エピソード 1ー1

 アイリスの構築した結界が、不意打ちの一撃を受け止めた。

 襲撃者は中性的な顔立ちの少女。

 ショートの青い髪に、勝ち気な紫色の瞳。服装も剣の訓練時に着用するようなパンツルックで、彼女のことを知らなければ美少年と見紛うていただろう。


 そんな彼女の瞳が爛々と輝いている。

 この状況を楽しんでいるのだと、アイリスは直感的に確信する。


(この人もフィオナやお兄様と同じタイプの人間ですね)


「リリエラ様、一体どういうおつもりですか?」

「へぇ、アイリス様、ボクのことを知ってるんだ?」

「もちろん存じておりますわ」


 初代剣姫の一族であるレガリア公爵家のご令嬢であり、フィオナを追放したアルヴィン王子と結婚した女性でもある。アイリスにとって、いまもっとも警戒するべき相手だ。


 そんなリリエラが、アイリスに斬り掛かってきた。使っているのは殺さずの魔剣――つまり、危害を加えるつもりはないのだろう。

 だが、怪我をさせなければいいという問題ではない。なぜこの国の人間は、挨拶代わりに斬り掛かってくるのだろうかと、アイリスは深い溜め息を吐く。


「リリエラ様はわたくしのことはどこまでご存じですか?」

「フィオナ王女殿下の教育係、でしょ? でもその正体は隣国の賢姫だよね」

「そこまでご存じでしたか。では一応言っておきますが……下手をしたら国際問題ですよ?」

「アイリス様はいま、この国の重鎮なんでしょ?」

「だから国際問題ではない、と? それはそれで問題な気がしますが……まぁいいです」


 理詰めで説得するよりも、相手をする方が速い。なにより、戦うことで相手の性格も見えてくるだろう――と、相手と同じことを無意識に考える。

 前世の記憶を取り戻す前のアイリスはここまで脳筋ではなかった。フィオナとしての記憶が影響しているのだが――閑話休題(それはともかく)。


「それで、どうしたら満足していただけるのですか?」

「話が早くて助かるよ。ボクと手合わせして――」


 リリエラがみなまで言い終えるより早く、アイリスが身体を反転させた。ドレスのスカートがふわりと広がり、その下から鋭い回し蹴りが放たれる。

 その一撃がとっさに身を引いたリリエラの鼻先を掠めた。


「びっくりしたぁ~。まさか、いきなり蹴りが飛んでくるとは思わなかったなぁ。智の賢姫だって聞いてたけど、もしかして拳の方の拳姫だったりするのかな?」

「武術は一通り学んでいますので。それより、いいんですか?」

「なにが――うわっ!?」


 足下に展開された魔法陣。それに気付いたリリエラがとっさに飛び退く――が、アイリスの展開した魔法陣はなんの効果も生み出さなかった。

 その魔法陣を踏み越え、アイリスがリリエラに迫る。

 魔法陣からなんらかの攻撃魔術が発生する=つまりそこを通ることはできない。そう思って油断していたリリエラは反応が遅れ――


「なんてね」


 驚きの表情を浮かべていたリリエラがにやっと笑い、万全の態勢から横薙ぎの一撃を放った。アイリスはとっさに側面に結界を展開、その一撃を受け止める。


 ――が、リリエラは途中で剣から利き手を離していた。剣による攻撃は中途半端に終わるが、引き付けた利き手は既に次の攻撃に移っている。


「はっ!」


 アイリスが回し蹴りなら、リリエラが放ったのは掌底だ。

 その予想外の一撃を、アイリスはとっさにクロスした両腕で受けた。同時に、その勢いを殺さずに跳び下がり、リリエラから距離を取る。


「逃がさないよっ!」


 アイリスが体勢を崩したこの機会を逃すことなく押し切る――と一歩前に出たリリエラは強烈な違和感を抱く。さきほど展開された足下の魔法陣がまだ消えていない。

 いま、リリエラはそれを踏んでいた。


「まさか――」


 魔法陣がブラフだと思わせることこそが罠。それに気付いた瞬間、リリエラは下から吹き上げた突風によって空に舞い上がっていた。


 空中ではさしものリリエラも動けない。

 なんとか頭から落ちることだけは避けようと身体を捻った彼女は、下で待ち受けるアイリスが新たな魔法陣を展開していることに気が付いた。


「ま、負け、ボクの負けだからっ!」


 リリエラがとっさに敗北を認める。

 だが、アイリスは構わず魔術を発動させる。目をぎゅっと閉じたまま身をこわばらせるリリエラの落下速度を魔術で緩め、その身体を両腕で抱き留めた。


「……え?」

「追撃されるとでも思いましたか? さすがのわたくしもそこまで鬼じゃありませんよ」


 腕の中のリリエラに微笑みかけると、彼女の顔がほのかに赤く染まる。それを不思議に思ったアイリスが見つめていると、その頬は更に赤く染まった。


「あ、あの、その……お、落としてっ」

「え、落とすんですか?」

「間違えた、下ろしてっ!」


 言うが早いか、彼女は身をよじってアイリスの腕の中から飛び出した。ただし、そのままバランスを崩して地面の上にぼてっと落ちる。

 アイリスは驚いて、リリエラに手を差し出した。


「だ、大丈夫ですか?」

「~~~っ」


 反射的にアイリスの手を取って、だけどすぐに放して尻餅をついた。それから真っ赤になって、恥ずかしそうに自力で立ち上がった。


「えっと……目的は果たせましたか?」


 アルヴィン王子もそうだったが、レムリアの人間は戦いの中で相手を知ろうとする厄介な性質がある。今回もそれが目的だろうと尋ねたのだが――


「う、うん。最初はボクの挑戦にあっさり乗ってきたからただの脳筋かと思ったけど、戦いにおける騙し討ちの手法、ただの脳筋じゃないって分かったよ。すっごく素敵だと思う」


 アイリスは物凄く微妙な顔をした。

 最後の素敵という言葉がなければ完全に悪口である。


「あ、ごめんね、貶してるわけじゃないよ。知ってると思うけど、ボクの一族はみんな脳筋だから、アイリス様みたいな戦い方ができる人は少ないんだよ」

「……なるほど」

「で、ボクはそんな脳筋な考え方があんまり好きじゃないんだ」

「……なるほど?」


 いきなり攻撃を仕掛けてくる彼女に言われても説得力はないと首を傾げる。ちなみに、フィオナの記憶を取り戻したアイリスも同類に含まれているのだが……本人にその自覚はない。


「強くて頭も良いなんて素敵だよっ。アイリス様、ボクのお嫁さんにならない!?」

「……はい?」

「間違えた。ボクの弟のお嫁さんにならない!?」

「なりません。というか唐突すぎです」


 感情的なことももちろんだが、リゼル国の賢姫と、レムリア国の初代剣姫の末裔が結婚なんて、それこそ国際的な騒動になること間違いなしである。


「えぇ~。ボクの弟はまだ十四歳だけど、すっごく可愛いんだよ? 弟には幸せになって欲しいから、アイリス様がお嫁さんになってくれるなら嬉しいなっ」

「だから、なりませんって」


 アイリスは呆れて溜め息をつく。

 それに対して、リリエラはことのほか残念そうな顔をした。まるで本気だったかのような反応で、アイリスは少しだけ戸惑いを覚えた。


(剣姫の末裔が賢姫の血を取り入れようとするなんてどういうつもりかしら。なにか思惑がある? それとも、なにも考えてないだけ?)


「リリエラ様――」

「ま、断られたんじゃ仕方ないね。やっぱりアルヴィン王子のコトが好きなのかな?」

「……は?」


 なにを言っているのかしら、この脳筋ちゃんは――と、アイリスは口をへの字にした。

 だがアイリスがなにか口にするより早く、「不穏な気配がすると戻ってみれば……やはりアイリスだったか」とアルヴィン王子が姿を現した。


「不穏な気配とわたくしを結びつけるのはどうかと思います。彼女が挨拶代わりに襲撃してきたので、その相手をしていただけです」

「……彼女? あぁ、リリエラか」


 アルヴィン王子が視線を向ける――直前、リリエラの雰囲気が一変した。それまでのどこか天真爛漫な雰囲気が掻き消え、クールな令嬢のような雰囲気を醸し出す。


「ご無沙汰しております、アルヴィン王子」

「ああ、久しいな。それで、アイリスを襲撃したそうだが?」

「申し訳ありません。彼女がどんな人間か気になりまして」

「そうか、ならば仕方ない」

「――仕方ないではありませんっ」


 アイリスが突っ込むが、アルヴィン王子は相変わらずどこ吹く風だ。代わりにリリエラが少しだけ申し訳なさそうな顔をして、アイリスへと向き直った。


「ごめんね。ボクのライバルとなるキミがどのような方かたしかめたくて、このような方法をとらせてもらったんだ」

「ライバル、ですか?」


 聞き捨てならぬ言葉に、最大限の警戒をする。

 返答次第では排除も辞さないと目を細めるが――


「うん。レガリア当主であるお父様は、ボクとアルヴィン王子の婚姻を望んでいるからね」

「あ、そっちでしたか」


 アイリスは殺気を霧散させた。

 隣で、アルヴィン王子が「おまえはフィオナを好きすぎないか?」と呆れている。アイリスがライバルという言葉をどう誤解していたか気付いているらしい。


「それにしても、わたくしがライバル、ですか?」

「うん、みんながそう言ってるよ」

「……みんな?」


 アルヴィン王子へと視線を向ける。

 彼は口をへの字にして「周囲の連中が勝手に言っているだけだ」と答えた。


「だったら良いんですけど……くれぐれも、フィオナ王女殿下を悲しませないようにしてくださいね、憧れのお に い さ ま?」

「……心配するな。フィオナは憧れのお姉様も欲しいそうだからな」


 アルヴィン王子の発言に、リリエラはへぇっと目を見張った。対してアイリスは頬をほのかに赤く染め、それからぎゅっと拳を握り締めた。


「陛下に養子縁組を頼んできます」

「ちょっと待て、どうしてそうなった」

「もちろん、フィオナ王女殿下のお姉ちゃんになるためです」

「……おまえというヤツは」


 盛大に呆れられる――が、アイリス的には重要な案件である。

 まあ……さすがに冗談ではあるが。


「噂には聞いてたけど、アイリス様は本当にフィオナ王女殿下が好きなんだね?」

「ええ、フィオナ王女殿下はとても可愛いですから。……王女殿下を奪うつもりなら、私を敵に回す覚悟をしてくださいね?」


 冗談めいた口調で言い放つ――けれど、その言葉が示しているのはフィオナの次期女王としての地位の話で、いまの一言は牽制だ。

 だがそれに気付かなかったのか、気付いた上でポーカーフェイスを保っているのか、リリエラにこれと言った反応はない。どころか――


「うぅん、フィオナ王女殿下を狙うつもりはないけど、アイリス様のことは興味あるな。凜とした佇まいが素敵だし、やっぱり弟のお嫁さんにならない? あ、ボクの、でも良いよ」

「なりません」


 面倒くさいと、アイリスはこめかみに指を添える。

 それから、なんと言ってくださいとアルヴィン王子に視線を向けた。


「リリエラ、こいつは俺のだ」

「王子のでもありませんっ!」


 この王子、役に立たないとアイリスは溜め息をつく。

 前世でフィオナを追放したアルヴィン王子と、その婚約者となったリリエラという組み合わせに、わずかなりとも警戒したのがバカらしくなってくる。

 いや、これが油断を誘うための罠である可能性も零ではないが……


「あまりふざけたことを言ってると、二人纏めてぶっ飛ばしますよ?」

「ほう、俺達二人を同時に相手して勝てる自信があるのか?」

「さすがアイリス様、素敵です」

「お願いですから人の話を聞いてくださいっ!」

 

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