エピソード 2ー1

 フィオナ王女殿下が伴侶を持たずに即位する。

 そのための根回しとして、アルヴィン王子を擁立する派閥を説得する必要がある。それにはアイリスの協力が必要だと、グラニス王とアルヴィン王子が口を揃えていった。


 であれば、アルヴィン王子に協力することこそ、フィオナ王女殿下を女王にする一番の近道である。そう判断したアイリスは、すぐにアルヴィン王子の下を訪ねた。

 執務室を訪ねると、クラリッサが顔パスで中に通してくれた。

 書類にペンを走らせていたアルヴィン王子は、手を止めて顔を上げた。


「……ん、アイリスか」

「アルヴィン王子、突然の来訪をお許しください」

「いや、かまわぬ……が、おまえが俺のもとを尋ねてくるとは珍しいな」


 言葉通り意外そうに、けれど彼は「あぁ、そういえば、今日はグラニス王との謁見があったのだったな。それで俺に協力する気になったのか」と口の端を吊り上げた。


「察しが早くて助かります。アルヴィン王子の派閥を説得する協力をするようにと、グラニス王から直々に要請を受けてまいりました」

「つまり、俺に協力してくれる、というわけだな?」

「はい、そのつもりです。ただ、そのまえにいくつか確認させてください」

「道理だな」


 アルヴィン王子がそう言って指を鳴らす。すぐにクラリッサ率いるメイド達が、ローテーブルの上に紅茶とお菓子を並べ始めた。


「おまえの好きなお菓子を用意させた。詳しい話は食べながら聞こう」


 アルヴィン王子がソファに座る。アイリスも勧められるままに、アルヴィン王子の向かいの席に腰を下ろした。そうしてアルヴィン王子に視線を向ければ、彼は静かに微笑んでいた。


「……なんですか?」

「今日はずいぶんとめかし込んでいるのだな?」

「ああ、グラニス王との謁見がありましたから」


 刺繍をふんだんに施した、淡いブルーのドレス。嫌味にならない程度に宝石もちりばめられているそれは、一着で小さな屋敷なら建てることが出来るほどの高級品だ。


「いや、それは分かるが……おまえ、パーティーでも、それほどのドレスを着ているところは見たことがないぞ?」

「パーティーはダメです。襲撃を受けて裾を破くことになるかもしれませんし、嫌味なご令嬢に、ワインを引っ掛けられるかもしれませんから」

「……そのようなことがあったのか?」

「ワインの件なら、リゼルで何度か」


 溜め息交じりに告げると、アルヴィン王子はクツクツと笑った。


「それはまた怖い物知らずな娘もいたものだ。というか、他所のご令嬢のドレスを穢して、弁償せぬわけにはいかないだろう?」

「ええ。それで令嬢の実家がドレス代を弁償することになり、そのあまりに高額な賠償金に、お相手から泣きが入りまして……」

「泣きが? 精神的苦痛を、賠償金額に上乗せしたのか?」

「そう思われたようです。実際には、ドレスの代金だけだったんですが……とまぁ、そんなことがあり、わたくしが敵に容赦ない、という噂になってしまったんですよね」


 当時のアイリスは婚約者の王太子によく思われていなかったと言うこともあり、自分にワインを掛けた令嬢の実家を破滅に追い込んだ――という噂は面白可笑しく語られた。


「それ以来、パーティーに出席するときのドレスは、そこそこの品質で――と決めているのです。それでも、センスで補うことは可能ですからね」

「ふむ……おまえは妙な苦労をしているな」


 ――と、アルヴィン王子はクラリッサを手招きし、彼女になにか耳打ちをした。彼女は「かしこまりました」と頷き、すぐに元の位置へと下がる。

 アイリスはなんだろうと疑問を抱くが、耳打ちをした以上、自分に聞かすつもりはないと判断して素知らぬふりをする。そうして紅茶を一口、ところでと口を開いた。


「話を戻しますが、確認したいことがあります」

「聞こう」

「グラニス王より、アルヴィン王子の派閥の説得を手伝って欲しいと頼まれました。貴方の派閥は、今回のことをどのように受け止めていらっしゃるのですか?」

「実のところ、まだなにも話していない。俺が王配にならない――ということすら知らないはずだ。俺が確認中だと伝えたからな」

「それは、また……」


 大変だと目を見張る。

 事実を知った上で大人しくしているのなら説得はそう難しくない。

 だが、事実を知らないのであれば、事実を知ったときに騒ぎ立てる可能性があると言うことだ。というか、納得しない可能性の方が圧倒的に高いはずである。


「アルヴィン王子は自分の派閥を押さえられる自身はおありですか? いえ、そのまえに、アルヴィン王子は今回のグラニス王の決定をどう思っているのですか?」

「答えによっては、反逆の意思ありと言われかねない質問だな」

「まぁそうですね。ですから、ここだけの話ということで」


 アイリスはそう応えつつ、内心では少し焦りを感じていた。アルヴィン王子の反応から、もしかしたら彼は納得していないのかもしれないと思ったからだ。

 だが、アルヴィン王子はそんなアイリスの心配を次の言葉で笑い飛ばした。


「心配するな。今回の決定に対して、俺はなんの不満も抱いていない」

「そう、なんですか?」

「ああ。と言っても、俺にも自分を支えてくれている支持基盤が存在する。その者達のことを考えれば、相応の地位は手に入れねばならぬ――くらいの意識はあるがな」

「相応の地位が、王配だったのでは?」

「そうとも言えぬ。王配だからと言って、政治に関われるとは限らぬではないか」

「たしかに……そういうケースもありますね」


 とくに政略結婚の場合がそうだ。歴史を紐解いてみれば、異なる派閥を纏めるために結ばれた婚姻であるがゆえに、夫婦で権力争いをする――というケースも珍しくない。

 もちろん、フィオナ王女殿下とアルヴィン王子が権力争いをするとは思えないが、それぞれを支持する基盤同士が争う可能性は否定できない。


「……いえ、ですが、それは他の役職でも同じことではありませんか?」

「そこでおまえの出番、と言うわけだ。フィオナ女王の下、俺が将軍で、アイリスが宰相。そういう形に持っていこうと考えている」

「……はあっ!?」


 あまりのことに、アイリスは一瞬遅れて驚いた。


「ふっ、おまえがそんな顔をするとは、もったいぶって教えた甲斐があったというものだ」

「それは驚きますよ。宰相って、実質国のナンバーツーではありませんか!」

「内政面ではその通りだな。だが、権力面でいえば、将軍がそれに匹敵する地位となる」

「いえ、それはそうですけど、そうではなくて。他国の人間が女王の教育係をしているのは外聞が悪いという理由で解雇されそうになっているのに、本末転倒ではありませんか」

「無論、他国の人間のままであればそうなるだろう。ゆえにグラニス王は、いままでの功績によって、おまえに爵位を与えるつもりでいる」

「グラニス王も承知してらっしゃるのですか? というか、わたくしをこの国の貴族に?」


 アイリスは貴族の娘であって、爵位を持つ貴族ではない。賢姫の称号は似たような権力を有しているが、やはり爵位とは異なるものだ。

 この国で爵位を得ることになれば、正式にこの国の人間を名乗れることはたしかだ。


「しかし、爵位を得たからと言って、それですべての人間の意識が変わるわけではないでしょう? わたくしをリゼルの回し者として、警戒する者も現れるのではありませんか?」

「まさにそれが狙いだ。女王フィオナの下、俺とおまえが両翼を担う。俺とフィオナという対立の図式から、俺とおまえという図式にすり替えるわけだ」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 アイリスは珍しく混乱している。

 アルヴィン王子に待ったを掛けて、急いで話の整理を始めた。


 まず、アイリスがこの国の人間になったと仮定して、賢姫が宰相になることは不可能ではない。というか、必要ならば、アイリスはあらゆる手を使って宰相になる覚悟がある。


 だから、問題はその後だ。

 フィオナ王女殿下とアルヴィン王子が牽制し合うという形から、アイリスとアルヴィン王子が牽制し合うという図式に持っていくのは悪くない発想である。

 アイリスとアルヴィン王子が調整を誤らなければ、互いの勢力が蹴落とし合うのではなく、どちらが女王の覚えをめでたく出来るか、という方向に誘導することが可能だからだ。

 ただ、それには大きな落とし穴が存在する。


「わたくしには、貴方に対抗できるほどの派閥がありません」


 いくらなんでも、アイリス個人とアルヴィン王子派という図式は無理がある。


「アイリスファンクラブという立派な派閥があるだろう」

「………………???」


 キョトンと瞬いた、アイリスは自分のファンクラブの規模を把握していなかった。なんか、自分のファンクラブがあるらしいけど……くらいの認識だったのだ。

 自分のファンクラブが、この国の中枢、それこそアルヴィン王子派にまで食い込んでいると聞かされたアイリスは目を大きく見張った。


「そ、そんなことになっているとは夢にも思いませんでした」

「おまえは意外と自分のことには鈍感だからな」

「……失敬なといいたいところですが、否定できません」


 ぐぬぬと唸って、小さな溜め息をつく。


「どうだ、存外なんとかなりそうだろう?」

「フィオナ王女殿下の即位後はなんとかなるかもしれませんが……わざわざ対抗勢力を増やすような真似、アルヴィン王子の派閥が納得しないのではありませんか?」


 アイリスがいなければ、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下とナンバーワンの座を賭けて争うことになる。だが、アイリスが介入することで、アルヴィン王子とアイリスがナンバーツーを賭けて争うことになる。情勢は安定するとしても、アルヴィン王子の地位は低下することになる。――と、そこまで考えたアイリスは、ハッと閃きを得た。


「……もしかして、根回しがなかったのは、だからですか?」


 アルヴィン王子に将軍の地位を約束した後、その地位を脅かすように、アイリスに宰相の地位を渡すなどという話をしたら、アルヴィン王子の派閥は納得しない。


 だが、アイリスを宰相の地位に推す声がある。その話をした後に、それに対抗する形で、アルヴィン王子を将軍の地位に就けるという話が上がっていると伝える。

 そういう順番で情報を開示すれば、派閥の者は無視できないはずだ。


「むろん、口で言うほど簡単な話ではないと理解している。だが、アイリス、おまえが協力を約束してくれるのなら、俺は派閥を上手く纏める自信がある」

「……たしかに、ここで重要なのは両者のパワーバランスですものね」


 アイリスとアルヴィン王子が上手くバランスを取り合えば、派閥を押さえ込むのも難しくはないはずだ。少なくとの、フィオナ王女殿下の地位を脅かすよりは格段にいい。


「ただ、この方法には重要なことが一つある。それはアイリス、おまえの覚悟だ」


 他国の貴族令嬢、それも賢姫が他国の人間になるには覚悟がいる。

 出奔して生活しているだけのいまとはわけが違う。


 だけど――と、アイリスは思いを巡らせた。


(わたくしは、私は――フィオナに、前世の自分に幸せになって欲しい)


 アイリスが前世の記憶を思いだしたのは、婚約破棄を突き付けられた直後だった。前世では城を追放され、今世では婚約を破棄された。

 だからこそ、アイリスはまだ救うことが出来る前世の自分を救おうとした。フィオナ王女殿下の幸せのためならば、アイリスはどんなことだってする覚悟である。

 だから――


「分かりました。わたくしが宰相になることですべてが丸く収まるのなら、否と言うつもりはありません。その方向で、アルヴィン王子に全力で協力いたします」

「……賢姫に二言はないな?」

「もちろんですわ」

 

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