エピソード 4ー1

「これより、アルヴィンとアイリス嬢、両名の婚約の儀を執り行う!」


 グラニス王による宣言をを耳にしたアイリスはパチクリと瞬いて、それから十秒くらいフリーズして、ようやく「はい?」と首を傾げた。

 それから聞き間違いかと思い、隣に立つアルヴィン王子を見上げる。


「アルヴィン王子、いま、わたくしと貴方が婚約する、と聞こえた気がするのですが?」

「ああ、たしかにそう言ったな」

「ど、どういうことですか? わたくし、聞いておりませんよ!?」


 アイリスがオロオロとうろたえる。彼女がここまでうろたえるのはおそらく、物心がついてから初めてレベルのことだろう。だが、アルヴィン王子はにやっと笑った。


「フィオナの側にいるためなら協力すると言ったではないか」

「たしかに言いましたが――」


 と、アイリスは不意に理解した。

 他国の人間が、女王の思想に影響を及ぼす立場でいることは体面が悪い。ゆえに、アイリスがこの国の人間になることで、その問題を解決するという点。


 たしかに、アイリスがこの国の人間になれば問題はない。

 だが、レムリアの人間になると署名すれば解決する問題ではない。たとえアイリスが爵位を授かったとしても、身だけでなく、心もこの国の人間になったと証明することは難しい。


 では、どうやってその点を解決するのか?

 アルヴィン王子が大丈夫だと言う以上、なにか手はあると思って任せていたアイリスだが、ここに来てその手がなにかを理解した。アルヴィン王子は、自分の婚約者にすることで、アイリスがこの国の人間だと証明するつもりなのだ。

 もちろん、アイリスはそんな展開になるなんて想像もしていなかった。だが、アイリスはアルヴィン王子に言質を取られている。

 勝ち目がないと感じたアイリスは、助けを求めてグラニス王に視線を向ける。


「陛下――」

「フィオナのためならなんでもすると、そなたの覚悟はたしかに受け取った。レムリアに骨を埋める覚悟も出来ていると言っていたな。あとは、そう……賢姫に二言はない、だったか」

「……うぐ」


 言葉に詰まる。


(そ、そういえば、騒動の元凶はお祖父様でした! どうして、根回しもせずに、周囲を混乱させるような真似をするのかと思っていましたが……)


 混乱させたい相手が周囲ではなく、アイリス個人だったのなら――


(さてはお祖父様も共犯ですね! 酷いです、前世ではアルヴィン王子に裏切られ、今世ではお祖父様に裏切られました!)


 しかし、言質を取られてしまっていることに変わりはない。こうなったら、フィオナ王女殿下の独占欲を煽るしかないと、アイリスは切り口を変える。


「フィオナ王女殿下はよろしいのですか?」

「……実は、凄く悩んだんだよ? アイリス先生が誤解してるのにも途中で気付いたし、後でこんな風にアイリス先生が困るんじゃないかなぁって」

「そ、そうなんですね。では――」


 こんなの間違ってますよねと、彼女から同意を引き出そうと思う。だけど、それを口にするより早く、フィオナ王女殿下は無邪気に笑って言葉を続けた。


「でも、アイリス先生に側にいてもらうには、他に方法はないかな、って」


(――確信犯!?)


 フィオナ王女殿下のしたたかに成長した姿に感動を覚えつつ、もうちょっと他に方法があったはずですよと嘆く。だが、アイスフィールド公爵家の名に懸けて、フィオナ王女殿下と約束したことも思いだしたアイリスに逃げ場はなかった。


「わ、わたくしを騙したのですね!?」

「その通りだ」


 アルヴィン王子は欠片も悪びれずに笑う。

 アイリスは恨みがましそうな目でアルヴィン王子を見上げた。彼がなにを考えて自分と婚約などと言いだしたのか、アイリスには理解できなかった。なにより、賢姫である自分が罠に嵌められるという屈辱。精神的に追い詰められたアイリスは一つの結論に至る。


「わ、わたくしと婚約したければ、わたくしを倒してからになさい!」


 意味が分からない――と、会場にいるほとんどの者が思っただろう。というかそのセリフは、ジゼルやフィオナに求婚する相手に言うつもりだったセリフである。

 それをなぜ、自分が婚約を申し込まれたときに言っているのか――と、アイリス自身が思っていた。だけど、この会場において一人だけ、即座に対応した者がいた。


「いいだろう。ならば、いまこそおまえを倒してみせよう」


 他ならぬアルヴィン王子である。

 彼は笑ってパチンと指を鳴らす。するとどこからともなく現れた騎士が、アルヴィン王子に二振りの殺さずの魔剣を手渡した。彼はその一振りをアイリスへと投げて寄越す。

 反射的に空中にある殺さずの魔剣を掴み取るアイリス。


「……どういうおつもりですか?」

「おつもりもなにも、おまえが言ったのではないか。おまえと婚約をしたければ、おまえを倒してみせろ――と。だから……勝負だ、アイリス」

「……本気ですか?」

「正気を疑うべきは、条件を出したおまえではないか?」

「そちらではありません。わたくしに勝てるつもりなのかと、聞いているのです」


 アルヴィン王子は強い。圧倒的なアドバンテージとなる精霊の加護を持っていないにもかかわらず、精霊の加護を持つ人間に匹敵するほどに。

 だが、それでも――


(いまのわたくしは複数の加護を自分の物としている。フィオナ王女殿下と二人掛かりでもわたくしに及ばなかったのに、一人で勝てると思っているのでしょうか?)


「アイリス、たしかにおまえは優秀だ。最強と言っても過言ではないだろう。だが、その地位も永遠ではない。おまえは今日、ここで、俺に敗れるのだ」

「……面白いことを言いますね。その挑発、乗って差し上げましょう」


 アイリスは挑発に乗り、殺さずの魔剣を鞘から抜き放った。右足を引き半身になり、剣は右脇、切っ先を背後に隠すように構える。

 対してアルヴィン王子は正眼に剣を構えた。


 グラニス王が主催するパーティーの会場。陛下の御前で剣を抜いたことに周囲が騒然となるが、グラニス王が手を上げたことによって周囲は静まった。

 当然、周囲の者達はグラニス王を止めることを予想した。

 けれど――


「では、二人の婚約を掛け、いざ尋常に勝負……始め!」


 グラニス王の発した言葉は開始の合図だった。

 違うそうじゃないと考える周囲を置き去りに、アイリスは反射的に剣を振るった。だがアルヴィン王子もまた同時に剣を振るっており、二人の剣は互いにぶつかり火花を散らす。


 速度は互角。パワーも互角だった。けれど、切っ先を背後に隠していたアイリスの剣の等身には、魔法陣が描かれていた。アイリスが魔術で描いた魔法陣だ。

 その魔法陣を起点に光が放たれる。


「――くっ」


 アルヴィン王子が眩しさに顔を背ける。その一瞬の隙、発動の瞬間だけ目を瞑っていたアイリスが彼の側面へと回り込んだ。クルリと外側に回りながら、彼の隣に並ぶように回る。

 その勢いをそのままに回し蹴りを放った。


 アルヴィン王子はとっさに腕でガード、横に飛ぶことで衝撃を逃がした。けれど、アイリス達が戦っていたのは階段の一番上。そしてアイリスが蹴り飛ばしたのは階段の方だ。

 横に飛んだアルヴィン王子は階段を落ちていく。頭から落ちるアルヴィン王子だが、階段に手をついて体勢を入れ替える。階段を滑るように降りて、中程でようやく踏みとどまった。


「この程度で――」

「終わりとは思っていませんよ!」


 態勢を整えようとするアルヴィン王子に、上段に剣を構えたアイリスが飛び掛かった。振り下ろした剣はけれど、彼が振り上げた剣に受け止められた。


(わたくしの全体重を掛けた一撃を、こうも易々と――っ)


 驚く暇もなく、アルヴィン王子が剣を振るう。空中にいたアイリスは、その衝撃を受けて弾き飛ばされた。虚空でとんぼを切って、階段の中頃に着地した。


「……アルヴィン王子、なにを……したのですか?」

「剣で弾き返しただけだが?」

「誤魔化さないでください。貴方の力量が優れていることは知っています。けれど、精霊の加護を持たない貴方に、そこまでの膂力はなかったはずです!」

「ならば、答えは出ているではないか」


 アルヴィン王子がニヤリと口の端を吊り上げる。

 それを見たアイリスの表情が驚愕に染まる。


(まさか、精霊の加護を? あり得ません。彼が加護を持っていないことは、前世と今世を通して確認済みです。隠れ里でも、加護を得ないように……っ)


 不意に思い浮かんだのは、フィオナ王女殿下と三人で建築中の町にいたときのことだ。アルヴィン王子の所在が分からぬ時期があった。

 フィオナ王女殿下が誤魔化していた、あのとき……


(気にするまでもないと放置していましたが……まさかっ)


「精霊の試練を受けたのですか!?」

「おまえの言うほど危険ではなかったぞ? ま、簡単でもなかったがな」


 彼がそう言った瞬間、アルヴィン王子の持つ殺さずの魔剣の輪郭がブレた。まるでその部分だけ黒く塗りつぶしたように、殺さずの魔剣が見えづらくなる。


 次の瞬間、アルヴィン王子が階段を駆け上がり、アイリス目掛けて剣を振り上げた。

 アイリスはとっさに剣を振り下ろして受け止めるが、アルヴィン王子の剣が黒く塗りつぶされているせいで間合いを見誤る。

 タイミングをずらされたアイリスは、衝撃を上手くそらせずに体勢を崩した。そこへ放たれる追撃。アイリスは魔術を牽制に使って更に階上へと退避した。

 アルヴィン王子もそれ以上の追撃はせず、再び階段の上下で睨み合う。


(あれは……闇の精霊?)


 予言の書にあるアイリスは闇の力を攻撃魔術として扱っていた。けれど、いまのアルヴィン王子は、剣に闇を纏わすことで間合いを分かりづらくしている。


「……厄介な。貴方にだけは持たせたらダメな力じゃありませんか」


 ハイレベルな剣の戦いにおいては、紙一重の判断が勝敗を分けることも珍しくない。そんな戦いにおいて、間合いを分かりづらくするのがどれだけ有利かは語るまでもないだろう。


「おまえの、剣と魔術を両方扱うのも大概だと思うがな。魔術師にとって唯一の弱点であるはずの接近戦に強いなど、どう考えても反則だろう」


 口撃に対し、アルヴィン王子がやり返してくる。

 アイリスの場合は前世と今世の技術の融合だ。むしろ、今世だけで鍛え上げたアルヴィン王子の方が正当とも言える。ダメージを受けたのはアイリスの方だった。


「……お互い様、というわけですね」


 口ではそう返すが、アイリスは明らかにばつが悪い。だが、そうやって時間を稼いだことで、アイリスは闇に包まれた殺さずの魔剣との距離感を摑んだ。


 アイリスは階段を滑るように駆け下り、アルヴィン王子に斬り掛かる。アルヴィン王子はサイドにステップを踏んでそれを回避した。

 アイリスが横薙ぎに剣を振るえば、アルヴィン王子もまた横薙ぎに剣を振るって受け止める。あるときは階段を駆け上がり、またあるときは階段を駆け下りる。勢いよく欄干を蹴って虚空に逃れ、二人は階段の中頃でダンスを踊るように斬り合いを始めた。

 

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