第15話 後輩がいない日。隣にいなくても見てる景色が一緒なのは素敵です

 凛々花が不安がっていた林間学校はすぐに訪れた。


『せんぱい、私がいないからって泣いちゃダメですよ!』

『せんぱい、私がいないからって他の女の子にちょっかいを出したらダメですよ!』

『せんぱい、私がいないからって学校を休んだりしたらダメですよ!』


 前日はそんな意味が分からない言葉をつらつらと並べられた。

 一番目はまだ頷ける。本当は自分が泣きそうだから強がって、少しでも自分に余裕を持たせたかったのだろう。可愛いやつだ。

 しかし、二番目は共感できる部分がこれっぽっちも見つからず、苦笑を浮かべるだけだった。

 三番目にははっきりと休むか、と答えておいた。


『ま、頑張れ。会えないのは……五日か。ちょっと長いな……』


 木曜日から金曜日にかけて林間学校が実施され、その後に土日がくる。そして、一年生だけは月曜日も振り替え休日で学校に来なくていい。

 なんだよ、それ。GWと一緒じゃん。会えないじゃん。


 俺は暫く会えない凛々花の頭に手を乗せさせてもらった。


『なんですか?』

『怖がりな後輩に勇気でも送ろうと思って』

『自分が触りたいだけのくせに……』

『と言いつつ、照れ笑うから癖になるんだよなぁ……』

『心の声、漏れてますから!』

『わざと漏らしたんだよ。元気出ただろ?』


 嫌みったらしく笑うと凛々花は真っ赤に頬を染めながら大きな声で言った。


『出ましたよっ!』


 そんなことが昨日あった。

 手のひらを眺めると凛々花のさらさらとした髪の感触を思い出す。


 ほんと、撫で心地というか触り心地というか……巷で賑わってるASMR? みたいに撫でてる間、脳が癒されるんだよな。視覚も聴覚もあんまり使ってないから正当性はないんだろうけど。

 でもでも。気持ち良さそうにされるのを見るから視覚にも影響あるし、子犬みたいに「くぅ~ん」って自然と鳴いてて聴覚にも効果があるからあながち間違ってもない。


 むふふと気持ち悪い思い出し笑いをしているといつも乗っている電車がやって来た。


「……ああ、そっか。凛々花は来ないんだった」


 いつも通りの時間に駅に到着し、来ない彼女をずっと待っていたことに気恥ずかしさを覚える。

 今日は完全におかしな高校生を演じてしまったな、と何故だか幾つもの視線を感じたので頭をかきながら乗車した。



 凛々花と会えないからって生活が何か変わる訳でもない。普通に授業があって、普通に休み時間があって。

 何気ない時間が過ぎていく中、四時間目の数学の授業中のことだった。


 ポケットにしまっていたスマホが何度も震動し、メッセージがあると訴えかけてくる。

 先生の目を盗み、こっそりと確認すると凛々花からだった。しかも、メッセージではなく電話をかけてきていた。


 もしかして、何かあったのか。危険に巻き込まれたとか迷子になったとか。


 一人さ迷いながら泣いている姿を想像してしまい席を立った。


「おーい、どうしたー?」


 先生に聞かれ、クラスメイトの視線が一斉に集まってくる。前に座る悟なんか心配そうな目で見てきていた。

 しかし、心配されるのは俺ではない。凛々花の方だ。


「腹が痛いんでトイレに行ってきていいですか?」

「残り、十分なんだ。我慢出来ないか?」

「出来ません!」

「はぁ、しょうがないな。いい――」

「ありがとうございます!」


 先生の言葉を遮って急いで教室を出た。

 廊下を全力で走り抜け、一番近くにあるトイレに駆け込む。個室に閉じ籠り、凛々花に電話をかけ直した。


『あ、せんぱー――』

「大丈夫か?」


 凛々花の声を聞けて一安心。けど、どんな状況に巻き込まれているのかは分からない。頼むから、無事でいてくれ。


 食いぎみの俺に対して凛々花は暫く返事をしなかった後、なんとも呑気なことを口にした。


『せんぱいこそ、大丈夫ですか?』

「はあ?」

『いや、急にそう聞かれてもなんて答えたらいいのか……』

「急なのはそっちだろ。電話をかけてきたりして」

『せんぱいが教えてくれた場所を見つけたので報告したかったんです』

「だったら、写真でも送ってにしろよ!」


 結構、大きな声を出してしまった。

 勘違いしたのは俺で凛々花は何も悪いことをしていないのに。


『ご、ごめんなさい……迷惑でしたよね?』


 しゅんとした、落ち込んだような声が聞こえてくる。


「ご、ごめん。怒った訳じゃないから。迷惑でもなかったし!」


 凛々花はただ報告をしたかっただけ。なのに、俺が心配で凛々花に何かあったんじゃないかって想像して、焦って……でも、無事でいてくれたからほっとして。安心したいのに不安にさせられたから、やりようのない気持ちをぶつけてしまったんだ。


『……本当ですか?』


 まだ、疑っているのか怖がっているのか。声が震えている。


「うん、ごめんな。心配だったんだ」


 その場にいれば、態度でいくらでも証明しようとしていた。けど、電話でだとそれが出来ない。だから、優しい声音を作る。


『心配?』

「急に電話がかかってきたから。何かあったんじゃないかって……でも、俺がちょっと大袈裟だった。もう、高校生なのにな……」

『その言い方だとせんぱいが随分年上のように聞こえるんですが』

「悪い。一つしか変わらないのに嫌だよな」

『……別に、嫌だとは言ってません。心配してくれるのは嬉しいですし』


 そう言われても、今後は控えよう。過干渉過ぎるのも良くないってテレビとかでも言われてるし適度な距離を保ちながらリードを握ろう。


『それよりも~、せんぱいってぇ~』


 なんか、急にギャルみたいな語尾になったな。頑張って、作ってるんだろうけど……似合ってないなぁ……。


『そんなにも私のことを心配しているんですね~』

「は? 当たり前だろ。常々、考えさせられるくらい心配してるわ」


 そんなの今更確認されることでもない。

 凛々花に何も起こらないようにと、彼女の身を心配している。


 けど、それだけじゃない。凛々花が何かやらかして周りに迷惑をかけないかも常々心配なんだ。


 世界を征服する、とか無茶を言い出す凛々花のことだ。この前の陸上部に勝負を挑んだ時もそうだけど、あの時は陸上部の皆が優しかったから怒られもせずに済んだ。

 でも、もし。絶景を見てやる、と意気込んで一人で迷子になり、結果学年全体に迷惑をかけたとなるとますます孤立してしまうだろう。


 そんなに絶景が見たいなら今度一緒に行くから今日は大人しくしていてくれ。そう願ってままならない。


『せ、せんぱいのバカ……』

「なんで、拗ねてるんだ?」

『拗ねてません!』

「拗ねてると思うんだけど」


 これも、顔を見ないぶんにはちゃんと分からないな。電話って便利だけど、不便だ。


「とにかく、無事で良かったよ。俺、授業中だからもう切るよ」

『そういえば、まだ授業中でしたね。学校の外でしたのですっかり忘れてました』

「チャイムの音が鳴らないと気付けない小学生か」

『しょうがないですよ。いつもはせんぱいのことを考えてる間に終わってるんですもん』


 そんなことを容易く言うもんじゃありません。嬉しくなっちゃうでしょうが。


「じゃ、切る――」


 通話を切ろうとした時、授業の終わりを告げる音が鳴り響いた。


『てへへ、すいません』

「……反省してないだろ、ったく」


 授業をサボるなんて初めてのことだしいっか。先生に一矢報いた気分で心地良いし。


『そういえば、どこにいるんですか?』

「トイレの個室」

『……ちょっと、変な気分になってきました。あの、私もトイレに行った方がいいですか?』

「まて、暴走するな。そこにいればいい」

『はい。今からお昼ご飯なんで切りますね』

「あ!」

『どうかしました?』


 見えないけど、可愛らしく首を傾げている姿が想像できる。


「いや、もう少し話さないか?」

『でも、せんぱいもお昼ご飯ですよね?』

「そうだけどさ……なんて言うか――」


 去年の今頃、俺は一人でもそもそと昼ご飯を食べていた。景色は覚えていても何を食べていたかは覚えていない。

 きっと、それは一人だったから。どれだけ景色が良くても、どれだけおいしい物を食べていても。一人だと、そんなに良い思い出にはなったりしないんだ。


「そこで、一人でその景色を独占するのも罪悪感があるだろ? 凛々花みたいな小さい子に一人で背負わせるのは重いと思うからさ一緒に背負うよ」

『私は背徳感でぞくぞくしていますけど……そうですね。せんぱいは私の下部ですか一緒に背負わせるとしますか』

「え、凛々花?」


 いきなり、通話が切られたかと思うとすぐにもう一度かけ直された。今度はビデオ通話で。

 出ると画面には去年見た景色が広がっていた。


『一緒に罪作りですね』


 凛々花の陽気な声が聞こえてくる。

 穏やかな景色の中で気持ちが良いのだろう。


「凛々花の方が罪が重い。去年よりも豪華だぞ」

『そうなんですか?』

「知らん」

『どっちなんですかー』

「分からないけど……そう見えたんだよ」


 本当に謎だ。去年と何も変わってないのに見える景色は今の方が輝いて見える。


 もし。もしも、去年の今頃。凛々花と友達になって、二人で人目を気にしながら抜け出して……この景色を独占出来ていればそれはどんなに背徳感があったことだろう。


 そんな、どんなに願ってもあるべき現実じゃない事実に浸っているとバリバリと何かが割れる音が聞こえた。


「……何、してるんだ?」

『おにぎりを食べています』

「台無しだよ……感傷を返してくれ」


 雰囲気ぶち壊しのマイペースりりちゃんには苦笑しか浮かばない。


『おいしいですけど……せんぱいのお弁当もあった方が良かったです』

「俺はおかずを提供するだけの存在か」

『……違いますよ。せんぱいに隣にいてほしかったなって意味ですよ。水筒だけじゃ足りないんですもん……』


 どうやら、凛々花も思うことがあったらしい。思い返せば、数日前に言われた俺と同じクラスだったらというもしもの話は不安の現れだったのかもしれない。


 あの時、俺は考えたくないと思った。

 凛々花と同じクラスだったら、きっとたくさん嫉妬されるだろうからっていうくだらない理由で。


 でも、本当はそうじゃないんだ。もしも、なんてあるはずもないことを考えて、落ち込むのが嫌だったんだ。


「……確かに、隣にはいないけどさ。見てる景色は同じだから」


 凛々花がどういう表情でおにぎりを食べているのかは見えない。もしかしたら、泣いてるのかもしれない。

 そんな凛々花には笑っていてほしい。俺の言葉であの聞き覚えのある寂しそうな声をいつもみたいに元気で明るいものに変えてあげたい。


「凛々花が上を見るなら俺も見る。真っ直ぐを見るなら俺も前を向く。そうすれば、一緒のものが見えるだろ?」


 ビデオ通話だからって凛々花は一度も顔を見せてくれてない。けど、それで良かった。こんな、熱い顔を見られたら絶対からかわれてたと思うから。


 手で顔を扇ぎながら返事を待つ。

 気持ち悪かったかなと思うと背筋を冷たい汗が流れていく。

 早く、衣替えの季節にならないかな。


『……なんか、良いですね』


 小さな呟きを聞き逃さないように背筋を正して集中する。


『隣にいなくても見ている景色が一緒なのって素敵ですね。深く繋がってるみたいです』


 それは、明るい声だった。

 表情を見なくてもちゃんと笑ってくれているんだって頭に可愛く笑う姿が浮かぶくらいには明るい声だった。


『せんぱい、ここって写真撮っても大丈夫ですよね?』

「一応、景色だけにして、ネットには載せないようにな」

『せんぱいとの通話を終わったら撮って、せんぱいに送りますよ』

「流石に、五時間目はサボれないから電話は控えてくれよ?」

『分かってますよ。こうやって、せんぱいとお話しできて満足ですので残りも乗りきります』

「ん、頑張ってな。帰ってきたら、思い出話でも聞かせてくれ」

『ぼっちあるあるでも共有しましょう』

「残念だったな。俺はこの林間学校で悟と仲良くなったんだ」

『なにー!? 抜け駆けです!』


 結局、教室に戻ったのは昼休みが終わる三分前でそれまでずっと凛々花と話していた。ピアノで演奏するような弾んだ明るい声は脳をビリビリと震わせる。


 ああ、これが本当のASMRか。


 これは、後日談だが三階男子トイレの一番奥の個室にはトイレの花男さんが存在していると噂が出始めた。


 長時間、凛々花と通話していたのに気配すら感じなかった俺は霊感に強いのかもしれない。

 凛々花が心霊スポットを征服しに行くと言えばちゃんと守ることが出来るなと思った。

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