エピソード 2ー2

 アイリス一行の前に現れたのはハイエルフの優男。彼の登場と同時に、周囲に伏せられていたエルフや人間達もが姿を現す。

 武器こそ構えていないが、一挙動で戦闘に入れる態勢だ。


 それに気付いたアルヴィン王子は腰を軽く落とし、いつでも剣を抜けるようにする。続いてイヴやネイトがアイリスと庇うように動いた。

 だけど――


「大丈夫です。だから、決してこちらからは手を出さないでくださいね」


 アルヴィン王子に釘を刺し、イヴやネイトを後ろに下がらせる。

 そうしてアイリスは優男の前に進み出て、同じく進み出てきたハイエルフの優男――前世でアイリスに弓を教えた師、ローウェルと相対する。

 彼は弓精霊の加護を受けている、かつて大陸を救った英雄の子供である。


「私はローウェルです。それでアイリス、貴女は私の質問に答えてくださらないのですか?」

「古き盟約を知っているのか、という質問でしたね。すべてを知っているわけではありませんが、かつて英雄達の間で交わされた友好の証であることは知っています」

「……なるほど。では、貴方が賢姫であるという証明は出来ますか?」


 その問いには、フィストリアを顕現してみせることで答えた。ローウェルだけでなく、包囲している者達からも驚きの声が上がる。


「まさかフィストリアを顕現できるとは、たしかに貴方は賢姫のようですね。賢姫、アイリス、貴方を我々の里に案内しましょう」



 アイリス達が案内されたのは英雄達の末裔が暮らす隠れ里。

 森の中心にある小さな村で、人口はおそらく数百人――だが、その建造物は決してみすぼらしいものではない。王都でも採用されているような立派な家屋が並んでいる。

 そんな村の通りをローウェルの案内に従って歩く。


「隠れ里とは思えぬ技術力だな。密かに技術者を招いているのか?」


 アルヴィン王子が隣を歩くアイリスに小声で問い掛けた。


「彼らが新しい技術を求めて隠れ里から出ることもあります――が、最大の理由は別にあります。この里に暮らすエルフ族が、この里の発展に貢献しているんです」


 人間と比べて、エルフは圧倒的に寿命が長い。それはつまり、世代の交代による技術の喪失が少ない、ということである。

 結論から言ってしまえば、この里には一流の技術者が揃っている。


「アイリス、貴方はこの里のことをよくご存じのようですね?」


 話が聞こえていたのだろう。先導していたローウェルが足を止めて振り返った。


「そうですね、わたくしはこの里のことを知っています。ですが……その事情に関しては、族長にお話したいと考えています」

「分かりました。族長に話を通してくるので、そこの広場で少しお待ちください」


 ローウェルはそう言って、仲間の者達にはアイリス達と共に待機するように命じる。そうして立ち去るローウェルを見送り、アイリスはゆっくりと周囲を見回した。


 アイリス達が見慣れぬ恰好をしているからだろう。そこかしこから好奇心を滲ませた視線が向けられている。そしてその多くは子供達の視線である。


「他種族も暮らしているようだが、子供はほとんどが人間のようだな」

「エルフはそこまで数がいませんからね。でも、獣人族の子供はいますよ」


 アイリスが子供達に向かってヒラヒラと手を振ると、彼らはビクッと震えてその身を物陰に隠した。だがほどなく、再びこちらを覗き込んでくる。


「危険な魔の森で暮らしている割に好奇心旺盛なのだな」


 ぽつりと呟いた。アルヴィン王子の予想外の感想にアイリスはクスクスと笑う。


「なんだ、なにがおかしい?」

「いえ、王子はあの子達が心配ですか?」

「む? そういうわけではないが……いや、そうだな。好奇心は時に人を殺すからな」

「ですね。でも、彼らもなにも考えていないわけではないですよ」


 いまもアイリス達の側にはローウェルの仲間達が付き添っている。

 アイリスが賢姫だと証明したことでかなり警戒心は薄れたようだが、それでもなにかあったときに動けるように見張っている、というのが正解だろう。


「ふむ。子供達は警備隊を信用している、という訳か」

「ええ。それと――あの子達も、たぶんわりと強いですよ」

「なに? ……どれくらいだ?」


 アルヴィン王子の腕がピクリと動く。どうやら興味を持ったようだ。


「そうですね……新人の騎士となら渡り合えると思います」

「なっ、あのように小さい子供がか?」

「そうですね、人にもよると思いますが、おおよそそれくらいはあるかと」


 子供一人一人が、レムリアの騎士にも匹敵する力を持っている。

 それがどれほどのことかは説明するまでもないだろう。


「なるほど、育てればフィオナくらいにはなるわけだな」

「アルヴィン王子。先に言っておきますけど、連れて帰るのはダメですからね?」

「わ、分かっている。おまえは俺をなんだと思っているんだ」

「国益を最優先に考えるレムリアの王子様だと思っています」


 動揺しているところが非常に怪しいとアイリスは半眼になった。


「否定はしないが、俺とて望まぬ相手を連れ去ったりはしない。それに、おまえを敵に回すほど愚かな選択はないからな」

「そう、ですか……ありがとうございます?」


 ことのほか真面目に返されて、アイリスは少しだけ驚いた。そうして他愛もないやりとりを続けながら待っているとほどなく、赤い髪の少年が姿を現した。


(あれ? どこかで見たことがあるような……あ、もしかしてアッシュでしょうか? わぁ、若い。私の知ってるアッシュよりも若いですよ!)


 記憶から計算して、いまの彼はアイリスより二つ下の十七歳。武術の精霊の加護を受ける人間の少年で、前世の師の一人でもあり、良き友人のような間柄でもあった。

 そんな彼がアイリスの前に立つ。


「ローウェルから聞いたぜ。おまえ、賢姫なんだってな。俺がその力を試してやるよ」

「ふふん、良いでしょう。あの日の借りをいま――」


 思わず前世の調子で答え、いまのアイリスを知るアルヴィン王子達がぎょっとしている。それに気付いたアイリスは沈黙し、それからコホンと咳払いして誤魔化した。

 もちろんアルヴィン王子達は誤魔化せていないが、アッシュはガシガシと頭をかく。


「よく分かんねぇけど、腕試しに応じるってことだな?」

「ええ、お受けいたします」


 アッシュの挑戦に応じるが、今度は条件反射ではなく考えた上での判断だ。

 彼は精霊の加護を受けた武闘家で、この里では多くの者から信頼されている人物だ。ゆえに、彼の信頼を勝ち取ることは、アイリスが目的を達成するために不可欠なのだ。


 前世では彼に認められるまでに相応の月日を必要としたが、今度はそんなに時間を掛けていられない。必ず勝ってみせると、アイリスは気合いを入れ直した。



 ――という訳で。

 大きな広場の真ん中で、アイリスはアッシュと向き合っている。


(不思議な感覚ですね)


 アッシュと戦ったのは数年前であり、二十年近く前でもあり、数年未来の話でもある。

 あのときのアイリスは未熟な剣姫で、アッシュにあっさりと負けてしまった。それから彼に勝ちたくて、修行を積んだ時間がとても楽しかったことを覚えている。


(結局、前世でアッシュに勝利することは出来ませんでしたが……今回は負けません)


「――最初から、本気で行かせていただきますよ?」

「おおよ、どこからでも掛かってきな!」


 アッシュは手のひらに拳を打ち付けた。拳の精霊から与えられし加護を発動させたのだ。その加護は、任意で特定の属性を持つ攻撃に対し、強力な耐性を持つというものだ。

 それを知らなかった前世では、剣での一撃を素手で受け止められて敗北した。


(今回は間違いなく、魔術に対する耐性を獲得しているでしょうね)


 いまなら、危険だからとアルヴィン王子には使用を自重した魔術も使うことが出来る。おそらくそれくらいしなければ、魔術で彼にダメージを与えることは不可能だろう。

 ゆえに、アイリスはフィストリアを顕現させた。フィストリアから直接受ける加護が、アイリスの魔術の能力を最大まで向上させる。


「へぇ、最初から全力ってわけか、おもしれぇ」

「それでは――行きます」


 わざわざ宣言したアイリスは、巨大な魔法陣を背後に展開した。その魔術をアッシュに向けて発動。魔法陣が淡い光を放ち――バシュッとフラッシュのように発光。

 アッシュがそのまぶしさに顔を腕で覆う。


 アイリスは飛び出して、腕で覆われたアッシュの顔をグーパンで殴り飛ばした。アッシュは思いのほか吹っ飛んで、そのまま広場の土の上をごろごろと転がって行く。


 魔術による全力攻撃と見せかけてのグーパン。一般人であれば卑怯と取りかねない攻撃に周囲がざわめいているが、それを卑怯と責める戦士はここにいない。


 一般人であるクラリッサ辺りはドン引きしてもおかしくないのだが――彼女は卑怯なアイリス様も素敵ですねと目を輝かせているので例外である。


 それはともかく、アイリスは警戒を続けている。さきほどの一撃、あまりに手応えがなかった。おそらく、それほどのダメージは与えられていないだろう。


「油断を誘っているのなら無駄ですよ?」

「……なるほど、理論だけじゃなくて実戦慣れもしてるってわけか」


 アッシュが地面の上でくっと身体を畳んで、その勢いで跳ね起きる。その姿にダメージを受けている素振りは見られない。

 やはり吹き飛んだのはわざと。自ら背後に飛んでその衝撃を逃がしたようだ。


「しかし、魔術と見せかけて拳とは驚いた。アイリスだったか? おまえ、俺の加護について知ってるようだな?」

「まぁそんなところです。まさか卑怯だなんていいませんよね?」

「言うわけがない。次はこっちから行かせてもらう――ぜっ!」


 アッシュが再び手のひらに拳を打ち付けた。

 加護の更新。

 これで彼がなんの攻撃に対して耐性を持っているか分からなくなった。


「行くぞっ」


 アッシュが気合いの声を発する。その声が消えるより早く、アッシュはアイリスの間合いの内側へと踏み込み、その勢いのままに拳を振るう。

 外側からえぐり込むようなフック。その狙いは――アイリスの顔。


 彼の容赦のなさに感心しつつ、アイリスは軸足を引く。手の甲で拳を逸らすと、アイリスの目前を彼の拳が通り過ぎた。


 すかさずステップを踏み、アッシュの側面へと回り込む――直前、アイリスはとっさに踏みとどまった。刹那、アイリスの目前を彼の回し蹴りが切り裂いた。


 アイリスの記憶にあるアッシュよりも荒削り――だが、その戦闘センスは記憶にある彼となんら変わっていない。

 アイリスが踏み込めばアッシュが下がり、アッシュが踏み込めばアイリスが下がる。絶えずつかず離れずの距離で戦う二人は、さながらダンスを踊っているようにも見える。

 荒々しくも優雅な光景を前にクラリッサが黄色い声を上げる。


(いまなら余裕で勝てると思っていましたが……精霊の加護が厄介ですね)


 アイリスは攻防を繰り広げながら、その頭を悩ませる。アッシュは接近戦を挑む寸前、精霊の加護を更新しているが、なにに対する耐性を得たのかが分からない。


 普通に考えれば、魔術に対する耐性から、別のなにかへと変化させた。いまのアイリスは素手で戦っているので、打撃に対する耐性というのが一番可能性が高い。


 アッシュはさきほどから、アイリスとつかず離れずの距離を保っていて、アイリスに距離をとられることを嫌っているように見える。

 そこから考えても、魔術への耐性は持っていないと考えるのが妥当だろう。


 だが、変更したフリで、魔術の耐性から魔術の耐性へと更新した可能性も捨てられない。というか、いかにも打撃への耐性に変化させましたと言いたげな振る舞いが怪しすぎる。


 ――たとえば、アッシュの体勢を崩し、そこへ魔術の攻撃を加える。決まったと思った瞬間、勝ち誇ったアッシュに反撃される。


(物凄くありそうな気がします。だとしたら――)


 方針が決まったと、アイリスは剣精霊の加護を使って身体能力を強化。膠着状態に陥りかけていた攻防の拮抗を力尽くで崩した。

 アッシュが体勢を崩す――刹那、アイリスは距離を取って魔法陣を展開。それを見たアッシュが体勢を立て直して飛び出した。


 だが、アッシュが飛び込んでくるよりも、アイリスが魔術を放つ方が速い。念のためにと威力を抑えた電撃の魔術がアッシュに襲いかかる。

 だが、彼はそれをモノともせずに向かってくる。アイリスはそれに合わせて踏み込み――互いの放った拳が相手に当たる寸前で止まる。


 クロスカウンターのような体制でお互いに寸止め。

 本来なら引き分けであるが――


「へっ。俺の勝ちだな。俺がいま獲得しているのは、打撃に対する耐性だからな」


 アッシュがニヤリと口の端を吊り上げる。

 彼は魔術に対する耐性を得ていなかった。そのうえで、アイリスの魔術をやせ我慢で防ぎきり、自分が魔術に対する耐性を持っているとアイリスに誤解させる。

 だが、本当は打撃による耐性を得ていた、という訳だ。

 けれど――


「いいえ、わたくしの勝利です」


 彼女が引き戻した拳の中には、袖口から取り出した小さな短剣が握られていた。


「な、短剣だと?」

「ふふっ、魔術か拳のどちらかしか使わないなんて、言ってませんよね?」


 とびっきりの笑顔で応じる。

 アイリスを前に、アッシュは自らの敗北を認めて両手を挙げた。

 

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