エピソード 2ー10 乙女扱いしてもらえたようです
「……ずいぶんといい趣味をしているな」
「あら、かよわい賢姫には相応しい戦い方だと思いませんか?」
城の建物と建物を繋ぐ渡り廊下。
その屋根の上に降り立った公爵令嬢18歳。プラチナブロンドとドレスの裾を風になびかせるアイリスは、魔法陣から放電現象を発生させて妖しく微笑んでいる。
賢姫というより悪役令嬢そのものである。
「さぁ、行きますよ」
アイリスが魔法陣に更なる魔力を注ぎ込んだ。魔法陣の表面を覆っていた紅い魔力がバチバチ弾け、それが稲妻となってアルヴィン王子へと襲いかかる。
「――くっ」
王子は殺さずの剣でその稲妻を切り裂いた。相変わらずの化け物じみた技量だが、アイリスの構築した魔法陣は、アイリスが魔力を注ぐたびに稲妻を放つ。
「ふふっ。どうしました? 防いでばかりでは勝てませんよ?」
「ちぃ、やはり連射も出来るのか!」
屋根の上。アイリスが手のひらの前に展開した魔法陣は嵐の夜のように荒れ狂い、二筋、三筋と、稲妻がアルヴィン王子に牙を剥く。
右へ左へ、ときに剣を振るって稲妻を斬り裂く。アルヴィン王子は善戦しているが、アイリスは次々に稲妻を降らしていく。その姿は実に楽しげだ。
「アイリス嬢、お止めください!」
アルヴィン王子の護衛達が慌てて制止の声を上げる。だがアイリスが不利だったときに止めようとしなかった彼らの言葉を聞く義理はない。
「アルヴィン王子のご要望です。止めたいのなら、わたくしではなくそちらの脳筋王子をお止めください。むろん、その場合は王子の敗北とみなしますが――」
「おまえ達、手出しも口出しも無用だ!」
アイリスの言葉を遮ったアルヴィン王子が護衛に命令する。よほどアイリスとの手合わせを楽しみにしているのだろう。その言葉には水を差されたことへの苛立ちが感じられる。
「しかし、アルヴィン王子っ!」
「俺は邪魔をするなと言っているのだ。それに心配ない。あれは悪者ぶっているが、ちゃんと威力を押さえている。もし当たったとしても、俺が死ぬようなことにはならん、心配するな」
(さすがによく見ていますね)
アイリスの使用している魔術はいわゆる捕獲用だ。命中するとしばらく痺れて動けなくなるが、よほどのことがなければ命に別状はない。
「……かしこまりました」
なにか言いたげな護衛達は、けれどアルヴィン王子の命令を優先して引き下がった。
ちなみに、メイド達は止めるでもなく、むしろさきほどよりも黄色い声を上げている。半分くらいの視線がアイリスに向けられているのは、まぁ……そういうことだ。
「待たせたな、再開だ」
「護衛の進言を聞いて止めておいた方が良かったのではありませんか? そうすれば、敗北の言い訳になりましたのに」
「ほざけっ」
飛来する影。一つは結界で弾き飛ばし、もう一つはその柄を素手で掴み取った。アルヴィン王子の投擲したそれは短剣だった。
「……どうして王子が暗器なんて隠し持っているんですか」
「おまえのために用意した殺さずの短剣だ」
「色気のないプレゼントですねぇ」
「受け取っておいてなにを言う。それとも、夜会用のドレスでもプレゼントしようか?」
返答の代わりに、掴み取った短剣を投げ返す。
それは狙い違わずアルヴィン王子の胸へと吸い込まれるが、それが届く寸前、アルヴィン王子の振るった剣によって叩き落とされた。
その隙を狙って三本、同時に稲妻を放ったのだが、そちらは器用に躱された。
「……いまのを凌ぎますか、厄介な」
屋根の上にいる限り敗北はないが、殺傷力が低い魔術では決定力に欠けてしまう。かといって、殺傷力の高い魔術を使うと、それはもはや殺し合いだ。
なりふり構わずに倒したとしても、アイリスの願いは叶えられないだろう。
「……仕方ありませんね」
アイリスは小さく息を吐いてトンと屋根を蹴った。
二階建て渡り廊下の屋根の上。実質三階から虚空に身を躍らせたアイリスは着地の寸前で魔術を発動、風を纏ってふわりと降り立った。
「……どういうつもりだ? 屋根の上にいればおまえの負けはなかったはずだ」
「ですが埒があきません。引き分けではわたくしの望みも叶いませんし……ですから、わたくしに殺さずの剣を貸してください」
剣で決着を付けようということ。その意図を汲み取ったアルヴィン王子が護衛の一人に殺さずの剣を用意させる。それを受け取ったアイリスは剣を下段に構えた。
「……ほう、やはり戦い慣れているな」
アルヴィン王子はアイリスの構えをそう評価する。
下段の構えは攻撃に向かない。それどころか、防御に向いているとも言い難い。決して対応力の高くない構え――だが、重い剣を持ち続けるのには向いている。
抜刀に隙の多い長剣においては、警戒中に好まれる構えである。アイリスがその構えを取ったのは、技量に自信があり、なおかつ筋力の低さを自覚しているからに他ならない。
「わたくしは見ての通りかよわい乙女ですから」
「美しい女であることは認めてやろう。だが――」
アルヴィン王子が一足で距離を詰めて斬り掛かってきた。アイリスは跳ね上げた剣でその一撃を危なげなく受け止める。
その直ぐ目の前、剣を押しつけるアルヴィン王子がニヤリと笑った。
「俺の一撃を易々と受け止めるかよわい乙女がいてたまるか」
「あら、ここにいるではありませんか」
「ぬかせっ」
剣を押し込み、そのままクルリと身体を捻って回転斬りを放つ。
背中を向けた瞬間は無防備だが、回転の仕方が上手い。アイリスの体勢を崩した一瞬でクルリと回っていて隙を上手く消している。
反撃を諦めたアイリスは、遠心力の加わった重い一撃を辛うじて受け止めた。
その重さに思わず顔をしかめる。
「くくっ、訂正してやろう。たしかにおまえはかよわい乙女のようだ」
「ぐぬっ、あなたに言われるとなんだか無性に否定したくなりますね!」
全身を使ってアルヴィン王子の剣を押し返し、その反動を使って飛び下がる。その一瞬に出来たスペースで剣を振るう引き打ち。
フィオナが使ったのと同じその一撃は、けれど易々と弾き返された。
「どうした、その程度か?」
「まだまだ、これからです!」
重い剣に振り回されないように、アイリスはコンパクトな攻撃を繰り出していく。だが、アルヴィン王子はそのことごとくを受け止める。
アイリスが攻撃を仕掛ければアルヴィン王子は弾き返し、アルヴィン王子が反撃を仕掛ければアイリスはその攻撃をいなしていく。
小気味良い金属音がリズミカルに響き渡るが、それに比例してアイリスの手は痺れていく。
ふわりと舞うアイリスの髪が木漏れ日を浴びて煌めき、王子の瞳は爛々と輝いている。その鋭くも美しい光景に、護衛ばかりか通りがかった使用人達までもが目を奪われる。
二人の技量は拮抗していて、永遠に続くかに思われた。けれど、徐々にアイリスの動きが鈍っており、その透けるように白い肌には汗が浮かんでいる。
「そろそろ決着を付けるとしよう」
アルヴィン王子が腰だめに剣を構えた。下段の構えとは異なり、そこから放つ一撃に特化した構えで、放たれる一撃は神速で重い。
アルヴィン王子の決め技の一つである。
「……良いでしょう」
対するアイリスは上段に剣を構えた。いまのアイリスにその構えは長く続けられないし、一度振り下ろしたら二の太刀は致命的に遅くなる。
この一撃で決める――と、そこに込められた意思は明白だ。
「いくぞっ!」
おもむろにアルヴィン王子が一歩を踏み込んだ。
それと同時にアイリスの踏み込み、二人は同時に剣を振るう。否、アイリスの方がわずかに速い。アルヴィン王子の動き始めを読んで、その一瞬前に動いたのだ。
アイリスの一撃が、横薙ぎに振るわれたアルヴィン王子の剣を捉えた。
――刹那、弾かれたのはアイリスの剣だった。アイリスの剣は手を離れて空を舞い、アルヴィン王子の剣は勢いを落としながらもアイリスに迫る。
アイリスはとっさに身体を捻りながら魔術で結界を張る。
リィンと甲高い音が鳴ったのは一瞬、結界は粉々に砕け散った。ガラスのように飛び散る結界の破片の間を縫うように剣が迫り来る――が、その一撃は大きく勢いを落としている。
それを見て取ったアイリスは剣から逃れるために背後に倒れ込んだ。
――その瞬間、アイリスは小さく笑った。
アイリスは剣を失い、圧倒的に不利な状況に陥った――と見える。だがそれは剣士同士の戦いだったらの話であり、魔術師であるアイリスにとって失った剣は武器の一つでしかない。
ゆえに、アイリスは不利になっていない。
上段に構えたのは、この一撃が全てだと思わせるための布石だった。そうしてアルヴィン王子の油断を誘い、直接触れて電撃を叩き込む。
そのシミュレーションを終えると同時に剣が胸元を通り過ぎ――
「――なっ!?」
驚きの声を零したのはアイリスの方だった。
アイリスを掠めた剣はそのまま何処かへと飛んでいった。アルヴィン王子が剣を手放したからだと気付いたとき、彼はアイリスの懐に入り込んでいた。
身を起こして魔術を展開しようとするが、それより早く王子に肩を押された。
たたらを踏んで後退しようとする。
そのふくらはぎを刈り取るように、アルヴィン王子の足が差し入れられた。
仰け反りながらも、足を刈られて下がることが出来ない。アイリスは為す術もなく背後に倒れ込み――背中に回されたアルヴィン王子の腕に抱き留められた。
アルヴィン王子がアイリスをどうとでも出来る状況――だが同時に、アイリスもまた魔法陣を展開した手のひらをアルヴィン王子の胸に添えている。
「……引き分けか」
「王子が余裕ぶってわたくしを抱き寄せたりしなければ勝っていたかもしれませんよ?」
「そういうお前も、俺に怪我をさせることを嫌っただろう」
事もなげに言ってのける。
アルヴィン王子はアイリスがなぜ屋根から下りたのか気が付いているようだ。
「こうしていると、ダンスを踊ったときを思い出すな」
アルヴィン王子はアイリスの頬に汗で張り付いた髪を払いのける。中庭の一角で抱き合う二人の姿にメイド達から黄色い声が上がるが、当のアイリスは半眼になった。
「……あまりベタベタしないでくださいませんか?」
「おまえの汗はサラサラのようだが」
「そんな話はしてないよっ!」
裏拳を放って、アルヴィン王子が回避した隙に腕の中から抜け出す。そうして距離を取って「ふしゃーっ」とばかりに警戒すると、おまえは野生の獣かと呆れられた。
だが、魔術が発動できるように手のひらを突き出すと、アルヴィン王子が眉をひそめた。
「アイリス、それは……」
「近付かないでください、撃ちますよ」
威嚇するが、アルヴィン王子は無防備に詰め寄ってきた。反撃を躊躇っているうちに距離を詰めたアルヴィン王子に手を握られる。
「……なにをするんですか?」
「なにを、じゃない。手のひらの皮が剥けているじゃないか」
「あぁ……これですか。普段は剣なんて握りませんからね」
剣を握らない者の技量ではない。そんな矛盾に気付かなかったはずはないのだが、アルヴィン王子はただ「すぐに治療させよう」と治癒魔術師を呼びつける。
「いえ、わたくしが餌に釣られただけですから、王子の気にすることではありません。それに、この程度の傷なら自分で癒やせます」
「それでも、だ。それと……レベッカが子供達と内密に会えるようにしてやる。そうだな、ひとまずは週に一度くらいだ」
「……アルヴィン王子?」
「おまえに無茶をさせた詫びだ。……すまなかった」
アイリスの手当を使用人に命じて立ち去っていく。それを見送るアイリスは、王子の背中に後悔の色が滲んでいるのを見つけてふっと笑みを零した。
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