第五章

プロローグ

「わしは孫娘のフィオナに王位を譲ることにした」


 グラニス王の突然の宣言によって、レムリア国は大騒ぎとなった。

 もちろん、フィオナがいずれ王位を継ぐことになると目されていたのは事実だ。しかし、それがいつ、どのような形でということは決められていなかった。

 根回しをしていない状態での、譲位宣言は誰もが予想していなかったことである。


 ゆえに、貴族達はあらゆる手を使い、現状の把握に努めようとしている。事情を知る可能性が高い側の人間であるアイリスもまた、そんな動きに巻き込まれる。

 パーティーの翌日。

 アイリスはは令嬢達が開催したティーパーティーに招かれていた。


 主催者はグロリアーナ伯爵令嬢。

 以前、令嬢に化けた魔族が起こした事件に巻き込まれ、共犯者と目されそうになったところをフィオナ王女殿下によって救われた、アイリスファンクラブの一員。

 彼女が主催するパーティーにはシェリー伯爵令嬢など、同じ境遇の令嬢が集まっている。


 招待状を一ヶ月くらい前に送ることも珍しくない。にもかかわらず、今回の招待状が届いたのは昨夜。彼女達が急遽パーティーを開催し、ぜひにとアイリスを招いた理由は明らかだ。


「ところで、みなさん昨日のパーティーでの一件はご存じですか?」


 世間話の流れから、グロリアーナ伯爵令嬢がおもむろにそんな言葉を口にした。すかさず、シェリー伯爵令嬢が「まあ、一体なにがありましたの?」と相槌を打つ。


「なんでも、グラニス陛下が大変な宣言をなさったそうですわ」

「大変な宣言、ですか?」


 シェリー伯爵令嬢は小首をかしげて見せた。

 グラニス王が宣言した内容は、昨日のうちに王都に知れ渡っている。ここにいる者達が知らぬはずはないので、意図的に知らぬ振りをしているのだろう。

 より詳しい人間から話を聞くために。

 そんなアイリスの予想通り、グロリアーナ伯爵令嬢は話を続けた。


「残念ながら、私は席を外していたので大変な宣言があったとしか知らないのです。ですが、アイリス様はその場にいらしたのですよね?」

「まあ、ではなにがあったか、アイリス様はご存じなのですね?」


 問われたアイリスは心の中でだけ苦笑して、こくりと頷いた。


「グラニス陛下が、フィオナ王女殿下に王位を譲ると宣言なさったのですわ」


 そう口にした瞬間、令嬢達が「詳しくお聞かせくださいませ!」と言いたげな顔で身を乗り出した。やはり、アイリスからその話を聞くために、お茶会を開催したのだろう。

 アイリスとしても、フィオナ王女殿下の庇護下にある――フィオナ派といっても差し支えのない者達に情報を与えるのは自分達にとっても必要なことだ


 とはいえ、わたくしも後手に回っている状況なんですよね――と、アイリスは胸の内で呟き、いま置かれている状況について思いを巡らす。


 グラニス王は以前、フィオナ王女殿下に王位を譲ることに不安を抱いていた。だが、彼女が急成長したことで、その考えをあらためていたことをアイリスは知っている。

 だが、だからと言って、いきなり大勢の前で宣言するとは思っていなかった。


 なにより、フィオナ王女殿下の即位には、アルヴィン王子が王配となって支えることが織り込まれていた――はずだった。にもかかわらず、そっちの件は一切触れられていない。

 本来であれば、あってしかるべき根回しが一切なく、いきなりの宣言だった。つまり、いまのアイリスは、彼女達が欲している情報を持ち合わせていない。


 しかし、なにも知らないと白状すれば、アイリスがフィオナ派の蚊帳の外に置かれていると誤解される。そうなれば、フィオナ派におけるアイリスの地位が揺るぎかねない。

 さりとて、貴女達には教えられないと誤魔化せば、彼女達を蚊帳の外に置こうとしていると誤解される。それは、フィオナ派を揺るがせる行為だ。

 なんとも厄介な状況。


(お祖父様がもう少し根回しをしてくださっていれば、こんなことにはならなかったのに。まったく、フィオナの祖父だけあって脳筋なんですから)


 ――と、アイリスは嘆息する。

 そのとき、アイリスの脳裏に恐ろしい考えがよぎった。

 フィオナ王女殿下が即位した後、他国の人間が女王の教育係に留まることをグラニス陛下はよしとしていない。それゆえに、アイリスの地盤を崩そうとしているのかも知れない。


(あり得ない……話ではありませんね)


 グラニス陛下は問題を武力で解決しようとする傾向にあるが、決して頭が回らない人間ではない。数十年のあいだ、レムリア国を治め続けた優れた王なのだ。


 愛する孫娘が相手でも、その判断を鈍らせはしなかった。孫娘が即位するに辺り、邪魔な存在を切り捨てるくらいは当然やるだろう。

 もちろん、これらはアイリスの想像でしかないし、それが唯一の可能性だと思っている訳でもない。あくまでも可能性の一つとしてあり得るという話である。

 ただ、グラニス陛下の思惑がどうであれ、アイリスの答えは決まっている。


「実は、先日の宣言については、わたくしの預かり知らぬところなのです」


 自分が蚊帳の外に置かれたことを打ち明ける。これが政敵とのお茶会であれば、即座に攻撃材料にされていただろう。そうでなくとも失望されてもおかしくはない。

 けれど――


「まさか、アイリス様がご存じないなんて……」

「グラニス陛下はなにをお考えなのでしょう?」

「ですが、アイリス様は直前まで領地を飛び回っておられたのでしょう? それで、話を聞く機会を失っただけではありませんか?」


 彼女達は動揺を見せつつも、アイリスを見下すようなことはしなかった。

 もっとも、そんな態度を取る者がいたら、アイリスファンクラブの筆頭、フィオナ王女殿下の耳に入って、フィオナ派から切り捨てられることになるのだが……それはともかく。

 アイリスは意識を切り替え、即座に情報収集に走る。


「グラニス陛下の思惑は機会を得てお尋ねするつもりです。ところで……みなさんは、フィオナ王女殿下の即位について、どのように考えていらっしゃるのですか?」


 陛下から得た情報を与えるとは明言はせずに、代わりに皆の考えを聞かせて欲しいとほのめかす。その意図を察したグロリアーナ伯爵令嬢が即座に口を開いた。


「もちろん、私はフィオナ王女殿下の即位を喜ばしく思いますわ。なんと言っても、フィオナ王女殿下は私達をお救いくださったお方ですから。ねぇ、みなさん」


 彼女の言葉に、一糸の乱れもなく令嬢達が首肯した。それを見届けたグロリアーナ伯爵令嬢はきゅっと唇を結び、再びアイリスに視線を向けた。


「その上で、今回の宣言には疑問が残ります。フィオナ王女殿下の即位は、アルヴィン王子が王配となって支えることが前提、そういう噂がありましたもの」

「……ええ、そうですね」


 今世、現在においては真しとやかに囁かれていた噂でしかない。けれど、グラニス陛下を始めとした者達が誰一人として否定しなかった、信憑性の高い噂でもある。


「もちろん、最近は違う流れがあったことも存じております。けれど、いまのレムリア国が纏まっているのは、フィオナ王女派とアルヴィン王子派が互いに味方と認識しているからに他なりません。だと言うのに……」


 グロリアーナ伯爵令嬢はその先を口にしなかった。

 けれど、彼女がなにを言いたいかは明白だ。


 アルヴィン王子派は、アルヴィン王子が王配になることを前提に、フィオナ王女殿下が女王になることを良しとしていた。

 にもかかわらず、先日の譲位宣言では、そのことについて一切の言及がなかった。

 二人を婚約させないのであれば、アルヴィン王子の地位を確約するなど、フォローを入れる必要があるにもかかわらず、である。

 これでは、アルヴィン王子を排除するつもりだと疑われてもおかしくはない。少なくとも、そのように動揺する者が現れるのは無理からぬことだ。


「グラニス陛下の思惑まで察することは出来ません。ですが、グラニス陛下がフィオナ王女殿下のことはもちろん、アルヴィン王子のことを信頼なさっておいでなのは事実です」


 アイリスがフォローを入れるが、彼女達の表情は晴れなかった。結局、アイリスが確認次第、彼女達にも情報を共有すると言うことでお茶会は解散になった。



 そうして帰りの馬車に乗り込んだアイリスは思いを巡らす。

 フィオナ派に属する者達ですら、アルヴィン王子の扱いに対して不安を抱えているのだ。アルヴィン王子派の者達がどれだけ動揺しているかは想像に難くない。


 グラニス陛下にどのような思惑があったとしても、いま国を二つに割る訳にはいかない。それを防ぐためには情報が必要だ。そして、その情報を集めるためには――


「ネイト、イヴ、あなた達にも働いてもらうわよ。まずは――」

「かしこまりました、アイリス様」


 アイリスの指示に二人が首肯する。

 もちろん、アルヴィン王子派や、他のフィオナ派達も動くことになるだろう。これを機に、敵対派閥の者達が動きを活発化させることもあるかもしれない。

 一歩間違えば、大きく国が荒れることにもなりかねない。

 レムリア国は一夜にして緊張に包まれることとなった。

 

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