エピソード 3ー2

 リゼルの第二王子と、アイスフィールド公爵家の娘が王都に同行する。その報告を受けた、レムリアの者達は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。


 ただでさえ急ぎの日程。その行軍に、隣国の重要人物を同行させて、万が一なにかあったら大変なことになる。護衛はどうするのか、などといった理由である。

 もっとも――


「アイリス先生もリゼルの賢姫だよ?」


 という、フィオナのしごく真っ当な突っ込みに、みなは今更なことに気が付いた。こうして、早朝に出立できるように準備が始まる。

 アイリスもまた、急な帰還に備えて、引き継ぎの作業をおこなっていた。特にモルタルの技術を受けるためのあれこれについてはしっかりをおこなう。

 執務机に座ってせわしなくペンを走らせていると、アッシュとクラウディアが尋ねてきた。


「ディアちゃん、それにアッシュもいらっしゃい。せっかく来てくれたのに、あまりお相手を出来なくてごめんね?」


 アイリスはそう言いながらもペンを走らせる手は止めない。アッシュが少し心配そうに「忙しそうだな。ちゃんと休んでいるか?」と気遣ってくれる。


「ありがと、ちゃんと休んでるから大丈夫だよ。それで、今日はどうしたの?」

「あぁ、それなんだが……」


 アッシュが言葉を濁す。

 その横でクラウディアが腰に手を当ててツンとした視線をアイリスに向けた。


「どうしたの、ではないぞ、アイリス。約束を忘れたのか?」

「あぁ、王都を案内、だったよね。滞在許可は問題ないんだけど、わたくしは王都に戻った足で港町に発つことになりそうだから、しばらくは案内できないかも?」


 アイリスは可愛らしく小首をかしげた。

 口約束とはいえ、お願いの対価として提示した内容だ。本来であれば、正式に謝罪するような案件だが、クラウディアを友達としてみているアイリスは気付かない。

 結果――


「ほう? 私に頼み事までしておいて、約束を果たさない、と?」


 クラウディアが牙を剥いた。

 顔は笑っているが、その笑みの内に不穏な空気を纏っている。半分上の空だったアイリスも、ここに来て自分が対応を誤ったことに気が付いた。


「えっと、その……お、王都を案内するまえに、港街の案内とか、どうかなぁ? 海があるし、それになんと言っても……その、魔族もいるよ!」


(って、魔族がいるのはセールスポイントにならないでしょ、私っ!)


 動揺しすぎて言葉遣いが完全に崩れている。

 だが、クラウディアは意外にも反応を示した。


「ふむ、魔族か。まぁ……面白そうではあるな」


 これには、逆に心配になってしまう。


「ディアちゃん、その、大丈夫?」

「なにがだ?」

「その、先日の恨みを晴らそう、とか思ってない?」

「おまえは私をなんだと思っているんだ。人間がすべて味方とは限らぬように、魔族がすべて敵ではないことくらい心得ている」

「そっか……うん、それならいいんだけどね」


 これ以上はやぶ蛇になりそうだと、アイリスは深く追及しないことにした。


「アッシュも、それで問題ない?」

「ん? あぁ、俺はもちろんかまわねぇぜ。というか、色々言ってるが、クラウディアも不満はないはずだ。そもそもの目的は、おまえに会うことだからな」

「アッシュ、余計なことを言うなっ」


 クラウディアがアッシュの言葉を遮った。だがそれは、その言葉が事実という意味に他ならない。アイリスは意外なことを聞いたとばかりにクラウディアを見る。


「そうなの? ディアちゃん」

「ふんっ、ちょっとした気の迷いだ」


 隠れ里から出てきて、いまなおアイリスに同行しようとしている。長い気の迷いだねと、喉元までで掛かったセリフを、アイリスはゴクリと飲み込んだ。

 口は災いの元である。



 こうして、リゼルと英雄の末裔を加えた一行は王都へと帰還することになった。

 道中で魔物が出現することもあったが……一騎当千の力を持つ達の障害になるはずもなく、現れる端から倒されていった。護衛をそっちのけで腕比べを始めたりで、魔物がいっそ哀れだった――とは、護衛として同行していた騎士の言葉である。


 そうして何事もなく――はないが、一行は無事に王都へと到着した。

 リゼルの一行には城の一角を貸し与え、アッシュとクラウディアには客間が与えられる。また、フィオナとアルヴィン王子は報告のために謁見の間へと向かうこととなった。


「それでは、わたくしは部屋で休んでいますね」

「――逃がす訳がないだろう。おまえのやらかし報告もあるんだからな」


 逃げようとしたアイリスは、運悪くアルヴィン王子に捕まった。ついでにフィオナからも「私も、アイリス先生が一緒にいてくれると嬉しいな」と言われて陥落。

 アイリスはしぶしぶと謁見の間へと向かった。


 謁見の間では、陛下がきざはしのうえにある玉座に腰掛けていた。続いて、両端には、この国の重鎮達が並んでいる。これが正式な会見ということに他ならない。

 急ぎであったために、アイリス達は旅装束のまま。

 謁見の間、きざはしの天辺へと続く赤い絨毯の上で膝を付いた。


「フィオナ、アルヴィン、そしてアイリス。急な指示にもかかわらずよくぞ戻った。さっそくだが、港町での件について話そう」


 グラニス王がそう切り出すと、大臣の一人が説明を開始する。

 それによると、魔族の軍船に戦闘の意思はないらしい。まるで人間側の混乱が静まるのを待つように、最初の数日は岸に停留してなにもしなかったらしい。


 本来であれば、その時点で人間側から小舟を出して目的を尋ねるところだ。だが、王都からの返事が届かない状況下、事態の変化を嫌った町の領主は待機を指示を出したそうだ。


 これは、別に誤りという訳ではない。

 なにしろ、王都と港町で連絡を取り合うには、早馬を飛ばしても往復で二週間が掛かる。

 その時点では、まだ最初の伝令が王都に着いてすらいない頃だ。最悪の事態――たとえば魔族が攻めてくることを考えれば、少しでも時間を稼ぐことは有効な手段である。


 という訳で、グラニス王は万が一に備えて兵を動かしつつ、港町の領主に魔族の用件を確認するように指示を出した。それがいまから二週間ほど前、ということだった。

 大臣がその説明を終えると、グラニス王が口を開いた。


「最新の情報でも軍船は岸に停留したままのようだ。おそらく、町の領主が王都と連絡を取り合っていることを計算に入れて待機しているのだろう。このことから、軍船に我らと戦う意思がないことが見て取れる。おそらく、使者か、その先触れを乗せているのだろう」


 ありそうな話だと、アイリスは思う。


「それで、お爺様、私達はどうすればいいのですか?」

「明日か、明後日には、港町から魔族の用件を聞き出した伝令が到着する予定だ。それを確認次第、おまえ達にはこちらの使者として港町へと向かって欲しい」

「かしこまりました」


 迷うことなく頷いた、フィオナがとても頼もしい。

 そう思っていると、彼女は「ところで――」と別の話題を切り出した。


「リゼルのエリオット王子と、アイリス先生の妹であるジゼルさんが、港町への同行を求めてきたため、陛下にお伺いを立てるという理由で王都にまでお連れしました」

「伝令は受けている。――が、一体どのような経緯なのだ?」


 魔族関連については、情報の漏洩を心配して早馬では詳細を伏せてある。詳しく聞かせて欲しいと言うグラニス王の言葉に――アルヴィン王子が口を開いた。


「おおよそ、アイリスのやらかしが原因です」

「アルヴィン王子!?」


 同行者として、他人事のように静かにしていたアイリスが慌てて声を上げた。だが、ここが謁見の間であることを思い出して口を閉ざす。


「ふむ。アイリス、今度はなにをやらかしたのだ?」

「お、お言葉ですが陛下、わたくしはなにもやらかしてはいませんわ」

「そうだよ、アイリス先生はやらかしてなんていないよ。ただ、建設中の町の外壁に、リゼルが誇るモルタルの知識を提供してもらう約束を取り付けてくれただけだよ!」


 砕けた口調のフィオナがフォローをしてくれるが、そのフォローがフォローになっていない。グラニス王は「ほう、そのような約束を?」と顎をしごいた。


「たしか、エリオット王子が開発させた技術だったな。リゼルにとってだけでなく、第二王子にとっても必要なカードと聞いているが……一体どのような魔法を使ったのだ?」


 グラニス王の視線が痛い。

 批難するでなく、祖父が溺愛する孫娘に、今度はなにをやらかしちゃったんだ? と問い掛けるような、なんとも言えない生暖かい視線がアイリスの胸を抉った。


「魔法だなんてそんな。わたくしはただ、方々への貸しの均一化を図っただけですわ」


 魔族に支援をして、交流を持つという機会を実家に与え、その貸しを返してもらう代わりに、王都にも一枚噛ませる。それを対価にレムリア国にモルタルの知識を与えてもらう。

 アイリスは仲介をするだけで、方々に貸しを作っている。やっていることは仲介で中抜きをしまくっているに等しいが、アイリスというツテが必要なやりとりであるのも事実である。


「……そうか。また両国間で話し合う案件が増えた訳だが……賢姫ともなれば、貸しの均一化とやらだけで、両国を騒がすほどの大事になるのだな」


 グラニス王の呟きに、アイリスはそっと視線を逸らした。


「……まぁよい。レムリア国に取ってありがたい話には違いない。その件も踏まえて、エリオット王子とジゼルの両名の謁見に応じよう。すぐにスケジュールの調整を」


 グラニス王の言葉を受けた大臣が予定を調整するために下がる。それを見届け、グラニス王がアイリスへと視線を戻した。


「ところでアイリス、なにやら他にも客人を連れているそうだが?」

「はい。隠れ里で知り合った者達です」

「待てっ。それは、まさか……」

「お察しの通りで、両名とも加護を持つ英雄の末裔です」

「なんと……」


 謁見の間にざわめきが広がった。リゼルやレムリアの人間にとって、英雄の末裔というのは一般的に王族を指す言葉だ。だからこそ、英雄の末裔という言葉には重みがある。

 ましてや、加護を持つ末裔ともなれば、グラニス王と同格と言っても過言ではない。


 そこかしこから、英雄の末裔なら丁重におもてなしをする必要があるな。とか、いや、そうすると、リゼルの王族を蔑ろにしているように見られるのでは? なんて声が聞こえてくる。


(ディアちゃん辺りが聞いたら、どうでもいいと鼻で笑いそうだけどね)


 クラウディアの煩わしそうに髪を掻き上げる姿を思い浮かべて笑みを零す。その上で、あの素直じゃない友人達が快適に過ごせる方法を思案する。


「陛下、二人を持て成すのはわたくしにお任せいただけませんか?」

「アイリスが、か。そうだな……」


 グラニス王がちらりとアルヴィン王子に意見を求めるような視線を向けた。


「二人は、アイリスに会いに来たようです。であれば、アイリスが案内役を引き受けるのが妥当でしょう。それに、アイリスの側には俺やフィオナもおりますから」


 その言葉に含まれる意味をアイリスはすぐに察した。

 レムリア国にとって、高い技術を持つ隠れ里の住人、それも加護持ちと交流を持つことは大きな意味がある。そういう意味では、レムリア国の人間が案内役をすることが好ましい。


 だが、二人の目的はアイリスに会うことだとアルヴィン王子は言った。つまり、アイリスではなく、他の人間を案内役に指名しては二人の不興を買う恐れがあるということ。

 だから、アイリスに案内役を任せるのがベター。


 それに、アイリスが案内役ならば、アルヴィン王子やフィオナとも交流を深めることが出来るし、対外的にもレムリア国が英雄の末裔が仲良くしているように見える、ということだ。


(お兄様はこういう立ち回りが得意ですよね、ほんとに)


 脳筋思考の者が多いレムリア国では珍しい人材だ。フィオナの王配候補として名が上がったのも必然だったと言えるだろう。

 ――と、そこまで考えたアイリスは、ふとあることに思い至った。


(策士のお兄様がフィオナを補佐する王配候補……つまり、お兄様を蹴落として、わたくしがフィオナの補佐役に収まるという未来もあるのでは……?)


 いつか、フィオナは家庭教師を必要としなくなる。他国の人間であるアイリスが、いつまでもフィオナの側に居ては問題になる可能性がある。

 そんな風に未来を憂いていたアイリスだが、ここに来て新たな道を見つけた。すなわち、レムリア国の人間になって、アルヴィン王子の地位を奪い取る、というものである。


(いやでも、お兄様を正面から敵に回すのは厄介ですね……)


 色々と問題はあるが、どのみちまだ先の話でもある。ひとまず、選択肢がありそうならそれでいいとその議題は棚に上げ、アッシュ達の件に意識を戻す。


「ディアちゃん――失礼しました。クラウディアは薬師で、薬草の栽培についても様々な技術を持ち合わせています。薬草園のアドバイスもくれることでしょう」


 わたくしに案内役を任せてくださったら、ちゃんとレムリア国とも交流を持てるように調整しますよ――とほのめかせば、グラニス王はアイリスを案内役に指名してくれた。

 

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