エピソード 2ー2 意外な一面

 その瞬間、なにが起きたか理解した者は少なかった。アイリスはクルリと身を翻して右腕を振るっただけで、攻撃を防いだように見えなかったからだ。

 だが、足下には打ち落とされた矢が存在して、間違いなく弓を放った敵がいる。


「――襲撃だ、伏せろっ!」


 護衛の誰かが叫ぶが、それに反応出来た使用人はごく一部だけ。続いて林から響く剣戟の音に、使用人達がようやく自体を理解して騒然となった。

 驚いたクラリッサがアイリスに詰め寄ってくる。


「な、なにごとですか?」

「森の奥にゴブリンが潜んでいたようです」

「ゴ、ゴブリンですか!?」


 クラリッサの瞳が恐怖に染まった。

 冒険者にとっては下級に分類される敵でしかないが、とにかく数が多い。もっとも被害をもたらす相手でもあるので、一般人からは恐怖の対象とみられているのだ。


「この辺りは国境で人が少ないですからね。山か森から出てきたのでしょう」

「なにをのんきな! すぐに馬車に戻りましょう!」

「落ち着きなさい。貴方はわたくしが護ると言ったでしょう?」

「護られるべきなのは貴方の方です!」


 ぴしゃりと言い放たれる。

 賢姫の戦闘力はそこらの騎士に引けを取らない。それを理解しているのかいないのか、メイドの鏡のような対応に、アイリスは彼女の評価を更に一段引き上げた。


「大丈夫です。落ち着いて、よく周囲の音を聞きなさい」

「周囲の音、ですか。……これは」


 林の奥から響くのは剣戟の音だ。剣戟は戦う相手がいなければ発生しない。


「分かりましたか?」

「もしかして……騎士達が戦っていらっしゃるのですか?」

「ええ。騎士がゴブリンに後れを取るはずもありません。すぐに終わるでしょう。後は、残党が逃げてくる可能性があるので……」


 ――と、アイリスが視線を向けた方から、一体のゴブリンが飛び出してきた。既に手傷を負ってボロボロになった小鬼は、アイリスを見て口の端を釣り上げた。

 その醜悪な姿にクラリッサが悲鳴を上げ、アイリスの手を引いて逃げようとする。

 だが――


「大丈夫ですよ」


 アイリスはクラリッサを片腕で抱き寄せて踏みとどまり、迫り来る敵を見つめる。それがアイリスに飛び掛かる寸前、駆け寄ってきたアルヴィン王子が斬り伏せた。

 目前でゴブリンの血潮が撒き散らされてクラリッサは悲鳴を上げるが、アイリスは眉一つ動かさず、その様子を平然と見守った。


「二人とも無事か?」

「ええ。わたくしもクラリッサも怪我はありません」

「……そうか、良かった」


 不安に彩られていた王子の表情が安堵へと変わっていく。いつもの余裕に満ちた王子然とした表情ではなく、年相応に見える素の表情だった。


(お兄様……こんな顔もするのね)


 なんだか調子が狂うと、アイリスは戸惑いを覚えた。だが、当の本人はすぐに何事もなかったかのように取り繕い、剣の血糊を脱ぐって鞘に収める。


「しかし、よく飛んでくる矢を叩き落とせたな」

「ええ、飛んでくるのがたまたま見えましたから」

「……見えたら落とせるのか」


 運が良かったと誤魔化すアイリスに、なぜかアルヴィン王子は口をへの字にした。


「……アルヴィン王子?」

「いや、なんでもない。俺はもう少し周囲を警戒してこよう。アイリス、クラリッサのことを頼んでも良いか?」

「ええ、お任せください」

「助かる。それと……クラリッサを護ってくれたことに感謝する」

「あら、意外と良い上司なのですね」

「意外は余計だ」


 アルヴィン王子は笑って、それから護衛の騎士達に指示を出して警戒に戻っていった。それを見送り、アイリスはいまだ放心しているクラリッサに声を掛ける。


「怪我はありませんか?」

「え、あ……はい。アイリスさんが護ってくださったので」

「なら良かったです。さぁ、馬車に戻りましょう」


 アイリスが促すが、クラリッサは動かない。


「……クラリッサ?」

「あ、いえ、その……ごめんなさい。足がすくんでしまって」


 へなへなとへたり込んでしまう。どうやら腰が抜けてしまったようだ。

 もしアイリスが助けなければ、クラリッサは射殺されていただろう。前世の記憶の中でクラリッサがいつの間にかいなくなっていたのはきっとそれが理由。

 その事情を知らずとも、死を垣間見た彼女が恐怖に身がすくむのも無理はない。


「少し失礼します」

「え――ひゃわっ!?」


 クラリッサがらしからぬ悲鳴を上げた。

 アイリスが腰の抜けた彼女をお姫様抱っこで抱き上げたからだ。


「ア、アイリスさん、一体なにをっ!?」

「馬車まで連れて行くので、少しだけ我慢してくださいね」

「え、あ、はい……ありがとうございます」


 クラリッサはぎこちなく笑った。

 強がっているのは明らかで、アイリスはそんな彼女を抱いたまま馬車へと連れ帰る。座席にそうっと下ろすと、彼女はそのままへたり込んだ。


「……すみません、お世話をお掛けしました」

「いいえ、貴方は非常時でもメイドとしてわたくしを護ろうとした。とても立派でしたよ」

「……はう。その、ありがとう、ございます」


 クラリッサがほのかに頬を染めて視線を逸らす。それから我に返って「アルヴィン様は大丈夫でしょうか?」と早口で捲し立てた。


「周囲に敵はもういないようですし、彼なら問題ありません」

「……敵はいない? そういえば、アイリスさんはどうして攻撃に気付いたんですか?」

「匂いです。風上から襲撃するなんて、さすがはゴブリンですね」


 もちろん皮肉だ。だが、林が風上にしかなかったので、ゴブリンの判断が愚かだったとも言い難い。この辺りはアイリスの要求レベルが高すぎるだけである。

 呆気にとられているクラリッサを見て、アイリスは咳払いをする。


「それよりも、さっきの話ですが……」

「さっき? あ、さきほどは、失礼なことを口にいたしました!」


 クラリッサが慌てて頭を下げた。半端な気持ちなら教育係を辞退しろと、アイリスに生意気な口を聞いたことを思いだしたのだ。

 だが、アイリスは笑って、小さく首を横に振った。


「謝る必要はありません。急に現れたわたくしを警戒するのは当然のこと。それに、フィオナ王女殿下が貴方に大切に想われていると知って、とても嬉しくなりました」

「嬉しく……ですか?」


 問い返されたアイリスは答えに詰まる。

 まさか、前世の自分が大切に思われて嬉しかったなど言えるはずがない。どう誤魔化したものかと、アイリスは即座に考えを巡らせた。


「えっと……賢姫であるわたくしと対になる彼女がどのような扱いを受けているか気になっていたのです。ですから、安心いたしました」

「……もしや、アイリスさんは」


 クラリッサの瞳に気遣うような色が浮かぶ。どうしたのだろうかと首を傾げるが、クラリッサもそれ以上の追及はしてこなかった。

 アイリスはこれ幸いと話題を変えることにした。


「ところで、そろそろ落ち着きましたか?」

「あ……はい。おかげさまで、ようやく落ち着きました。……遅くなりましたが、さきほどは助けてくれてありがとうございます」


 姿勢をただして頭を下げるクラリッサは礼儀正しいメイドのようだ。

 アルヴィン王子の信頼を得ているお付きのメイドと考えると、将来的には敵に回る可能性もあるのだが、助けて良かったとアイリスは心の底から思った。


「これからは同じ職場で働く者同士なのですから、気にする必要はありません。フィオナ王女殿下を大切に思う者同士、仲良くいたしましょう」


 微笑みかけると、クラリッサが一瞬だけ呆けるような顔をした。それから「こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」と応じてくれた。


(……末永く? すぐに教育係を辞めたりしないように、という意味でしょうか?)


 ともあれ、クラリッサの信頼を得たアイリスはその後も順調に馬車旅を続け、ついには前世の自分が暮らすレムリア国へと到着した。

 

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