エピソード 3ー5

 シーレーン伯爵のはからいで、屋敷にある応接間を使わせてもらう。大きなテーブルを挟んで、アイリスとアルヴィン王子は魔族側の先触れ二名と向き合っていた。

 先触れの一人はエリスで、もう一人は警備隊長を名乗るロスという男だった。


 エリスは初めて出会ったときのように、薄手の衣装にマントを羽織ったような恰好。そしてロスという若い男も、やはり軽装の装備という出で立ちである。

 二人とも、引き締まった肉体を惜しげもなく晒している。


 これはアイリスが後で聞いたことだが、魔族領はこの大陸と比べるとかなり寒い。その地になれている彼らにとって、この大陸は暑すぎるようだ。

 だから、自然と薄着になるようだ。


 それはともかく、魔族と社交辞令としての挨拶を交わす。

 その際、エリスがアイリスに視線を向けた。


「アイリス様、ご無沙汰しております」

「数ヶ月ぶりですね。それにしても、今回は一体どうしたのですか?」

「どうした、とは、なにを指す言葉でしょう?」

「先触れの件です。沿岸部に魔族の軍船が現れたという報告で、王都は結構な騒ぎになったのですよ? 先に一報を入れてくれてもよかったのでは?」


 エリスがパチクリと瞬いた。


「これが先触れですが」

「いえ、そうではなく……エリス、貴方は以前、いきなり城内に現れたではありませんか」

「そして、次回からは先触れを送るようにと、貴女はおっしゃいましたよね?」


 アイリスもまたパチクリと瞬いた。掛け違っているボタンに気付いたような感覚。アイリスとエリスは同時にそれに気付き、互いに視線を泳がせた。


「エリスは……その、わたくしが先触れを出すのがマナーだと言ったから、このように軍船を一隻、先触れとして用意した、と?」

「はい。ですが、アイリス様のおっしゃっていた先触れは違ったのですね?」


 その問い掛けにアイリスは視線を泳がせる。アイリスの思い浮かべる普通の先触れが、この軍船を送るような方法であることは間違っていない。

 いないのだが……


(王城のお茶会に突然現れることが可能なんだから、使用人に一報入れるとか、そういう方法を取ると思うではありませんか。いきなり律儀すぎます)


 たとえるなら、無断で部屋に入ってくるから、次からはノックをしろという意味で礼儀をわきまえろと言ったら、いついつに尋ねますと贈り物付きの手紙が届いたような感覚。


「こちらとしては、このように大がかりな先触れは予想していませんでした。魔族と人間の文化の差異をまだ甘く見ていたのかも知れませんね」


 過去にも同じようなことがあり、気を付けているつもりでも足りていなかった。会談でも同じことが起きないようにと、アイリスは気を引き締める。

 そこに警備隊長のロスが口を開いた。


「たしかに魔族と人間では考え方が違うのだろう。だが、今回の一件については、エリスに融通が利かないのが問題だったのではないか?」

「申し訳ありません」


 エリスがロスに向かって頭を下げた。

 警備隊長はそれに対して頷き、アイリスに視線を向ける。


「王都を騒がせたことを申し訳なく思う。ついては、次回からどのように先触れを出せばよいか、ご教授願えないだろうか?」


 ロスが身を乗り出して問い掛けてくる。

 アイリスを見つめる彼の赤い瞳が好奇の色を帯び、怪しい輝きを放っている。その瞳から注がれる視線を受け止めつつ、アイリスは考えを巡らす。


「……そう、ですね。エリスの神出鬼没ぶりを考えると、城の門番に手紙を渡すような形でもかまわないとは思いますが、今後を考えると大使館を用意した方がいいかもしれませんね」

「大使館、か?」

「はい。魔族には大使館という概念はございますか?」

「魔族にもいくつかの勢力はあるからな。もちろん、大使館も存在している」


(いくつかの勢力……複数の国がある、ということでしょうか? ともあれ、いまは大使館についてですね。と言っても、わたくしが決めていいことではありませんが)


「これから両国が取り引きをするのなら、大使館を用意する価値はあると思いますが、アルヴィン王子はどうお考えですか?」


 視線を向けると、彼はなにやらぶすっとした表情を浮かべていた。


「どうかなさいましたか?」

「……いや、なんでもない。大使館だったな。場所については話し合いが必要だが、互いに大使館を置くということであれば問題はないだろう」


 アルヴィン王子がそう言ってロスに鋭い視線を向ける。並みの人間なら気圧されそうなその視線をまえにも、ロスは動じることなく笑顔を浮かべた。


「そうですか。では、ぜひ検討していただきたいところですね」

「そうだな、この件は俺が検討しよう」


 この件にアイリスは関わらせないとばかりに、アルヴィン王子はアイリスの肩を引き寄せた。隣の椅子に座っているアイリスは少しばかり体勢を崩す。


(はて? わたくしがレムリアの政治に関わることを嫌って、自分が対処するという意味でしょうか? ですが、わたくしが内政に関わるのはまえからですよね? もしかして、また大事にするのを警戒されているのでしょうか? ……ありそうな気がしますね)


 見当外れなことを考えながら、アイリスはぺいっとアルヴィン王子の腕を手で振り払った。


「アルヴィン王子、大使館のことよりも、先触れの内容を聞くのが先ではありませんか?」

「む? たしかにその通りだな。では、今回の用向きをお聞かせ願おう。交易についての話があると聞いているが、具体的にはどのような内容だろうか」


 姿勢を正してアルヴィン王子が問い掛ける。

 それに対して答えたのはエリスだった。


「まずは、先日のご支援への御礼から。迅速に食料を送っていただいたことにより、多くの魔族が死なずにすみました。魔族を代表して心より感謝いたします」


 そう微笑んだ彼女の瞳の奥には悲しみが滲んでいた。見ているだけで悲しくなるような微笑みをまえに、アイリスはその言葉に秘められたもう一つの意味に気付く。

 死なずにすんだ命がある裏側で、多くの命が餓えで亡くなっているのだろう、と。


「……支援は足りませんでしたか?」

「いえ、誤解なさらないでください。支援をいただく以前より、魔族は日常的に餓死者を出していたのです。あなた方は十分すぎるほどの支援をしてくださいました」


 日常的に餓死する人がいると聞いたアイリスは胸を痛める。だが、日常的に人が死ぬのは人間も同じだ。餓死でないだけで、魔物による被害などは日常的に発生している。

 それに、他国との話し合いに同情は禁物だ。


 前回の食糧や技術の提供についても、可哀想だからと支援した訳ではない。魔族が攻めてくるリスク回避と、将来的な交易による利益を考えて支援をおこなったのだ。

 だからアイリスは、「それなら安心いたしました」と笑って悲しみを押し殺した。


 ここで、エリスがアイリス達の同情を誘い、更なる支援を求めてくるようであれば、今後の付き合い方を考える必要がある。そう思ったアイリスだが、エリスの言葉は違っていた。


「つきましては、遅くなりましたが支援に対するお礼をお持ちしました」

「……お礼、ですか?」

「以前、人間の国で需要が高い素材のリストを送ってくださいましたね? それに基づき、食糧の支援に対するお礼として用意いたしました。後ほどお届けいたします」


 エリスはそう言って、お礼の目録を手渡してきた。アイリスがその目録に視線を落とすと、横からアルヴィン王子が覗き込んできた。

 そして二人は同時に目を見張る。


 エリスから渡された目録が事実なら、支援に送った食料や、技術支援の対価としても遜色がない。お礼と言うには多すぎるお返しだった。


「……驚きました」

「お礼と言うより、これはもはや取り引きの対価だな」


 驚く二人をエリスがじいっと見つめてくる。まるで、こちらの反応をたしかめるような仕草だ。この十分すぎる対価には、なんらかの意図があるのだろうと、アイリスは予想した。


(ですが……その意図が読めませんね。貸しを作りたくなくて無理をしただけかもしれませんが、その余裕があれば最初から支援を頼まないでしょうし……)


 考えても埒があかない。

 アイリスは正攻法で切り込むことにした。


「エリス……先日、建築中の町で人間に化けた魔族が現れました。エリスからいただいたリストにはなかった魔族です」


 人間から魔族への支援を引き出した対価の一つに、人間の国に潜む魔族のスパイリストがあった。そのリストが不完全なことと、今回のお礼に関係はあるのかと問う。

 だが、エリスは顔色一つ変えなかった。


「先日お渡ししたリストは、我々が把握している範囲でしかありません」

「では、リストにない魔族が他にもいると?」

「可能性は十分にあるかと」

「……そうですか」


 不満はあるが、十分にあり得る話ではある。アイリスだって、敵対派閥の諜報員をすべて把握できるかと問われれば、不可能だと答えざるを得ない。


「では、なぜこのようなお礼を?」

「それは、我々が人間との交易を早急に求めているからです」


 考えたのは一瞬、すぐにその言葉の意味を理解した。


「信頼の……いえ、支払い能力の証明、ですか?」


 支援は終えたが、交易はまだ始まっていない。魔族と取り引きが開始されれば、大きな利益が生み出せるであろうことは疑いの余地がない。

 だが、本当に取り引きが出来るのかという点においては疑問点が残る。魔族への信頼の低さから、ここ数ヶ月は様子見の状態が続いていた。


 ぶっちゃけてしまえば、不確かな魔族との取り引きよりも、確実な隠れ里との取り引きを優先的に進めている、というのが現状である。


 魔族との交易をおこなうつもりはあるが、最優先の案件でないのもまた事実だ。なぜなら、アイリスが釘を刺される程度には、レムリア国はやることが多すぎるから。

 だが、人間側が思っているよりも、魔族側は人間との交易を求めている。だから、自分達と取り引きをしてくれれば、決して損はさせないという証明のための返礼品。


「我々には食糧が不足しています。それは、技術支援を受けたからといってすぐに変わることではありません。ですが……」

「食料以外なら、取り引きが出来るほどにある、ということですか」


 エリスの言葉がすべてとは限らないが、交易はこちらにとっても有益な話である。

 それに――と、アイリスは目録に視線を落とす。そこには、魔導具の動力となる魔石などが含まれている。値段次第だが、交易できるほどの量があるのなら見逃せない。

 アイリスはアルヴィン王子へと視線を向けた。彼は頷き、エリスに語りかける。


「レムリア国はもとより交易に応じる予定だ。問題は、リゼルの方だな。アイリス、実家に働きかけるという話はどうなっているのだ?」


 ――と、アルヴィン王子がアイリスを見る。


「その件は了承を得ています。詳細については後ほど話し合う予定でしたのですが……仕方ありません。わたくしが後でエリオット王子と交渉いたします」

「……勝手に交渉して大丈夫なのか?」

「取り引きの許可自体はいただいていますし、魔族との取り引きが始まろうとしているいま、出遅れれば痛手を負うのはリゼル国です。王子もこちらの提案を呑むしかないでしょう」

「まさか、弱みに付け込むつもりか?」

「失礼な。相応の交渉をするだけです。こんなケースを見越して、お父様が何処まで妥協できるかは把握しています。問題はエリオット王子の方ですが……」


 エリオット王子には交渉権がない。よって、エリオット王子と取り引きを交わしても、フレッド王が条件を呑まない可能性もないとは言い切れない。

 言い切れないのだが……


「陛下が条件を呑まなかった場合は、魔族との交易はアイスフィールド公爵家が受け持つ、などの条件を組み込めば問題ないでしょう。あるいは、貸しを返してもらってもいいですね」


 貸しはたくさんありますからと笑うと、アルヴィン王子がなんとも言えない顔をする。


「おまえはそうやって、方々への貸しを増やして行くのだな」

「増やすつもりはないんですけどね。……といいますか、事態の進行が急すぎて大変です」

「おまえにもようやく周囲の苦労が分かったか」


 アイリスが事を大きくするたびに、周囲がいまのような負担を強いられている。そう指摘されたアイリスは、「今度から気を付けます」とさすがに反省した。


「あの、なんの話でしょうか?」


 エリスが首を傾げた。


「いま、この地にリゼルの王族が滞在しています。そちらも、魔族との交易を希望していますので、よろしければ会談に参加させてください」

「それは、願ってもないことですが……」


 レムリアがリゼルを介入させる意図が分からないと顔に書いてある。


「わたくしはレムリアに滞在していますが、リゼルの人間です」

「だから、リゼルに肩入れすると?」

「否定はしません。ただ、この大陸の平和は、両国のパワーバランスの上に成り立っているので、あまりどちらかに傾くのは望ましくないと、わたくしは考えているので」


 かつて、小国の集まりだったこの大陸では争いが絶えなかった。それが、魔族という共通の敵が現れたことで纏まったのだ。共通の敵がなくなる以上、リゼルとレムリアのパワーバランスが崩れるのは将来的に好ましくないとアイリスは考えていた。


「そうですか。人間の事情は分かりませんが、こちらとしては悪くない提案です。ぜひ、話し合いは三国を交えてすることにいたしましょう」

 

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