第6話 後輩は脱ぐ。せんぱいの前で脱げなくなっちゃいます

 後輩が体操着姿だった。

 どうして体操着なのか。時刻はもう放課後だ。なのに、体操着だった。細くて健康的とは思いにくい真っ白な腕と生足が披露されている。

 久しぶりに見たな……三週間ぶりくらい?


「せんぱいって足フェチですか?」

「は、はあ!?」

「だって、そんなにも熱い視線を向けてくるんだもん……この先、せんぱいの前で脱げなくなっちゃいます」


 もじもじと足を動かせて、恥ずかしそうにする森下。だが、断じてそんな熱い視線を向けてなどいない。断じて。決して!


「じゃあ、なんで体操着なんだよ……」


 時代が時代なのでブルマなど肌の露出が多いことはない。丈が合っていないのか膝下が隠れきっているので下品な視線を向けようにも向けられない。そもそも、向ける気もないが!


 今日も今日とて、昼休みに教室にやって来た彼女は今日はグラウンドで待ってますね、と誘ってきた。

 部活もやっていない俺達が放課後にグラウンドなんて場違いな場所で何をするんだと思いながら向かえば体操着姿の森下が仁王立ちして待っていたという訳だ。


「昨日の鬱憤を晴らしたいんです!」

「あー……昨日のね」


 昨日といえば、忌々しいポテトチップス事件のことだろう。どうにか(俺が頑張って)して、全部食べきったとはいえ、たかがお菓子如きにあそこまでのダメージを受けたことが悔しかったってところか。

 実際、俺も胃にまだダメージが残ってるし気持ちは分かる。


「俺はそこまで鬱憤はたまってないけどな」

「なるほど。可愛い後輩と一緒ならどんな苦しいことにも耐えられると」

「どっかで頭ぶつけたか?」

「この身長の私にそんなことが出来ると思ってるんですか?」


 ぴょんぴょんと跳ねながら目線を合わせようとしてくるので答えるまでもないだろう。


「って、体力を使わさないでください」

「勝手に飛んでおきながら無茶を言う」


 ぴたっと地面に足をつけると差が出てしまう俺達の身長差。頭一個分は余裕であるその差は撫でやすいので気に入っている。今は撫でたりしてないが。


 う~っと睨んでくる後輩を宥める。

 子犬の威嚇みたいだ。


「気にしてるのか?」


 世には、身長が小さいことを気にする女の子もいるはずだ。太ることも気にしていたし身長にも不満があるのかもしれない。


「せんぱいによりますかね」

「俺?」

「せんぱいが大きい子が好きならこれから牛乳をたくさん飲みます」


 むん、と両手に力を入れる動作がいちいち可愛らしく見えてしまう。


「そのままの方が可愛らしくて良いと思う」


 大きい女の子を否定するつもりはない。けど、後輩の女の子よりは大きくありたいと思う先輩としてのプライドだ。


「じゃ、このままでいまーす」


 嬉しそうにしている意味はよく分からず、後ろで手を組んで覗き込んできた姿が妙に可愛く見えて、顔を逸らしてしまった。


「で、本題に戻すけど体操着の意味は?」


 まさか、生足を見せつけるためだけに着替えてくれた、訳ではないだろう。


「陸上部に勝負を挑みにいきましょう!」

「……はい?」

「陸上部をこてんぱんに倒してスッキリしましょう!」


 詳しく言い直されてもさっぱりだ。

 この子は何を言ってるんだろう?


 体験入部期間は先日終わり、本格的に新一年生もそれぞれの部活に熱中し始めた頃だと悟が教えてくれた。テニス部にもそれなりの数の一年生が入部してくれたらしく、嬉しそうにしていた。


「行ってらっしゃい。ここで見てるから」


 そして、怒られて反省しなさい。真剣に挑んでる人達の時間をむやみに邪魔しちゃいけないんだと。


「せんぱいも一緒に行くんですよ~」

「嫌だ。目をつけられたらどうするんだ」

「行くんですよ~!」


 グイグイと腕を引っ張って俺を引きずっていこうとする森下。しっかりと腕をホールドされ、僅かながらな膨らみに触れてしまいそうでヒヤヒヤが止まらない。


「せんぱい、私を守ってくれるんじゃないんですか?」

「それは、時と場合による話だ」

「私、あの言葉お守りにしてるんでちゃんと守ってください」

「なら、勝負挑んだりするなよ……」


 引きずられながら最後の抵抗として不満を漏らす。

 なんだかんだと言いながら、後輩の頼みを聞いてしまうあたり甘いだろうなという自覚はある。けど、心の底から拒否できないのはきっとちゃんと見てないといけないと不安になるからだ。


 陸上部に与えられているグラウンドの部分を部員であろう人達が声を出しながら走っていく。

 みんな真剣に取り組んでいて、いかにも邪魔を出来ない雰囲気だ。

 だと言うのに後輩は堂々と正面から道場破りするみたいに乗り込んでいった。


「たのもー!」


 大きな声で叫ぶ森下を見て、女子部員達が一瞬にして周囲を囲んだ。


「あれ、どうしたの?」

「迷子?」

「可愛いねー?」


 まるで相手にされずみんなから優しい声をかけられている。

 あ、哀れだ。

 勢いにやられかけているのかたんに恥ずかしいからなのか。徐々に顔を引きつらせながら頬が赤くなっていく姿を見ているとそう思えて仕方なかった。


「ま、迷子じゃありません! 今日は勝負を挑みに来たんです!」


 凄いな。あの状況で言い切れるなんて。やっぱり、人見知りなんかじゃないだろ。


「勝負?」

「はい。ここで一番タイムが速い人と勝負させてください!」

「いいよ。おーい」


 呼ばれたのは一番タイムが速い人?

 鋭い目付きをしている彼女に森下の無茶ぶりを優しく聞き入れてくれた人が説明している。砕けた口調で話しているのでお互い三年生だろうか。もしかしたら、同級生かもしれないが同じクラスじゃないので分からない。


「せんぱーい。勝ってきまーす!」


 どうやら、勝負を受け入れてくださったようだ。優しいな。何故か、相手からはすっごく睨まれてるけど。


 大きく手を振ってくる森下に遠慮がちに小さく振り返しておく。これ、誤解されてるんじゃないか。俺が勝負してこいって吹きかけたって。


 子犬VS雌ライオンのような目付きに差がある二人は「よーいどん」という掛け声と共に地を駆けていく。

 が、しかし。森下はびっくりするくらい足が遅かった。恐らく、50メートルだろうが相手の人は走る前と変わらない表情のままあっさりとゴールをしているのに森下は随分と息を切らしてようやくゴールした。

 結果は一目瞭然。なぜ、勝負を挑もうと思ったのか。なぜ、勝てると言い切っていたのか。少しも理解できないことが多すぎる。


 周りで見ていた観客も可愛いと口々に言いながら笑っていた。

 居たたまれない。

 トボトボと俯きながら帰ってくる後輩の姿を見てはいられなかった。


「も、もう一度お願いします!」

「ん~、今のを見る限り誰にも勝てないと思うよ?」

「まだ、本気を出していないだけですから」

「じゃ、次は私が相手してあげる」


 二戦目が始まった。

 相手の方はその、なんていうか……走る度に胸が揺れたりしていてあんまり速いとは思えなかった。フォームだってさっきの人と比べると随分と違う。たぶん、マネージャーかなんかだろう。

 それでも、ハンデをぶらさげながらでも森下よりも余裕をもって駆け抜けていた。


「も、もういっか――」


 息を切らしながら突き上げた腕を後ろから掴んだ。


「もう、いいだろ。すいません、時間をいただいて」

「ううん、楽しかったよ~。ね?」


 初めに森下と走った相手は何も返事をすることなくそっぽを向いてどこかに行ってしまった。


「謝った方がいいなら謝りに行きます」


 もちろん、暴れようとして抑えられているこいつを連れて。


「ああ見えて、照れてるだけだから大丈夫」


 なるほど、ツンデレ?らしい?


「は、話してください、せんぱい!」

「失礼しましたー」


 抗議の声を上げる森下の両脇に腕を潜り込ませて持ち上げる。驚くぐらい軽くて助かった。

 成す術なくなった森下は暴れ続けていたが無視して陸上部の皆さんから離れた。

 そのままベンチが置かれていた場所まで連れていき転けないように下ろす。


「何をするんですか!」

「もう諦めろ。力の差を分からなかったのか?」

「ううっ……」

「そんなにストレス発散したいなら俺をサンドバッグにでもすればいいから惨めな姿を晒さないでくれ」


 殴っていいぞ、とそこまで痛くないであろう場所を指差すと少しは落ち着いたようであった。

 その姿を確認して俺は近くにあった自販機でジュースを購入して彼女に手渡す。


「疲れたろ? 座ろ」

「ありがとう、ございます」


 ペタンとベンチに座り、ジュースを口にしたのを見て隣に腰を下ろした。


「で、今日はどうしたんだよ?」


 いくら、昨日の憂さ晴らしをしたいと言ってもさっきのを見る限り、スポーツが得意だとは到底思えない。

 そして、それは自覚しているはずだ。人は得意なことには気づかなくても、苦手なことはすぐに気づくようになっている。

 なのに、あえて苦手なスポーツに挑んだということは何か別な意図があったんじゃないか、というのが俺の考えだ。


「今日、体育の授業中に笑われたんですよ。遅いって。それが、陸上部とか足が速い人、仲が良い相手なら笑って許しました。でも、その子もそんなに速くないんですよ。しかも、胸がちょっと大きくて走ったら苦しいとかいう理由で本気じゃないんです。私は本気で取り組んでるのに。それが、悔しくて!」


 だから、陸上部の一番速い人と勝負をして勝てばその子よりも実質足が速いことになると考えたってところか。てか、最後の方の理由は聞きたくなかった。女の子の容赦ない世界、知らなくていいな。


「はあ……良かったよ。思いつめてるような重たい理由じゃなくて」

「私は真剣にムカついているんです!」


 誰だって、本気で取り組んでるのに馬鹿にされると悔しくなる。

 頬をぱんぱんに膨らませた森下がどれだけ腹を立てているのかは簡単には理解してあげられない。

 でも。さっきの姿を見れば、遅くて惨めのように見えてもそれが本気だったことくらいは分かる。


「私、あまり器用じゃないんです」

「だろうな」


 じゃないと世界を征服するなんて盛大なことは考えつかないはずだ。


「でも、器用じゃなくても良いじゃん。それだけ、成長出来る可能性があるってことだしさ。俺だってあんまり器用じゃないよ」


 俺なら出来ないことや苦手なことにはわざわざ挑戦しようとは思わない。けど、森下は自分から克服しようとしてるのかは知らないけど挑戦している。それは、俺には出来ないことだ。


「おまえは凄いよ」


 素直にそう思った。

 それが、どう伝わったのか森下はきょとんと目を丸くして、こっちを見ていた。


「器用じゃないのを褒められるとは思いませんでした……」

「誰だって、苦手なことくらいあるから気にするな。それに、不器用な方が可愛いよ」


 見ていて微笑ましい。

 見ていて心配になる。

 一緒に居てやらないとって思わせる。

 それは、全部不器用だから出来ること。少なくとも、森下が何でも完璧にこなせてとっくに世界を征服しているのなら、俺とは出会っていなかった。

 けど、俺達は偶然にも出会った。


 そして、彼女は不器用だからこそ一つの世界をとっくに征服している。まあ、その事に本人は気づいてさえいないが。


 とんと肩にもたれてくる重みが森下の頭だということに気づくまでそう時間はかからなかった。


「おまっ……何やって――」

「……まだ、スッキリしてないので褒めてください。サンドバッグにしても、いいんですよね?」


 顔が熱くなるのを感じた。心臓の動きも早くなった気がする。

 耳まで赤くするならこんな所でもたれてくるなよ……。


「そ、そうだな。いつも、一生懸命頑張ってて偉いぞ」

「もっと」

「前向きな姿勢が魅力的だ」

「えへへ」

「笑った時の幼げな笑顔が素敵だよ」

「撫でて」


 許可を得たので頭を撫でると気持ち良さそうに目を細める。

 やっぱり、撫でられるのが好きらしい。子犬みたいで可愛いな。


 意識を周りには向けないように努力しつつ、頭を優しく撫で続けていると満足したのか大きく息を吐く音が聞こえてきた。

 スッと手からサラサラな髪の感触が消えたかと思うと彼女は元気良く立ち上がり、正面にまで移動した。


「せんぱいのおかげでスッキリしました」

「そーですか。俺はどっと疲れたよ……」

「じゃあ、残りのジュースは差し上げます」

「もともと、俺があげたやつだけどな」

「だから、もう私の物ですからプレゼントです。それを飲んで、待っててください。着替えてきますので」

「着替えなんていいから早く帰ろう」

「ダメでーす。せんぱいに臭いって思われたくないですもん。という訳で少々お待ちを」


 森下はそう言い残して校舎の方へと消えていった。陸上部で走った時よりも足の動きを俊敏にさせて。


「臭くなんてなかったってのに」


 近くまで接近され、感じた匂いは甘いものだった。


「ほとんど残ってない……あいつ」


 僅かに残ったジュースを飲みきると運動もしていないのに熱くなった体を冷やすため自販機へと向かった。

 サンドバッグとして物理攻撃なんて受けてないのに大きな傷跡が刻み込まれた。

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