エピソード 3ー3
父のハワードに報告を終えたアイリスは、久しぶりの実家で旅の疲れを落とした。そうして麗らかな朝に目覚めた直後――王城から呼び出しを受けた。
「……忙しないですね」
呟きながら、アイリスは馬車で入城した。
本来なら謁見には何日も掛かるし、当日でもしばらく待たされるのは当たり前。にもかかわらず、アイリスはそのまま謁見の間へと連れて行かれた。
やっぱり忙しないと嘆くアイリスだが、彼らが忙しないのは大体アイリスのせいである。
「アイリス・アイスフィールド公爵令嬢がいらっしゃいました」
謁見の間を護る衛兵が扉を開けて宣言する。
アイリスが中に足を踏み入れると、そこにはフレッド王、それにエリオット王子とジゼル。更にはこの国の重鎮達が勢揃いしていた。
周囲の視線が向けられる中、アイリスは赤い絨毯の上を歩く。
階の上にいるフレッド王に何処まで近付けるかはその者の身分で代わる。アイリスは賢姫としてではなく、他国の使者としての位置で足を止める。
だが――
「アイリス、もう少し近う寄るがよい」
「……はっ」
フレッド王の言葉に逆らうわけにはいかない。アイリスは更に歩みを進め、賢姫としての位置まで足を進め、その場に膝を付く。
「フレッド王、ご無沙汰しております」
「うむ。賢姫アイリスよ、よくぞ戻った。報告を頼む」
(そういえば、レムリアの視察に行く的な建前がありましたね。うやむやになっていたはずですが……わたくしをこの国の人間だと、周囲に印象づけたい、ということでしょうか)
エリオット王子から報告を受けているのなら、アイリスとの関係を少しでも強化しようとするのは当然だ。だが、この国に留まるつもりがないアイリスに、王の思惑に乗る理由はない。
だから、ここで突っぱねることも出来るのだが……と、アイリスはジゼルを見た。彼女を賢姫にするためには、それなりの舞台が必要となる。
そのための布石に利用するのは悪くない――と、微笑んだ。
「まずは建築中の町の進捗について報告いたします。レムリアとリゼルの共同開発により、町の建築は急ピッチで進められています」
アイリスの報告に、周囲からわずかに戸惑いの声が上がった。アイリスがリゼルより先にレムリアの国名を口にしたからだ。
それはつまり、この国の賢姫であるはずのアイリスが、レムリアを優先している――という意味に他ならない。フレッド王のもくろみは一瞬で崩れ去った。
そのことにフレッド王も気が付いたが、自分で報告を求めた以上は止めることも出来ない。
それを理解しているアイリスは、静かに報告を続ける。
まずは隠れ里の技術をさっそく取り入れ、性能の高いポーションの開発をしていること。それらを含め、取り引きが活発になりそうなこと。エリオット王子とレムリアが交渉し、モルタルの技術を町の壁に使うことが決まったことを報告した。
アイリスがその順番で報告したことには意味がある。
アイリスの取り込みに失敗したフレッド王は次の一手を打つしかない。そこに、『これらはエリオット王子の功績であると宣伝できますよ?』と、餌をぶら下げたのだ。
フレッド王はその餌に食い付き「どのような交渉があったのだ?」とアイリスに尋ねた。
「まずは、エリオット王子が開発なさったモルタルの件です」
アイリスの言葉を聞いた者達は、「あぁ……」と薄い反応を示す。
エリオット王子が開発したモルタルを町の壁に使おうと、自分達には関係ない――と、そんな風に考えている証拠である。
だから、アイリスはその意識を誘導する。
「両国が総力を挙げて開発中の町の壁に、エリオット王子が開発なさったモルタルが使われている。これにより、大陸中の者が、リゼル国の高い技術を知ることになるでしょう」
その言葉を聞いた者達は、さっきまでと違って歓声を上げた。
(些細な意識誘導ですが、その効果は絶大ですね)
ある他人が成果を上げ、素晴らしい評価を得た。
いまのように聞いたとしても、自分のことのように喜ぶものはいない。それどころか、他人の成功に嫉妬する人間もいるはずだ。
だが――
同胞が成果を上げ、世界的に評価された。
このように聞かされたのならどうだろう? 同じ国の人間として誇らしい。そう思う者が現れるだろう。アイリスは、そのように人々の意識を誘導したのだ。
とはいえ、その効果も万能ではない。少し落ち着けば、それほどの技術を他国の人間に教えるなんてと思う者も現れるだろう。
だからこそ、アイリスは次なる一手を口にする。
「二つ目は、その技術の提供と引き換えにある権利を手に入れました。これについては、エリオット王子自ら語っていただくのがよろしいのではないでしょうか?」
「ふむ。たしかにその通りだな」
フレッド王は早々にアイリスの取り込みを諦め、エリオット王子の功績を立てる方向に動いている。彼はすぐにアイリスの提案を受け入れ、エリオット王子へ顔を向ける。
「エリオットよ、どのような権利を手に入れたのだ?」
「はい。交易についての交渉です」
エリオット王子の言葉に、重鎮達は「隠れ里との交易については、既におおよその話が決まっていたのではありませんか?」疑問を呈した。
どうやら、その件はフレッド王を始めとした一部の者しか知らないようだ。
「隠れ里の件ではありません。交易の相手は――魔族です」
「馬鹿な、魔族だと!?」
「心配には及びません。我らの国に攻撃を仕掛けてきたのは一部の勢力のみ。魔王陛下が率いる国は、我らとの和平を望んでいるのです」
信じられないと、あちこちから否定的な声が上がる。先日、この国では魔族の影響を受けた者達が粛清されたばかりだ。それを考えればこの反応も無理はない。エリオット王子臆すことなく胸を張っているが、このままでは皆を信じさせることは難しいだろう。
そう思っていたら、エリオット王子の隣に立つジゼルがアイリスに視線を向けてきた。決して縋るような視線ではない。けれど、なにかを望む、強い意思を感じる。
アイリスが小さく頷くと、ジゼルは一歩まえに出た。
「皆さん、信じられないのは無理もありません。しかし、エリオット王子が仰っていることは事実です。わたくしはレムリア国で魔王陛下に拝謁いたしました」
「なんと、それは事実なのですか?」
重鎮の誰かが尋ね、ジゼルが力強く頷く。
「事実です。なにより魔族との交渉は、アイリスお姉様の橋渡しにより、レムリアが交渉していたことです。そうですわよね、お姉様」
ここで話を振ってくる。しかも、自分とアイリスが姉妹であることを強調している。そのしたたかさに、アイリスは小さく微笑んだ。
「妹の――ジゼルの言うとおりですわ。わたくしは先の戦いで魔王陛下の側近と接触する機会を得ました。皆さんもご存じでしょう? リゼル国に潜り込んでいた魔族を排除したことは」
それにかかわっているとほのめかせば、彼らは思い思いの表情を浮かべた。
「人間と敵対する魔族がいる。これは紛れもない事実です。ですが、考えてみてください。リゼルに暮らす人間すべてがわたくし達の味方でしょうか?」
方針や立場の違い。親族であっても敵対することは珍しくない。それはつまり、敵対しているはずの魔族であっても、味方と成り得る者がいてもおかしくはない、ということだ。
「重要なのは、魔族領を支配する魔王が、我々との和平を望んでいる、という事実です」
「しかし、アイリス様、魔族と取り引きする利点はあるのですか?」
「はい。実のところ、魔族がこの大陸を狙っているのは食糧事情によるものです。そして魔族領には、食料以外の資源が多くあります」
アイリスの答えにギラリと目を光らせたのは、内政を担当する者達だろう。いまでこそ食料生産量は多くないが、それは需要と供給のバランスによるものだ。需要が見込まれるのなら、供給を増やすことは難しくない。
それを理解すれば、魔族領は金のなる木に見えてくる。
一部の者が強い興味を抱いた。
そう判断した瞬間、アイリスはクルリと手のひらを返す。
「とはいえ、無理にリゼルがかかわる必要はありません。本来であれば、魔族との交易はレムリアが単独でおこなう予定だったのですから」
不満ならどうぞ撤退を。こちらで独占しますからとほのめかせば、さきほど表情を変えていた内政大臣が「お待ちください、アイリス様」と待ったを掛ける。
「はい、なんでしょう?」
「魔族との交易に介入する権利は、交渉でリゼル国が勝ち取った権利のはずでは?」
「……正確には、エリオット王子と交渉したに過ぎません」
介入の権利を持っているのはあなたではないと示せば、内政大臣は即座にその意図を理解し、アイリスが望んでいる言葉を口にした。
「フレッド王よ。私はエリオット王子の判断を支持いたします。この件は全力で進めるべきだと存じますが、フレッド王はいかがお考えですか?」
「うむ。そなたの言うとおりだ。魔族と仲良くなれば、魔物による被害も減らすことが出来よう。この件はそなたが補佐をし、エリオット主導の下に纏めるがよい」
「かしこまりました」
こうして、エリオット王子の判断は評価され、彼が主導の下で、魔族との交渉を進めることとなった。こうして、アイリスの謁見は終了。
詳細については、後日開催するパーティーの場で発表する――ということで纏まった。
「アイリス、そなたは残ってくれ」
「かしこまりました」
国の重鎮達が退出して行く中、アイリスはその場に留まった。驚くべきことに、エリオット王子やジゼルまでもが退室していった。
そうして他の者がすべて退室を終えると、フレッド王がおもむろに口を開く。
「アイリス、そなたは隣国に嫁ぐつもりなのか?」
「隣国へ移住する、という意味ではその通りでございます」
「……そうか。ザカリーとの婚約が破棄された以上、そなたの行動について口を出すことはせぬ。しかし、エリオットはまだ未熟。ジゼルも優秀であるが……」
アイリスの抜けた穴を埋めるには至らない、ということだろう。
「陛下のご懸念はごもっともです。しかし、ジゼルは精霊の加護を得ました」
「そのことは聞いている。そなたが授けたという事実は箝口令を敷いているが、人の口に戸は立てられぬ。いずれ周知されることとなるだろう」
「存じております。ただ、まずは陛下にお伝えしておくべきことがございます。ジゼルから、もしかしたらお聞きかもしれませんが……」
隠れ里に精霊の溜まり場があることを打ち明ける。いまはまだ開かれていないが、交易が盛んになればあるいは……と。
「それはつまり、精霊の加護を得るものが増えていく、ということか?」
「生半可な実力では得られませんし、試練には危険が伴うのも事実です。それでも、いまよりは加護持ちが増えるでしょう。隠れ里の住人には多くの加護持ちがいますから」
「……それはまた、なんというか……」
英雄の時代の再来。
「多くの者が加護を得れば、その特別性は薄れていきます。とはいえ、完全になくなるものでもなければ、すぐになくなるものでもありません。とくに、初代女王に加護を与えた精霊は、今後も特別視されることでしょう」
「……たしかにその通りだ。だが、このタイミングでそれを口にする理由はなんだ?」
状況的に、アイリスが口にする必要がない、マイナスにしかならないはずの情報。それを口にしたことで、逆になにかあるのだと悟った。
子育てで失敗したとはいえ、彼も間違いなくリゼルの王ということ。それを理解したアイリスは、ちょっぴり口の端を吊り上げて笑った。
「わたくしが持つフィストリアの加護をジゼルに継承するのです。そうすれば、誰もがジゼルこそがこの国の賢姫だと認めざるを得ないでしょう」
「そのようなことが……」
「可能です」
魔王ディアロスから送られてきた預言書――乙女ゲームの原作シナリオに書かれていたことだ。アイリスは死の間際に、ジゼルに加護を継承している。
「しかし、その……加護は精霊が認めた者に与えるのであろう? そなたが望んだからといって、加護の譲渡など出来るものなのか?」
「実のところ、フィストリアには断られました。ただ、ちょっとした事情でレアなケースを知っていまして。精霊はその気になれば、複数の相手に加護を与えることが可能なのです。そして、それならばかまわないと、フィストリアの了承を得ています」
「なるほど、ジゼルにも加護を与えていただく、ということか。しかし、それでは、ジゼルがアイリスを越えたという証明には……いや、まさか、そなたは――」
答えにたどり着いたであろうフレッド王が目を見張る。
「後日、報告を兼ねたパーティーをおこなうと仰いましたね? その席で大々的に、フィストリアの加護をジゼルに継承して、ご覧に入れましょう」
「人々の目にはそう映るように振る舞う、ということだな。そなたは……本当にとんでもないことを思い付くな。重鎮を含めて、国民すべてを騙すつもりなのか?」
「あら、心外ですわ、フレッド王。必要なのは、ジゼルが新たな賢姫に相応しいと証明して、人々の心に安寧をもたらすことではありませんか」
実際に精霊の加護を継承するかどうかは重要ではないと言い放つ。
「……そなたは、そうやってザカリーを支えてくれていたのだな」
「陛下、既に終わったことです」
蒸し返されたくないと意思を示せば、フレッド王は諦めに似た表情で頷いた。
「では、これからのことを話そう。そなたは、ジゼルを賢姫に推薦するつもりなのだな?」
「はい。それが最善ではありませんか?」
フィストリアの加護を得れば、ほぼ自動で決まると言っても過言ではない。しかし賢姫の称号を与えるのは、あくまでもこの国の人間の意思によるものだ。
フレッド王が、他の家の令嬢を賢姫に――と考えているのなら事情は変わってくる。そんな状況でジゼルにフィストリアの加護を与えるのは悪手でしかなくなる。
「アイリス、そなたがジゼルを次期賢姫に推す理由はなんだ?」
「……エリオット王子と恋仲であると聞いておりますが」
知らないことはないだろうと探りを入れれば、フレッド王は「そなたも知っておったか」と頷いた。その上で「そなたは賛成してくれるのだな」と呟いた。
アイリスとザカリー元王太子の件があったから、反対されると思ったのかもしれない。あるいは、それが理由でハワードが既に反対した可能性もある。
「わたくしはジゼルの意思を尊重いたします。陛下こそ、不満はございませんか?」
「願ってもないことだ」
「では演出いたしましょう。エリオット王子とジゼルが、この国の未来を担えるように」
賢姫アイリスと、フレッド王の悪巧みが始まった。
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