エピソード 3ー3

 翌朝、窓辺から差し込む朝日を浴びたアイリスは快適な目覚めを迎えた。


「やはりベッドで眠るのが一番ゆっくり眠れますね」


 ベッドから降り立って、寝間着代わりのキャミソール姿で顔を洗う。それから身だしなみを整えて、ゆったりとした若草色のドレスに着替えて部屋を出た。


 朝食はもっぱらフィオナと一緒に採ることが多い。ときどきアルヴィン王子が乱入してくるが、それも数日に一度くらいの割合だ。

 今日はどうだろうと食堂に顔を出すと、そこにはアッシュとクラウディアがいた。


「よう、アイリス。ここの食事は美味しいな!」


 フォークを片手にアッシュが笑う。

 彼は相変わらずの武闘家スタイルで、腹筋を惜しげもなく晒している。ワイルドないけめんっぷりに、給仕として控えている背後のメイドが頬を赤く染めていた。

 それを横目に、お気に召したならよかったですとアイリスは応じる。


「グラニス王は二人を賓客として迎え入れました。なにか食べたいモノがあれば遠慮なくおっしゃってください。食材の種類が豊富なので満足できると思いますよ」

「そうか、それは楽しみだな」


 そう言って食事を再開する。アッシュを横目にクラウディアへと視線を向けた。


「ディアちゃんは……朝から重いものを食べていますね」


 彼女はステーキを食べていた。ちなみに、エルフが野菜しか食べないというのは伝承でしかなく、クラウディアが肉を食べることは知っている。

 それでも、朝っぱらからステーキはちょっと重すぎだろうと驚いた。


「さっきアイリスが言ったではないか」

「……はい?」

「食材の種類が豊富だ、と。普段食べられない肉を頼んでみたんだ」

「なるほど。もしかして、隠れ里に仕入れる候補ですか?」

「いいや、たんなる私の好奇心だ」

「そうですか。いえ、いいんですが……」


 食いしん坊ディアちゃんという単語が脳裏をよぎったが、絶対怒られるので口を閉ざす。アイリスは密かに、クラウディアの気に入った食材を輸出候補に入れることにした。

 クラウディアにその気がなくとも、アイリスが利用すればいいだけの話である。


「ところでアイリス、いつ王都を出立するのだ?」

「今日か明日くらいに伝令が到着するという話ですが、その内容に対する協議をする必要もあります。現時点で到着していないなら、出立は明日か明後日くらいではないでしょうか?」

「そうか、では、今日は約束通りに王城を案内してもらおうか」


 ディアちゃんはツンデレだなぁと、アイリスはクスリと笑った。

 自分との約束より、港町のことを優先するのかと怒っていた割りに、アイリスが港町のことを優先できるように予定を確認していることに気付いたからだ。


「……なにか言いたそうな顔だな?」

「なんでもありませんよ」


 アイリスは笑って誤魔化し、空いている席について朝食を開始する。先に食事を終えた二人が雑談を交わすのを聞きながら食事を進めているとあっという間に食べ終わった。

 ナプキンで口元を拭い、二人に視線を向けた。


「それで、ディアちゃんには王城の案内をするとして、アッシュはどうするんですか?」

「俺か? そうだな……俺もおまえ達についていこうかな。それで、なにか面白そうなモノがあったら、そこを見学させてもらうとするよ」

「分かりました。アッシュの興味を引きそうなところにも案内しますね」



 こうして、アイリスは二人に城内を案内する。

 アッシュはさっきも言ったように腹筋を晒した武闘家スタイルで、クラウディアはキャミソールの上に薄手の上着、それにファーのストールを纏った恰好。


 ちなみに、城内にいる多くは貴族か侍従、あるいは騎士や各種使用人などなど……種類は多くとも、その大半が服装で分かるような役職にいる。

 よって、アッシュとクラウディアの恰好は非常に目立っていた。廊下で出くわした人の大半が、すれ違い様に二人のどちらかに視線を向けるほどである。


「なぁ、アイリス。さっきからすれ違う奴らに見られてる気がするんだが?」

「それは、二人が美男美女だからでしょうね」


 ささやかな気遣いを交えるが嘘ではない。実際、出くわした人間が男性の場合はクラウディアへ、女性の場合はアッシュへ視線を向ける割合が非常に高かった。

 むろん、アイリスへ視線が向けられることも多いのだが――それはともかく。


「ははっ。まっ、クラウディアも見てくれだけは美少女だからな」

「くくっ、がさつなアッシュも、黙っていればワイルドに見えるという訳か」


 左右でアッシュとクラウディアが同時にそのような感想を口にした。


「誰ががさつだっ!」

「誰が見てくれだけだっ!」


 やっぱり同時に罵り合う。


「二人は相変わらず仲がいいね」

「「どこがだっ!!」」


 加護を持つ英雄の末裔――王族にも等しい存在に左右から怒鳴りつけられる。常人であれば顔を青ざめさせそうなその状況にもまるで動じない。

 アイリスは少しだけ前世のやりとりを思いだして笑った。


 なお、繰り返しになるが、二人は王族にも等しいレベルの賓客である。グラニス王は、城内の者が二人に無礼を働かないように徹底し、二人の様子を部下に見張らせている。

 という訳で――


「陛下、大変です。アイリス殿がお二人の不況を買ったかも知れません!」

「なんだと、一体なにがあった!?」

「詳しくは分かりません。ただ、二人が突然不機嫌になり、アイリス殿に向かって怒鳴りつけたという報告が上がっています」

「なんと! して、アイリスの様子は?」

「それが、ニコニコと笑っている、とのことです」

「……それは、じゃれあっているだけではないか?」

「ですが、相手は加護を持つ英雄の末裔です。万が一があれば……」

「うぅむ……」


 といった感じで、アイリス達の行動が、グラニス王達の頭を悩ませていた。無論、アイリスの預かり知らぬことで、彼女は二人の案内を続ける。


 まずは炊事場や浴場といった施設を巡り、隠れ里の技術で改良できる点がないか? あるいは、この国の技術で隠れ里に使える技術はないか? といったやりとりを交わす。

 それに応じるのはクラウディアだ。


 彼女の意見はレムリア国にとって新鮮で、またレムリア国の技術は、クラウディアにとって新鮮に映った。こうして、アイリスとクラウディアは技術の話を弾ませる。

 だが、そうすると退屈するのがアッシュである。


 いくつかの施設を回って、アッシュが退屈を始めたタイミングを見計らい、アイリスは二人を騎士棟へと誘導した。その区画にある中庭では、騎士達が訓練をおこなっている。


「へえ、あれがこの国の騎士団か!」


 気怠げだったアッシュの瞳がギラリと輝いた。

 その次の言葉が聞かなくても分かる。だから――と、アイリスは口を開く。


「気になるなら、手合わせをしてきてもいいですよ?」

「ほんとか!?」

「ええ。でも、加減はしてくださいね?」

「おう、もちろんだ。アイリス、やっぱりおまえはいい女だな!」


 無邪気な顔で言い放ち、騎士団の元へと走り去っていった。その後ろ姿を少しだけ照れた顔で見送る。彼は騎士団の者達に声を掛け、すぐに訓練に混じり始めた。

 それを見守っていると、クラウディアが喉の奥でくくくと小さく笑った。


「アッシュも中々やるではないか」


 アイリスはなんのことか分からないと、小首をかしげてみせる。


「ふむ、とぼけているだけか、あるいは無自覚か。……あの王子の方が好みなのか?」

「アルヴィン王子ですか? 彼はフィオナ王女殿下の王配候補ですよ?」


 言い換えれば、女王の補佐役とも言える。王配はともかく、その補佐役はアルヴィン王子から奪おうと思っているのでむしろライバルです。

 なんて内心はおくびにも出さずに答える。


「それより、ディアちゃんはどうなんですか?」

「どういう意味だ?」

「ハイエルフで200歳と言えば、そろそろ適齢期では?」

「相手が居ない」


 端的な言葉。そこに感情の色はなく、どういった思いでその言葉を口にしたのか分からなかった。アイリスは「アッシュはどうなんですか?」と続ける。


「あの脳筋にそういう感情はないな。それに……人間はすぐに死んでしまう」

「それは……」


 寿命のことだ。クラウディアは200歳くらい。同じ歳に生まれた人間なら何世代も、それこそ、十世代くらい変わっていてもおかしくない。

 一緒に生まれ育った里の子供が老衰で死んで、そのまた子供も死んで……と、人の一生を何度も見守ってきた彼女にとって、人間は恋愛対象に入らないということ。


 付け加えるなら、ハイエルフは隠れ里にも数えるほどしか居ない。相手が居ないというのは、そもそも対象になり得る相手が存在しない、という意味なのかもしれない。

 クラウディアが沈黙し、その場を重苦しい空気が支配する。


 言うべきではなかったと、クラウディアの顔に後悔が滲む。だが次の瞬間、そんな空気を蹴っ飛ばすように、アイリスが大仰に肩をすくめてみせた。


「ディアちゃんは独り身で寂しいんですね。仕方がないから、わたくしが友達としてディアちゃんを慰めてあげます」

「はあ? おまえはなにを言っているんだ?」

「伴侶はともかく、友達なら寿命なんて関係ないでしょう? 人間だって、自分達よりずっと寿命の短いペットと仲良くしたりしますから」


 クラウディアはパチクリと瞬いて、次いでお腹を抱えて笑い始めた。


「くくっ、なにを言い出すかと思えば、自分をペットと同列に語るのか? 本当になにを言い出すか想像が出来んな、おまえは」

「褒め言葉として受け取っておきますね」


 盛大に笑われたアイリスは少しだけふてくされる。だが、クラウディアは笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭いながら頷いた。


「ああ、このうえない褒め言葉だ。私にとっての、な」

「もうっ、そんなんだからディアちゃんには友達がいないんだよっ!」

「いるぞ。一人だけ、だが、とびきりの友人がな」


 素で返されてアイリスは顔を赤らめた。


「も、もう、煽ててもなにも出ないからね」

「案内をしてくれるなら十分だ。そろそろ薬草園にも案内してくれ」

「し、仕方ないなぁ」


 ツンと顎を逸らし、だけど横目でクラウディアに視線を向ける。アイリスは「じゃあ、次は薬草園に行くから、遅れないでよね」と、先に歩き始める。


「ふむ、そんなに赤くなった顔を見られるのが恥ずかしいのか?」

「ディアちゃん、うるさいよっ!」


 前世の自分――フィオナだった頃のように言い放って、アイリスは今度こそ先を歩き始めた。そうして向かうのは、アイリスが中庭に作ってもらった薬草園だ。


 薬草園はガラスで作られた温室で、その室内には整然と薬草が植えられている。その薬草の手入れは、ネイトやイブから引き継いだ薬師達がおこなっている。


 また、併設された施設では、リゼルとレムリアの両国の研究者達が薬草そのものや、それによって生み出されるポーションの改良を試みている。


 それらの施設の前に来ると、クラウディアの目が輝き始めた。

 明らかに、アイリスが今までに見た中で一番楽しそうだ。


「ディアちゃんは、薬草園なんて見慣れているでしょ?」

「たしかにな。だが、あの規模の温室は初めて見る。隠れ里の設備よりもずっと充実しているではないか。なんだ、あれは。あのように手間暇を掛けるとは、人間はやはり面白い!」


 見た目相応の娘のように、クラウディアは無邪気にはしゃぎ始めた。その視線の先を見たアイリスは「あぁ……」と、クラウディアの言いたいことに気付く。


 視線の先に見えるのは温室の中。内部は段々になっていて、魔導具で汲み上げた水が、上から川のように流れている。それは隠れ里の薬草園にはなかった機能だ。


 技術自体は隠れ里の方が進んでいるのだが、隠れ里での穏やかな生活では、利便性を追求するという意識は生まれにくい。水なんて、井戸から汲んで撒けばいいじゃない、という訳だ。

 だからこそ、クラウディアの目には新鮮に映ったのだろう。


「気に入っていただけてよかったです。よかったら」

「ああ、見学させてもらおう」


 言うが早いか、クラウディアはアイリスを置いて足早に歩き出した。置いてきぼりを喰らったアイリスが後を追い掛けると、同じように薬草園を見学していた者達を見かける。

 エリオット王子と、妹のジゼルである。

 ジゼルはアイリスに気付いて駆け寄ってきた。


「お姉様、この薬草園は凄いですね!」

「気に入りましたか?」

「はい! 育てている薬草や、それを育てるための技術はもちろんですが、薬草を安定して育てるための空調の魔導具や、水を引く魔導具を惜しげもなく使うのが凄いです」


 賢姫の妹として、その魔導具や、そこに掛かるコストに興味がわいたらしい。


「たしかに。最初は目的も分からなかったはずなのに、ここまでの設備を用意してくださるなんて気前がいいですよね」


 さすがお爺様――と心の中で呟いて、アイリスは小さく微笑んだ。だが、その答えに対して、ジゼルはコテリと首を傾げた。


「気前、ですか? 回復ポーションは国を護る騎士も使う物。それを安定に供給するための設備にお金を掛けるのは普通のことではありませんか?」

「違いますよ、ジゼル」


 アイリスは秘密を明かす子供のように笑った。


「なにが違うというのですか?」

「この薬草園は国のための物ではありません。わたくしが陛下の命を救った褒美に――いえ、それは秘密でしたね。たしか、フィオナ王女殿下の命を救った褒美でしたか? ……とにかく、褒美に、わたくしがいただいた設備です」


 アイリスの物言いに、ジゼルはなぜか視線を泳がせた。


「えっと、その……アイリスお姉様は、レムリアでも好き勝手しているんですね」

「そうですか? こう見えてもわりと気を使っているんですが」

「わたくし、お姉様が他国に渡ったことで、窮屈な暮らしをしていないかと心配していたのですが……むしろ、レムリアの方々を心配する必要がありそうですね」

「気を付けているので大丈夫ですよ、きっと」


 そう応えながらも、アイリスはさり気なく視線を逸らした。そんな姉の姿をじいっと見上げていたジゼルは、不意にふっと表情を和らげた。


「なんにしても、お姉様が楽しそうで安心しました。そういうことでしたら、わたくし達にも薬草園の案内をしてくださいますか?」

「もちろんかまいませんよ。ただ……」


 先約のクラウディアを探して視線を巡らせる。少し離れた施設の一角、クラウディアは薬草園に務める研究者達と何やら話し合っていた。


「分かりました。それじゃあジゼルに、わたくし自慢の薬草園を案内してあげる」


 お姉さん風を吹かせたアイリスは、ジゼルとエリオット王子を相手に案内役を勤めた。その後は、再びアッシュやクラウディアとも合流し、城内の施設を案内する。

 それからほどなくして、港町からの伝令が到着したという連絡を受けた。

 

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