エピソード 3ー6

 おおむねはアイリスの計画通りに事が運び、エリオット王子は無事にリゼル国の王太子に任命され、ジゼルは賢姫として未来の王太子妃になった。

 こうして、目的を果たしたアイリスは方々に挨拶をしてリゼル国を後にした。


 帰りの道中は迅速に、建築中の町でフィオナ王女殿下と合流して王都へと帰還する。こうしてレムリア国に帰還すると、すぐさまクラリッサがアルヴィン王子の使いとしてやってきた。


「アルヴィン王子が出来るだけ早く面会を、とのことです」

「最近の人達はせっかちですね……」


 普通は面会の予定を入れるだけで数日掛かるこの世界で、アイリスの周囲だけ時間が歪んでいるかのようだ。アイリスは肩をすくめて、「明日の朝に会いに行きます」と伝えた。


「アルヴィン王子は出来るだけ早くと仰っているのですが……」

「長旅より戻ったばかりです。使いを寄越す余裕がある話なら明日にしてください」

「……あぁ! 旅の汚れを落として、おめかしをしてから、というわけですね」

「なっ、違います。わたくしはただ、急すぎると言いたいだけで――」

「大丈夫、分かっています。お任せください、アイリス様。アルヴィン王子には、乙女の準備は時間が掛かると伝えておきますから!」


 クラリッサは言うが早いか、満面の笑みで踵を返して去っていった。引き止めようと手を伸ばしたアイリスだが、もうそれでいいですと不貞腐れて見送った。

 その後、アイリスは湯浴みをして就寝につく。そうして翌朝、深紅のドレスを纏って身だしなみを整えたアイリスは、アルヴィン王子の下を訪ねた。


「……久しいな、アイリス。そして深紅のドレスとは珍しい」

「王子の第一声次第では、ブラッディーカーニバルも辞さない覚悟でした」

「物騒な。というか、俺がなにを言うと思ったんだ?」

「……いえ、なんでもありません」


 クラリッサとのやりとりから、開口一番にからかわれることを警戒していたアイリスは、ちょっと予想外の反応に首を横に振った。


「そうか? まあ、なんだ……深紅のドレスも似合っているぞ」

「……ぶっとばしますよ?」


 指先で髪を弄びつつ、アイリスはちょっと照れくさそうに口にした。


「……本気でどうかしたのか? 今日のおまえはなんだかおかしいぞ」

「やっぱりぶっとばします!」


 踏み込んで突き上げるように掌底を放つが、アルヴィン王子は首を捻って回避する。そうして、アイリスが突き上げた腕を摑むと、もう片方の手でアイリスの腰を摑む。


「理不尽だが、いつものおまえに戻ったようだな」

「ぐぬぅ……」


 なにを言っても無駄だと思ったアイリスは、アルヴィン王子の手を振りほどいてソファに腰を下ろす。アルヴィン王子は笑って、アイリスの向かいの席に腰を下ろした。

 アイリスは上目遣いをアルヴィン王子に向ける。


「それで、わたくしを呼んだのは、派閥の件ですか? アルヴィン王子は自分の派閥の人々を納得させることが出来たのですか?」

「ああ。いくつかの条件と引き換えに、納得させることに成功した。おまえが協力してくれると言ってくれたおかげだな」

「……わたくしはなにもしていませんよ?」

「いや、おまえのおかげだ」


 アルヴィン王子が断言する。そのニュアンスの不自然さにアイリスは小首をかしげる。


「……わたくしがなにをしたのですか?」

「以前話したとおりだ。俺が将軍で、おまえが宰相になる。そのために必要な手続きをした。むろん、アイスフィールド公爵の許可も得ているぞ」

「あぁ……手紙が届いたとか言っていましたね。なるほど、わたくしをこの国の人間として宰相に押し上げつつ、それに対抗する形で将軍の地位に就く作戦を実行したのですね」


 いわゆるマッチポンプである。


「ああ。無論、些細な問題は生じたが、それもあれこれ画策してねじ伏せた。おまえも、フィオナの側にいるためなら些細なことは気にしないだろう?」

「よく分かっていますね。フィオナ王女殿下のためなら手段を選びません」



 アルヴィン王子と話をしていると、今度はグラニス王に呼び出された。アイリスがアルヴィン王子の元を訪れていると知っていたようで、話が終わったら来て欲しいと言われる。

 さすがにそんなことを言われては急いで行くしかない。アイリスはアルヴィン王子との話を早々に切り上げ、グラニス王の下へと向かった。



 招かれたのは中庭に用意されたお茶会の席だった。

 グラニス王とアイリスの二人きりのお茶会の席。いつもはないに等しい社交辞令から入り、そして他愛もない雑談に花を咲かす。

 よほど、切り出しにくい話題なのだろう。そんな風に考えながらお茶を飲んでいると、会話が途切れ、グラニス王がおもむろに口を開いた。


「……アルヴィンから話を聞いた。ずいぶん、思い切った決断をしたようだな」

「フィオナ王女殿下の側にいられるならと、そう判断しました」

「そう、か。そなたは本当にフィオナが好きなのだな。それ以外の感情が……いや、これは無粋な質問だな。いまの言葉が忘れてくれ」

「……? かしこまりました」


 アイリスは小首をかしげ、けれどすぐにその疑問を記憶の片隅へと追いやった。それよりも、アイリスにはたしかめなくてはならないことがあるからだ。


「グラニス王、わたくしが宰相として、フィオナ王女殿下の側にいることを許してくださるのですか? わたくしは、それこそが気になるのです」

「無論だ。そなたがアルヴィンの提案を受け入れた瞬間より、そなたはこの国の人間になることが決まったのだ。それを、今度のパーティーで大々的に発表しよう」

「……よろしいのですか?」

「わしこそ、そなたに聞きたい。レムリアに骨を埋める覚悟は出来ているのだな?」

「はい。賢姫に二言はありませんわ」



 グラニス王とのお茶会を終えたアイリスは、ようやく日常へと戻った。フィオナ王女殿下の家庭教師として、彼女が即位するための準備を進める日々だ。


 フィオナ王女殿下が即位する日はまだ決まっていない。

 あくまで、フィオナ王女殿下の即位が決定した――という段階。とはいえ、彼女の即位は決定事項であり、そのために必要なことを進める必要がある。


 その一つとして、大規模なパーティーがおこなわれることとなった。フィオナ王女殿下の功績を称えると同時に、各派閥を纏めるためのパーティーである。

 アルヴィン王子とアイリスの役職についてもそこで宣言される予定と言うことだった。


 という訳で、アイリスはフィオナ王女殿下のドレスを選んでいた。


「次のパーティーはフィオナ王女殿下が女王になるための第一歩です。ドレスも未来を見据えて煌びやかなデザインにいたしましょう」

「かしこまりました。こちらの光沢の強い生地はいかがですか?」

「そうですね。フィオナ王女殿下、いかがですか?」


 アイリスが意見を求めれば、フィオナ王女殿下は少し不満そうな顔をした。


「私はもう少し戦いやすい生地がいいなぁ」

「フィオナ王女殿下、記念すべきパーティーですよ?」

「それはそうなんだけど……」


 難色を示しつつ、けれど次の瞬間、フィオナ王女殿下はいいことを思い付いたと言いたげな顔をして「だったら、アイリス先生も煌びやかなドレスを着てくれる?」と問い掛けてきた。


「もちろん、わたくしも当日はドレスですよ?」

「そうだけど、そうじゃなくて。ん~私が用意するドレスを着てくれる?」

「フィオナ王女殿下が用意してくださるのですか?」

「うん、私からアイリス先生にプレゼント。アイリス先生はこれからも私の側にいてくれるんだよね? そのために、難しい決断をしてくれたんだよね?」

「あぁ……ご存じだったのですね」

「うん、アルヴィンお兄様から教えてもらったの。正直、本当にそれでいいのか悩んだんだけど……アイリス先生は無理をしてないんだよね?」

「もちろんです。フィオナ王女殿下の側にいることがわたくしの望みですから」

「うん、ありがとう。なら、私は、それに対するお礼をしたい」


 アイリスは思わず目を丸くする。

 フィオナ王女殿下は最近脳金ではなくなった――とはいえ、アイリスに甘えていたことには変わりない。そのフィオナが、アイリスにプレゼントをすると言ったことは驚きだ。


「フィオナ王女殿下が選んでくださるというのなら、これ以上嬉しいことはございません」

「ホント? じゃあ……当日はそのドレスを着てくれる?」

「ええ、約束です」

「アイスフィールド公爵家の名に誓う?」

「はい。アイスフィールド公爵家の名に誓って」


 アイリスが宣言すれば、フィオナ王女殿下は満面の笑みを浮かべて喜んでくれた。そして、その後のフィオナ王女殿下は、アイリスに約束を反故にする口実を与えないようにとばかりに、全力で良い子になって、自分のドレス選びを始めた。



 その後も、アイリスはフィオナ王女殿下の家庭教師としての任を全うする。フィオナ王女殿下の側にいられることは変わりないが、家庭教師としてのお仕事は残りわずかな期間だけだ。

 アイリスはその一日一日を大切にする。


 だが、大切な期間ほど時間の流れは速く感じられる。あっという間に時間は流れ、ついにパーティーの当日がやってきた。

 フィオナ王女殿下の準備はメイド達に任せ、自らもまた着替えを始める。


「アイリス様、こちら、フィオナ王女殿下より届いたドレスです」

「これは……また、素晴らしいドレスですね」


 純白のシルクは最高級品で、そこに精巧な刺繍がこれでもかと施されている。それだけでも、フィオナ王女殿下を差し置いて主役になってしまいそうな出来映え。

 なのに、そのドレスとセットで装飾品が添えられていた。ダイヤとアメシストをあしらったブローチ。そして、髪留めには大きなサファイアが輝いている。


(アメシストはわたくしとフィオナ王女殿下の瞳の色ですね。となると……)


 物思いに耽ろうとしたそのとき、メイドが「髪型はどうなさいますか?」と問い掛けてきた。アイリスは少しだけ迷って、ハーフアップにしてもらう。

 そうして着飾ったアイリスはパーティー会場へと向かう。


 けれど――パーティーは既に始まっていた。主役は後から登場することも珍しくない――けれど、今日の主役はあくまでフィオナ王女殿下のはずである。

 なのに、どうしてと小首をかしげるアイリスに、クラリッサが近付いてくる。


「アイリス様はこちらでございます」

「そっちは、主役が入る扉ではありませんか」

「すみません、時間が押しているのでお急ぎを」

「え、ちょっと、クラリッサ?」


 説明もなく腕を引かれる。

 そうして連れてこられたのは、パーティー会場の二階、階上の正面に繋がる扉の前だ。自分がなぜここにと首を傾げているあいだにも、クラリッサが門番に告げた。


「アイリス様の入場を告げなさい」

「かしこまりました」


 彼はそう言って扉を開け放ち「賢姫アイリス様の入場です」と宣言した。こうなっては、アイリスとしても従うほかないと、胸を張って過剰に足を踏み入れる。

 すると、入ってすぐのところにアルヴィン王子が待ち構えていた。


「アルヴィン王子、これは一体……」


 どういうことかと問うより速く、会場内にいたグラニス王が宣言する。


「これより、アルヴィンとアイリス嬢、両名の婚約の儀を執り行う!」

 

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