エピソード 2ー1

「アイリス先生、私を置いて行っちゃうの?」


 アイリスが旅立つその日。

 見送りに来たはずのフィオナが上目遣いで縋り付いてくる。そのあまりの可愛さに、アイリスは彼女を連れて行きたい衝動に駆られた。


(でも、彼女を連れて行くのはさすがに無理ですよね)


 道中はともかく、最終的には危険な森に護衛を伴わずに入ることとなる。なにより、王位継承権を持つ二人が、同時に危険な森に赴くともなれば周囲の注意を引きすぎる。


 というか、既に王子を連れていくことに一部の者が難色を示している。今日の見送りに来た重鎮達の中にも、苦々しい顔をしている者達がいる。

 ということで――


「残念ですがフィオナ王女殿下はお留守番です」

「しょんぼりだよぅ」


 捨てられた子犬のような目。

 可愛いなぁと、アイリスはフィオナの柔らかな髪をそっと撫でつけた。


「フィオナ王女殿下、わたくしが精霊の加護を段階的に発動させたのを覚えていますね?」

「え? うん、覚えてるよ。こういうやり方もあるって、いくつか見せてくれたよね」

「はい。それをわたくしが帰ってくる前に使いこなせるようになったら……」

「……なったら?」


 フィオナがゴクリと生唾を飲み込んだ。


「アストリアを顕現させる方法を教えてあげます」

「……え? そんなこと……出来るの?」

「出来ますよ。――ほら」


 唐突に、本当に唐突に、アイリスがフィストリアを顕現させる。

 淡い光を纏った等身大の女性、幻想的な女精霊が現れたことで、目の前にいるフィオナはもちろん、アルヴィン王子の見送りに来ていた重鎮や護衛がどよめいた。


「フィストリア。彼女がフィオナ王女殿下、アストリアの加護を受けし剣姫です」

「初めまして、フィオナちゃん。私がフィストリアよ」


 多くの人々は精霊に対して厳格なイメージを抱いている。彼女達がおしゃべり好きなことを知らない周囲の者達は、その光景に目を見張った。

 だが、王城の地下にあるアストラルラインのたまり場限定とはいえ、アストリアとよくおしゃべりをしているフィオナは即座にその光景に順応する。


「あ、えっと……アストリアの加護を持つフィオナです」

「ふふっ、アイリスから聞いていたとおり、本当に可愛いわね。うちの子は、小さい頃から笑み一つ浮かべない無愛想な子だったんだけど、最近は急に人が変わった――」


 よけいなことを言うフィストリアを即座に送還する。


「……まったく、相変わらずフィストリアはおしゃべりが好きなんですから。ということで、フィオナ王女殿下。精霊の顕現が出来ると信じてくださいましたか?」

「うんっ、さすがアイリス先生……って、あれ? じゃあ、ホントのホントに、私に精霊を顕現させる方法を教えてくれるの?」

「私が旅から戻るまでに、精霊の加護を自在に得られるようになったら、ですよ?」

「うん、絶対、先生が戻るまでにマスターするね!」


 フィオナがチョロ可愛いと、アイリスは優しげに笑う。

 ついでにいえば、難色を示していた護衛や重鎮達の態度も一変している。それだけ、精霊を顕現できる賢姫の存在は大きい。

 という訳で、機嫌を取り戻したフィオナや重鎮達に見送られ、アイリスの一行は出発した。



 旅の一行はアイリスとアルヴィン王子。それに使用人がクラリッサとネイトとイヴ。それに護衛の騎士達が二十名ほどという規模である。

 かなりの大所帯に見えるが、王子と公爵令嬢の一行としては普通だろう。特に最近は魔物が多く、フィオナの両親の一件後は護衛が増えたそうだ。


 そんなわけで馬車も二台あり、アルヴィン王子とアイリス用に分かれているのだが――アルヴィン王子は当たり前のようにアイリスの馬車に乗り込んでいた。


「……いえ、まぁ……いいんですけどね」


 馬車旅は基本的に暇との戦いである。アルヴィン王子でも暇つぶしの相手くらいにはなるだろうと、アイリスは不遜なことを考えた。


「なにやら失礼なことを考えているな?」

「いえ、まさか、暇つぶしの相手くらいにはなるかなと思っただけで――いひゃいでふ。というか、乙女のホッペを気安く引っ張らないでくださいっ」


 王子の手をはたき落とし、さすさすと自分の頬を撫でる。するとアルヴィン王子は窓から見える景色へと視線を移し、「よかったのか?」と呟いた。

 それなにを示しているのか、心当たりのあるアイリスにはすぐに分かった。アイリスが重鎮達の前でフィストリアを顕現して見せたことだろう。


「構いません。フィオナ王女殿下へのご褒美も必要でしたし。なにより、あの場にいる者達を納得させる必要がありましたから」

「たしかに、な」


 最近の魔物の活性化が原因なのか、人々の魔の森への畏怖は思ったよりも強かった。あのままでは、護衛の増員や旅の計画の再考を求められたかもしれない。

 それを抑えるために、アイリスは力の片鱗を見せつける必要があった。


 それにアイリスは以前、グラニス王やその重鎮達の前で精霊を顕現させている。グラニス王に頼んで秘密としてもらってはいたが、それが永遠に護られるなどと思ってはいない。


 公然の秘密になってからではインパクトが薄い。だがいまならば、周囲の不満を抑えることが出来て、ついでにどこまで情報が広がっていたかの確認も出来る。

 ゆえに、このタイミングが最適だと思ったのだ。


 結果――あの場にいた見送りの者達は、フィオナを含めてほぼ全員が騒然となっていた。

 中には相応に身分の高い者もいたが、他の者と同様に驚いていた。それはつまり、王やその重鎮が、アイリスの思っていた以上に秘密を守ってくれていたという結果に他ならない。


 そしてもう一つ。

 アルヴィン王子だけは違う反応を見せた。精霊を顕現させられる事実に驚いたのではなく、良かったのか――と、秘密を打ち明けた事実に驚いていた。


 つまり、アルヴィン王子だけは、アイリスが精霊を顕現させられることを知っていた。

 こと政治的な分野においては、フィオナ次期女王よりも、アルヴィン王子がグラニス王から信頼されている、ということだ。


 もっとも、フィオナはまだまだ子供で、最近までは身体を鍛えることにしか興味がなかったため、アルヴィン王子の方が頼りにされているのは当然ではある。

 当然ではあるのだが――


(わたくしはいままで、そのことを深く考えていませんでした)


 もう少し色々と考えるべきだろうとアイリスは口を結ぶ。だが、いきなり頭をはしゃわしゃと撫でられ、そんな思考は一瞬で霧散した。


「……なんですか?」

「おまえは色々と考えすぎだ。そんなことではそのうち息が詰まってしまうぞ」

「そう、かもしれませんね」


 後継者問題はいまあれこれ考えてもどうにもならない。だったらひとまずは目先の問題から。そんな風に意識を切り替える。


「じゃあアルヴィン王子、なにか面白いことを言ってください」

「無茶ぶりをするな。……いや、娯楽は必要だな。クラリッサ、なにか面白いことをやれ」

「わ、私ですか?」


 邪魔にならないように置物と化していたメイド、クラリッサが素っ頓狂な声を上げる。


「ちょっとアルヴィン王子、無茶ぶりでクラリッサを虐めるのは止めてあげてください」

「言い出したのはおまえだがな」


 呆れ顔で指摘されるが、アイリスは笑顔で黙殺した。


「まあ実際、しばらくはずっと馬車旅ですからね。森まで一週間。そこから徒歩で数日。往復でざっと一ヶ月くらいはこんな調子ですよ」


 アイリスは冗談でも言ってないとやってられませんと言いたげに笑う。


「ふむ……魔の森にある隠れ里、だったか。どのようなところなのだ?」

「そういえば、まだ詳細は説明をしていませんでしたね」


 ここにいるメンバーは隠れ里まで同行する人間だけ。どうせ里に着いたら色々と説明することになるだろうし、彼らにも心構えは必要だろう。

 そう判断したアイリスは、他言は無用と前置きをして口を開いた。


 かつて大陸に押し寄せた魔族を退けた連合国軍。その中でも特に活躍を果たしたのが精霊の加護を受けた者達である。


 剣姫や賢姫はその中の一人でしかなかったが、同時に王族でもあった。ゆえに、その二人がそれぞれの国を造ったわけだが――そうすると他の英雄達も、という声が上がる。

 それを嫌った英雄達が隠れ住んだ里、それが魔の森にある隠れ里だ。


「隠れ里にはアストラルラインの大きなたまり場があって、精霊がたくさん集まっています」


 ちなみに、それぞれの王城にあるアストラルラインのたまり場はそれほど大きくはない。アストリアやフィストリアが住み着いている以外は、気まぐれに現れる精霊程度である。


 ほかにあるたまり場も同様だ。

 精霊に加護を受けられるかどうか以前に、精霊と出会うこと自体が希である。

 だが、隠れ里のアストラルラインのたまり場は別だ。


「精霊がたくさん、だと? では、いまでもその里には――」

「ええ。様々な精霊の加護を受けた者達が暮らしています。基本的に色々な意味で規格外の人々が暮らしているので覚悟しておいてくださいね」

「なんだと? それはつまり、アイリスのような者が多くいる、ということか?」

「人を規格外みたいに言うのは止めてくださいっ」


 アルヴィン王子は物凄く微妙な顔をして、クラリッサに向かって「自覚がないのと、隠れ里の連中がアイリス以上の規格外、どっちだと思う?」と耳打ちをしている。


 ちなみに、転生をしたアイリスは自分が規格外であることを自覚しているし、前世では里の者達に師事していたので基本的には後者である。

 ただ、そこを話すと色々と辻褄が合わなくなるのでアイリスは聞こえないフリをした。



 それから一週間ほどが過ぎ、アイリス達の一行は魔の森の入り口へとたどり着いた。

 魔の森へ足を踏み入れるのはアイリスとアルヴィン王子、それに使用人の三人のみ。護衛の騎士達は近くの村と行き来しつつ、その場を野営地とする。


 護衛達をおいたアイリス達は魔の森へと足を踏み入れた。それぞれ動きやすい恰好で、アイリスは魔術師としての制服を着用している。

 そうして五人で魔の森に入って数日。アイリスの想像以上に魔物の襲撃が続いたが、アイリスとアルヴィン王子が交互に撃退。

 特に問題なく旅は続いていた。


「しかし……この森に隠れ里があったとはな」

「国王陛下はご存じだったようですよ」

「口伝でのみ伝わっているそうだ。旅に当たっていくつか情報を渡されたが、それもおまえから聞いた話の一部でしかなかった。おまえはなぜ、そんなことを知っているんだ?」

「それは秘密です」


 邪魔な草木を魔術で払いながら、アイリスがイタズラっぽく笑う。


「またそれか。重要な隠し事がある、と言っているようなものだぞ?」

「隠し事があることを隠した覚えはありません」


 アイリスは前世の記憶を持っている。その事実こそ打ち明けていないが、未来視的な能力があることは隠そうとしていない。


 最初は、フィオナの教育係という地位を手に入れるために、アルヴィン王子の興味を引く必要があったから。その目的は果たしたが、いまは別の目的で未来予知をほのめかしている。


「それより、ここからは決してわたくしから離れないようにしてください。ここから先へ行くには隠れ里の結界を越えねばなりませんから」

「ふむ、おまえから離れたらどうなるのだ?」

「試さないでくださいよ? 確実に迷いますから」


 正しい手順を踏んで進まなければ隠れ里にはたどり着けない。そして深い森の中で方角を見失えば遭難し、最悪は死に至ることもある。

 運が良ければ、前世の時のように保護されることもあるかもしれないが。


「さすがにそこまではしない。にしても、結界、か。もしかして、ここが魔の森の恐れられるのはそれが理由か?」

「それも理由の一つでしょうね」


 魔物――特に魔獣は基本的に魔力素子(マナ)の濃い森の深いところを好む。ゆえに森に近付かなければ、魔獣の被害に遭うことはあまりない。


 逆に言えば、森に入れば途端に危険度が増す。しかも、奥に入ると結界のせいで迷うことになり、森から出ることも叶わなくなる。

 結果、魔の森と恐れられているわけだ。


「しかし……不思議だな。おまえはその結界の越え方を知っているだけでなく、越えられることを確信しているように見える。それこそ、一度通ったことがあるかのように」

「実際にある――と言ったらどうしますか?」


 自然な口調で問い掛ける。獣道を切り開きながらゆっくりと視線を向けると、アルヴィン王子は面白いとでも言いたげな顔で笑っていた。


「そんなことがあり得るのか?」

「アイリス・アイスフィールドには不可能でしょうね」


 怪訝な顔をするアルヴィン王子に対して、今回はここまでだと言わんばかりにアイリスはにへらっと笑った。それから足を止めて、同行者であるイヴ達使用人を背後に庇う。


「――我々はあなた方と争うつもりはありません。どうか姿を見せて頂けませんか?」


 不意にアイリスが森の奥に向かって呼びかけた。

 返事はなく、周囲に沈黙が広がっていく。


「……アイリス、俺には気配が感じ取れぬが……どこにいるのだ?」

「どこと言いますか……囲まれています」

「なにっ!?」


 アルヴィン王子がとっさに周囲を見回す。

 けれど、それでも、周囲の者達に反応はない。


「わたくしはアイリス・アイスフィールド。リゼル国の賢姫にして、古き盟約を果たすためにこの地に帰ってきました。族長にお目通りを!」


 今度はそこかしこから葉音が響いた。


「アイリスと言いましたね。貴方は古き盟約を知っているのですか?」


 気高くも艶のある男の声が響く。

 それから一呼吸おき、正面から獣道を踏み分ける音が響いた。ほどなく正面の木々の向こうからキラキラと日の明かりを受けて輝く金髪が見え隠れする。

 姿を現したのはとんでもなく整った顔立ちの優男――ハイエルフだった。

 

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