エピソード 2ー1 失われた歴史の中で消えたメイド

 失われた歴史の中で、フィオナはアルヴィン王子の裏切りによって追放された。

 蝶よ花よと育てられた王女であれば三日と持たずに行き倒れていただろう。だが剣姫として育てられた彼女は、戦場で生き抜くだけの技術を身に付けていた。

 剣姫としての能力を活かして冒険者となった彼女は、各地を旅していた。


 それは、幾たびか季節が巡る長さ。

 そして最後の一年ほどはとある隠れ里で過ごしていた。剣姫や賢姫、精霊の加護を得し者達にとっては聖地とも言えるその地で、フィオナは友人と呼べる者達を得る。

 だけど――


「私が敵を食い止めるから、そのあいだに貴方達は子供達の避難をっ!」

「フィオナ、一人で無茶をするなっ!」

「良いから、みんなは子供を逃がして! 魔物の別働隊がいないとは限らないんだよ!」


 隠れ里に押し寄せた魔物の群れを前にフィオナが叫ぶ。

 放っておけば、里の者達は皆殺しにされてしまうだろう。その惨劇を回避するべく、フィオナは単身で魔物の群れへと斬り込んだ。


 剣姫としての力。そして里で手に入れた新たな力を頼りに、フィオナは襲い来る魔物を一体、また一体と切り捨てていく。

 辺りはむせ返るような血の臭いと魔物の死体。

 ――そして、それがちっぽけに見えるほどにおびただしい数の増援。その魔物の群れと斬り結ぶさなかで彼女の記憶は途切れている。



     ◆◆◆



 リゼル国からレムリア国へと続く街道。

 アイリスは貴族仕立ての馬車でガタゴトと揺られていた。


 アイリスが王太子殿下から婚約破棄を申し渡されてから数日と経っていない。恐ろしいほどの手際で陛下の許可をもぎ取り、アルヴィン王子の一行に同行させてもらったのだ。


 なお、出発の前の出来事。

 非公式に陛下に拝謁した謁見の間。国の象徴たる賢姫を隣国へ旅立たせると、アイスフィールド公爵から聞かされた陛下はいっそ哀れであった。


 謝罪は当然として、王族が賢姫を蔑ろにすることなど決してない。王太子殿下の婚約破棄はなにかの間違いなので、国を出るのは思いとどまって欲しいとアイリスに懇願する。

 陛下は玉座に座っておらず、アイリス達と対等に立って向き合っている。本来であれば異例の状況で、それだけ陛下が事態を重く見ていることが理解できた。


 だがそこに自室で謹慎していたはずのザカリー王太子殿下が乱入してきた。

 彼は謝罪するどころか「俺が婚約を破棄したんだ、フラれた訳じゃない!」と捲し立て、その場の空気を大いにしらけさせる。

 直後、なんと陛下自らによって床の上に頭を押しつけられた。


「痛い、父上、なにをするんだっ!?」

「ええい、黙れ。――アイリス嬢、息子が申し訳ないことをしたっ! このバカ息子との復縁などとは言わぬ。どうか、どうかリゼル国を見捨てることだけは思い直してくれ!」


 もはやなにかの間違いなどという言い訳が通用しないと理解したのだろう。

 陛下は王太子殿下の横で自ら頭を下げた。

 だが、それも無理からぬことだ。


 剣姫と賢姫はこの大陸を二分する両国の象徴である。

 だが、陛下の世代に賢姫は生まれなかった。ようやく現れた賢姫が国を捨てる、それも剣姫のいる国に渡るなどとなれば、王に対する国民の信頼は失墜するだろう。


 必死に頭を下げる陛下を前に、おまえが決めろと、アイスフィールド公爵がアイリスにその場を譲った。アイリスはそれに応じて一歩前に出て陛下と王太子殿下を見下ろす。

 王太子殿下はともかく、陛下に対して思うところはない。


「賢姫は王太子に別れを告げ、レムリア国との友好を結ぶための大使となることを選んだ。そういうことにいたしましょう」


 国を捨てる訳ではなく、リゼルを思ったがゆえにレムリアへと渡る。そういう筋書きであれば、リゼル国もアイリスもダメージを最小限に抑えられる。

 むろん、ザカリー王太子殿下のことは考慮されていない。

 彼は異論を挟もうとしたが、頭を押さえつける陛下がそれを許さなかった。陛下はもう一度ザカリー王太子殿下の頭を押さえつけると、自身も再び頭を深く下げた。


「そなたの温情に心から感謝する」




 ――とまあ、そんなこんなで、アイリスは出国の許可を取り付けた。そうして、いまはアルヴィン王子と共に馬車で揺られている。

 街道とはいえ、国を繋ぐ街道は土が踏み固められただけ。悪路と言っても差し支えはなく、アイリスは文字通りガタゴトと揺られていた。


 そんな旅がもう十日ほど続いている。

 アルヴィン王子に同行する騎士や使用人達ですら辟易させられる環境。公爵令嬢であるアイリスは真っ先に音を上げると思われていたが、彼女は平気な顔で過ごしている。


 ――というか寝ていた。彼女が眠る姿を、同じ馬車に乗っているアルヴィン王子やそのお付きのメイドが呆れた顔で見つめている。

 だが、さすがにこの揺れでは夢見が悪いのか、その整った眉が寄せられている。それに気付いたアルヴィン王子が手を伸ばしてアイリスの髪に触れる。

 顔にかかっている髪を指先でそっと払った。その瞬間、アイリスがパチリと目を開いた。


「……ぶっ飛ばしますよ?」

「せめて事情を聞け、事情を」


 アルヴィン王子がこめかみをひくつかせた。


「分かりました。ぶっ飛ばしてから事情を聞きます」

「物騒な。うなされていたから心配しただけだ」

「うなされて……? あぁ……それはお見苦しいところをお見せしました」


 前世の死に際を夢見ていた。

 フィオナにとって、隠れ里は第二の故郷も同然だった。果たして、自分はあの仲間達を守ることが出来たのだろうかと考え――すぐに詮無きことだと結論づけた。

 なぜなら、アイリスの転生で歴史は撒き戻っている。フィオナが追放されるのはまだ先の話で、あの襲撃もまだ起きていない。


(それまでに約束を果たしに行かなくてはいけないわね)


 隠れ里には大切な仲間達がいると言うだけではない。この大陸にとっても非常に重要な聖地で、決して失う訳にはいかない技術も保存されている。

 フィオナの件が落ち着いたら顔を出す必要があるだろう。


「ところで、おまえはずいぶんと旅に慣れているようだな?」

「いいえ、馬車での長旅をするのは初めてです」


 アイリスに生まれ変わってから長旅をするのが初めてなのは事実。

 それに前世で長旅をしていたのはアルヴィン王子に追放されたからに他ならない。そのアルヴィン王子に旅に慣れていると指摘されるなど、皮肉以外のなにものでもない。

 返事が素っ気なくなるのも無理はないだろう。


 もっとも、いまのアルヴィン王子にはまるで身に覚えのない話である。彼はアイリスの不遜を許しているが、お付きのメイドは不満気な顔を隠せなくなってきている。

 メイドが口を開こうとするが、そのまえに馬車が緩やかに停車した。


 馬車による移動は身軽な人が歩くよりも少し早い程度。馬も数時間に一度は休ませる必要があるので、意外に停車する回数が多い。

 休憩にも慣れたもので、アルヴィン王子は少し散策してくると馬車を降りた。それにお付きのメイドがお供を申し出るが、おまえは馬車で休んでいろと指示を出す。

 そうして、彼は幾人かの護衛を引き連れて馬車から離れて行った。


(さり気ない気遣いが出来るのは変わらないんですね)


 この辺りは国境(くにざかい)。野盗の類いが潜んでいる可能性もあるし、森や山から出てきた魔物がうろついている可能性も零ではない。

 危険からアイリス達を護るために、アルヴィン王子は率先して見回りをしているのだ。それを散策などと行ったのは、アイリス達を不安にさせないためだろう。


(というか、国境? なにかが引っかかって……そうだ、たしかこのとき――)


 前世の記憶を掘り返し、従兄がリゼル国のパーティーに参加したときのことを思い返す。その記憶と同じ日程なら――と、アイリスは周囲を見回した。

 少し離れたところには川があり、その川沿いに林が生成されている。そちらから吹き抜ける風に鼻を鳴らし、アイリスは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「アイリス様、どうかなさいましたか?」

「いえ、なんでもありません」


 答えてから顔を向ける。

 声を掛けてきたのは馬車に同乗していたメイドのクラリッサ。深い緑色の髪を後ろで纏めた彼女はアルヴィン王子よりも少しだけ年上で、下級貴族のご令嬢だ。


「そうですか? 私は水を汲みにまいりますが、アイリス様はどうなさいますか?」

「わたくしは……いえ、わたくしもついてまいります」


 思うところがあってクラリッサに同行を申し出る。そうして彼女と共に水場――街道の脇に流れている川の岸へと足を運んだ。


「水量には特に問題はないようね」


 川の様子を見ていたアイリスがぽつりと呟いた。前世の記憶から、この年にレムリア国の一部で大規模な干ばつが発生することを踏まえての発言である。


「アイリス様、なにをなさっているのですか?」

「少し確認を、ね。それよりもクラリッサ、そのようにかしこまる必要はありませんよ。いまのわたくしは貴方の同僚のようなものですから」


 王子の専属メイドと王女の教育係。どちらが上ということはない。あえて言うのなら、先輩であるクラリッサに軍配が上がるだろう。

 だが、アイリスは公爵令嬢であり、フィオナ王女と対の存在である賢姫でもある。


 ゆえに、クラリッサに対等を押しつけるのではなく、いまは同僚だからかしこまる必要はないと配慮するに留めた。

 そしてクラリッサもまた、その手の機微を読み取る能力は持ち合わせている。


「それではアイリスさんとお呼びしても?」

「ええ、もちろんです。それに……先達の意見には耳を傾けるつもりです」


 馬車でなにか言いたそうにしていたことには気付いている。ゆえに、なにかわたくしに言いたいことがあるのでしょう――と水を向けた。

 その意図は正しく伝わったようで、クラリッサは少しだけ迷う素振りを見せる。

 川辺に風が吹き抜け、川の水を飲んでいた馬が嘶いた。

 その鳴き声に後押しされるように、彼女は意を決したように口を開く。


「では恐れながらお尋ねします。フィオナ様の教育係に名乗りを上げた理由はなんですか?」


 アイリスの眉がピクリと跳ねた。クラリッサはアルヴィン王子の専属メイド。フィオナを追い落とした計画に加担しているかもしれないと警戒する。


「……なぜ、そのようなことを聞くのですか?」

「フィオナ様はアルヴィン様の大切な従妹。とてもまっすぐで優しいお方です。ですから、もし生半可な理由で名乗りを上げたのなら、フィオナ様を傷付ける前に辞退してください」


 アイリスは軽く目を見張った。いくらアイリスが意見を聞くと促したとはいえ、そこまでハッキリ言い切るとは思わなかったからだ。

 あるいは、アイリスが権力を振りかざして反論するのも覚悟の上での発言だろう。


(まさかお兄様の専属メイドがこんな風に思ってくれていたなんてね。でも、わたくしは彼女のことをあまり知らない。どうして……あっ!)


 もともとフィオナとクラリッサの接点は少なかった。

 だが、クラリッサのことを良く知らないのにはもっと根本的な理由があった。この時期を境に、クラリッサを見かけなくなった・・・・・・・・からだ。

 アルヴィン王子のお付きは、いつの間にか別のメイドに変わっていた。


「クラリッサ。わたくしは貴方が気に入りました」

「……それは、答えになっていません」

「あら、そうでしたね。もちろん、フィオナ王女殿下を傷付けるつもりはありません」


 むしろ全力で育てます――とはもちろん口に出さない。代わりに近くの林へと視線を向け、わずかに納得するような素振りを見せる。

 だがクラリッサはそれに気付かずに話を続けた。


「フィオナ様の教育係に名乗りを上げたのは半端な理由ではない、と?」

「もちろんです。ですが、いくら言葉を重ねたところで信頼は得られないでしょう。ゆえに、行動を持って示すことにします。まずはフィオナ王女殿下の行く末を憂うクラリッサ――」


 足場の悪い川辺を蹴ってクラリッサに詰め寄る。彼女の腰に手を回してぐいっと抱き寄せた。驚きに見開かれたクラリッサの瞳に、凜々しいアイリスの顔が映り込んだ。


「な、なにを……っ」

「――貴方を守ってご覧に入れましょう」


 唇が頬に触れそうな距離で囁いて、次の瞬間クラリッサを背後に庇うように身を翻す。同時に振るった右手が紅い魔力の残像を描き、林の隙間から飛来した矢を叩き落とした。

 


 ◆◆◆あとがき◆◆◆


 お読みいただきありがとうございます。

 数日中に、実験的にタイトルとサブタイトルの順番を入れ替えるかもしれません。「王子……邪魔っ 悪役令嬢のお気に入り」ですね。

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