エピソード 3ー2

 建築中の町で摺り合わせをおこなった後、アイリス達はリゼルへと向かうことになる。

 主要なメンバーはアイリス、それにエリオット王子とジゼルの三人だけ。フィオナ王女殿下やエリス達は、魔物の使役の件を進めるために建築中の町に待機することになった。


 とくに、いつものフィオナ王女殿下なら同行したかったはずだ。だが、彼女は「魔物の件でみんなが安心できるようにがんばるね」とアイリスを送り出した。

 即位するために、自分がやるべきことを理解している。

 彼女は日に日に成長していく。


 寂しくもあり、頼もしくもある。ちょっぴり複雑な想いを抱きながらも、アイリスは「行ってきます」と言ってリゼルへと旅だった。



 こうして、一行は何事もなくリゼルの王都へと到着した。

 王城の前に馬車が到着すると、速攻でエリオット王子とジゼルが陛下から呼び出しを受けた。通常は数日。そうでなくとも旅の汚れを落としてからが普通なのに――と、アイリスは驚きながらも、連れて行かれる二人の背中を見送った。


 そんなアイリスの隣に、アイスフィールド公爵家の馬車が止まった。降りてきたのは、アイスフィールド公爵家に仕える老執事。


「アイリスお嬢様、ご当主様がお呼びです」

「……え、いますぐ、ですか?」

「いますぐです。どうか、馬車にお乗りを」

「……分かりました」


 ずいぶんと慌てていると驚きつつも馬車に乗り込んだ。それから、馬車は町中で許されるギリギリの速度でアイスフィールド公爵家まで走った。

 そして、あれよあれよというあいだに、アイリスは父の執務室へと連れて行かれた。アイリスは執務机の手前に立ち、椅子に座る父ハワードに視線を向ける。


「お父様、ご無沙汰しております。その後、おかわりはありませんか?」


 開口一番に尋ねると、物凄く恨みがましい視線が返ってきた。


「……お父様?」

「あれだけのことをしておいて、わしに変わりがないとおまえは思っているのか!?」


 ハワードが眉を吊り上げた。

 完全に怒っているときの反応だと理解し、アイリスは躊躇いながらもその理由を探る。


「あれだけのことというと……ジゼルに精霊の加護を与えた件ですか?」

「それは非常に感謝している。そなたが国を出たいま、アイスフィールド公爵家としてはもちろん、この国にも次世代の象徴は必要だったからな」


 それなら安心ですねと笑いつつ、ではなんのことだろうかと首を傾げる。


「もしや、エリオット王子が開発したモルタルの技術をレムリアが取り入れたことですか?」

「その件も大変感謝している。ザカリー元王太子が失脚したいま、王太子になるのはエリオット王子が順当ではあるが、彼の功績はいまいち目立っていなかったからな」

「では、その関連の取り引きで、魔族との交易に一枚噛ませたことですか?」

「……もちろん感謝している。レムリアだけが魔族との取り引きを始め、リゼルが取り残されることになっていたら、両国の国力はすぐに開いていただろうからな」


 その件も感謝されているらしい。では、お父様はなにをそんなに怒っているのかしら? とアイリスはさっきよりも首を傾げる。


「もしや、レムリアを巻き込み、エリオット王子暗殺計画を防いだことですか?」

「たしかに、レムリア国に借りを作ることになったのは事実だ。だが、そなたの助けがなければ、エリオット王子が命を落としていた可能性は高い。もちろん感謝しているさ」

「……そうなると、魔物を使役することになった件ですか?」


 アイリスが問うと、ハワードはぴくりと眉を跳ね上げた。


「早馬が来たが、伝令の間違いではなかったのか。魔物を使役など、本当に可能なのか?」

「はい。実際に計画を進めています」


 アイリスは経緯を報告し、ジゼルが一枚噛もうとがんばっていることも伝える。


「そう、か……ジゼルが頑張っているのなら、一方的に後れを取ることもないだろう。信じがたいことではあるが……まあ、よくやってくれたと感謝するべきだろうな」

「はあ……」


 アイリスは気の抜けた返事をした。

 そして、さきほどから疑問に思っていることを口にした。


「あの……でしたら、お父様はなにをそんなに怒っていらっしゃるのですか? 他にはこれと言った心当たりはないのですが」

「そんなの、いまおまえが口にしたすべてに決まっているだろう!」

「すべて、ですか? ですが、いまお伝えしたことには感謝しているのですよね?」

「感謝はしている! 感謝は、している!」


 二回捲し立て、彼は荒い息を吐いた。


「……感謝は、している」


 三度口にする――が、どう見ても感謝している者の反応ではない。アイリスは触らぬ神に祟りなしと、口をバッテンにして沈黙を守る。

 ほどなく、深い苦悩の表情を浮かべたハワードが口を開いた。


「無論感謝はしているが、その一つ一つがどれも、国家を騒がす大事ばかりではないか! しかも、本来であれば重鎮を集めて会議するような案件ばかり、事後報告で伝えおって!」

「……しかし、本国にお伺いを立てている時間はありませんでしたよ?」


 アイリスの口添えがあったから、裏技的に介入できたのだ。そうしなければ、リゼルはレムリアが利益を得る様子を、ただ指をくわえてみていることしか出来なかっただろう。


「分かっておる。分かっておるからこそ、困っておるのだ。どれか一つなら英断だと素直に褒めることが出来ただろう。だが、この数ヶ月で幾たび王城を震撼させたと思っておる!」

「……という感じで、エリオット王子やジゼルは苦言を呈されているわけですね」


 わたくしはもはや関係ありませんが――というスタンスを取る。

 それを理解したハワードは深い溜め息をついた。


「そなたは、もはやこの国の人間ではないと、そういうことか?」

「いまはまだ、この国の人間です。ただ、レムリアに移住するつもりではいます」

「そうか。アルヴィン王子の手紙は事実、ということか」

「……アルヴィン王子からの手紙ですか?」

「そなたがアルヴィン王子の申し出を受けたと書かれていた。あの日、おまえがレムリアに行くと言いだしたときから予想していたことではあるが……そなたは本当にそれでいいのか?」


 良いも悪いも、そんな手紙をいつ出したんだろうと首を傾げる。

 直前であれば、アイリスに託せば済む話である。そうしなかったのは、アイリスがリゼルに帰郷すると決まる前。つまり、フィオナ王女殿下の即位の宣言がある前だ。

 であれば、宰相の件は関係ない。レムリアの人間でないため、いずれ家庭教師を解任されると、アイリスが悩んでたころの話だ。


(もしかして、気を利かせてくれたのでしょうか?)


 分からない――が、せっかく父親が誤解してくれているのだ。ここでそんな手紙は知らないと言うよりも、話を合わせた方が都合がいいというものである。

 そう思ったアイリスは「アルヴィン王子のお手紙にあったとおりですわ」と答えた。


 それを聞いたハワードは喜ぶような、それでいて寂しそうな、とても複雑な顔をした。


「そうか……あんなことがあって、すぐに国を出奔すると聞き、そなたの行く末をずっと心配していたのだが……まさか、本当にこんなことになるとはな」

「……お父様?」

「いや、そなたの人生だ。そなたがそれを望むのなら、わしは心から祝福しよう。それにレムリアの人間になったとて、そなたがリゼルに悪意を向けるとは思わぬからな」

「それは約束いたしますわ。レムリアの人間になったとしても、リゼルが故郷であることに、大切な家族が暮らす国であることに変わりはありませんもの」

「そうか……。ならばわしから言うことはない。好きになさい」

「ありがとうございます、お父様」


 深い感謝を込め、アイリスは静かに頭を下げた。

 そうして話が一段落したところで、ハワードが使用人にお茶の準備をさせる。ローテーブルの席に移り、向かい合って親子の語らいを兼ねた近況報告を始めた。

 ほどなく、ハワードが少しだけ言いずらそうに「ところで――」と呟いた。


「……はい、なんでしょう?」

「ジゼルのことだ。同年代の他の令嬢と比べれば大人びているとはいえ、そなたの妹として見るとまだまだ未熟と言わざるを得ない」

「お父様、わたくしと比べるのは……」

「わしは、分かっておる。だが、世間はそうはいかぬ。賢姫のそなたがレムリアに移るとなれば、両国のパワーバランスが崩れるのは必然。そのとき、誰に期待が向くかは明白だ」

「そうして勝手に期待をしておいて、応えなければ期待を裏切られたと怒るのですね」

「我らはそういう星の下に踏まれたのだ。貴族としての暮らしを享受している以上、それに付随する責任が伴うのは当然のことだ」


 それでも、ジゼルに掛かる責任は重すぎる。そう思ったのはアイリスだけではないようで、その言葉を発したハワード自身も苦々しい表情を浮かべていた。


「お父様、ジゼルが心配なら心配と、そう言えばいいではありませんか」

「な、なにを言う。そなたのことは突き放してきたわしが、ようやく自由に羽ばたこうとしているそなたに、ジゼルや国のために残ってくれ、などと言えるはずがないではないか」


 アイリスはパチクリと瞬く。

 色々な意味で、ハワードの言葉は予想外だった。


「お父様の言葉なら考慮すると、以前にお伝えしませんでしたか?」

「覚えておる。しかし、この願いはあまりに勝手だ」

「たしかに、その願いは聞き届けられません。ですが、折衷案ならございますよ。ようは、ジゼルにわたくしの代わりが務まればいいのでしょう? ジゼルが精霊の加護を手に入れたことはご存じのはずです」

「たしかに聞いた。賢姫に相応しい功績だ。だが……」


 ハワードは一度言葉を切り、物凄くなにか言いたそうな顔をした。アイリスが「なんですか、お父様」と首を傾げれば、彼は指でこめかみを揉みほぐした。


「……それは、おまえが授けたものなのだろう? 精霊の加護を他人に与えられる人間と、与えられた人間。どちらが上か考えるまでもない」

「正確には、わたくしが授けたわけではないのですが」

「他人からすれば同じことだ」

「……まあ、そうですよね」


 隠れ里にある精霊の溜まり場に行くことが重要なのだが、それを知る者は限られている。結局のところ、アイリスだけが精霊の加護を与えられる、という認識はさほど間違っていない。


「せめて、秘密裏に取り引きするべきだったな」

「難しいところですね」


 ジゼルに精霊の加護を与えたのは、姉から妹へのプレゼントという体を取っている。だが、エリオット王子との取り引きの一種、というニュアンスも含ませている。

 だからこそ、エリオット王子との取り引きはスムーズに出来たのだ。内々に処理していたら、そのメリットが消えてしまっていた。


「そうか。どちらにせよ、済んでしまったことは仕方がない。他に、なにか方法は……」

「ありますよ。というか、わたくしは移住を認めてもらう代わりに、ジゼルの地位を確立するつもりです。だから、ご安心ください」


 賢姫として、必ず成し遂げてみせると微笑む。


「……頼むから、これ以上ことを大きくしてくれるなよ?」

「なにを仰るのですか。ジゼルをわたくしに匹敵――いえ、わたくし以上の存在だと国内に知らしめるための計画ですよ。派手になるに決まってるではありませんか」

「……そうか、決まっているのか」

「はい」

「そうか……。そうかぁ……」


 諦めの境地に立ったハワードは、無言でこめかみを揉みほぐした。

 

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