エピソード 2ー6

 建築中の名前がない町、そのレムリア区画にあるお屋敷の一室。ソファに腰掛けたアイリスは、ローテーブルを挟んで妹のジゼルと向き合っていた。

 ゆったりとした服装のアイリスと違い、ジゼルはリゼルの使者に相応しいフォーマルドレスを纏っている。彼女はどこか緊張した面持ちでアイリスを見つめている。


「……ジゼル様。魔物を使役する件、認められないとはどういうことでしょう? レムリア国で摺り合わせをおこなったときは、異論がないと仰っていたと記憶しておりますが?」


 アイリスは妹に対して様付けで呼んだ。いまは妹との語らいではなく、国家間の話し合いであるという意思表示だ。その上で、冷めた口調で前言を翻すのかと非難した。笑わない賢姫と呼ばれた頃のアイリスが顔を覗かせている。

 目を細めたアイリスを前に、ジゼルはゴクリと喉を鳴らした。スカートの布地をきゅっと握り締め、意を決したように口を開く。


「たしかに摺り合わせはおこないました。ですが、それは陛下と話す前の仮の約束。変更をしてはならない、という取り決めはなかったはずです」

「……道理ですね。しかし、それはあくまで、陛下との交渉の段階になればの話です。あなた方が前言を翻すのであれば、あなた方と話し合った意味がありません」


 交渉の抜け道を突こうとするジゼルを前に、アイリスは即座に抜け道を塞いだ。視線を彷徨わせたジゼルは追い詰められているように見えた。

 だが、彼女は絞り出すように次の言葉を口にした。


「……たしかに、意味もなく前言を翻せば信用を失うでしょう」


 前言を撤回したのには意味がある――と。その言葉に、アイリスは眉を動かした。


「どういう、意味でしょう?」

「魔物の使役を出来るとはうかがっていました。しかし、あの魔族の女性……エリスさんでしたか? 彼女から遠く離れても、魔物を制御したままに出来るとは聞いておりませんでした」

「……たしかに、その通りですね」


 一度使役してしまえば、魔物はエリスの元を離れても命令を実行し続ける。それはつまり、この町にいながら、リゼルの町や村を魔物に襲わせることが可能、ということだ。

 しかも、ただの偶然で、レムリアは関与していないと言い逃れることすら出来る。


 あの時点ではアイリスも知らなかった事実ではあるが、契約の成立前にその事実があきらかになった以上、リゼルが再交渉を求めるのは当然の権利である。


 ――つまり、舌戦による前哨戦はアイリスの敗北に終わった。それを自覚したアイリスは妹の成長を喜びつつも、それが表に出ないように表情を引き締める。


「それで、ジゼル様はどのような条件をお望みなのですか?」

「……対等な条件を。リゼルとレムリア、共同で管理する、というのはいかがですか?」

「話になりませんね。魔族との交渉はレムリアが単独でおこなったことです。危険に対する補償的な意味での交渉は承りますが、それ以外での口出しは無用に願います」


 アイリスが冷たく突き放すと、ジゼルは悲しげに、けれどやっぱりという顔をした。そうしてギューッと目を瞑ると、なにかを諦めたような顔でアイリスを見る。


「お姉様はもう、リゼルに義理はないと、そういうことですか?」


 ジゼルがそう感じるのも無理はない。いままでのアイリスなら、確実に『両国のバランスを取る必要がある』と言って、リゼルにも利を配ろうとしていた。


 にもかかわらず、いまのアイリスはレムリアで利権を独占しようとしている。いままでと行動の指針が完全に変わってしまっているのだ。

 アイリスがリゼルに愛想を尽かしたと、ジゼルが誤解するのも当然である。

 がだ、それは誤解だ。だからアイリスは使者としての仮面をぺいっと脱ぎ捨てて、妹に対して優しく微笑みかけた。


「ジゼル、わたくしはレムリアの人間になるつもりです。ですが、リゼル国や貴女に愛想を尽かしたわけではありません。なにより、バランスの件はいまでも必要だと思っています」

「では、お姉様はどうして、レムリアの利益を優先しているのですか?」

「わたくしがレムリアの人間になるからだと、そう言ったはずですよ?」


 ジゼルは「分かりません」と呟いて、いまにも泣きそうな顔をする。


「そう、ですね。事の発端は、リゼルの機密を握っているわたくしが、レムリアに渡ったことです。それによって、両国のバランスが大きく崩れるところでした」

「分かっています。賢姫であるお姉様はあまりに多くのことをご存じですから」

「ええ。だからこそ、わたくしはバランスを取ることを優先しました。ですが本来、たった一人の人間が、両国のバランスを取るように立ち回っているのは歪なことなのです」


 普通の人間に出来ることではない。前世の記憶を持つ賢姫だからこそ出来たことだ。そうして様々なバランスを調整するアイリスは、自分をこんな風に自嘲していた。


『両国のパワーバランスを調整する自分は、まるで神様を気取っているみたいだ』――と。


「仰っていることは分かります。ですが、このままでは両国のパワーバランスが崩れかねません。いまは大丈夫でも、十年後、百年後にどうなるか分からないのですよ?」

「そうですね。だからこそ、貴女がいるのでしょう?」


 当然のように言い放つと、ジゼルはぱちりと瞬いた。


「……え、それは、どういう?」

「気が付いたんです。リゼルにわたくしに対抗できる存在がいれば、わたくしが苦心するまでもなく、両国のパワーバランスが取れるはずだ、と」

「ま、待ってください。お姉様は、わたくしに、お姉様と対抗しうる存在になれと、そう仰っているのですか?」

「そう聞こえませんでしたか?」


 リゼルは目をまん丸に見張って、それからローテーブルに手を突いて身を乗り出した。


「む、無理です。お姉様に対抗しうる存在になんて、わたくしになれるはずがありません!」

「あら、エリオット王子の隣に立つに相応しい女の子を目指さないんですか?」

「そ、それと、これとは関係ないではありませんかっ!」

「関係ないと、本気で思っているのですか?」


 静かな目で問い掛ければ、ジゼルはうっと息を呑んだ。

 それから一呼吸置き、力なくソファに座り直す。


「お、王太子妃には、それ相応の教養が求められることは理解しています。ですが、歴代の剣姫としても飛び抜けている、お姉様と並び立つ必要は――」

「ないでしょうね、普通なら。……自分で言うのもなんですが、ここ数年のわたくしの功績は、自分でも異常だと思っています。ですが……」


 一時とはいえ、アイリスはリゼルの王太子妃だったのだ。愚かなザカリー元王太子が原因で流れたこととはいえ、アイリスが王妃になる可能性もあった。

 その過去が有る限り、ジゼルは必ずアイリスと比べられることになる。


 そんなアイリスの危惧が伝わったのか――いや、おそらく、ジゼル自身、最初から不安に思っていたことだったのだろう。アイリスの指摘に、彼女はきゅっと唇を噛んだ。


「分かって、います。本当は理解しています。でも、お姉様に並び立つなんて……」

「出来ますよ。なんのために、精霊の加護を習得させたと思っているのですか?」

「え? それは、交渉材料だったのでは?」

「それもあります」


 そして、メインは命の危険があるジゼルに、自らを護る力を付けさせるためだった。だが、ジゼルに功績をあげさせるという意味合いもあった。


「そう、だったのですね。ですが、わたくしが契約したのは名もなき魔精霊です。アイリスお姉様のように、初代様が契約したフィストリアではありません」

「その点は心配ありません。わたくしに秘策がありますから」

「……秘策、ですか?」

「ええ」


 いまは教えるつもりはありませんよと微笑むと、ジゼルは困った顔で微笑んだ。


「……お姉様はいつだって、ずっと先の未来を見据えているのですね。そうやってわたくしに力の差を見せつけておきながら、わたくしにも同じことが出来ると、そう仰るのですか?」

「いますぐには無理でも、いずれは出来るようになると信じています。そして、いますぐに出来る必要ありません。出来るように見せかければいいのですから」

「お姉様は、一体なにを企んでいるのですか?」


 アイリスは答えず、唇に人差し指を当てて笑った。

 それを見たジゼルは溜め息をついて、それからジトッとアイリスを睨みつけた。


「わたくしには、お姉様が分かりません」

「本当にそうですか? ジゼルなら、わたくしがなにを考えているか分かるはずです。そのために必要な情報は、さきほど渡したでしょう?」

「必要な情報?」


 ジゼルは静かに考え込んだ。


「……お姉様は、わたくしがお姉様に対抗しうる存在になることを望んでいる。そうしなければ、お姉様の移住はとても認めてもらえないから。つまり、わたくしの活躍は、お姉様にとって必要。なら……それは交渉材料になりうる、ということ――」


 独り言を呟いていたジゼルは、ハッと顔を上げてアイリスを見た。


「お姉様、わたくしがお姉様に対抗しうる存在になることを望むのなら、わたくしに力を貸してください。そうすれば、わたくしはお姉様が移住できるよう後押しいたしましょう」

「……まぁいいでしょう」

「本当ですか? 魔物の使役の件も妥協してくださいますか?」


 期待に満ちた表情をする妹を前に、アイリスは可愛いなぁと思いながらも首を横に振った。


「それとこれとは話が別です。なぜ誤解しているのか知りませんが、その件は最初からわたくしに交渉権はありませんよ。フィオナ王女殿下の事業ですから」

「……あっ」


 まったく考えが及んでいなかったようで、ジゼルは目を軽く見張る。それを見たアイリスは小さく息を吐いて、仕方がなさそうに笑った。


「ずいぶんと視野が狭まっていますね。なにをそんなに焦って……いえ、聞くまでもありませんね。エリオット王子のお役に立ちたいのですね」


 ザカリー元王太子はアイリスの支援によって、表向きは大きな功績を挙げていた。王位継承権一位の第一王子で、アイスフィールド公爵家を筆頭に支持基盤もしっかりとしていた。


 対して、エリオット王子はまだ幼い第二王子。

 ザカリー元王太子が失脚したとはいえ、エリオット王子の地位は確立させていない。王家とアイスフィールド公爵家のあいだにも確執は残っている。

 いかにも不安定な状況で、だからこそ自分が支えなくてはいけないと思っているのだろう。


(実際は、そんなに悲観するような状況ではないんですけどね)


 さきほどの評価はあくまで、エリオット王子とジゼルが王城を離れる前のものだ。

 そこからモルタルを使ってレムリアと交渉し、魔族との交易にも一枚噛んだ。ジゼルと良い仲になったことで、アイスフィールド公爵家との確執も消えるだろう。

 今回の件も、エリオット王子達がレムリアにいたから介入できたことだ。一連の出来事が王城で公表されれば、エリオット王子の評価は大きく上がることだろう。


 だから、これ以上は急いでなにかをする必要はないのだが……と、思い詰めた顔をしているジゼルを見て、アイリスは恋は盲目といいますからね――と苦笑いする。


「ジゼル、城壁の件を思い出しなさい」

「城壁の件、ですか? それは、どういう……」

「リゼルが、レムリアの事業に介入できたのはなぜですか?」

「それは、エリオット王子の持つ技術を提供したから――」


 ジゼルがハッと目を見張った。


「魔物に作らせる農地は、少し町から離れた場所に作ります。そうでなくとも、魔族領に送るには、遠すぎるという欠点があります」

「それを補えるような作物、あるいは技術を提供すれば……」

「フィオナ王女殿下は乗ってくれるでしょうね」

「感謝いたします、アイリスお姉様!」


 ジゼルはそう言うなり立ち上がって、そのまま部屋を飛び出していってしまった。


(話はまだ終わっていなかったんですが……まぁいいでしょう)


 アイリスの目的はただ一つ。レムリアへの移住をフレッド王や父に認めさせること。そしてそのために、エリオット王子の立場を王太子へと押し上げ、ジゼルを王太子妃に据える。

 未来のために必要な手を打つため、アイリスは使用人を呼ぶハンドベルを鳴らした。

 

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