エピソード 3ー6 実は自覚がなかっただけだったり

 精霊の加護には様々な種類がある。たとえば剣精霊の加護であれば身体能力の向上などで、魔精霊の加護は魔力の向上など。

 その系統が強くなるのが一般的だ。


 フィストリアを顕現させているアイリスは、魔術の効果を最大限に高めることが出来る。フィストリアの加護がアイリスに降り注ぎ、その光を受けたアイリスが魔術を発動させる。

 彼女の使う治癒魔術が、淡い光となってグラニス陛下に降り注いだ。


「これが賢姫による治癒魔術か。幻想的な光景だな」

「フィストリアはロマンティストですから」


 アイリスがイタズラっぽく答えると、フィストリアがむぅっと唇を尖らせる。幻想的な精霊の人間っぽい仕草に周囲が軽くどよめいた。

 だが、アストリアを知るグラニス陛下は笑みを零す。


「……ふっ、そなたも精霊と仲が良いのだな」


 フィオナと比べているのだろう。

 いまの彼女はまだ精霊の顕現には至っていないが、城の地下にあるアストラルライン、地脈のたまり場でアストリアとときどき意思の疎通を図っている。


「しかし、そなたのような人材が他国に渡ることを、良くリゼル国は容認したな」

「フィストリアの顕現について知る者はいませんでしたので」

「……なんと。それでは、そなたはワシのためにその秘密を明かしてくれたと言うことか。改めて、そなたには感謝せねばならんな」

「わたくしが言いだしたことなので、陛下が気にすることではございません」


(むしろ、お爺様のために使わなくていつ使うの? って感じだよね)


 アイリスにとっての真理。

 幼くして両親を失ったフィオナは、かなりのおじいちゃんっ子である。


「しかし、精霊の顕現の件を除いても、普通は許可しないのではないか?」

「それはそうでしょう。しかし、王太子殿下がわたくしとの婚約を破棄なされたので」


 そもそも、そこがあり得ない。あり得ないことをした相手に、他国に渡るなどあり得ないと止める権利などあろうはずもない。

 少なくとも、アイリスにはそう言い張るだけの力があった。


 もっとも、それは王族が相手での話であって、アイスフィールド公爵が娘を止める権利はあった。アイリスがこの国に渡れたのは、父の気質のおかげだろう。


「……なるほど、王太子が愚かだというのは事実のようだ」


 陛下は小さく笑って、それからなにやら考えるような素振りを見せた。


「ところで、フィオナのことをもう少し聞かせてくれないか? さきほども聞いたが、フィオナをどう思っているか本音を聞いておきたい。あれは、女王に相応しいと思うか?」


 他の者には聞こえないほどの小声ではあるが、とても一国の王が他国の娘に聞くことではない。なぜそんなことをと考えながら、アイリスは慎重に言葉を探す。


「彼女自身も努力家ですし、この国には優秀な人材が揃っています。彼らの力を得ることが出来れば、フィオナ王女殿下は立派な国の象徴となりましょう」


 フィオナであれば立派な国の象徴――良き女王となるはずだ。そう口にしたアイリスに対して、グラニス陛下は「そなたはそう思うのだな」と呟いた。


 その言葉は周囲には聞こえなかったはずだ。

 だが、フィオナが女王に相応しいと口にしたアイリスに対して『そなたは』と口にした。それはつまり他の誰か、おそらくグラニス陛下の考えが違うと言うことだ。


「フィオナ王女殿下はよく努力なさっていると思いますが……」


 不満があるのかと、声には出さずに問い掛ける。


「平時であればなんの問題もない。だが……いや、話しすぎたようだ」


 これ以上は追求するなという意味。そう言われてしまっては、いまのアイリスの立場では食い下がることなんて出来ない。かしこまりましたと引き下がる。

 だが、グラニス陛下がフィオナの即位を望んでいない可能性は心の中に刻み込んだ。



 その後も魔術による治癒を続け、光が消えるのを待って具合はどうかと問い掛ける。


「……ふむ、少し身体が軽くなった気がするな」


 穏やかな口調だが、それが社交辞令なのは明らかだ。アイリスの好意に対してのお礼と言ったところだろう。そしてその事実は、アイリスの表情を曇らせる。

 予想通り・・・・、治癒魔術の効果がなかったからだ。


「陛下、もう一種類、治癒の魔術の行使をお許しいただけますか?」

「ふむ。そなたの好きにするが良い」

「ありがとう存じます」


 アイリスは目を伏せて感謝を示し、別の種類の魔術を発動させた。再び淡い光が降り注ぎ、陛下の身体に降り注ぐ。

 さきほどと同じ工程――だが、陛下の反応はさきほどと違った。


「お、おぉ……これは、なんと温かい光だ。身体が軽くなっていく」


 陛下が心地よさそうに目を細める。アイリスの使用した治癒魔術が効果を及ぼしている証拠で、その事実に周囲が騒然となる。

 老衰に治癒魔術は効果がない。ゆえに、陛下に治癒魔術を使うことに意味はない。それは理論的な話でなく、実際に治癒魔術師が魔術を使用した上での結論だった。

 にもかかわらず、アイリスの魔術には効果があった。

 一体どういうことなのかと、全ての視線がアイリスに集中する。


「……アイリス、そなたが使っているのは特殊な魔術、なのか?」


 陛下の問い掛けにアイリスは頷いて「わたくしが使用したのは、ある種の毒を分解する魔術でございます」と陛下にだけ聞こえるように囁いた。


「……なんと、それは誠か?」

「はい。信頼できる者にだけ話して、対策をお立てください」

「うむ。そうさせてもらおう」

「それと……毒は問題のないレベルまで分解されたはずですが、再び解毒が必要になることもあるでしょう。そのときはどうかわたくしをお呼びください」


 含みを持ったニュアンスで言い放つ。

 その意図を正しく理解したグラニス陛下は軽く目を見張った。


「なんと礼を言えば良いのか……そなたには感謝してもしきれぬな。アイリス、そなたはわしの恩人だ。良くこの国に来てくれた。わしはそなたを歓迎しよう」


 今度はアイリスが目を見張った。

 前世でとても慕っていた祖父。幼くして両親を失ったフィオナにとっては父のような存在だった。そんな祖父も、フィオナが大人になる前に死んでしまった。

 その祖父が生きて、アイリスに温かい眼差しを向けている。


「いいえ、いいえ、感謝など必要ありません。わたくしは、グラニス陛下が元気になってくださったのなら、それだけで……嬉しいのです」


 目元に浮かんだ煌めく雫を指先で拭い、蕾が花開くように微笑んだ。

 それは大切な人にだけ見せる、本当の彼女。


「おぬし、は……」


 グラニス陛下はしばし息をするのも忘れてアイリスの笑顔に見蕩れる。だが、家臣の咳払いで我に返り、「大儀であった」と皆に聞こえるように声を上げた。


 語らいを許された時間は終わった。

 それを理解したアイリスは立ち上がり、陛下の方を向いたまま一歩だけ退く。


「それでは、わたくしはこれで失礼いたします」

「ご苦労だった。それで、そなたの資質を証明する件だが――」

「――その件は、さきほど申したとおり、三ヶ月以内に皆様があっと驚く方法で証明してみせます。どうか、楽しみにしていてくださいませ」


 ふわりと微笑みを残して、アイリスはクルリと身を翻した。



     ◆◆◆



 優雅な足取りで退出していく。

 アイリスの後ろ姿を、その場に残された者達は呆然と見送った。


 彼女が謁見の間を退出すると、重苦しい音を立てて扉が閉まる。それからもなんとも言えない沈黙が続き、やがてグラニスが皆の気持ちを代表するかのようにぽつりと呟いた。


「……もう十分すぎるほど驚かされたのだが、この上はなにをするつもりなのだ?」


 その問いに誰も答えられない。

 建国の王を初めとしたごく一部の者にしか不可能な精霊の顕現。それをさらりと行使して、老いに任せるしかなかったはずのグラニスの調子を復調させてみせた。


 それほどの偉業を見せつけておきながら、実力を証明するのはこれからだというのだ。もはや意味が分からないというのが、その場に残された者達の感想だった。


「彼女は教育係ですから、フィオナ王女殿下をあっと驚くほどに成長させてみせるのでは?」

「……あれだけのことをして周囲を驚かせた自覚のない彼女が、周囲を驚かせるほどにフィオナを成長させてみせるというのか……?」


 孫娘が一体どうなってしまうのかと、グラニスは一抹の不安を覚えた。

 だが、ふとアイリスの言葉をお思い出した。


「……いや、あれはもしかしたら、わしへのメッセージかもしれぬ」

「陛下へのメッセージ、ですか?」

「うむ。これから話すことは、ここにいる者達だけで共有し、決して口外してはならぬ」


 グラニスは家臣達を見回す。

 アイリスがグラニスにだけ伝えたのは、身内に裏切り者がいる可能性を考慮したから。それは分かっている。だが、ここにいる者達はグラニスがもっとも信頼している者達だ。

 疑心暗鬼に捕らわれていては国を治めることが出来ない。

 ゆえに――


「彼女がわしに使ったのは、ある種の毒を分解する魔術だそうだ」


 自分が毒を盛られていたことを打ち明けた。

 とたん、家臣達が騒然となる。

 敬愛する陛下に毒が盛られていたなどとあってはならない事実である。だが、それが事実であれば、アイリスの治癒魔術が効果を及ぼしたことにも説明が付く。

 混乱のさなかに、護衛の騎士隊長が口を開く。


「陛下、アイリス嬢の魔術で身体が楽になったというのは事実なのでしょうか?」

「その点については疑いようがない。まるで何年も若返ったようだ」

「では、やはり……」

「うむ。わしは誰かに毒を盛られていたのだろうな」

「……なんという、なんと言うことだ!」


 護衛の騎士隊長が声を荒らげた。

 陛下の体調が良くなったのは非常にめでたいことだ。だが同時に、陛下が毒を盛られていたという事実は、国を揺るがす一大事である。


「一体、誰がどのように陛下に毒を……」


 そんな囁き声がいくつも上がり、牽制し合うように視線を交わす。

 陛下が毒を盛られていたのが事実だとして、急性中毒の症状ではない。つまりは慢性的な中毒症状。弱い毒を持続的に盛られていたと言うことだ。

 そんなことが可能なのは、身内しかあり得ない。

 つまり、自分の隣にいる者が犯人かもしれない。そんな疑心暗鬼に捕らわれる。


「静まれ。おまえ達が察しているとおり、これは内部犯である可能性が高い。だが、わしがこの件を打ち明けたのは、そなた達を信頼しておるからだ」


 疑うべきなのは、ここにいない者達。

 そう宣言したグラニスだが、その言葉は真実ではない。


 むろん、グラニスがこの場にいる家臣達を信頼しているのは事実。

 だが、この場にいない者達のことも同じように信頼している。信頼する者達の誰かが犯人である以上、この場にいる者達が絶対に白とは言いきれない。

 だが――


「では、早急に毒が盛られたルートを調べ上げます」

「――いや、待て。犯人はわしの毒が分解されたことを知らぬ。泳がせた上で毒を特定し、それを盛った犯人ごと捕まえるのだ」

「しかし、それでは陛下が再び毒を受けることになりかねません!」


 護衛の騎士隊長が難色を示す。

 むろん、他の家臣達も同意見であることを態度で示している。


「案ずるな。毒は慢性的な中毒を引き起こすモノ。一度分解された以上、再び毒を盛られたとしてもすぐに体調が崩れると言うことはない。ゆえに、今のうちに根元を断ち切るのだ」


 自分をおとりにして、実行犯だけでなく黒幕も捕まえろという指示だ。

 国王としては少々無茶が過ぎるが、レムリア国の王には相応しい資質。家臣達はグラニスの指示に恭順し、必ず黒幕を捕まえてご覧に入れますとかしこまった。


(あの聡明な娘は、わしが自分を囮にすると予測しておったのであろうな)


 彼女はグラニスの毒を問題のないレベルまで分解したと言った。であれば、精霊の加護を受けるグラニスの身体はすぐに復調するはずだ。

 にもかかわらず、また治療が必要なら協力すると口にした。つまり彼女は、グラニスが再び毒を接種する可能性を考慮していたのだ。


 だがそのおかげで、グラニスはこの計画に踏み切ることが出来た。

 これで、ここにいる者達が白か判断できる。

 この場に犯人がいなければ、油断している黒幕に迫ることが出来る。だがこの場に犯人がいれば、自分が捕まらないように手を変えてくるだろう。

 それこそが、グラニスがこの場にいる者達に全てを打ち明けた理由。

 その計画を推し進めるために、家臣達に指示を出していく。そうして指示を出し終えた後、彼を守護する護衛の騎士隊長が思い出したように声を上げた。


「ところで陛下、アイリス殿の言葉が陛下に対するメッセージというのはどういうことでしょう? 犯人に至るヒントになるかもしれません。我々にもお教えいただけるでしょうか?」

「ヒントにはならぬだろうが……教えることに問題はない。わしに毒を盛った犯人を捕まえるまで、彼女の功績は公表できぬ。だが、三ヶ月も経てば、犯人は捕まっているであろう?」

「あぁ、なるほど」


 犯人が捕まって始めて、アイリスの功績は公表できる。

 自分の実力を示すのに三ヶ月。

 それは犯人が捕まるまで時間を稼ぐ口実、という訳だ。


「しかし、陛下。それが理由であれば、我々にお楽しみにと口にする必要はないのでは?」

「む? ……たしかに、そなたの言うとおりだな」

「もしかしたら、アイリス嬢は自分で犯人を捕まえるつもりでは?」

「いや、まさか、それは……」


 普通に考えてあり得ない。

 だが、アイリスは既にあり得ないことを立て続けに引き起こしている。今回に限ってあり得ない――と、そう口に出来る者は一人もいなかった。

 

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