エピソード 3ー4
フレッド王との悪巧みを終えたアイリスは、翌朝になってジゼルを呼び出した。部屋を訪ねてきたジゼルは、何処か疲れた顔をしている。
「酷い顔ですね。昨日は眠れなかったのですか?」
ジゼルの前に立ち、その顔を覗き込んだ。目の下にうっすらとクマが浮かんでいる。
「昨夜はお父様からこんこんとお叱りを受け、直後にフレッド王から親書が届きました。お姉様、またなんだかとんでもないことを考えたそうですね?」
「貴方には少し話してあったでしょう?」
「聞きました。聞いていましたけど、まさか、あんな……」
周囲の耳を気にしてのことだろう。ジゼルは精霊の加護の共有という言葉を濁した。そうして声を一段ひそめ「本当に可能なのですか?」と問い掛けてくる。
「その件ですが、実は条件があります」
「えっ!?」
フレッド王には、共有は可能だと伝えてある。だからジゼルもそう聞いていたのだろう。アイリスの言葉にピシリと硬直した。
「お、お姉様、それはどういう……?」
「精霊が加護を与えるのは本来、実力を認めた相手だけ、ということです」
フィストリア曰く、本来であれば、ジゼルに加護を与えた精霊の許可も必要になるらしい。だが、フィストリアの方が上位のため、今回に限ってその必要はない。
だがそれと、フィストリアがジゼルに加護を与えるかどうかは別問題なのだ。
「隠れ里で受けたような試練を受けろ、ということですか?」
「貴女がどのような試練を受けたかは知りませんが、おそらくそう違いはありません。ジゼル、貴女にはわたくしと戦い、その実力を証明していただきます」
「……お、お姉様とですか?」
ジゼルがびくりと身を震わせた。そうして自分の胸の前で両手を合わせる仕草は、アイリスに対して怯えている――と表現しても不自然じゃない。
「……ジゼル、加護を得るときに、なにかありましたか?」
「精霊に話しかけられました。……お姉様に加護を与えたという……精霊達です」
「……そうですか」
アイリスが複数の加護を持っていると言うことを知ってしまったということだ。歴史的に見れば、決して類を見ないパターンではないが、ジゼルにはショックが大きかったのだろう。
「ジゼル、貴女が尻込みする理由は理解しました。たしかに、いまの貴女では、複数の加護を持つわたくしに遠く届かないでしょう。ですが、それがなんだというのです? 貴女はエリオット王子の側に立つために努力すると誓ったのではありませんか?」
「それ、は……」
唇をきゅっと噛む。自信を喪失してもなお、エリオット王子の側にありたいという気概はジゼルの心から消えていない。それならば大丈夫だと、アイリスは妹の前に膝を付いた。
そうして、下を向くジゼルの顔を見上げる。
「ジゼル、なにもわたくしに勝てと言っている訳ではありませんよ。わたくしを相手に、実力を証明すればいいのです」
「ですが、それでは周囲を納得させられないのではありませんか?」
「貴女はまだ未熟です。ですが同時に幼くもある。これから少しずつ成長していけばいい。その時間を稼ぐための精霊の加護なのだから」
「わたくしもいつか、お姉様のようになれるでしょうか?」
「それは貴女次第です。ですが、八年前のわたくしは、いまの貴女より未熟でしたよ?」
幼少期のアイリスを知る者がこの場にいたら、そっと目をそらしたかもしれない。
けれど、八年前のアイリスと、いまのジゼルにそれほどの実力差はない。アイリスの実力が突出したのはひとえに、前世の記憶を取り戻したからだ。
「……ジゼル。わたくしと比べられるのが辛ければ逃げてもかまいません。必要なら、わたくしが賢姫の代役を用意してみせましょう」
アイリスの言葉にジゼルはびくりと身を震わせた。
それを見たアイリスは微笑む。
「エリオット王子の側を離れたくないのですね?」
別の賢姫が現れれば、エリオット王子はその娘と結婚することになる。もちろん年回りなどにも寄るが、アイリスが賢姫を用意する――というのはそういうことだ。
それが嫌だというのなら、辛くてもアイリスに比べられる道を進むしかない。
(幼いジゼルには酷な選択ですが……)
胸を痛めつつも、妹の決断を見守る。
ジゼルは長い沈黙の末、ゆっくりと顔を上げた。
「アイリスお姉様の試練を受けさせてください」
「覚悟は決まったようですね。では、試験は明日の早朝、中庭でいたします」
「明日、ですか?」
「ええ、今日は疲れているのでしょう? 明日の早朝。満を持して、賢姫に相応しい力を、わたくしとフィストリアに見せてくれることを期待しています」
そう言うなり、アイリスはソファの肘おきにもたれ掛かり、だらしない恰好で本を読み始めた。それを見たジゼルがなにか言いたげな顔をする。
「……まだなにか?」
「いいえ、失礼いたします。お姉様」
ジゼルはそう言って退出していった。
それを見届けた後、部屋に待機していたイヴが「アイリス様、いきなりどうしちゃったんですか?」とジゼルが聞けなかったことを尋ねた。
「これはだらけているフリよ。ジゼルにあることを気付かせるためのヒントみたいなものね」
「……そのジゼル様は既に退出なさいましたが」
いつまでそんな恰好をしているんですか、はしたない――とでも聞こえてきそうな沈黙。アイリスはそっと視線を逸らし、ぽつりと呟いた。
「思いのほか、この姿勢が楽なことに気付いてしまったの」
強行軍の旅を重ねれば疲労がたまるのは当然だ。賢姫としての立ち居振る舞いを保ち続けていたアイリスも、さすがに限界が近付いている。
ここらで少し休憩をと、アイリスは本で口元を隠してあくびをする。
「お疲れならベッドで休まれてはどうですか?」
「誰が訪ねてくるか分からないからそれは出来ないわ」
「……分かりました。ではお茶を用意いたします」
イヴが手際よくお茶とお菓子を用意する。
「ありがとう、イヴは気が利くわね」
「いえ、お褒めにあずかり光栄ですが、私はさきほどのアイリス様の意図が分かりませんでした。ヒントとは、一体どういうことなのですか?」
「わたくしが油断していると教えてあげたのよ」
アイリスの返事に、ジゼルはパチクリと瞬いて首を傾げた。
「試験は明日の早朝なのですよね?」
「たしかにそう言ったわね。だけどね、イヴ。賢姫とはなんだと思う?」
「魔精霊の加護を受け、人々から選ばれし国の象徴、ですよね?」
「そうよ。優れた人のことではあるけれど、決して戦いに長けた人のことじゃないわ。それに、魔精霊が好むのは魔術の技術が高い人だけど、それも攻撃魔術に限ったことじゃないわ」
付け加えるなら、フィストリアは情がある。予言の書にあった原作ストーリーのように、アイリスの最期の頼みを聞いて、ジゼルに力を貸すような性格なのだ。
面白いから――という理由で力を貸す可能性もなきにしもあらずだ。
「ええっと、賢姫が決して武力で選ばれるわけではない、ということは理解しました。でも、試験は明日なのですよね?」
「そうね。でも、わたくしが受ける側の人間なら、今夜にでも罠を仕掛けに行くわ」
「わ、罠ですか?」
「ええ。作っちゃダメなんて言ってないもの」
賢姫が、ジゼルがこれから進むのは、権謀術数にまみれた世界。正々堂々となんて言っていたら、あっという間に海千山千の貴族達の食い物にされてしまう。
いまのジゼルに足りていないのは狡猾さだ。
「あの子がどんな答えを出すか、楽しみにするとしましょう」
翌日、アイリスは刺繍を施したワンピース姿で中庭に顔を出した。ジゼル相手になら、わざわざ戦闘服を身に纏う必要はない――という分かりやすい挑発。
そうしてジゼルを待ちながら、中庭の様子をうかがう。
(とくに、罠を仕掛けたとおぼしき痕跡はありませんね……)
巧妙に隠されているだけ、という可能性はある。だけど、もしもアイリスがジゼルの立場なら、先に待ち合わせ場所で待機して、相手が罠の痕跡を探すことを阻止する。
(あるいは、後から顔を出す。つまり、先にこの場にはいなかったと印象づけることで、罠を仕掛けたと思わせない作戦でしょうか?)
アイリスに痕跡を気付かせないレベルの罠を仕掛けているのなら、その可能性もないとは言い切れない。けれど、ジゼルにそこまで期待するのは酷かもしれない――と考える。
そうしてしばらく待っていると、ようやくジゼルが姿を現した。
ジゼルは杖一つで、防具は身に着けていない。けれど、いつもはツインテールにしている髪を一つに纏め、ドレスではなく運動に適したシャツとズボンを身に着けている。
寸止めの訓練を前提に、もっとも戦いやすい恰好を選択していた。
だが、それよりも、アイリスが興味を抱いたのは別のことだった。
「ジゼル、それはなんのつもりかしら?」
「賢姫に相応しい力を見せるよう、お姉様に言われて考えたのです。賢姫に相応しい力とはなんだろう、と。そして不思議に思いました。賢姫とは決して、個人としての戦闘能力が高い人間に与えられる称号ではないはずなのに、どうして模擬戦なのか、と」
「そこまではわたくしの期待通りね。それで、どうしてそういう結論になったの?」
わたくしはあらためてジゼルの隣へと視線を向ける。彼女の隣にはエリオット王子が立っていた。彼もまた、シャツとズボンという姿で、その手には殺さずの魔剣が握られている。
「アイリスさん、おはようございます」
「おはようございます、エリオット王子。まるで試験に参加するような恰好ですね?」
「お察しの通りです。僕は、ジゼルと共に戦います」
なぜ――と、アイリスはジゼルに視線を戻した。
「わたくしはお姉様の後を継いで賢姫になります。そのためには、お姉様に実力を証明しなくてはいけない。でも、わたくし一人ではきっと無理。だから、知恵を絞ったのです」
「……それが、エリオット王子の手を借りる、ということですか」
「わたくしは、エリオット王子と共に歩む者ですから」
ちょっぴり恥ずかしそうに宣言した。隣でエリオット王子も照れている。わたくしはなにを見せられているのかしら――と、アイリスは内心で苦笑した。
だけど――
「悪くはない発想です」
自分の仕えるべき相手を戦闘に巻き込むのはいただけないが、これはあくまで試験だ。それに、夫となる人間を頼ったと考えれば、それほど愚かな選択とも言えない。
「わたくしなら、騎士を率いるくらいはしましたけど」
ジゼルが目を見張って、それからなんでもない風を装って溜め息をつく。
「……お姉様、それはさすがに悪辣すぎませんか?」
「あら、賢姫は兵を率いることもあるのよ。知らなかった?」
「言われて見ればそうですね。次の機会があればそうします。ですが、そう仰ると言うことは、助っ人の参戦を認めてくださる、ということでよろしいのですわよね?」
「ええ、もちろんです。それでは試験を開始します。二人で掛かってらっしゃい」
アイリスもまた殺さずの魔剣を携え、エリオット王子とジゼルの二人と相対する。それはさながら、原作ストーリーにある、悪役令嬢のアイリスと二人が戦うシーンのようだ。
(あのシーンのように、いがみあっているわけではありませんが……)
ジゼルがエリオット王子を伴って現れたという部分には運命的ななにかを感じる。それでも、負けるつもりはないと、アイリスは殺さずの魔剣を下段に構えた。
直後、ジゼルが「――行きます」と宣言して空に魔術を放った。
「開始の合図など必要ありませんよ」
アイリスが開始と口にした瞬間から試験は始まっている。アイリスは魔法陣の発生位置を自分から離し、ジゼルとエリオット王子のあいだ、足元に出現させた。
氷の礫が噴き上がるが、二人は左右に分かれて横っ跳びで回避した。
「悪くない反応ですが――逃げる方向を間違いましたね」
魔術を発動させるのと同時、地を這うように駈けだしていたアイリスはエリオット王子に躍り掛かった。間合いに入ると同時に殺さずの魔剣を振るう。
彼は寸前で受け止める――が、複数の加護を得たアイリスの一撃は、屈強の男の一撃にも匹敵する。威力を見誤ったエリオット王子は大きく体勢を崩してしまった。
「エリオット王子!」
ジゼルが牽制の魔術を撃とうとするが、アイリスは巧みに位置取りを変えて、ジゼルの射線にエリオット王子を挟んで牽制する。
「言ったでしょう、逃げる方向を間違ったと」
ジゼルは接近戦が苦手で、エリオット王子は魔術が使えない。前衛と後衛という役割を持つ以上、二人は常に互いの位置関係を気にしなくてはいけない。
(予言の書の戦闘シーンでは、素晴らしい連携を取っていたようですが……物語として美化されているだけか、はたまたいまの二人に経験が足りていないのか……)
おそらくは両方だろう。
アイリスは二人の連携の穴を巧みについて、けれど致命的な攻撃はしない。『いまのは危なかった』『次は気を付けないと』と、そんな風に思わせることで、二人の成長を促していく。
その状況を四半刻ほど続ける。
二人は決して弱くないが、まだまだ未熟な部分が目立っている。
なにより、これはジゼルの賢姫としての試験だ。いまのように実力不足なまま、ただ負けるようであれば、賢姫としては失格もいいところである。
「――ジゼル、貴女の手はエリオット王子を連れてきたことだけですか? それならば、期待外れもいいところですよ。奥の手があるのなら見せてごらんなさい!」
「言われずともっ! 行きますよ、お姉様!」
そう言うやいなや、ジゼルは大空に向けて魔術を放った。一抱えほどある氷の球が天へと昇っていくと――それがパリンと割れてアイリスめがけて降り注ぐ。
上空からの攻撃で、避けられる方向は限られている。それに加え、上空に意識を向けている以上、地上からの攻撃は避けにくい。とはいえ――
(二人の位置は把握しています。こちらに避ければ――っ)
追撃は怖くない。そう思った瞬間、ゾクリと悪寒を感じた。
直後――アイリス目掛けて無数の攻撃魔術が飛んでくる。正面のいくつかはジゼルが放った魔術だ。けれど、残りの魔術はあらゆる方位から放たれている。
なぜ――と考えるより早く、アイリスは全力でその場から飛び退り、とっさに拳を打ち合わせて拳精霊の加護を発動させる。それとほぼ同時、最初の魔術がアイリスの足元に着弾して弾け、連鎖的に発生した爆風がアイリスに襲いかかる。
「――くっ」
拳精霊の加護は一属性の攻撃に限り無効化することが出来る。魔術そのものは防げても、爆風に飛ばされるあれこれまでは防げない。
反射的に張った魔術である程度は防ぐが、それでも体勢を大きく崩してしまう。刹那、アイリスが反射的に仰け反ると、殺さずの魔剣が結界を斬り裂き、アイリスの目前を通り過ぎた。
煌めく光。
アイリスがとっさに顔を傾ければ、頬を掠めるように氷の礫が通り過ぎた。
ジゼルが放った追撃を最後に、彼らの攻撃が途切れる。ずいぶんと追い詰められたが、一連の攻撃を凌ぎきった。アイリスは小さく飛び退って体勢を立て直す。
「……中々やりますね。少し予想外でしたよ」
「お姉様が認めてくださいましたから。安心して奥の手を使うことが出来ました。もっとも、すべて回避されてしまいましたが……」
ジゼルが悔しそうに唇を噛む。
さきほどの、周囲からの攻撃。それは周囲に伏せていた魔術師達によるものだ。アイリスが冗談交じりに口にした、騎士を率いるという言葉を、ジゼルは実践していたのだ。
「エリオット王子を同行させたのは、わたくしから同意を得るためですね?」
「はい。助っ人を認めないと言われたら、さすがに伏兵を使うわけにはいきませんから」
「……なるほど。わたくしのセリフを誘導しましたね」
ジゼルはエリオットの参戦を認めてくれるかではなく、助っ人の参戦を認めてくれるかと聞いた。あの時点で既に、アイリスはジゼルの話術にはまっていたのだ。
面白い――と、アイリスは笑う。
「ジゼルなら、わたくしの期待に応えてくれると思っていましたが……期待以上です」
「不意を打っての攻撃ですら、お姉様に届きませんでしたが……」
「いいえ、届いていますよ」
アイリスはそう言って頬を親指で擦る。指の腹がわずかに血で滲んだ。さきほどの礫が、アイリスの頬を掠めていたのだ。複数の加護を持ったアイリスに一撃を入れた。
(フィストリア、これでジゼルを認めてくれますよね?)
心の中で問い掛ければ、肯定の意思が返ってきた。
これで目的を果たすことは成功したのだが――
(魔術が参加するのは計算外でした。このままでは、わたくしとジゼルの実力差が際立ってしまいます。ここは一つ、ジゼルのために一肌脱ぐとしましょう)
「ジゼル、貴女の知恵と勇気にフィストリアは満足いたしました。その褒美として、貴女が継ぐ力の片鱗を、いまここでお見せしましょう」
分かりやすくフィストリアを顕現させ、彼女から与えられた加護を全力で発動させる。そうして片手を天に掲げ、大空に巨大な魔法陣を描き出した。
その魔法陣から、無数の氷の槍が生まれ出ずる。
「お、お姉様、あの魔法陣は一体? それに、その女性は……っ」
「言ったでしょう。貴女が継ぐ力だと。……動くと、危ないですよ」
満面の笑顔で右腕を振り下ろす。
刹那、魔法陣から現れた氷の槍が雨のように降り注いだ。一瞬で地面が氷で出来た針山のようになり、ジゼルやエリオット、それに周囲に潜む魔術師達の周りを埋め尽くした。
立っているのはアイリス、それにジゼルとエリオット王子の三人だけだ。圧倒的な力を見せられた他の者達は、声もなくへたり込んだ。
そのタイミング、アイリスはさきほど口にした言葉を繰り返す。
「これが、貴女が継承する力です」――と。
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