エピソード 3ー5 秘密ですよ

 降りかかる火の粉は自分で払うと宣言してから数日。

 アイリスはグラニス陛下に呼び出された。


 名目は、フィオナの教育の進捗を聞きたいということ。だがその実は、アイリスの教育係としての資質を問う査問会だろう。

 アルヴィン王子に、火の粉は自ら払うと宣言した結果とも言える。


 普通の教育係であれば青ざめるところだが、アイリスは思惑通りだとほくそ笑む。笑顔で呼び出しに応じて、陛下と謁見することになった。


 やってきたのは謁見の間。

 グラニス陛下が玉座に座り、周囲には護衛や家臣達が控えている。アイリスは陛下から十分に距離があるところで足を止め、その場で膝をついた。

 いまは公爵令嬢としてではなく、一介の教育係として振る舞っているためだ。


「アイリス。召喚に応じて参上いたしました」

「うむ。顔を上げるが良い」


 響いたのは大臣の言葉。

 それを王の言葉として受け取り、アイリスはゆっくりと顔を上げた。


「アイリスよ。呼び出しに応じてくれたことに感謝する」

「もったいないお言葉です」


 大臣を通して陛下と話す。

 社交辞令を終えたところで、直答を許すとの許可をいただいた。


「アイリス、孫娘が世話になっておるな。先日もフィオナに連れ回されていたようだが、あれが迷惑を掛けておらぬか?」

「フィオナ王女殿下はとても聡明な方ですから教え甲斐がございます」

「そうか……あれはのうき……いや、武術以外はあまり興味がないと聞いていたが」


(のうき……脳筋!? わたくし、お爺様に脳筋だと思われていたんですか!?)


 生まれ変わって知る驚愕の事実にアイリスはショックを受ける。だが、賢姫としての彼女はその動揺を表には出さなかった。

 それゆえ、アイリスの衝撃に気付かぬグラニス陛下は言葉を続ける。


「聞くところによると、そなたを紹介されたときも勝負を挑んだのであろう? まさか、教育係に戦いを仕掛けるとは思わなかった。まったく、誰に似たのやら」


(お爺様です、元気だった頃のお爺様ですよ!)


 リゼルとレムリアを建国したのがそれぞれ精霊の加護を得た女性だったために、精霊の加護を得た女性にのみ称号が与えられるのが現状。

 精霊の加護を得るのは女性だけではないし、各世代に一人でもない。グラニス陛下も精霊の籠を持つ一人で、若かりし頃はわりと脳筋だったと前世のアイリスは聞かされていた。


「たしかに武を重んじるところはございますが、それはレムリア国の気質でしょう。彼女はとても聡明で、とてもとても可愛らしいお方だと思います」

「ふっ、たしかにアルヴィンから聞いたとおりの娘のようだな」


 その一言で、アイリスは自分が試されていたことに気付いた。フィオナの欠点を認めた上で改善を約束するか、はたまたグラニス陛下の意見に追随して媚びを売るか。

 そう試された結果、フィオナを可愛いと評したアイリス。


 グラニス陛下が聞いたというのは、アイリスはフィオナがお気に入り、という話だろう。試験に合格したとは言い難いが、事実だから問題はないとアイリスは開き直る。


「そなたの人柄は見えてきたな。だが、わしは王としてそなたに問わねばならぬことがある」


 その問いに、フィオナはさり気なく周囲に視線を走らせる。周囲に控えているのはグラニス陛下の重鎮である家臣や護衛のみで、レスター侯爵の姿もあった。

 アイリスの正体を知っても問題のない立場にある者ばかりのようだ。


「お尋ねになりたいのは、王太子殿下がおっしゃったことの真相、でしょうか?」

「うむ。婚約を破棄されたと言うのは誠か?」

「事実でございます」


 まっすぐに陛下の顔を見上げ、臆することなく答えた。


「婚約の破棄自体はままあることではある。だが、賢姫として王を補佐する立場にあるはずのそなたが婚約を破棄されたのは、能力や性格に原因があるのではと疑う者がおってな」

「大切な次期女王の教育係ともなれば、心配するのは当然でしょう」


 こちらに配慮をみせる陛下に対して、気にする必要はないとフォローを入れる。

 グラニス陛下は口元だけで笑みを浮かべてみせた。


「では婚約を破棄された原因はなんだったのか聞かせてもらえるだろうか?」

「はい、わたくしの可愛げが足りなかったのかと愚考いたします」

「可愛げ、であるか?」

「わたくしは努力家が好きなので、王太子殿下に愛情を注ぐことが出来なかったのです」

「……ふむ」


 感想を濁すグラニス陛下。

 彼が周囲に視線を向けると、家臣達は小さく頷いた。


 婚約破棄の理由を問われたアイリスは、この状況でも臆することなく、努力家ではない王太子に愛想良く出来なかったのだと言ってのけた。

 その強気な性格こそが、婚約を破棄された原因だというアイリスの言葉に納得したのだ。


 もっとも、それは決してマイナス感情ばかりではない。婚約破棄が能力的な理由ではないとの見解から、アイリスへの当たりを緩和させる者もいた。

 この国の人間は基本的に脳筋――能力主義である。


「つまり、そなたは自分の能力には問題がないというのだな?」

「……自分は優れていると、わたくしが主張することになんの意味がありましょう」


 自分の評価を自分でしても意味がない。そんな質問をしてどうするのかと問い返した。それには周囲の者達が色めきだつが、グラニス陛下は笑い声を上げた。


「ははっ。たしかに、自称ほど当てにならぬ評価はないな」

「はい。ですから、そうですね……三ヶ月。三ヶ月のあいだに、皆様を納得させてご覧に入れます。わたくしがフィオナお嬢様の教育係に相応しい能力の持ち主である、と」


 不遜とも取れるアイリスの態度に、けれど周囲の視線は好意的なものへと変化した。

 繰り返しになるが、この国の者は基本的に脳筋思考なのだ。

 その傾向はグラニス陛下がもっとも強い。実力で皆を納得させると宣言したアイリスに対し、孫娘に向けるような優しい眼差しをアイリスに向ける。


「良いだろう。ならば三ヶ月待とう。そのあいだに自分の能力を証明してみせるがいい」

「はっ。必ずや、陛下のご期待にお応えいたします」


 凜とした声で答える。アイリスもまた脳筋思考である――と、指摘する者は残念ながら存在していなかった。

 そうして話は纏まったかに見えたが、アイリスがふと思いついたように声を上げる。


「……ところで、陛下はずいぶんと体調が優れないご様子ですね」


 アイリスの唐突な――むろんわざとだが、その物言いに周囲がざわめいた。無礼者と叱責が飛ばなかったのは、アイリスが賢姫として認識されているからだ。

 ただの教育係の発言として受け取られていたのなら、叱責が飛んでいただろう。


 そんな周囲の不満を抑えるように陛下が軽く手を上げる。それによってアイリスの発言は許され、続きを促されることとなった。


「既にご存じのことかと思いますが、わたくしは賢姫の称号をいただいております。精霊の加護を用いた治癒を施すことをお許しいただけないでしょうか?」

「気持ちは嬉しいが、わしはもう歳だ。精霊の加護も老いには及ばぬであろう?」

「それでも、陛下のお心を癒やして差し上げたいのです」


 その言葉は嘘だ。

 だが、貴方はおそらく毒に冒されている――とは口に出来ない。それ故の感情論。却下される可能性も十分にあったが、陛下は良かろうと応じてくれた。


 とたん、護衛の者達から陛下を諫める声が上がる。

 他国の人間を陛下の身体に触れる距離に近寄らせるだけでも危険なのに、よりによって相手は賢姫。陛下の身を案じるのは当然だろう。

 だからこそ、アイリスは護衛の騎士、その隊長へと目を向けた。


「貴方は陛下をお護りする隊長とお見受けします」

「それがなんだというのだ?」

「わたくしが陛下に触れているあいだ、わたくしに剣を突きつけてください」

「……なんだと?」

「わたくしが怪しい行動を取れば、即座に首を刎(は)ねればよろしいかと」


 臆することなく言い放つアイリスに家臣達が戦(おのの)いた。


「くくっ、そなたはレムリア国の流儀をよく心得ているようだ。良い、わしはそなたを信じよう。構わぬから近うよれ」

「では、失礼いたします」


 陛下の許しを得てきざはしを登り、玉座の前にて膝をついた。それから周囲を刺激しないようにゆっくりと陛下の手に触れる。

 しわがれたその手は、前世のアイリスを優しく撫でてくれた手に違いなかった。その懐かしさに泣きそうになり、アイリスはきゅっと唇を噛んだ。


「……どうかしたのか?」

「いいえ、いまから精霊の加護を使います」


 淡い光がアイリスの周囲を舞い、アメシストの瞳を青く染め上げる。正式な加護の発動に、淡い光を纏う少女が顕現した。アイリスの契約する魔精霊フィストリアである。

 その瞬間、謁見の間にどよめきが起きる。


「……アイリス、そなたは精霊の顕現が可能なのか」


 グラニス陛下が呆然と呟いた。

 精霊はアストラルラインと呼ばれる地脈で暮らしている。

 加護を受けた者はそこで精霊と語らうことが出来るが、離れた場所に顕現させることが可能なのは歴史上でも数えるほどしかいない。


 なお、アイリスがそれを可能なのは前世の記憶を取り戻したがゆえだ。もし彼女が精霊の顕現を可能としていると知っていれば、リゼル国は決して彼女の出奔を許さなかっただろう。


 それだけの衝撃を与えながら、アイリスは陛下に向かって唇に指を添え「秘密ですよ?」と微笑んで見せた。その戯けた様子に陛下は目を丸くする。


「くくっ、秘密、か。……良かろう。わしも、他の者も、ここで見たことは一切口外はしないと約束しよう。皆の者も良いな?」

「「「――はっ」」」


 呆けていた家臣達が、陛下の声を聞いて我に返る。

 だが、それで衝撃が消えた訳ではない。歴史上にも数えるほどしか存在しない、精霊を顕現させることの出来る賢姫。アイリスに畏怖と尊敬の眼差しが集まっていく。

 その視線をものともせずに、アイリスは治癒の魔術を発動させた。

 

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