第36話 後輩の背中を押す。応援してる

 凛々花の誕生日を祝ったり、凛々花と天国と地獄のような満員電車を体験したりしているとあっという間に時間が流れた。


「ううっ。緊張で胃が痛いです……」

「大丈夫か?」

「せんぱい、緊張をほぐすために撫でてください~」

「どういう方法で緊張をほぐすんだよ……」


 立ち止まってどんよりとしている凛々花のお腹を制服の上から撫で回した。一応、周りには誰もいないことを確認したとはいえ、これは中々にハードな試練である。


「アハハ、せ、せんぱい。くすぐったい。くすぐったいですよ」


 撫でられている本人はくすぐったいらしく体をクネクネとさせているが笑っていた。どうやら、緊張は無事にほどけたらしい。よかったよかった。


 今日は期末テスト一日目……つまり、これから一週間の間、地獄のテスト週間が始まるのだ。

 凛々花の第一目標は赤点回避、中間目標はクラス内一位、最終目標は学年一位である。

 つまり、凛々花にとっては負けられない戦いの大事な初戦であり、そのために緊張していたというわけだ。


「水泳はクリアしたんだっけ?」

「はい。バッチリ乗り越えてやりましたよ」


 歩きながらVサインを笑顔で作る凛々花。

 テスト前、補講になったらまた練習付き合うから溺れたり無理したりはするなと伝えておいたが無事に泳ぎ越えてくれたらしい。


 これで、戦場に立つ権利は得た。

 あとは、今日からのテストを乗り越えてさえくれれば夏休みが待っている。


 俺の見立てだと赤点は無事に回避する。不器用のくせしてちゃんと教えたら覚えるし飲み込みも早かったから。それに、ここ最近は特に頑張っていたのも効果があるだろう。

 週に三日の勉強会も学校がある日は毎日に変えていたし、家に帰ってからも電話で質問をされたりもした。

 だから、レベルは随分と上がっているはずなんだ。


「せんぱい、シャープペン。交換しませんか?」


 学校に着き、校門を抜けたところでそう提案された。凛々花は不安そうに瞳を揺らしながら見上げてきている。


「いいけど」


 いったい、それにどういった意味があるんだろう。使い慣れたシャープペンを手放して挑むほどまだ余裕はないはずなのに。


 筆箱から一番よく使っている相棒を取り出し、芯がちゃんと入っていることを確認してから凛々花に渡す。

 変わりに、ピンク色の可愛いシャープペンが渡された。


「悪いな、俺の全然可愛くなくて」


 俺が普段使っている相棒は黒色の安物だ。手に馴染み、中学の頃から壊れても同じものばかりを購入するほど気になっている。


 性能は良いと思うんだけど可愛い物好きの凛々花のお眼鏡にかなうかどうか……。


「せんぱいが普段使ってることが重要なんです」

「確かに、使わない日がないってほど使ってるけど……重要か?」


 首を傾げながら聞くと凛々花は大きく頷いた。それから、どういう訳か頬を赤くしてからちょっと言いづらそうにしてシャープペンを大事そうに握った。


「せんぱいが……いてくれる気がして心強いですから」

「……出来ることなら、隣で一緒に問題を解きたい」

「それだと、すぐにカンニング扱いで二人とも生徒指導室行きじゃないですか」

「滅多に征服する機会なんてないからチャンスだと思わないか?」

「思いません」


 冗談に過ぎないけど、本当に凛々花の隣で答えを全部教えてあげたい気分だ。理由が可愛すぎる。


 でも、理由はそれだけじゃないんだろう。


「凛々花」


 きっと、凛々花は不安を感じてる。俺のせいで。


 赤点を取れば夏休みは補講になる。全日じゃないし、赤点の数が少なければ少ないほど補講だって比例する。

 要は、赤点を取ろうが夏休みはあるし、その中で遊ぶ日を決めて遊べばいいだけだ。

 だから、赤点そのものはあまり関係ない。


 なら、何が凛々花を不安にさせているか。

 それは、俺が勉強を教えたからだ。


 凛々花は変な所でダメな方向に思い込むことがある。

 もし、赤点を取って嫌われたらどうしよう。呆れられたらどうしよう。やっぱり、お前は不器用人間で何をやってもダメだと言われたらどうしよう。

 そんなことを感じさせないようにしてるけど内心で考えているんじゃないかと思う。


 凛々花の家族が頑張らないでいいんだよ、って言う気持ちが俺には分かる。


 頑張って、結果、ダメだった。そうなった時、一番傷つくのは他の誰でもない凛々花自身だ。


 良くできるお姉ちゃんと自分を比べて、やっぱりダメだったと自分で自分を卑下する。

 そうやって、自分が傷つくなら初めから頑張らなければいい。

 そうすれば、少なくとも傷つくことはないのだから。


 娘を思う親ならそういう方法を取る場合だってあるんじゃないかと俺は思う。


 けど、凛々花は違う。

 そう言われて、悔しくて見返そうとしている。


 だから、俺は違う言葉を彼女に送らなければならない。


「俺は、努力が必ず実るほどこの世は甘くないと思ってる。だから、もしかしたら凛々花が赤点を取るかもしれない」


 勉強は頑張れば頑張るほど結果が出ると俺は言った。

 それは、間違ってない。俺だって、昔は下から数える方が早いほどテストの結果が悪かった。

 けど、勉強した結果、徐々に力がついてそのおかげで今は上位に名を連ねている。


 だからって、それはいつまで続くかも分からないしたまたま運が良かっただけなのかもしれない。


 この世には、どうしてもどれだけ努力しても叶わないことがある。夢が絶対叶うのはフィクションの世界だけだ。


「それでもな、俺は凛々花が頑張ってたのを見てたし知ってる。だから、頑張るなとは言わない。気負う必要もない。ただ、頑張れ。余計なことは考えず、頑張ればいい。頑張って、ダメだったらまた勉強見るし次に頑張ればいいからさ」

「……どれだけやっても結果が出なかったらどうするんですか?」

「どうするもないよ。どんな凛々花でも凛々花だし、俺が凛々花から離れる気はない」


 本人がもう嫌だと言うのなら、そこが終わりの地点だ。頑張って、結果が出なくて、心が壊れるってこともあるかもしれない。

 そうなっても俺が凛々花を支えていくし、そうならないようにちゃんと見守っておく。


 今はまだ、頑張ろうって気持ちがあるんだからとことん頑張ればいいんだ。


 いつもより、小さくなっていた凛々花の頭に手を乗せる。


「応援してるぞ、凛々花」


 頑張らないでいいよ、ではなく、ダメでもいいよ。

 多分、凛々花は家族にそう言って背中を押されたかったのではないか。


「……はい。見ててくださいね、せんぱい」

「おうおう。心の目で見とくよ」


 いつも通り、笑った凛々花を見て、俺も同じように口角を上げた。


「答えが分からなかったらテレパシー送るんで教えてくださいね」

「任せとけ」

「それから、せんぱいが赤点とか残念なオチはなしですからね」

「誰に言ってんだ。夏休み、楽しみしてるんだしそんなオチは蹴っ飛ばしてやるよ」

「じゃあ、二人で頑張りましょうね」


 すっと凛々花の細くて白い腕が突き出される。拳は丸められていて、何を求められているのかはくすぐったいけど分かった。


 同じように拳を丸めてコツンと当てる。


「一度、やってみたかったんです」

「カッコいいから?」

「燃える展開ですよね」

「確かに、萌えるな」


 めちゃくちゃ喜んでくれてるから。


「でもさ、これってライバル的関係の二人がやるからこそ意味があるんじゃないか?」

「そんな細かいことはどうでもいいんです」

「適当だな」

「一緒に頑張りましょう、って意味があるんだからそれだけでいいんです」

「ま、それもそうだな」

「はい」


 一緒に校舎に入り、階段を登っていく。

 俺は三階、凛々花は四階を目指して。


「帰り、一緒ですから先に帰ったりしないでくださいよ」

「分かってるよ」

「それじゃ、頑張りましょう」


 カクカクとどこかぎこちない動きで階段を登っていく凛々花。どんどん教室に近づいているから緊張がまた姿を現したのだろう。


 転けたりしないか心配になり、後ろをついていく。凛々花が俺に気付く気配はない。


 重症だなぁ……。


 そーっとついていき、凛々花が教室に入った。さり気無い様子で中を見ると随分と顔を強張らせていた。


 折角の可愛い顔が台無し……あ、こっち見た。


 視線を感じたのかこっちを向いた凛々花と目が合った。これでもかと引きつった笑みのまま、親指を立ててくる。心配しないで大丈夫ですよ、と言いたいのだろう。


 そんな凛々花が俺は心配でたまらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る