エピソード 3ー1 無礼なのはどちらですか?

「……ザカリー王太子殿下。なぜこの国にいらっしゃるのですか?」

「なぜだと? 俺がレムリア国の王女の誕生パーティーに出席することのなにがおかしい」


(おかしすぎて突っ込めないよっ!)


 アイリスはそんな内心を辛うじて隠した。

 たしかに、王太子が隣国の次期女王の誕生パーティーに参加することは不思議ではない。実際、アルヴィン王子もリゼルのパーティーに参加している。だが、謹慎が解けたのだとしても、よりによってザカリー王太子殿下がアイリスのいるこの国に……である。


「お前こそ、俺に婚約破棄されてどこへ逃げ出したかと思えば、こんなところにいたんだな」


 サプライズでヴァイオリンを奏でたアイリスはまだ周囲の注目を集めている。ザカリー王太子殿下の言葉に、周囲にざわめきが広がった。


「ザカリー王太子殿下、少々酔っていらっしゃるのではありませんか?」

「はぁ? 愚かなおまえには、俺が酒を飲んでいるように見えるのか?」


(愚かなのは貴方よ、このバカ王太子っ!)


 アイリスは心の中で思いっきり叫んだ。

 ここは他国の、それも王族が主催するパーティーの会場だ。そこに賓客として参加しているアイリス。実際は教育係とはいえ、一応はアルヴィン王子のパートナーだ。

 そんなアイリスに、他国の王子が心ない言葉を投げかける。


 それだけでも常識を疑われるが、ここまではまだ許容範囲。だが言うに事欠いて、アイリスを非難する言葉として、他国の王城をこんなところと言い放った。


 それはつまり、自分に婚約を破棄されたおまえには、このような場所が相応しいと、この場所を貶していると取られても仕方がない。

 だからこそ、アイリスは酔っているのではないかとフォローしたのだ。なのに彼は、酒を飲んでいないと真っ向から否定してしまった。

 これを愚かだと言わずになんと言おう。


 アイリスは頭を抱えつつ怒鳴りたい欲求に駆られるが、ザカリー王太子殿下に忠告しても子供の喧嘩になるのが関の山だろう。


(お兄様なら迂遠な表現もちゃんと理解してくれるのに……っ)


「どうした、質問に答えないのか? ……はっ、さては、俺に婚約を破棄されたショックからまだ抜け出せないでいるのだな」

「いえ、それはありません」

「くっ、そういうところだぞっ!」

「王太子殿下もそう言うところですよ?」


 なにがそう言うところなのかは知らないが、アイリスはこれ幸いと言い返した。

 これでザカリー王太子殿下に無礼なと言い返されても、悪口だったのですか? と、とぼけることが可能で、とても使い勝手が良い。

 ちなみに、アイリスの言うそういうところとは、面倒くさい性格のことである。


 そんなアイリスの話術を理解しているのかいないのか、ザカリー王太子殿下が不満気に口を開く。それが声になる直前、心配したような顔のアルヴィン王子がやってきた。

 なお、心配そうな顔であって、心配している顔ではない。


(むしろ……なんだか不満気?)


 アルヴィン王子の顔を見上げたアイリスはそんな感想を抱いた。


「なんだ、おまえは?」


 ザカリー王太子殿下の物言いにアイリスは天を仰いだ。むろん、淑女としてそのような真似は出来ないので、その仕草をしたのは心の中でだけ、だが。


「彼はわたくしのいまの雇い主、アルヴィン王子です。アルヴィン王子。彼はリゼル国の王太子殿下のザカリー様です」


 客人でもあり、王太子殿下でもあるザカリー王太子殿下を上位として紹介する。

 ただし、王族の素質としてはアルヴィン王子の方が格段に上だ。馬鹿なことはしないでくださいねと、アイリスは天に祈った。


「王子、だと?」

「名乗るのが遅くなった。俺はアルヴィンだ。ここにいるアイリスは従妹の教育係として雇っている。彼女がなにか粗相でもしただろうか?」

「いや、そういうわけではないが……」

「であれば、彼女の誹謗中傷は止めていただこう」

「誹謗中傷ではないぞっ! 彼女が俺に婚約を破棄されたのは事実だ!」


 ザカリー王太子殿下が声を荒げた。

 続けて、彼は「断じて俺が婚約を破棄された訳ではない」と続ける。どうやら、アイリスに振られたという噂が広まったことを相当に恨んでいるらしい。


 察するに、アイリスが出奔してからも言われ続けたのだろう。その恨みを口にすることで怒りがぶり返したのか、ザカリー王太子殿下は更に捲し立てる。


「俺に婚約を破棄された後、そいつは自分が俺を振ったと吹聴したのだ。しかも、そいつは振られた腹いせにすぐに他の男とダンスを踊った尻軽だ!」


(そのダンス相手はこの人だから! なんで気付かないんですかっ!? わたくしを貶しているつもりでしょうけど、他国の王子を貶していますからっ!)


 もう黙りなさいよ、このバカ王太子殿下と、アイリスは悲鳴を上げる。互いの国力に差はないけれど、ないからこそ、非礼を働いた方が不利になる。

 どう考えても王太子殿下の非礼というか、会場の空気を読めていない。


(そう言うところですよ、ザカリー王太子殿下っ!)


 やばいよーとアルヴィン王子を見ると、笑顔の奥で物凄く冷たい目をしていた。自分に向けられていない殺気であるにもかかわらず、アイリスは思わず身震いしてしまう。


「分からないようだな、ザカリー王太子殿下。我が従妹殿の祝いの席で、そのような聞くに堪えない囀りを止めろと言っているのだ」

「なんだと……っ」


 声を荒げそうになったザカリー王太子殿下が息を呑んだ。おそらくはアルヴィン王子の殺気を感じ取ったのだろう。だが、それはあまりに遅すぎた。

 アルヴィン王子は笑顔を張り付かせたまま口を開く。


「ハッキリと言おう。王太子殿下が振ったか振られたかなどどうでも良い。重要なのは、アイリスがフィオナのお気に入りの教育係だということだ」

「そ、それがなんだというのだ」

「こいつの元婚約者とは思えないな。王太子殿下ともあろう者が、他国のパーティーでその国の重鎮を悪しきざまに貶める。その意味を理解できないのか?」

「それは……」


(確実に国際問題、ですね)


 もっとも、ここで素直に謝罪、もしくはそれに準ずる態度を取ることが出来ればまだ水に流すことも出来るのだが、ザカリー王太子殿下はそのような考えを持ち合わせていない。

 アイリスはこめかみに手を添えて溜め息をついた。

 そんなアイリスに向かって、アルヴィン王子がにやっと笑いかけてくる。


「……なんですか?」

「この際だから、言いたいことがあれば言ってしまえ」


 いまなら文句を追い返しても、ザカリー王太子殿下に反論の余地はない。虎の威を貸してやるから、存分に言い返してやれ――と、彼はそう言っているのだ。


「……良いのでしょうか?」

「おまえは、好き勝手に言われたままで終わる女なのか?」

「わたくしをなんだと思っているのですか」

「では言わないのだな?」

「言いますけど」

「言うんじゃないか」


 ほら見たことかとばかりに笑われた。アルヴィン王子の思惑に乗るのはしゃくだが、せっかくの機会を逃すアイリスではない。


「ザカリー王太子殿下。貴方は振られた腹いせだとおっしゃいましたが、そのようなことはあり得ません。なぜなら、わたくしは努力家が好きなのです」

「……なっ」

「殿下の魅力を見いだしてくださる女性と結ばれることを祈っておりますわ」


 ふわりと微笑んで言い放った。

 痛烈な皮肉に、耳をそばだてていた者達が苦笑する。それほどまでに、アイリス言葉は端的に、そして遠回しにザカリー王太子殿下を扱き下ろしていた。

 自分は努力家が好きだから、努力家でない貴方は好きじゃない。貴方の魅力を見つけてくれる人がいると良いですね――と、彼女はそう言い放ったのだ。


「お、おまえは……俺にそのような口を利いて、許されると思っているのか?」

「あら、わたくしはただ努力家が好きだから、他の女性を射止めた貴方に腹を立てたりしないと申し上げただけですのに、一体どのような解釈をなさったのですか?」


 ザカリー王太子殿下が愛する者と結ばれるために、アイリスとの婚約を破棄した。

 その努力を称えるという意味だった可能性もある。なのに、いまの言葉を皮肉だと受け取ると言うことは、自分が努力家でないと認めるも同然だ。

 それに気付いたザカリー王太子殿下がうめき声を上げて黙り込む。


「もうおさがりください、ザカリー王太子殿下。リゼル国で育った貴方に他国の作法は馴染みのないものでしょう?」

「アイリスの言うとおりだ。友好の証にと招いた王子が、まさか国際マナーを知らぬ愚か者とは思ってもいなかった。この件は後日、そちらの王に抗議させていただく」


 せめてものフォローも、アルヴィン王子によって攻撃の材料へと変えられてしまう。どうやら、アルヴィン王子はこの件を丸く収めるつもりはないようだ。


「抗議だと? ただの王族が、王太子である俺にそのような口を――」

「――ザカリー王太子殿下っ!」


 王太子殿下の声を掻き消すように声が響いた。

 アイリスはその声に聞き覚えがある。

 慌てた様子で飛んでくるのは、王太子殿下のお目付役を兼ねる家臣の一人だった。

 

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