日。合法的に寝られるのは素敵です

 凛々花と昼休みに同じ景色を見て教室に戻ると悟だけは心配してくれた。

 俺が凛々花にするのと同じやつだ。ちょっと、干渉過ぎるんじゃないかと煩わしく思う時もあるけど、大事に思ってくれるんだと感じるありがたいこと。


 けど、ごめん。腹痛なんて嘘っぱちなんだ。これっぽっちも痛くなんてないんだ。


 先生や他のクラスメイトを騙していようがどうってことないけど悟にだけは事情を話しておいた。


「三葉が無事ならそれで良いよ」

「悪い」

「戻って来ないからてっきり相当苦しんでるんじゃないかって思ったよ」


 てっきり、呆れられると思ったけど本当に優しいやつだ。悟はよく俺を優しいと言うけど本当に優しいのは悟の方だとつくづく思わされる。


「でも、凛々花ちゃんと同じ景色を見れて良かったね」

「まあ、うん……良かった」


 人から言われると恥ずかしいものがある。

 彼女とのラインには宣言された通りにあの景色の写真が貼られてある。自撮りには慣れていないのか遠慮がちに写り込んでいるピースされた細い指は正しく彼女のものだ。


 ぶれぶれっでへったくそだなぁ……良いのか、現役女子高生がそれで。


 でも、凛々花らしいといえばらしい。


「楽しそうで良かったよ。三葉を見てたら遠距離恋愛もありなんじゃないかと思った」

「別に、付き合ってる訳じゃないからな? それに、近くにいれるならそれに越したことはないから放さない方がいいぞ」


 悟と胡桃はこれまでずっと隣同士で住んでいた。それが、いきなり離ればなれになればお互いショックが大きいだろう。

 だから、そのままが一番いいっていう意味で言っただけなのに――めっちゃ、笑われた。


「ご忠告、ありがとね」


 優しい笑みを向けられて、俺は首を傾けるしかなかった。



 その日の夜、また凛々花から電話がかかってきた。リビングで母さんも父さんもいて、いきなりだったから急いで部屋に戻った。


「も、もしもし?」


 息を整えるためにふうと息を吐く。


『あ、せんぱい。今、大丈夫ですか?』

「うん」


 時間は九時を過ぎたばかり。

 普段、寝るまでにはまだまだ時間がある。


「どうかした?」

『部屋で一人なんですよ。だから、話相手になってほしくて』

「それは、良いけどさ……一人?」


 おかしな話だ。確か、この林間学校は一人一部屋用意されるほど豪華なものではなかったはず。いや、絶対にそうだ。だから、悟とも仲良くなれたんだし。


 もしかして、ハブられて押し入れにでも追いやられたのか? 猫型ロボットみたいに。


『はい。皆、男子の部屋に遊びに行っちゃいました』

「凛々花は誘われなかったのか?」

『誘われましたけど断りましたよ。陽キャじゃありませんし』

「ふーん」

『せんぱーい。ほっとしました? 私が男子の部屋に行ってなくて』

「別に? してないけど?」


 あー、良かった。押し入れに追いやられたりしてないで。あ、今の安心したやつは猫型ロボットみたいに狭い所で窮屈な思いをしてないことであってですね?


『ふーん。じゃあ、今から行ってきます』

「いや、それは止めといた方がいい。バレたら先生に怒られるから。そこにいろ」

『はいはい、分かりましたよ。まったく~独占欲は困りますよ~ほんとにもうっ』

「いやいや、別に独占したい訳ではなくてだな……って、聞いてる?」

『せんぱいは困ったさんなんですから~もーほんとにもー』


 語尾が嬉しそうに聞こえるのは俺の気のせいだろうか。気のせいでもいい。今すぐ、頭を撫でたい気分だ。


「あれから、どうだった?」

『どうもこうもありませんでしたよ。肝試しが行われましたけど……一人だとつまらないので参加しませんでした』

「なるほど。怖かったんだな」

『違いましよ!』


 ましよ。めちゃくちゃ、噛んでるじゃねーか。焦ってるじゃねーか。


「じゃあ、今度お化け屋敷にでも行ってみるか。世界征服のために」

『の、望むところですよ。せんぱいこそ覚悟しておいてくださいよ』

「何を?」

『私が腕にしがみついて離れなくなることをです。言っておきますけど、私、粘着性高いですから』


 今更、言うことでもないだろ。ほとんど離れることがないくせに。


「凛々花みたいな軽い子になら何人しがみついかれたって構わないよ。ちゃんと、離さない覚悟くらいしてる」

『なら、お化け屋敷を攻略しに行きますか』

「無理にとは言わないから怖じ気づいたら断れよ?」

『怖じ気づきませんよ。せんぱいがいるんだから』


 と言うことは、やっぱり、今日は一人でびびったんだな。


『別に、怖かった訳ではないですからね!』


 エスパーか、とツッコミたくなりそうな的確な読みに思わず苦笑する。

 うー、っと唸っていそうだしそういうことにしておいてあげよう。


「分かった分かった」

『バカにされてる気がします』

「微笑ましく思ってるんだよ。気にするな」

『ぶー、せんぱいのいけず。帰ったら、たくさん連れ回しますから』

「ちゃんと考えとけよ」


 よし、今から予定は入れないように調節しておこう。ほとんど予定が入ることなんてないんだけどな。


『せ、せんぱい。黙ってて下さいね!』


 いきなり、焦ったような声が聞こえたかと思うと意味の分からない『はーい』という返事が耳に届き、以降はドクンドクンと何かが規則正しく音を発している。


『あれ、森下さん一人? 他の子は?』


 ドアが開けられ、聞き覚えのある女の人の話し声が凛々花の声と混ざる。


『何か用事があるって出ていきました』

『ううーん、困ったなぁ。そろそろ、就寝時間なんだけど……森下さんは部屋にいてね。残りの子にも見かけたら部屋に戻るように言っておくから』

『はーい。おやすみなさい』


 ドアが閉まってから数秒後、凛々花がふっと息を吐いたかと思うとそれまで聞こえていた規則正しいリズムが耳から離れた。


『担任の先生でした』

「部屋に残ってて良かっただろ?」

『怒られたくないですけど……林間学校でしか味わえない雰囲気だってあるんですよ?』


 就寝前の恋バナ。見回りの先生から隠れるために一緒の布団に入る。こっそり、抜け出して二人きりで会う。

 こういうのは普段の学校生活の中でだと絶対に味わえないものだ。


 凛々花は誰かとそういうのをしてみたかったのだろうか。


「……ごめんな、俺が止めたせいで」

『え、どうしてせんぱいが謝るんですか?』

「いや、もっとリア充みたいな体験したかったのかと思って」


 学校全体で泊まりに行く機会は人生で数回ある行事だ。でも、高校一年生という季節は一生に一度しかない。

 一度しかない夜を皆で過ごし、仲を深める。折角のチャンスなのに俺が行かせたくない思いで引き止めて、チャンスを壊した。

 そりゃ、感じるものくらいあるもんだ。


『悪いと思うならせんぱいが私にリア充みたいな体験させてくださいよ。悪いと思うならですけど』

「妙に圧がかってる気がするんだけど……怒ってる?」

『あはは、せんぱいって可愛いですね。怒ってませんよー。てか、どうして私が怒るんですかー』


 いつもの砕けた口調からは怒りらしきものは一切感じられない。たぶん、俺で遊べて楽しいんだろう。


「凛々花が意味深なこと言うからだろ?」

『それは、せんぱいがいる部屋なら私も遊びに行ったのにってことですよ』


 なんにも考えない凛々花のことだからきっとなんにも考えてない。だから、意識したら一人だけ恥ずかしい思いをさせられて手首を噛まれた気分になるのに――。


「……それさ、意味分かってて言ってる?」

『意味……あっ! ち、違いますからね!』


 さっきの凛々花のはついついぽろっと出てしまっただけのこと。だけど、意味を要約すれば俺がいるなら凛々花は遊びに行っていたということで。


『べ、別に。せんぱいと布団に潜ってドキドキしたいとか思ってませんから。私、痴女じゃないですし。そう。トランプ。トランプでせんぱいをボコボコにするためですから!』


 それって、別に林間学校じゃなくても出来るだろ。

 そんな誰でも気付きそうな否定をする凛々花には伝えないでおく。今頃、真っ赤になっててんやわんやになっているはずだし。


『わ、分かりました!?』

「分かった分かった。因みにさ、実際問題布団に潜って見回りの先生からやり過ごすって起こると思うか?」

『知りませんよ。そんな機会ないですし』

「だよなぁ~」


 そういうラブコメ的展開は現実には起こり得ない。だいたい、そんなのがほいほい起こってたら鈍感なんて存在この世には存在しないだろう。

 絶対、好きかそこから好きになる、の二択しかないだろ。勝ち確定じゃん。


「もし、起こっても周囲からは冷めた目を向けられそうだしな」

『でも、合法的に一緒に寝られるのは素敵だと思いませんか?』

「一緒に寝る、か――」


 もし、凛々花とそういうことになって一晩を過ごすことになったら抱き枕にするかな。この前、背中に腕を回しはしなかったけど抱きしめるような感じになった時、彼女の華奢な体の柔らかさを教えられたし。

 あの、絶妙な抱き心地を感じながら目を閉じれば秒で寝れる。本気で。


『おやおや、せんぱい。私と寝る所を想像しちゃったんですか? もう、えっちですね』


 からかうような声だけど、赤くなってるんだろうなぁ。くそ、ビデオ通話に切り替えたいけどここで切ったら誤解されたままになりそうで切れない。


 それに、なんとなく思ったことがある。


「凛々花と寝たら蹴っ飛ばされそうだから遠慮しておく」


 すっぽり収まって静かになってるより、寝相が悪くて途中で何度も蹴ってくる方が彼女らしい。


『わ、私の頭の中がそんなことでいっぱいとかそういう訳じゃありませんからねっ!』

「は、なんのことだよ?」

『なんでもありません。おやすみなさい』

「切れた……」


 これまでにないくらい早口だった。

 つーつー、と虚しい音だけが鳴るスマホを机に置くとごろんとベッドに寝転がった。


 なんにも考えないまま、見慣れた天井を眺めていると凛々花の言葉が頭をよぎった。


「……ああ、なるほど。寝るってそっちの」


 私と寝る。えっち。それらへの認識は俺と凛々花では全然違っていたらしい。


「どっちがえっちなんだか……可愛い顔していながら……まったく、認められないぞ」


 そういうことに興味があるお年頃なのは分かる。一つしか変わらない思春期真っ只中同士だから。

 でも、どうにもまだ十年は早い気がする。


「……って、俺は娘の部屋で彼氏とのツーショット写真を見つけてしまった父親か」


 自分の考えに甚だ呆れてしまう。

 これも全て、凛々花のせいだ。


「今度、さりげなく注意しておこう」


 うん、そうしよう。もし、調子に乗ってぽろっとどこかしこでも漏らして変な噂が流れても困るしな。


 そう決めて、俺は体を起こした。


 凛々花がいない日はまだまだ続く。

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