エピソード 1ー2

 レガリア公爵家の当主は、罪が確定するまで幽閉されることとなった。同時に、レガリア公爵家の一族も、騒動が収まるまでは監視付きで軟禁されることが決まった。

 リリエラもそのうちの一人である。


 もっとも、リリエラが父を見限ったのはレガリア公爵家を守るためでもある。自分やそのまわりの人間を護るための取り引きをしているため、騒動が落ち着けば解放されるだろう。

 ――という話を、アイリスはダグラスが連行された後の会議室で聞かされた。


 ちなみに、グラニス王は次の行動を開始するために移動済み。

 この場に残っているのは、事情の説明を買って出たアルヴィン王子と、事情を知らないアイリスとフィオナの三人である。

 という訳で、アルヴィン王子がアイリス達にことの顛末を話す。


「……要するに、アルヴィン王子はリリエラから話を聞いていたのですね、最初から」

「色々と取り引きを持ちかけられてな」

「そうですか」


 巻き戻る前でもそうだったのだろうなぁと、アイリスは考えを巡らせた。


「なんだ、妬いているのか?」

「ぶっとばしますよ?」

「今度は照れ隠しか」

「そんな気持ちはこれっぽっちもないよっ」


 条件反射で言い返し、それから小さな溜め息を吐く。


「事情は分かりましたが、このように回りくどいことをする必要があったのですか? 情報統制も完全ではなかったのでしょう?」


 ダグラスには、アイリスとフィオナが亡くなったと思い込ませていた。実際にはそのような事実はなかったのだが、ダグラスが自分の味方達にここだけの話として打ち明けている。

 結果、アイリスとフィオナが亡くなったが、その情報は伏せられているようだ――という噂が、まことしとやかに囁かれる結果となった。


 この後、二人は人前に顔を出し、長旅で疲れて休養を取っていただけだと公表する予定だが、既にダグラスの賛同者以外にも動揺が広がっている。

 もう少し他にやりようがあったのではないかと、アイリスが思うのも当然である。


「おまえの懸念はもっともだが、ダグラスの持つ名簿が必要だったのだ」

「あぁ……あれですか」


 ダグラスが、わざわざ持ち込んでくれたリストである。ダグラスの考えに賛同した――つまりは、王家に反旗を翻した者達の名前が載っている。


 実際のところ、その名簿に載る者達の中に、ダグラスの悪事を知っていた者はいない。ただ、王女が失われた状況下で、王族に手のひらを返し、ダグラスに味方しただけの者達だ。

 けれど――だ。


 言い換えればそれは、旗色が少し悪くなれば王族に反旗を翻す可能性がある、信用できない者達のリストと言える。王族の権力が失われていないいまの状況、そんな証拠を王族に押さえられたらどうなるか、それは説明するまでもない。

 彼らはこれから国に尽くし、自分達に叛意がないことを証明し続ける運命だ。


「さすがアルヴィン王子、お人が悪いですね」

「……それは褒めているのか?」

「もちろん、悪辣ぶりを褒めています」


 にこりと笑うアイリスを前に、アルヴィン王子はなんとも言えない顔をした。


「……アルヴィンお兄様は悪辣なの?」


 フィオナが小首をかしげる。

 まだ十五歳の彼女に、大人の汚い世界は理解できないのだろう。とはいえ、次期女王としてはそろそろ理解しなくてはいけない歳でもある。


「フィオナ王女殿下、アルヴィン王子は驚くほど悪辣ですよ」

「おいっ、アイリス――」

「ですが、その悪辣さはフィオナ王女殿下を、そして民を護るために必要な力です。彼は、率先して汚れ仕事を引き受けてくれているのですよ」


 アイリスが当然のように続けた。


「そう、なんだ?」

「まぁ……その、なんだ。フィオナが気にすることはない」


 フィオナに問われたアルヴィン王子が珍しく言い淀む。少しばつが悪そうな顔をしている辺り、フィオナのために汚れ役を買っていることは知られたくない事実のようだ。

 それに気付いたアイリスがこっそりと微笑んだ。


(お兄様はわたくしがフィオナを好きすぎると言いますが、お兄様も大概ですよね)


 巻き戻る前、アルヴィン王子がフィオナを追放したのは、野心的な理由ではなかった。そのことについて、今更疑うアイリスではない。

 だが同時に、大切にしているからこそ、遠ざける可能性は残っている。フィオナが追放される未来が完全に消えた訳ではないと思っている。


 それを避けるためにも、フィオナには海千山千の貴族達を相手取る手管を学ばせる必要がある。女王としてやっていけないと判断される訳にはいかない。


(あまり、大人の汚い世界を教えたくはないんですけどね……)


 アイリスがフィオナに教えるのは主に座学。干ばつの危機ですら、未来を知るというアドバンテージをいかして、綺麗事ともいえる解決策を与えたのは、そういう思惑があったからだ。


「アイリス、聞いているのか?」


 アルヴィン王子に呼びかけられて我に返る。即座に、無意識下で聞いていたアルヴィン王子の言葉を反芻して、その問いに対する答えに思いを巡らせた。

 彼の質問は、この一連の事件に魔族がかかわっていると思うか、である。


「あくまで憶測になりますが、それでよろしいですか?」

「かまわぬ。おまえの意見が聞きたい」

「……そうですね。いくらなんでも、レムリア国はきな臭いことが多すぎます。魔族がかかわっていてもおかしくはないでしょうね」

「だが、魔族の狙いはアイリス、おまえではなかったのか?」

「魔族も一枚岩ではないようです。先日の魔族の話を信じるならば、この大陸を得たいと思う一派がいるようですので、リゼルやレムリアの弱体化を画策するのは自然な流れかと」


 巻き戻る前と後、剣姫や賢姫の排除、それに国王の暗殺計画、両国の関係を悪化させるような事件が立て続けに起こっている。

 アイリスの行動で歴史が大きく変わっているにもかかわらず、だ。誰かの強い意志――大陸を奪おうとしている魔族の意思が働いていると考えれば辻褄はあう。


「……なるほど。しかし、それが事実なら、この国に魔族が入り込んでいることになるな」

「先日の魔族、エリスはいかにもな翼がありましたが、外見的特徴に人間との差異が少ない魔族がいたり、変装が可能なのかもしれません。あるいは……」

「思想を歪められた人間が、魔族の手駒になっているか、だな」


 魔族が――と考えると信じがたいが、スパイ自体は珍しくもない。アイリスがリゼルにいた頃は、他の派閥はもちろん、レムリアの動向を探る情報提供者も抱えていた。

 その気になれば、争乱を起こすことも可能だろう。

 アイリスに出来ることが、魔族に出来ないと切って捨てるのは早計である。


「……厄介だが、調べるしかないな」

「そうですね。とはいえ、わたくしがこの国の貴族を嗅ぎ回ることは不要な軋轢を産むでしょう。父にそれとなく伺ってみますが、この国の捜査はお願いしますね?」

「そうだな、分かっている。おまえには隠れ里でのあれこれを報告してもらおう」

「承りました」


 ひとまずの役割分担。

 こうして、水面下で色々と動くことになる。

 ちなみに、フィオナはその話し合いをずっと聞いていた。

 こういった話し合いの場にはあまり参加しようとしなかったフィオナが、最後まで大人しく同席していることが少しだけ印象的だった。



 それから数日、アイリスは王城の中庭でのんびりとティータイムに興じていた。

 国王はもちろん、アルヴィン王子やフィオナも、ダグラスの一件の事後処理に走り回っていたため、他国の人間であり、フィオナの教育係であるアイリスは暇だったのである。


 そんな訳で、実家に手紙を送ったり、薬草園の準備をしたり、多少の作業はおこなっていたが、基本的にはやることがない。紅茶を片手に暇を持て余していた。


「……退屈ですね」


 侯爵令嬢として育ったアイリスは、当然ながらお茶会を嗜むような教養があるし、優雅に暮らす日々にも慣れているのだが――これまで精力的に活動していたせいだろう。ただゆったりとした時間を過ごすことに苦痛を覚え始めていた。

 だが――


「そんなおまえにさっそく仕事だ」


 唐突に姿を現した、アルヴィン王子の言葉に溜め息を吐く。隣の芝生は青いと言うかなんと言うか、もう少しゆっくりとしていたかったとアイリスは手のひらを返して嘆く。


「どのようなお仕事ですか?」

「グラニス王への報告だ。例の一件で後回しになっていただろう?」

「かしこまりました。いつごろ向かえばよろしいですか?」

「準備出来次第すぐだ」

「……はい?」

「いまから用意しろ。陛下が謁見の間でお待ちだ」

「そ、それを先に言ってくださいっ」


 アイリスはガタリと立ち上がり、ネイトやイヴに指示を出した。

 レムリア国の人間は基本的に脳筋である。だから、リゼルの貴族なら三日後と言われるような用件でも、比較的早く事が運ぶことは珍しくない。

 だが、それでも――


(いますぐって、いくらなんでも急すぎですよ、お爺様っ)


 アイリスは頭を抱えるが、同時に呼び出しに即座に応じる程度の備えはしている。驚くべきほど短時間で謁見の準備を済ませたアイリスは、すぐさま謁見の間へと向かう。

 その隣にはアルヴィン王子が並び立ち、二人の使用人達は少し後ろから着いてくる。謁見の間の入り口で使用人は待機して、アルヴィン王子と二人で入室する。


 アルヴィン・レムリアと、アイリス・アイスフィールドの名が呼ばれる。以前のアイリスは隣国の訳あり令嬢として家名が伏せられていたのだが、いつの間にか公表されている。

 もっとも、あれだけ色々と騒ぎを起こしたのだから今更とも言える。


 そんなことを考えながら謁見の間を進み、隣国の客人として許される距離で足を止めた。本来であれば、更に接近することを許されているアルヴィン王子も同じ場所で足を止める。

 今回はアイリスの同行者としてここにいる、ということなのだろう。そんなことを考えながら跪くと、ほどなく面を上げよというグラニス王の声が響いた。アイリスはその言葉に従い顔を上げ、直答を許すという言葉に従って外交辞令を口にした。


「よい。そなたはわしの命の恩人だ。そのようにかしこまる必要はないぞ」

「もったいないお言葉ですわ、グラニス王」


 いくらグラニス王が許したとしても、ここは謁見の間である。この場に集まっているのは王を支える重鎮達。そんな彼らの前で王に馴れ馴れしくすれば周囲から礼儀作法を疑われる。

 だから、アイリスは態度はそのままに、親しげな笑みを浮かべることで応じて見せたのだ。


 無論、その仕草だけでも不遜だと顔をしかめる者達はいる。だが、グラニス王の言葉が偽りなき本心だと知る者は、アイリスのそつのない対応に感心する素振りを見せた。


 この時点で彼らに共通するのは、アイリスを見極めようとしていることだ。だが、彼らがそんなことを考えていられたのは、アイリスが隠れ里でのあれこれを報告するまでであった。


 英雄の子孫が暮らす隠れ里の存在。それが明るみに出ただけでも国を揺るがす大事件である。なぜなら、英雄とはすなわち、建国の女王と同格の存在だから。


 一般的に語られるのは、剣姫と賢姫が兵を率いて魔族を撃退。その功績により、二人がそれぞれレムリアとリゼルという国を興したという歴史である。


 だが実際には、二人の他にも英雄がいた。精霊の加護を受けた者もそうだが、そうではない者の中にも、英雄と呼ばれるような活躍をした者はいる。

 考えてみれば当然のことではあるが、衝撃的な事実であることには変わりない。ましてや、英雄の一人がエルフで、いまもなお生きていると聞かされたのだ。


 建国の女王と同格の存在。ましてや、隠れ里の技術力はレムリア以上だという。相手の思惑いかんによっては、国の存続を脅かす存在にすらなり得るだろう。


 報告を受けた者達がそんな風に警戒する。

 その直後、アイリスは里との交易を取り付けたと言い放った。


 言うまでもないことではあるが、とんでもない衝撃である。

 彼らは、いますぐアイリスを質問攻めにしたい衝動に駆られるが、ここは謁見の間であり、いまはグラニス王とアイリスの会談中である。

 そこに割って入ると言うことは、グラニス王の邪魔をするということに他ならない。ゆえに、重鎮達は葛藤を抱きながら、アイリスの言葉に耳を傾け続けた。


「――という訳で、隠れ里はレムリア、リゼルの両国と交易をすることになります」


 アイリスの報告が終われば、そこかしこからざわめきが上がる。

 英雄やその子孫が暮らす隠れ里。扱いが難しい里ではあるが、レムリアよりも優れた技術や知識を持っている里との交易は非常に魅力的だ。


 だが、アイリスはリゼル国の人間である。

 ひとまず、リゼルとだけ交易をするという話でなかったことに安堵するが、下手をすればリゼルだけが有利な条件で交易がおこなわれる可能性も否定できない。


 そんな不安が上がった訳だが、グラニス王は事前にアルヴィン王子から報告を受けているためにいまは動揺する理由はない。

 ……最初に報告を受けたときは大いに動揺したが。

 ともかく、グラニス王は重鎮達を納得させるために、あえて重鎮の一人に意見を求めた。使命を受けた男が、アイリスに向かって質問を投げかける。


「アイリス嬢、交易をするとのことですが、魔の森には危険な魔物も多く生息するのでしょう? なにより、里を隠すための結界が存在するとのことですが、どうするつもりですか?」

「森の外までは、隠れ里の住人達に対応していただくのが一番だと思っています」

「隠れ里の住人、ですか?」

「はい。魔の森の付近に町を造り、森から町までの交易ルートは隠れ里の者達に構築していただく予定です。問題は、どこに町を造るか、ということですが――」


 その瞬間、重鎮達に緊張が走った。どこに町を造るか、誰が町を造るかによって、両国の力関係が大きく傾く可能性に気が付いたからだ。


「――両国と取り引きをするのですから、緩衝地帯にするのが一番だと思っています」

「……なるほど。両国と取り引きをするのであれば、そこしか場所はないでしょう。ですが、その町を造るのが誰かと言うことについては考えておられますか?」


 両国と隠れ里、それらを繋ぐ町。交易の中心地となるその町を統治する意味はとんでもなく大きい。その町を、リゼル主導で作らせる訳にはいかない。

 質問を投げ掛けた重鎮の言葉には、そんな思惑が滲んでいる。


「分かっています。その町をリゼルに造らせて欲しいと提案しても受け入れてはもらえないでしょう。ですが、レムリアに任せることは、リゼル国が受け入れません」

「おっしゃるとおりですね。その点、貴女はどうお考えなのですか?」

「わたくしは、緩衝地帯に国境を見立て、国境にくっつく東西の町を造ることを提案します」

「国境沿いに、東西に別れた町、ですか?」

「ええ。一つの町を造ることになれば揉めるのは必至ですが、完全に独立した二つの町を造るのは無駄が多すぎます。ですから、二つの町を限りなく一つの町として機能させます」


 ちなみに、歴史的に見てもそれほど珍しいことではない。

 この大陸は元々、小さな国が集まっていたため、国境の壁に張り付くように両国の町が発展することもあれば、町の中にある先を跨げば隣国、なんてことも珍しくなかった。それら小国を纏め上げたのがリゼルとレムリアなので、いまでもその名残は各地に存在している。


 前例が無数にあるため、そういった町を造るということには重鎮達の忌避感も少ない。質問者はもちろん、話を聞いていた重鎮達にも納得の色が滲む。


 とはいえ、交渉次第では、自分達の有利にことを運ぶ方法はいくらでもある。だが、アイリスは、それら細々とした交渉をする立場にはない。

 ゆえにここを潮時として、アイリスは一歩引いた提案をする。


「その点について、レムリアとリゼルで話し合いが必要だと考えています」

「……なるほど、たしかにそれはもっともですね」


 アイリスがあまりに堂々と振る舞っているので忘れがちだが、アイリスはフィオナの教育係であり、隣国からの客人。本来はなにかを交渉する立場にはない。


 ここでの話し合いはあくまで個人的な提案。正式な交渉は両国の代表で――というアイリスの言葉を聞き、重鎮達は今更ながらにそのことを思いだした。


「以上を踏まえて、グラニス王にお願いがございます。今回の一件の橋渡しを兼ねて、わたくしに一度、リゼル国へ帰還する許可をいただけませんか?」


 その問いに、隣でかしこまっていたアルヴィン王子がピクリと身を震わせた。

 さきほどまでの会話はすべて事前に示し合わせたとおり――だが、いまのアイリスの提案は、事前におこなわれたアルヴィン王子との話し合いではなかったものである。

 そもそも、アルヴィン王子はリゼルの者を呼びつければいいと言っていた。


(後で文句の一つくらいは言われるでしょうけど……)


 交易や薬草の共同開発だけなら、それでもよかった。だが、両国の中枢に魔族が食い込んでいる可能性があるため、父であるアイスフィールド公爵に会う必要が生じた。

 それをほのめかし、許可いただけますかと確認をする。

 グラニス王はふむと考える素振りを見せ、それから静かに口を開いた。


「わしに、隣国の賢姫であるそなたの帰還を止める権利はない。ただ、願わくば、再びこの地に戻ってきて欲しいと思っているのだが……」

「その点については問題ありません。わたくしはいまも、そしてこれからもフィオナ王女殿下の家庭教師ですから。あちらで用事を終えれば、すぐに戻ってまいります」

「分かった。では、気を付けていってまいれ」


 こうして、アイリスはリゼル国に帰還することになった。

 ――その直後、アルヴィン王子とフィオナから連名でお茶会に招待された。

 

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