エピソード 4ー2
グラニス王が開催したパーティーの会場。
階段の中頃で、アイリスとアルヴィン王子が斬り合いを続けている。闇の精霊の力を使い、殺さずの剣に闇を纏わせ、間合いを読みづらくするアルヴィン王子に対し、アイリスは多くの加護を得たことで発揮される、ずば抜けた身体能力で対抗する。
二人の動きには無駄がなく、片方が動けば、もう片方はそれに対応した動きを見せる。それはさながら、ダンスにおけるリード&フォローのようだ。
「アルヴィン王子、なぜこのような手段を取ったのですか?」
一進一退の攻防を続けながら、アイリスがアルヴィン王子に問うた。
「なぜ? 勝負を持ちかけたのはアイリス、おまえの方だろう」
「勝負のことではありません。わたくしとの婚約の件です。アルヴィン王子はいままで、フィオナ王女殿下のために動いてきたのでしょう? なのに、どうしてこのような……」
前世において、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下を――当時のアイリスを追放した。それは、当時の彼女にとって、とてもショックな出来事だったのだ。
だが、それでも、アイリスはアルヴィン王子を許した。それは、アルヴィン王子がフィオナ王女殿下のためにしたことだと理解したからだ。
なのに――
「なぜです! どうして、フィオナ王女殿下を一番に考えないのですか!」
アイリスが上段から剣を振り下ろす。アルヴィン王子はそれを側面に逸らた。二人の殺さずの魔剣の切っ先が赤い絨毯を敷かれた階段に触れる。
アイリスが剣を振り上げようとするが、アルヴィン王子はそれを上から押さえ込んだ。
「……今更、そのようなことを問われるとはな。おまえに対しては、わりとストレートなアプローチをしていたつもりなのだが」
「本気だと言うつもりですか? では、フィオナ王女殿下はどうするおつもりですか」
「どうするもなにも、大切な従妹だと言っていたはずだが」
「ですが――っ」
アイリスが剣を引いて階段を駆け上がる。そうして間合いを取ろうとするが、アルヴィン王子また、まったく同じ動作で追随する。
剣を振り上げるアイリスとアルヴィン王子。二人は眼前で鍔迫り合いを始めた。
「アイリス、おまえはなにを気にしている?」
「それ、は……」
戦闘の最中、アイリスは視線を逸らすことも出来ずに動揺する。そうして揺れるアイリスの瞳を、アルヴィン王子が覗き込んだ。
アイリスはわずかな沈黙を挟み、自分達の周囲に風の結界を張る。そうして、自分達の声が周囲に漏れないようにして自らの秘密を打ち明けた。
「……わたくしの魂の話をしたことがありますね? わたくしには、フィオナとして生きた記憶あります。わたくしの前世は、いまとは違う歴史を生きるフィオナだったのです」
「そう、か」
相当に衝撃的な告白だったはずなのに、アルヴィン王子は静かに受け止める。
「……驚かないのですか?」
「これでも驚いている。だが、納得いく部分も多い」
アイリスは意識していなかったがアイリスの剣筋は何処かフィオナ王女殿下と似ている。それも、フィオナ王女殿下の剣を完成させたような剣筋だ。
それに、未来を知っているかのような行動を繰り返していたこともある。
アルヴィン王子に取っては、腑に落ちる部分の方が多かった。
「それで、前世で一体なにがあった?」
「貴方に追放されました」
「……なるほど、色々と合点がいった。おまえが俺を警戒してるのは当然――っ」
アルヴィン王子が皆まで言うより早く、アイリスが力押しで鍔迫り合いを制した。そうして上段から斬り掛かる。その一撃は受け止められるが、今度は有利な形で鍔迫り合いとなった。
「わたくしは、貴方を警戒していました。ですが、それは以前の話です! 貴方がわたくしを追放したのは、わたくしの、フィオナ王女殿下のためだと思ったから!」
いまのアイリスは、アルヴィン王子を信頼している。
だがそれは、前世での彼の裏切りが、自分を助けるためだと思えたからだ。自身より、なにより、フィオナ王女殿下を大切にする。そんな彼だから信頼することが出来た。
なのに、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下の即位を利用して、アイリスと婚約しようとしている。それはつまり、アルヴィン王子を信頼する前提条件が崩れた、ということだ。
「答えてください。なぜこのような真似をなさったのですか!」
「……この期に及んで、まだそのようなことを聞かれるとはな。言葉にしなくては理解が出来ないのか?」
「理解は出来ても、納得は出来ないと、言っているのです!」
何度目かの鍔迫り合い。二人は至近距離で見つめ合う。
そしてアルヴィン王子が静かに告げた。
「アイリス、おまえの話を聞いて思ったことがある」
「……なんですか?」
「前世の俺はおそらくフィオナをなにより大切に思っていたのだろう。だが、いまの俺はそうではない。フィオナも大切だが、それ以上におまえを大切に思っている」
「……なぜ、そのようなことが言えるのですか」
「前世のフィオナには、おまえの魂が入っていたのだろう? つまり、俺は今世でも前世でも、おまえを最優先にしていた、ということだ。たとえ魂の宿る器が変わってもな」
「……え?」
それはつまり――と、理解した瞬間、アイリスの動きが大きく鈍った。その隙にアルヴィン王子が剣を跳ね上げ、アイリスは為す術もなく剣を手放してしまう。
次の瞬間、無防備を晒すアイリスに、アルヴィン王子が迫り来る。思わず目を瞑ったアイリスはけれど、次の瞬間、アルヴィン王子に抱きしめられていた。
「アイリス、おまえを――愛している」
ぼんっと、アイリスの顔が赤く染まる。アイリスはなにか口にしようとするが、ストレートな告白を前になにも言えなくなってしまう。
そしてようやく口を開こうとした瞬間、パーティーの参列客達から歓声が上がった。
魂の話で動揺したアイリスは、会話を聞かれないようにと張っていた結界もまた霧散させてしまっていたのだ。つまり――抱きしめての告白のみが会場に響いていた。
「くくっ、どうやら既成事実化してしまったようだな」
アイリスを抱きしめたまま、アルヴィン王子がいかにもおかしそうに笑う。
「……ぶ、ぶっとばしますよ?」
「出来るものならやってみるといい」
「ぐぬぬ……」
腕の中にいるアイリスに出来ることは、精々アルヴィン王子の背中を叩くことくらいである。だが、そんなことをしてもイチャついているようにしか見えないだろう。
アイリスは小さな溜め息をついた。
アルヴィン王子は喉の奥で笑ってアイリスを解放した。そうして腕の中から逃れたアイリスは階段の下、パーティーの参列客達へと視線を向ける。
既にアイリスが覚悟していたことではあるが、凄く二人を祝福するムードである。
「……いいでしょう、わたくしの負けです。煮るなり焼くなり好きになさってください」
「なんだ、照れ隠しか?」
「ぶっとばしますよ」
「ふっ、少しは調子が出てきたではないか」
アルヴィン王子が肘を差し出してくる。アイリスはその肘を取り、アルヴィン王子のエスコートに身を委ねて、二人揃って階段を降りる。
思いだしたようにグラニス王が二人の婚約を宣言し、婚約の儀式が執り行われた。
「おめでとうございます、アイリス様」
儀式が終わった後、アイリスは参列客達から祝福の言葉を山のように受け取っていた。
アルヴィン王子の派閥の者達はもちろん、フィオナ王女殿下派の者達からも祝福されている。更にはアイリスファンクラブの面々からもお祝いの言葉が届いていた。
騙されたアイリスとしては複雑な気持ちだったが、それもフィオナ王女殿下がやってくるまでだ。彼女は開口一番「アイリス先生、おめでとう」と口にした。
「……フィオナ王女殿下にとって、望ましい結果だったのですか?」
「もちろん、私は嬉しいよ? アルヴィンお兄様とアイリス先生が、これからも私の側にいてくれるんだから。アイリス先生の一番をお兄様に取られたのはちょっと悔しいけど」
「あら、わたくしの一番は今も昔も、そしてこれからもフィオナ王女殿下ですよ?」
「それなら――いい、のかなぁ?」
フィオナ王女殿下は少しだけ複雑そうな顔をした。だけど次の瞬間には満面の笑みを浮かべ、「お兄様に自慢しちゃお~」と何処かへ行ってしまった。
それを「行ってらっしゃいませ」と笑顔で見送ると、続けてグラニス王がやってきた。
「グラニス陛下、長く会場にいらっしゃいますが、お体は大丈夫なのですか?」
アイリスが気遣うような視線を向けると、あろうことか彼はなんのことだと言いたげに首を捻った。そして次の瞬間「おぉ、そうであったな」と手をポンと叩く。
「すまんな。あれは嘘じゃ」
「……う、嘘、ですか?」
「そなたがいつまで経っても煮え切らぬので、一芝居打たせてもらった、というわけじゃ」
「――なっ」
まさかグラニス王まで一枚噛んでいたのかと、アイリスは目を見張った。そして、本気で心配したのにと、軽い怒りを覚えるが――
「とはいえ、歳であることに変わりはない。そう長くは生きられぬであろうがな」
続けられた言葉に、アイリスは自らが発しようとしていた言葉を呑み込んだ。
「アイリス、祝いの席でそんな顔をするでない」
「……失礼、いたしました」
(そうよ。もともと、お祖父様の余命はわずかだと思っていたじゃない。だから、いますぐお迎えが来るわけではないと喜ぶべきよ)
そう結論づけて、努めて笑顔を浮かべる。
「うむ。やはりそなたは笑顔の方が似合っておる。ほれ、アルヴィンが来たぞ」
グラニス王の視線をたどれば、アルヴィン王子が歩み寄ってくるところだった。彼はグラニス王に一言挨拶を入れると、アイリスに向かって手を差し出した。
「アイリス、俺と一曲踊ってくれるか?」
「……一曲だけですよ?」
差し出された手を取って、二人でダンスホールへと足を運んだ。そうして多くの者が見守る中、二人は音楽に合わせて踊り始める。
「おまえと踊るのはこれで何度目だろうな?」
「さあ、三度目くらいではありませんか?」
「……当てずっぽうに言っているだろう?」
「それがなにか?」
平然と問えば、アルヴィン王子は苦笑いを浮かべて「なんでもない」と答える。アイリスはアルヴィン王子のリードに合わせて踊りながら「そういえば――」と口を開いた。
「わたくしになにかご用ですか?」
「用事がなければダンスに誘うのも許されないのか?」
「いえ、ただ……アルヴィン王子と踊るのは、大抵なにか密談があるときだな、と」
「たしかに、な」
アルヴィン王子が苦笑する。それは肯定という意味でもある。その内容は――と、考えを巡らせたアイリスは、すぐにその答えにたどり着いた。
「フィオナ王女殿下の即位に向けて、ですね?」
「ああ。派閥を纏めることは出来たが、それが未来永劫続くわけではないからな。フィオナの地位を盤石にするためにも、俺とおまえでバランスを取る必要がある」
「そうですね。では――」
と、二人で、どうやってフィオナ王女殿下を支えていくかを話し合う。婚約したばかりの男女がする会話ではないけれど、とてもらしいと言えるだろう。
あれこれと画策する二人は、とても楽しそうな笑みを浮かべて踊り続けた。
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