エピソード 2ー5

「――事情はよう分かった。隠れ里の者達はわしが説得しよう」


 あの後、クラウディアに呼ばれてやってきたジーク族長に事情を話した結果、いまのように快い返事をもらうことが出来た。アイリスはそのことに感謝しつつも少し戸惑う。


「大変ありがたいお申し出ですが、そこまでお願いしてよろしいのですか? 説得自体は、ディアちゃんが引き受けてくれるそうなのですが……」

「クラウディアには、この町であれこれ調整してもらわねばならぬからな。わしは隠れ里に戻るつもりだったからちょうどよい」

「……そうですか。それでは、何卒よろしくお願いします」


 クラウディアに横目で確認したアイリスは、そう言って深々と頭を下げた。そうして魔物の使役については一段落。

 ジーク族長はお茶を飲んで喉を潤すと、穏やかな視線をアイリスへと向けた。


「……アイリスよ。そなたは魔王の魂について、なにか分かったのか?」

「そう、ですね……考えても仕方ない、という結論に至りました」

「ほう? それはどういうことじゃ?」

「確証のない部分が多いため、多くを語るつもりはありません。ただ、わたくしの感想としては、自分はちょっと希有な体験をした、ただの人間でしかない、と」


 巻き戻り転生は希有な体験だ。特別な存在といえばその通りなのかもしれない。けれど、魔王の魂がどうのと言われると首を傾げざるを得ない。

 転生してる点を覗けば、ただの人と変わりないじゃないか、と。


 それに正史――原作乙女ゲームの展開とは歴史が大きく変わっている。

 これから後は、なにが起こるかはアイリスにも分からない。であれば、これより後のアイリスは、過去にちょっと特別な体験をしただけのただの人だ。


「……そうか。思うところもあるが、本人が納得しているのならそれでいいじゃろう」

「お気を煩わせて申し訳ございません」

「気にするな。そのおかげで隠れ里が救われたと言っても過言ではないからな。むしろ感謝しておる。そなたのおかげで隠れ里は救われた」

「いえ、わたくしは……」


 恩返しをしただけ。救われたのは自分の方だと、喉元まで込み上げたセリフはグッと飲み込んだ。前世での出来事を口にしても、困惑させるだけだと思ったからだ。

 そんなアイリスに向かって、ジーク族長は静かに続ける。


「前回のことだけではない。このような屋敷を建ててくれたことにも感謝しておる。わしのような老いぼれはともかく、アッシュやクラウディアのような若者が、いつまでも隠れ里でくすぶっておるのはもったいないと思っておったからな」

「とんでもありません。なにより、優秀な二人を隠れ里から連れ出すような形になって、申し訳ないと思っていました」


 クラウディアは人を率いるタイプだ。前回の戦闘でも指揮を執っていたことから、族長の後継者と目されていてもおかしくはない。

 アッシュにしても、守備隊の隊長のようなポジションにいたはずだ。

 その二人が隠れ里から移住して、影響がないとは思えない。


「なに。隠れ里にはまだまだ優秀な者はおる。それに、そなたがやろうとしている、魔物を使役する件が上手くいけば、隠れ里の被害は激減するはずじゃ」

「……必ず、成功させて見せます」


 信頼に応えようと、アイリスは静かに頭を下げた。



 クラウディア達との話し合いを終えてたアイリスがレムリアの所有する屋敷に戻ると、中庭から剣戟の音が聞こえてきた。

 驚いて足を運ぶと、エリスとフィオナ王女殿下が斬り合っていた。


 軽装ながらも甲冑を身に着けたフィオナ王女殿下が、ダンと地面を蹴って地を這うように駈ける。一瞬でエリスとの間合いを詰めた彼女は下段から剣を振り上げた。

 ――速い。重い鎧を着てもなお速い。いつの間にここまで速くなったのかと、アイリスが目を剥くような速度。

 けれど、翼を解放した本気モードのエリスは軽く跳び下がって難なく回避。それと同時に剣を横薙ぎに振るい、追撃を仕掛けようとしたフィオナ王女殿下を牽制する。


 一進一退の攻防。魔王の側近とレムリアの王女が戦っている光景に驚くが、互いに殺気がないことから、これが稽古なのだろうと察する。

 だが、そう察してもなお不安になる。それだけ二人の戦いが白熱している。アイリスは周囲を見回し、二人の戦いを見学しているとおぼしき騎士に声を掛ける。


「あの二人、いつから戦っているんですか?」

「アイリス様が出掛けた直後なので、かれこれ一時間ほどでしょうか?」

「……そんなに、ぶっ続けで、ですか?」

「ええ。何度かお止めしたのですが、白熱しているのか、お聞き入れくださらなくて。アイリス様、二人を止めて頂けませんか?」

「……仕方ありませんね。貴方の剣、少し借りますよ」


 騎士の腰から剣を引き抜き、斬り合っている二人に視線を向けた。何度か切り結んで二人が大きく距離を取る。次の瞬間、エリスとフィオナ王女殿下が同時に駈けだした。

 そのタイミングに合わせ、アイリスもまた駆け出す。


 アイリスは衝突する二人の側面から襲い掛かった。

 右前方のエリスには、騎士から借りた剣を振るい、左前方のフィオナ王女殿下に対してはアストリアの力で顕現させた剣を振るう。

 完全なる不意打ちによる一撃は、二人の急所に触れる寸前でピタリと止まった。


「ア、アイリス様?」

「アイリス先生?」


 目を見張って動きを止める二人に「そこまでです!」と鋭く言い放った。


「熱中する気持ちは分かりますが、自重してください。貴女達のどちらになにかがあれば、せっかく手に入れた平和が潰えることになりかねないのですよ?」

「うぐ、ごめんなさい」

「……そうですね、申し訳ありません」


 アイリスの介入で我に返った二人はばつの悪そうな顔をする。しかし、アイリスが二人を叱りつけたなんて噂が広がるのも外聞が悪い。

 アイリスはすぐに「分かって頂ければかまいません」と話を切り上げた。そうしてぽかんとした顔の騎士に借り受けた剣を返し、もう一度二人の方を向いた。


「隠れ里の族長に、魔物を使役する一連のことに対する許可を頂きました。フィオナ王女殿下はそのことを踏まえ、ゲイル子爵達と今後のことについて話し合いをお願いします」

「えっと、農地を何処にするかとか、話し合えばいいんだね?」

「はい。わたくしは明日にでもリゼルへ向かうことになるので、摺り合わせが必要なことがあれば、今日中にお願いします」

「うん、分かった。それじゃちょっと行ってくるね」


 フィオナ王女殿下はそう言って駈けだした。慌てて護衛の騎士達がその後を追い掛けていく。それを見送ったアイリスは、続けてエリスに視線を向けた。


「エリス、お聞きの通り、隠れ里の族長の同意を得られました。とはいえ、隠れ里は先日、魔族による襲撃を受けたばかり。くれぐれも刺激しないようにお願いしますね」

「もちろん心得ています」


 エリスは頷き、それから少しだけ目を伏せた。


「……エリス?」

「いえ、その、言うのが遅くなりましたが、あのようなことをしたにもかかわらず、我ら魔族を受け入れてくださってありがとうございます」

「人間にとって利になる選択をしただけです。それに、わたくしは受け入れていますが、理性ではなく、感情で動く人間が多いのも事実です。くれぐれも気を付けてください」


 命令を無視し、国に被害を及ぼすような騎士はいないと信じたいが、この町にも魔族に家族を奪われた者がいないとは限らない。エリスが襲撃でどうにかなるとは思わないけれど、反撃によって大事に……という可能性は捨てられない。

 万が一があっても、決してやりすぎないようにと念を押した。そんなアイリスの言外の想いが伝わったのか、エリスは真剣な顔でこくりと頷く。


「さきほどはすみません。つい熱くなってしまって」

「フィオナ王女殿下がせがまれたのでしょう。こちらこそ申し訳ありません」


 アイリスもまた頭を下げ、それから魔物の使役について少し立ち話をした。

 その後、エリスと別れたアイリスは屋敷に戻った。

 そうして一息吐いたところに、今度はジゼルから話をしたいと打診があった。アイリスはせわしなさに目を回しつつ、ネイトとイヴにお茶の用意を命じ、ジゼルを部屋に招く。


 ジゼルは姉の部屋を訪ねるには少々格式張ったドレスを身に着けていた。公式な使者に近い立場での話があると察し、ジゼルとローテーブルを挟んでソファに座って向かい合う。


「なにか重要な話ですか?」

「はい。結論から言います。いまの条件では、リゼル国は、レムリア国が魔物の使役をし、この町の付近に魔物を滞在させること、認めることは出来ません」


 予想外――だけど、心の底ではどこか期待していた。アイリスは「どういうことか、理由をお聴かせいただきましょう」とわずかに口の端を吊り上げて笑った。

 

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