第41話 後輩を招く。征服するのは私なんですから!

「今日はありがとうございました。オムライス、とっても美味しかったです」


 玄関で母さんにペコリと頭を下げた凛々花に母さんは大袈裟に手を振っている。


「大したおもてなしも出来なくてごめんね、りりたん」

「いえ、すっごく楽しかったです」

「そう言ってもらえると嬉しい。また、遊びにきてね」

「はい」


 今日一日で凛々花と母さんはすっかり仲良くなった。

 ちゃっかり、連絡先交換してたしな。


 まあ、二人が楽しそうなのが一番なので何も文句はないし、見ている方もいい気分だ。


「じゃ、凛々花送ってくるから」

「失礼します」


 もう一度、ペコリと頭を下げた凛々花と一緒に家を出て駅の方へと向かう。夕焼け空が照らす道を駅の方に向かって歩くのは初めてでなんだか新鮮だった。


 それは、きっと、隣に凛々花がいるからなんだろう。


 いつも、一人で歩く駅までの道のりを誰かと一緒に歩く。たった、それだけのことなのに視界に見える世界が違うように感じる。


 何も変わらないってのにな。


「送ってくれなくてもいいんですよ?」

「まだ明るいけど途中で迷子にでもなられたら後々面倒なことになるからな」

「お子様ですか! さっきはあんなに私の頬っぺた堪能してたくせに!」

「あれは、最高だったなぁ……」


 思い出すだけで顔がにやけてしまう。

 触り心地抜群、ストレス解消間違いなし。是非とも商品化してほしいところだ。

 誰にも買わせたくないから有り金はたいて買い占めて破産するだろうけど。


「そんな理由で私を送ってるならもう触らせてあげませんよ」

「あのな、俺が本当にそんな理由でわざわざ学校がある日に二回も家を出ると思うか?」

「さぞかし、学校があった日に二回も家を出ないみたいなこと言われても知りませんよ」

「凛々花のことが心配だからだよ」

「……迷子になりそうで?」

「それもあるけどさ、夏場って不審者だの露出狂だのが出てくるだろ? そんなのと凛々花を遭遇させたくない」


 毎度毎度、送り迎えをすることは無理だ。そこまでの過干渉になるのは控えた方がいいともう分かっている。


 けど、俺がいる時くらいは守りたいな、って思うんだ。余計な心配で迷惑がられたとしても、凛々花は可愛いんだから守りたい。


「……もう、せんぱいのバカ。ご機嫌取ったってそんな頻繁には触らせてあげないんだから」


 まるで、ツンデレが吐くような台詞を口にしながらそっぽを向いた凛々花。可愛いやら案外ツンデレキャラもいけそうな気がするやらで大変微笑ましい。


「たまにでいいよ。毎日毎日触ってたら中毒症状出そうだし」

「そういうことなら毎日触らせてあげます」

「なんで!?」

「一日一ぷにぷにです」

「やめろ。誘惑するな」

「ほれほれ~ぷにぷにですよ~」


 自分の頬に指を押し当てながら、その柔らかさを見せつけてくる凛々花。なんだか、アホの子みたいな行動に思わず笑みが溢れる。

 すると、凛々花もクスッと笑みを溢した。


「元気そうなら、良かったです」


 安心したように微笑まれ、体が熱くなる。


「……今日は、ありがとな。話聞いてくれたり、優しくしてくれたりして……母さんも嬉しそうだった」


 紗江との一件があってから、母さんは反省して今はあまり可愛いものを見ても興奮することは控えていた。

 しかし、今日はあからさまだった。

 それだけ、凛々花のことが可愛くてつい我を忘れてしまったのだろう。


 家に帰ったらもう一度ちゃんと言っておこう。


 母さんの家はあまり裕福ではなかったらしい。だから、共働きでかまってもらう機会も少なく、物を買ってもらえず皆が持つ可愛いものにずっと憧れていたそうだ。


 父さんから初めて可愛いぬいぐるみをプレゼントされたのがよっぽど嬉しくてそこから可愛い物により一層興味を示すようになったんだと言っていた。

 今も母さんの部屋には古くなったクマのぬいぐるみが置かれていて大切にされている。


 紗江の両親も共働きで自分の幼少期を紗江に重ねた母さんは自分がしてもらえなかったことを紗江にしてあげたかったのだろう。

 ただ、過剰になりすぎて嫌われてしまったが……。


 悪いのは俺達だ。責められるのも。

 でも、たぶん母さんは自分が一番悪いと思ってる。顔には出さないけど、息子だからなんとなく分かるのだ。


 そんな母さんにも嫌な顔ひとつしなかった凛々花には感謝しかない。


 母さんに凛々花の現状を話せば同情してめちゃくちゃに可愛がるのは目に見えてる。

 それが、本当に正解か分からない。また同じ道を辿るかもしれない。


 だからこそ、まだ伏せておく。

 もうあんな風にはなりたくないし凛々花も母さんも大切だから。


「私はせんぱいがいつも私にしてくれることをしただけですよ」

「なんだよ、それ」

「せんぱいも私を頼っていいんですよ、ってことです。支えますから」

「ほっそい腕してなに言ってんだか」

「腕だけで無理なら体も使いますよ」


 不器用だなと思う。

 優しくしてくれて、励まそうとしてくれているのが分かるから。


 でも、そんなことしてくれなくても聞いてくれただけで俺は大分楽になったし、そのあとに十分すぎるほど癒しももらった。

 だから、そんな必要はないんだ。


 なのに、この不器用ながらも一生懸命考えてくれることが嬉しい。


「じゃあ、凛々花が壊れない程度に」

「にゃっ、にゃにを――」

「早速、支えてもらってる」


 親指の腹と人差し指で凛々花の頬を撫でるように引っ張る。

 慌てたように目を丸くする凛々花の目を見れば、嫌がってないことだけは伝わってきて安心出来る。


「ごめんな、凛々花」

「何がですか?」


 指を離してから謝罪するとなんのことか分からないらしく、可愛く小首を傾げた。

 分からなくて当然だ。今の謝罪は俺が凛々花の頬を堪能していた時にどこか拗ねたように呟かれた言葉についてだから。


 押し倒されて、頬っぺた触られるだけって私だけですよ。

 そりゃ、そうだろう。押し倒せば、少なからず良い雰囲気になってキスの一回や二回、交わすんじゃないだろうか。ましてや、恋人同士ならばそれくらい普通に行うのだろう。


 でも、俺達は恋人じゃないし、そもそも俺が今までに誰かを押し倒したことなんて一度もないから何も分からない。

 それに、いくら懐いてくれているといってもいきなりキスするのは違うだろう。そもそも、俺は順序を踏んでからがいいし、欲求はあってもすっ飛ばしてってのは嫌だ。


 だから、あの時、凛々花が何を望んでいたのかは分からないけど、たぶん満足したのは俺だけだから謝ったのだ。


「俺だけ満足したっぽいから」

「よく分かりませんけど……私だって、楽しかったですよ? やっと、せんぱいの家を征服できた訳ですし」

「そっか。征服されたのか」

「はい。ですので、これからは何度もせんぱいの家に遊びにいけますね」

「一応、事前に連絡はしろよ? 誰もいなくて帰るのは悲しいだろうから」

「誰が可哀想な子ですか!」


 簡単に想像できるんだよな。麦わら帽子をかぶって、虫取り網を片手に持って山でも征服しに行きましょうってチャイム越しで言ってるの。

 なのに、誰もいなくて周りからはクスクス笑われて恥ずかしい思いをしながらあの広い家にとぼとぼと帰るのは居たたまれない。

 それなら、ちゃんと家にいて相手してあげたい。まあ、今のところ旅行に行く予定なんてないんだけど。


 むきになってきそうなので頭をポンポンと叩いておくと緩みきった頬になる。たいして怒ってはないようだ。


「あ、そうだ。終業式の日、予定開けといてくれ」

「何かあるんですか?」

「いや、テスト頑張ったご褒美と一学期お疲れ様会でもどうかなと思って」

「ご褒美! 何をくれるんですか?」


 目をきらきらと輝かせて、顔を覗き込ませた凛々花は見ていて本当に嬉しそうだ。

 こんなに嬉しそうにされるとなんでもあげたいところだけど、夏休みにどれだけお金を使うか分からないしあんまりお高いものじゃない方が助かるのが正直なところ。


「ファミレスにジャンボパフェってのがあるんだけど……それでいい?」

「ファミレス好きですね」

「帰り道にあるから寄りやすいよな」

「確かに、そうですけど」

「嫌なら、何か欲しいもの言ってくれ」


 どこか渋っている様子である。

 嫌そうではないんだけど、何か言いたいことがあるような。そんな雰囲気だ。


「嫌じゃないんですよ? 嫌じゃないんですけど……また、四人なのかなって」

「四人?」


 その人数で気にしていることが分かった。

 最後にファミレスに寄り道したのは凛々花の誕生日会だ。あの日は、悟と胡桃もいたからそれを気にしてるんだろう。


「その日は二人でって思ってたけど」

「では、行きましょう」


 すぐに受け入れてくれて、ついつい口からぷっと笑い声が漏れてしまった。


「な、なんですか?」

「いや、二人だったらすぐに頷いてくれるんだなぁって」

「しょ、しょうがないじゃないですか。二人きりじゃないとせんぱいに満足いくまで可愛がってもらえないんですもん……」

「……本当にいいのか?」


 頬をつついていた時、凛々花が言ってくれた。


『私のことは存分に可愛がってくれていいですよ。嫌なら嫌って言いますし、嫌じゃなければ嬉しいですから。それに、せんぱいに犯罪者になられるのが一番嫌ですから』

『誰彼構わずにじゃない……けど、正直、重症患者だよな、俺って』

『病人じゃないでしょ。たんに、可愛いものが好きなだけ。世の中には、もっと自分の好きに熱中して周りが見えなくなる人もいるんです。せんぱいはそこまでじゃないし、そうならないためにも私だけを可愛がっていればいいんです』


 よしよし、と凛々花に頭を撫でられて一瞬涙が出そうになったのは内緒だ。思い出すだけで恥ずかしい。


「せんぱいは可愛がるのが好き。私は可愛がられると嬉しい。Win-Winの完成です」


 ブイっとVサインを作る凛々花。

 本人は決めているつもりなんだろうけど、ちょっと違う。


「俺が好きなのは可愛いものな」

「可愛がるのは違うんですか?」

「凛々花が可愛い反応してくれるから好きなんだよ」


 そこを間違えられたら困る。あくまでも、俺が好きなのは凛々花なんだから。


 でも、どうせここまで言っても気付いてくれないんだろう。なら、もっと可愛がってくれていいんですよ? とか、おちょくってくるパター……ン?


「凛々花? どうした?」

「……へっ?」

「いや、ぼーっとしてたから」


 呆然というよりは金縛りにあってるみたいに動かずに心配になる。


「だ、大丈夫です」

「そうか? しんどかったら言えよ。おぶっていくから」

「そ、そうやって胸の感触を味わうつもりなんですね」

「なんでだよ……歩かせるのが辛いからだ」

「ううっ……曇りのない目が痛い」

「綺麗か?」


 コクコク頷かれて俺は苦笑した。


「当然だろ。凛々花第一で考えてるんだからな」

「け、結構です。もう、結構です」

「あ、もうすぐそこか」


 いつの間にか、マンション前まで送ってきてしまっていた。凛々花といると楽しくてついつい周りが見えなくなってしまう。


「せ、せんぱい。覚えていてくださいよ」

「なにを?」

「征服するのはあくまでも私なんだってことをです!」


 そんなの、改まって言われることでもない。俺は世界征服を横取りするつもりじゃない。俺は凛々花だけを征服したいんだから。


「分かってるよ。頑張ろうな」


 親指を立てて見せれば、凛々花はマンションの方に走っていってしまった。


「うわーん。せんぱいのばかー!」


 などと言い残して。


「……一体、なんなんだ?」


 俺は首を傾げた。

 ちょっとは凛々花のことを分かってきたつもりだというのにやっぱり全然分からない。


「夏休みこそはいっぱい知らないと……!」


 誰もいなくなったそこで、俺は一人決意新たに呟いた。

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