エピソード 3ー1
◆◆◆
フィオナ王女殿下の一行が建築中の町へ向けて出立した後。
アルヴィン王子は自分の派閥を纏めるために暗躍していた。そうして、いまは執務室の机に向かい、王家の紋章が入った便箋にペンを走らせている。
ほどなく、執務室の扉がノックされる。
「なに用ですか?」
部屋の隅に待機していたクラリッサが扉を開けて応対する。
「そろそろ派閥の方々がいらっしゃる時間です」
外から聞こえて来た声に、アルヴィン王子は手紙を書き終えたら向かうと口にした。その言葉を、クラリッサが部屋の外にいる使用人に伝える。
そうしてペンを走らせる音だけが室内に響き、少ししてアルヴィン王子はペンを置いた。完成した手紙は封筒に入れ、垂らした蝋で封を閉じ、封蝋に指輪の紋章で刻印を施す。
「クラリッサ、これをアイリスの実家に送ってくれ」
「それはかまいませんが……」
「なんだ?」
「いえ、アイリス様に託された方が、印象は良かったのではありませんか?」
素っ気ない郵便よりも、愛娘が持参した手紙の方が好意的に見てもらえるのに、と。そんなクラリッサの疑問に対し、アルヴィン王子は口の端を吊り上げた。
「それでは、アイリスよりも早く彼女の実家に届かないではないか」
「アルヴィン王子、悪い顔になっていますよ」
「悪いことを考えているからな」
「……王子、アイリス様にご迷惑を掛けるつもりなら手伝いませんよ?」
「心配するな。アイリスをこの国に留めおくための悪巧みだ」
「分かりました。早馬を手配いたします」
アルヴィン王子はアイリスに迷惑を掛けないとは言っていないのだが、クラリッサはあっさりと前言を撤回すると、手紙を持って身を翻した。
「……あいつも変わったな」
クラリッサは貴族の令嬢で、アルヴィン王子とは昔なじみの関係だ。頼もしい部下であると同時に、姉のように過保護な部分も多々あった。
権力目当てでアルヴィン王子に近付く令嬢を蹴散らしていた彼女が、いまやアルヴィン王子をそっちのけで、ファンクラブまで作ってアイリスのことを追い掛けている。
「……いや、アイリスが変えたと言うべきか」
クラリッサだけではない。
武術にしか興味を持たなかったフィオナ王女殿下が政治に興味を持ち、次期女王に相応しい成長を遂げたのもアイリスのおかげなら、レガリア公爵家の悪事を暴く切っ掛けを作ったのもアイリスだ。この一年と少しで彼女が成し遂げた功績は数え切れない。
そして変わったのはアルヴィン王子も同じだった。
「まさか、俺が、な……」
両親を失った従妹、フィオナ王女殿下と国のために命を捧げる覚悟だった。そんなアルヴィン王子に欲が生まれたのもまた、アイリスの行動の結果である。それを自覚したアルヴィン王子は口元をほころばせ、それから自分の支持者達と会うべく席を立った。
王城にある大広間。
アルヴィン王子は皆が待つその部屋に足を踏み入れた。席に座っていた彼らは一斉に立ち上がり、アルヴィン王子に向かって頭を下げる。
「皆の者、待たせたな」
「アルヴィン王子、ご機嫌麗しゅうございます」
「リーヴィル辺境伯も壮健そうでなによりだ」
自らの支持基盤の筆頭格、リーヴィル辺境伯に言葉を返す。アルヴィン王子は続けて他の支持者にも一人ずつ声を掛けていった。
そうして挨拶を終えて席に着き、アルヴィン王子は皆を見回す。
「……さて、こうして集まってもらったのは他でもない。皆も聞いておろう。グラニス王が、フィオナを次期女王にすると宣言なされたことを」
アルヴィン王子の言葉に、その場にいる者達が思い思いに、他の者達と顔を見合わせた。
噂にはアルヴィン王子のことが触れられていない。そのことについて尋ねてもいいものか、尋ねるとして、誰が尋ねるのかと牽制し合っているのだ。
そうした混乱の中、リーヴィル辺境伯が口を開く。
「アルヴィン王子、質問をよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ」
「では恐れながら。フィオナ王女殿下が即位なさるという噂は聞き及んでおります。しかしながら、噂にはアルヴィン王子のことが語られていない。これは、どういうことでしょう?」
「俺が王配になるという件なら流れた」
ざわりと、大広間に動揺が広がった。
そうして支持者の一人がテーブルに手を突いて立ち上がる。
「なんということだ! グラニス王は王子の貢献をお忘れになったのか!」
「落ち着け」
「しかし、リーヴィル辺境伯、これでは、あまりにアルヴィン王子が――」
「いいから落ち着け。アルヴィン王子の御前だぞ」
「……失礼いたしました」
リーヴィル辺境伯に諭された男が冷静になって座り直す。それを切っ掛けに他の者達も口を閉じ、リーヴィル辺境伯が皆の意見を代表するように口を開く。
「お聞かせください、アルヴィン王子。グラニス王は本当に、アルヴィン王子の貢献をお忘れになったのですか? それとも、なにかお考えがあるのでしょうか?」
「結論からいえば、グラニス王は俺の貢献を忘れてなどいない。フィオナとの婚約がなかったのは、俺とフィオナがそれを望まなかったからだ」
「なんと! 一体、どうしてそのようなことに?」
この世界において、政略結婚は珍しくない。
無論、結婚は愛する者と――という考えを持つ者もいるが、結婚は政治的な行為で、愛する者と結ばれるのとは別の話だと考えるのが主流なのだ。
ゆえに、フィオナ王女殿下がアルヴィン王子との婚姻を望まぬことも、アルヴィン王子がフィオナ王女殿下との婚姻を望まぬことも、ここにいる者達はおおよそ理解できない。
敵対しているわけでもなく、この国を一つに纏めるに足る二つの派閥を一つにする。その機会を手放す理由が何処にあるというのか、ということ。
なにより、彼らは一族の行く末をアルヴィン王子に賭けている。もしもアルヴィン王子が、愛などという理由で王配の地位を手放したのだとしたら、彼らはそれを許さないだろう。
「アルヴィン王子、なぜ望まなかったのか、お聞かせください」
リーヴィル辺境伯が静かに問い掛ける。
皆が固唾を飲んで見守る中、アルヴィン王子は実に自然体で話し始めた。
「おまえ達は当然、アイリスのことを知っているな?」
「それは……いまや彼女を知らない者はいないでしょう。……アルヴィン王子と彼女が恋仲だという噂を聞いたことがありますが、まさかそれが理由では――」
ないでしょうね、と。リーヴィル辺境伯が最後まで口にすることは出来なかった。それを口にしようとした瞬間、アルヴィン王子が殺気を放ったからだ。
「俺は王子として、幼少よりこの国に尽くしてきた。おまえ達が一族を賭して、俺を支持していることも知っている。そんな俺が、それらを放り出すと思っているのか?」
「し、失礼いたしました」
アルヴィン王子に気圧された支持者達が一斉に頭を下げる。
「一度は許そう。この状況でおまえ達が動揺するのは無理もないからな。だが、心配する必要はない。俺はグラニス王より、将軍の地位を約束されている」
「おぉ、将軍ですか。それはおめでとうございます!」
皆は一斉に沸き立つが、もしもここにアイリスがいたら突っ込んでいただろう。わたくしに説明した手はずと、順序が違うではありませんか――と。
アルヴィン王子はアイリスに対し『アイリスを宰相にする対抗馬として、自分が将軍の地位に就くことになった』という順番で打ち明けると言っていたから。
だが、もしもここにアイリスがいて、さきほどのようなセリフを口にしていたら、アルヴィン王子はこう返していただろう。
賢姫ともあろう者が、あんな戯れ言を信じたのか? ――と。
そうして舌戦が繰り広げられていただろう。だが、ここにアイリスはいない。事情を知らない彼らは、アルヴィン王子が将軍の地位に就くと聞くことで心から安堵した。
そこに、影を落とすようにアルヴィン王子が付け加える。
「そして、アイリスには宰相の地位が打診されている」
フィオナ王女殿下とアルヴィン王子、その二人による統治。自分達の地位が安泰だと思った矢先に告げられた、第三勢力の登場というカオスな告白。
混乱するリーヴィル辺境伯達に向かい、アルヴィン王子は甘いマスクを向けた。
「心配するな。既に手は打ってある」
「おぉ、さすがはアルヴィン王子。それで、一体どのような手を打たれたのですか?」
さすがですと、あちこちから王子を褒め称える声が響くなか、アルヴィン王子は軽く手を上げてそれを制する。
「そもそも、アイリスはリゼル国の公爵令嬢にして賢姫だ。隣国の要人が、その地位を保ったまま、レムリアの行く末を左右するような地位に就くことは出来ない」
「……つまり、かの賢姫を排除することは難しくない、と?」
「その通りだ。だが、おまえ達も知ってのとおり、彼女は賢姫という称号に相応しい知識を持っており、その政治力もずば抜けている。加えて武力もあるとなれば、この国から排除するにあまりに惜しい逸材だと言えるだろう」
「……では、彼女を宰相に迎え入れると?」
「そうだ。彼女をこの国の人間として、この国に仕えるようにするための妙手を打つ。俺はその妙案をグラニス王に進言し、直々に許可をいただいた」
「……まさかっ! それは、つまり……」
「ああ。いまおまえ達が思い浮かべたとおりだ」
アイリスをこの国の人間として、宰相としてこの国に尽くすようにするための一手。その方法を理解した彼らは一同に沸き立った。
その一手は、確実に彼らに繁栄をもたらす神のごとき一手だと気が付いたからだ。
「……協力、してくれるな」
アルヴィン王子の問い掛けに、リーヴィル辺境伯は他の者達と顔を見合わせる。今日の話し合いの内容次第では、彼らはアルヴィン王子に背を向ける覚悟を決めていた。
だが、それは杞憂だったと頷きあった。
「お任せください。我ら一同、必ずアルヴィン王子の計画を達成する力になりましょう」
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