エピソード 2ー1

 約二十日の旅を終え、アイリスは故国リゼルの王都へと帰還した。最初に向かうのは王都にあるアイスフィールド公爵家の別宅である。

 公爵家の正門をくぐり、玄関の前で馬車を止める。馬車から降りて使用人の案内に従って屋敷の中へ。エントランスホールに踏み入れると、そこには使用人が勢揃いしていた。


「お帰りなさいませ、アイリスお嬢様」


 執事の装いをした老紳士が出迎えてくれる。彼を目にしたアイリスは軽く目を見張り、それから少しだけ考えを巡らせ、仕方ないですねと言いたげに苦笑いを浮かべた。


「久しぶりね、ヒューバート?」

「はい、ご無沙汰しております。それで――」


 ヒューバートがアルヴィン王子へ一瞬だけ視線を向ける。紹介を促されたことに気付いたアイリスは、もう一度苦笑いを浮かべた、


「アルヴィン王子、彼はヒューバート、この屋敷の使用人を総轄するような地位にいます。そしてヒューバート、彼はアルヴィン王子、わたくしのいまの雇い主ですわ」

「ヒューバートと申します。アルヴィン王子、噂はかねがね伺っております」

「ほう? どのような噂だ?」


 アルヴィン王子がすっと目を細めた。機嫌を損ねた訳ではなく、ヒューバートがどのような対応を取るのか試しているのだ。

 アイリスにはそれが分かったが、初対面のヒューバートには分からないだろう。だがヒューバートは動じることなく応じる。


「最初は元王太子に貶められたアイリスお嬢様に手を差し伸べて、その後も名誉の回復に尽力してくださったと伺っております」

「……なるほど」


 おそらく、戦場を駆ける――的な噂を持ち出されると思っていたのだろう。アルヴィン王子はどこか納得した顔をして、それからアイリスに視線を向けると、その頭に手を乗せた。

 アイリスは無言で、頭の上に乗った手を手の甲ではたき落とす。

 なぜか、アルヴィン王子が喉の奥で笑った。


「俺が多少口出ししたのは事実だがな。見ての通り、こいつは誰かに守られるような玉じゃない。自分で勝手に名誉を回復しただけだ」

「……なるほど。アルヴィン王子、ようこそアイスフィールド公爵家へ。歓待の宴を用意しておりますので、まずは旅の疲れを癒やしてください」

「ああ、そうさせてもらおう」


 旅の疲れ――というか、実際は旅の汚れである。

 要するに湯浴みをして身ぎれいになってこい――ということで、メイドの一人がアルヴィン王子を案内し、アイリスもまた別の使用人に案内される。


 二人はもちろん、その使用人達もそれぞれ湯浴みをして身ぎれいになる。その後、夕食の宴までの空いた時間、アイリスが自室でのんびりしているとアルヴィン王子が訪ねてきた。


「ほう、ここがアイリスの私室か」

「ぶっとばしますよ?」

「おいこら、まだなにも言ってないだろう?」

「……では、言ってみてください」

「ずいぶんと可愛らしい部屋だな?」

「予想通りじゃないですか。放っておいてください」


 拗ねた面持ちで言い放った。

 アイリスの部屋はたしかに可愛らしい。レースのカーテンなどはともかく、クマのぬいぐるみなんかは、たしかに笑わない賢姫とイメージが掛け離れている。


「なんだ、気にしているのか?」

「だって、わたくし、笑わない賢姫とか呼ばれていたんですよ?」

「あぁ、そうだったな。だが、フィオナをあれだけ可愛がっておいて、今更ではないか?」


 予想外の言葉にアイリスは目を見張る。

 笑わない賢姫云々はともかく、公爵令嬢で賢姫のイメージを――とさり気ない苦言を呈されて育ったアイリスは、王子の言葉にちょっぴりはにかんだ。


「王子も、たまにはいいことを言いますねっ」


 無邪気に笑って、口元を抱き上げたクマのぬいぐるみで隠す。アイリスがとても可愛らしいと、隅っこに控えていたクレアが身悶えしたのだが――それはともかく。


「おまえは……まったく」


 アルヴィン王子は手を伸ばし、アイリス――ではなく、クマのぬいぐるみの頭を撫でた。それをくすぐったそうな顔で受け入れていたアイリスは、そう言えばと小首をかしげる。


「アルヴィン王子、わたくしになにかご用ですか?」

「夕食までの暇つぶし――と、あのヒューバートという御仁のことだ。一体何者なのだ? おまえが“使用人を総轄するような地位”なんて言い方をしたのには理由があるのだろ?」

「あぁ、やはり気付かれましたか。あの人はわたくしの祖父です」

「……なに?」

「祖父です。そして先代当主です」


 これ以上ないほど端的に答えるが、だからこそ、アルヴィン王子は理解できないという顔をする。まぁ……先代とはいえ、公爵家の当主が執事のまねごとをするなんて普通は思わない。


「なぜ、そのような者が執事のまねごとを?」

「言っておきますが、普段からしている訳ではありませんよ」

「……ほう?」


 ならばなぜ、今回だけ? と言いたげな視線を向けられる。


「これは予想ですが、アルヴィン王子の噂を聞いていると言っていたでしょう? だから、実際に素のアルヴィン王子を見てみたかったとか、そういう理由だと思います」

「なるほど、中々ぶっとんだ御仁のようだ」

「アルヴィン王子と少し似ていますよね?」

「ぶっとばすぞ」

「人のセリフ取らないでくださいっ」


 アイリスとアルヴィン王子がわーわー言い合っている。わりといつものやりとりだが、レムリアでのアイリスを知らない、アイスフィールド公爵家の使用人達は目を丸くしている。

 そんな中、扉がノックされる。アイリスの許可を得てクレアが応じるとほどなく、清楚なドレスに身を包んだツインテールの女の子が姿を現した。


「アイリスお姉様。ご無沙汰しております」

「ええ、久しぶりね、ジゼル」


 微笑みを浮かべるのは、アイリスと同じプラチナブロンドに、少し気が強そうな青みがかった緑色の瞳を持つ少女。彼女の名前はジゼル、八つ歳の離れたアイリスの妹である。


「ところで、お姉様。そちらのお方を紹介していただけますか?」


 ジゼルがアルヴィン王子の紹介を促してくる。アイリスはこくりと応じ、アルヴィン王子に視線を向けてジゼルを手のひらで示した。


「彼女はジゼル。わたくしの妹です」

「俺の名はアルヴィンだ。しばらくこの屋敷に滞在するのでよろしく頼む」


 アルヴィン王子が気さくに声を掛けるが、せめて身分を名乗りましょうよとアイリスは眉を寄せた。その上で、ジゼルに彼がレムリアの王族であることを伝える。


「お姉様、さすがに存じておりますよ。お初にお目に掛かります、アルヴィン様。いつもお姉様がお世話になっております」


 アイリスを彷彿とさせる所作でカーテシーをする。十一歳の見た目に反して優雅な仕草にアルヴィン王子がほぅっと息を吐いた。


「なるほど、たしかにアイリスの妹だ。仕草がよく似ている」

「とても光栄ですわ、アルヴィン様」


 ジゼルはすまし顔でそつなく応じ、続けてアイリスへと視線を戻す。


「アイリスお姉様に稽古を付けていただきたかったのですが、お忙しいようですので出直しますね。後日で構いませんので、お願いできますか?」

「ええ、もちろん。貴女の成長を楽しみにしているわ」

「ありがとう存じます、お姉様。それでは、アルヴィン王子、また夕食の席でお目にかかれることを楽しみにしております」


 王子に向かって微笑んで、ジゼルは優雅に退室する。

 その後ろ姿を見送ったアルヴィン王子は感嘆の溜め息を吐いた。


「……さすがアイリスの妹だな。幼い見かけからは想像できないほどにしっかりしている」

「わたくしがザカリー元王太子に苦労させられているのを見て育ったせいか、貴族社会では隙を見せると大変なことになると実感しているようでして……」

「なるほど、それはたしかに実感がこもっているな」


 彼はそう言った後、アイリスの顔を見るとふっと笑みを零した。


「……なんですか、その笑みは」

「いやなに、おまえは家族に愛されているのだな、と。元王太子の一件やらなんやらで、おまえが家族にまで蔑ろにされているのではと心配していたのだが、杞憂だったようだ」

「そうですわね。公爵令嬢として厳しくは育てられましたが、ちゃんと愛情も注いでいただきました。わたくしの自慢の家族ですわ」

「ふむ、そうか」


 どこか腑に落ちていなさそうなアルヴィン王子に、アイリスは小首をかしげた。

 ちなみに、アルヴィン王子が疑問を抱いたのは、それならばなぜフィオナに固執し、あそこまで可愛がっているのか、ということである。

 妹がいるにもかかわらず、フィオナを可愛がっているという結果から、実の妹との仲が良好ではないとアルヴィン王子は思っていた訳だ。


 実際には前世の記憶が絡んでいるだけで、アルヴィン王子が考えるようなややこしいしがらみがある訳ではない。それを知らぬ彼が不思議に思うのは当然である。


 ――と、そんな感じで世間話に花を咲かす。その後、しばらくして歓待の準備が整ったとの連絡を受けて食堂へと移動。アルヴィン王子がアイリスの父、アイスフィールド公爵と挨拶を交わし、続けて正体を明かしたヒューバートとも挨拶を交わす。


 ちなみに、あっさりと正体がばれたヒューバートは実に楽しげだった。剣の国の王子であるにもかかわらず、洞察力に優れていることが気に入ったらしい。

 そういう意味では、アイスフィールド公爵やジゼルの好感度も高い。

 でもって――


「急な来訪にもかかわらず、このように歓迎いただけたことに心より感謝する」


 公人として振る舞うアルヴィン王子もどこか楽しげな感情が滲んでいる。剣の国の王子でありながら、どちらかというと権謀術数を得意としている。

 アルヴィン王子にとって、アイスフィールド公爵家の住人は気が合うのだろう。

 だが――


「――そうですね。印象的だったのはパーティーでの演奏でしょうか? アイリスが微笑みを浮かべてヴァイオリンの弓を引く姿には、多くの者が見惚れておりましたから」

「娘が微笑みながら演奏、ですか?」

「あらあら、アイリスちゃんがねぇ」

「ふぉっふぉ、珍しいこともあるものだのぅ」

「お姉様が微笑みながら演奏するなんて一体なにがっ!?」


 家族に請われ、アルヴィン王子がパーティーでの出来事を語った。そこでアイリスが微笑みながら演奏をしたというくだりに、夕食の席にいる家族全員が反応した。


「……わたくしが微笑むくらい、珍しくないでしょうに」

「いや、違うぞ、アイリス。そなたの認識は間違っている」

「いえ、わたくし自身のことなんですが……」


 父に真っ向から否定され、アイリスは憮然とする。 それに対して反応したのはアイリスの母親、ティターニアだ。彼女は頬に人差し指を添え、過去を思い返しながら口を開く。


「私はパーティーでアイリスちゃんの演奏を見たことがあるけれど、あのときの貴女は凍り付きそうな冷たい表情を浮かべていましたよ?」

「それはザカリー王子の誕生パーティーでしょう? わたくしだって、親しい相手に向けて演奏するときは微笑みくらい浮かべますよ……?」


 そんなの当然でしょうとばかりに反論する。その言葉にアイリスを除いた全員がなんとも言えない顔になった。アイリスの言葉はつまり、当時は婚約者だったザカリー王子が、自分にとって親しい相手でもなんでもなかったと言ったも同然だからである。


「……うぅむ」


 アイスフィールド公爵が自身が成した過去の所業を振り返ってうなり声を上げた。


「あなた、そのように過去を悔やんでも仕方ありません。それよりも、いまのアイリスちゃんが笑顔を浮かべるようになったと、その事実に喜びましょう」

「そうか、そうだな……」

「いえ、別にそのように深刻な話ではないと思うんですが……」


 アイリスがぼそりと呟くが二人は聞いていない。旗色の不利を感じたアイリスは、そういえば――と、強引に話題を変える。


「お父様、薬草園の件は陛下に伝えていただけましたか?」


 両国にかかわる話題である。アイスフィールド公爵はここで話してもいいのかとアルヴィン王子に視線を向けるが、彼はかまわないと言いたげに頷いた。

 それを確認したうえで、アイスフィールド公爵はアイリスに問い掛ける。


「もちろん伝えはした――が、アイリスよ。薬草園の一件は正直なところ助かるが、もう少しこう……情報の流出には気を使ってくれないか?」

「違います、お父様。このリゼル国が、わたくしという機密を国外に流出させたのです」


 アイリスが国外に技術を流出させているというアイスフィールド公爵に、自分との婚約を破棄した王族が悪いと反論する。

 事実その通りで、アイリスとザカリー元王太子との婚約は、アイリスをこの地に縛るためだった。それを一方的に破棄したのは王族なので、王族はもちろん、その重鎮達もアイリスや、アイスフィールド公爵に強く文句を言えないでいる。


「そなたの言い分は理解できる。だが表向きは、そなたがザカリー元王太子を振ったことになっているのだ。事情を知る者はともかく、他の貴族に示しがつかぬ。もう少し考慮してくれ」

「……なぜですか?」


 アイリスはこてりと首を傾げた。


「なぜって、そなた……」

「わたくしがザカリー元王太子を振った。だから、王族が愚かにも賢姫を放り出した訳ではないと、国が乱れぬようにすることに異論を唱えるつもりはありません」

「ならばなぜ非協力的なのだ。そなたの行動は――」

「違います、間違っていますよ、お父様」


 アイリスはぴしゃりとアイスフィールド公爵のセリフを遮った。


「いいですか、お父様。わたくしは、わたくしがザカリー元王太子を振ったことにして、王族の体裁を取り繕うとすることに協力しています。それ以上に協力する義務はありません」

「しかし……」

「わたくしがザカリー元王太子を振ったという誤情報を訂正してもいいのですよ?」


 そもそも、アイリスは被害者なのだ。

 ザカリー元王太子が他の令嬢に現を抜かし、王太子としての責務すら果たさなかった。それでも、アイリスは国の体裁を護るために、嘘の事実を公表することに同意した。

 だが、その曲げた事実を理由に、アイリスが行動を縛られる謂われはない。


「アイリスよ。まさか……とは思うが、陛下にもそう申し上げるつもりか?」

「陛下がお父様と同じことをおっしゃるのならそのつもりです」


 淡々と言い放った、アイリスは本気である。

 そんなアイリスを前に、アイスフィールド公爵はなんとも言えない顔をした。


 彼とて、本当は分かっている。いや、それどころか、アイスフィールド公爵はアイリス寄りの人間で、ザカリー王子のことを許すつもりはないのだ。


 だが、この国の公爵としては、他国に利益をもたらすアイリスの味方ばかりは出来ない。

 そう考える彼に向かい、アイリスはぽつりと言い放つ。


「……この国の人間がお父様のように考えているのなら、交渉は決裂するかもしれませんね」

「なっ、それは困るぞ。この上、薬草の栽培でも先を行かれれば、リゼル国の立つ瀬がない」

「では、そうならないように、陛下に言い含めておいてください」


 アイリスの無茶ぶりに、アイスフィールド公爵がこめかみを引き攣らせた。


「陛下ならもちろん理解なさっているだろう。だが、問題は大臣達の方だ。ザカリー王子の一件は色々と伏せられていることも多く、情報が錯綜しているからな」

「……それは、陛下の責任だと思いますが」


 リゼルの賢姫として、両国のためになる提案はする。だが、自分が下手に出るつもりはないというアイリスの意思表示に、アイスフィールド公爵は遠い目をする。


「どうあっても、引くつもりはないのだな?」

「いいえ、リゼルが拒絶するなら、素直に引き上げる用意はございますよ」

「その引くではない! はぁ……まったく。そなたの考えはよく分かった。陛下には私から懸念を伝えておこう。暴走する大臣が現れるかもしれぬが、それはそなたが対処しろ」

「お任せください。上手く対処してご覧に入れます」


 アイリスがふわりと笑うと、アイスフィールド公爵は思いっ切り溜め息を吐いた。


「まったく。わしの言葉なら無下にしないと言ってなかったか?」

「あら? お父様の言葉でなければ、最初から相手にしておりませんわよ? お父様がいたからこそ、薬草園のことも提案したのではありませんか」


 ザカリー王子の一件を棚上げにして、アイリスを相手にマウントを取ろうとするのが間違いである。アイリスは、お願いする相手を無下に突き放すほど薄情ではない。

 ――という話。

 それを理解したアイスフィールド公爵はなるほどと理解を示した。


「では、我が愛娘に希(こいねが)う。どうか、リゼル国のために力を貸してくれ」

「心配しないでください。リゼルにとって、とても良い話をもって来ましたから」


 前置きを一つ、アイリスはアルヴィン王子を使者として連れてきた理由。薬草園に加え、隠れ里との交易をおこなうつもりだという話を打ち明ける。それを聞いたアイスフィールド公爵は、娘がとんでもない提案を持ち込んだと知り、明日の話し合いを思って天を仰いだ。

 

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